第05話 二段ベッドのある部屋
「入るよ」
妹、
日記かポエムでも、書いていたのだろうか。急にドアを開けられたことに、「うわっ!」っと目を丸くしながら、慌てて、手にしていた紙のノートを背中に隠した。
「お姉ちゃん、いきなり入ってこないでよ!」
姉であることに、ほっと安堵の表情になりながらも、それはそれこれはこれ、姉のマナー違反に唇を尖らせた。
「入るといったけえね」
「いいながらドア開けるんじゃ、意味ないよ。それにあたし、うんっていってないよ」
「確かに。……ごめん、お姉ちゃん悪かった」
これまではドアが開けっ放しで、ノックする必要もなかったから、うっかりしていた。
反対に自分はよく、フミがノックしないで入ってくることを、よく怒っていたのに。
しかし、ついにフミも、羞恥心やプライベートに目覚めるようになったかあ。
と、成長がちょっと嬉しいような寂しいようなの治奈である。
「どうしたの? なにか用?」
史奈が身体を卵みたいに丸めたまま、きょとんとした表情をこちらへ向けている。
「あ、いや、その、特に意味はないんじゃけどね。風邪、治ったかなあ、って」
頭を掻いて、ははっと笑いながらベッドへと近寄ると、腰を下ろした。
「さっきお店で、お姉ちゃんの焼いた関西のお好み焼きを食べたばかりでしょ」
「あ、そ、そうじゃったな」
もう元気も回復したし、それまで寝てて、まったく食事をしていなかったから、ということで、たまたま練習で作ったお好み焼きを食べてもらったのだ。
「美味しくて栄養たっぷりだったしい、もともと治りかけだったし、明日は学校に行けると思うよ」
「なら安心じゃ。作った甲斐があったわ」
どうして、妹の部屋にきたのだろう。
ははっ、と笑いながら、自問していた。
史奈には風邪の心配と答えたが、それは適当に口を突いて出ただけだ。
先ほど、つい大泣きをしてしまって、史奈に慰めて貰っていたのだが、そうした気恥ずかしさを、ごまかしたかったのかも知れない。
そうか分からないけど、ことのついで、治奈は、腰をぎゅいっと回転させて、ベッドに足まで乗っけると、全身を横たわらせて、
「ほじゃけど、まだ病人はおとなしくしとけ!」
「わっ」
史奈を掴み引き倒して、自分の身体もろとも、毛布を掛けてしまった。
一つの枕の、端と端に、毛布から顔を出した治奈と史奈が、頬を乗せて向き合っている。
にやにやと、笑みを浮かべている治奈。
眼前にそんな姉を見て、
「なあに? 気持ち悪いなあ」
史奈は、恥ずかしそうに、顔は向き合ったまま、視線だけをそらせた。
「何年か前までは、いつもこうして一緒に寝てたじゃろ」
身体を寄せ、妹の体温を感じながら、治奈は笑みを強める。
「何年か、は過去のこと。広島の頃でしょお」
「途中から、二段ベッドを買って貰って、別々になったけどね」
「あー、懐かしいね、二段ベッド」
史奈は、あははと笑った。
「懐かしいとかいえるほど生きとらんじゃろ。……フミは最初、上じゃなきゃ嫌だって大泣きしとったなあ」
「嘘だあ」
「駄々をこねるもんじゃけえ、うちが渋々無条件で下になったら、今度は、お姉ちゃんズルい下の方が秘密基地みたい、って交換を要求してまた駄々こねてな」
「嘘、嘘、ぜーったい嘘」
「うちも意地になって、絶対に応じん、と突っぱね続けてとったら、すぐに落ち着いたけど」
「記憶にないなあ」
「ほじゃけど、こうして今はまた、同じ高さじゃ」
治奈は、ふふっと笑った。
「勝手にベッドに潜り込んできてるだけでしょ」
そういうと、史奈は、身体を半回転させて仰向けになり、天井を見上げた。
姉と至近距離で、顔を突き合わせているのが、気恥ずかしかったのだろう。
なおも姉が、横顔をじーっと見ているものだから、やがて、もじもじと身悶えを始めた。
「お姉ちゃん、なんか漫画貸して」
気恥ずかしさをごまかそうとしているのか、そういいながら、上半身を起こした。
「漫画日本の歴史とか、世界の偉人伝とかなら貸したるけえね」
「恋愛ものしか持ってないでしょ」
史奈は苦笑しながら、姉の部屋へ行こうと、ベッドから降りた。
「一人で歩ける?」
「当たり前。さっきお店まで降りたでしょ」
「遅くまで、読んどらんようにな。明日から学校なら、お風呂も早くせんとな。後で、一緒に入ろう」
「うん。分かった」
心配性で世話好きな姉に対し、また苦笑すると、史奈は自分の部屋を出た。
ガチャリ、廊下の向こう、治奈の部屋のドアが開く音。
ベッドに残った治奈は、史奈の部屋のベッドに寝そべったまま、幸せそうな顔で、天井を見上げている。
そうな、ではない。
本当に幸せだ。
家族がいて、バカみたいな冗談をいって、どうでもいいことで怒ったりして。
正香ちゃんたち仲間を襲った不幸は、気の毒だし、今でも泣いてしまうけど、でも、おかげで、どれだけ我が家が幸せであるかを知った。
今後、この世界が、どうなって行くのかは分からない。
でも、やれることをやるだけだ。
自分には、しっかりした足場である、この幸せな家庭があるのだから。
などと改めて、ヴァイスタとの戦いや、至垂徳柳を阻止することに、静かな闘志を燃やしている、その時であった。
がしゃん
なにかが倒れるような、砕けるような、低く大きな音が、治奈の鼓膜を震わせたのは。
「フミ、どうかしたの?」
治奈はすぐベッドから上体を起こし、漫画を取りに自分の部屋にいるはずの史奈へと、大声で呼び掛けた。
だが、戻るは静寂ばかりであった。
「フミ!」
ベッドから降りながら、再び呼び掛けるが、やはり返事がない。
「お姉ちゃんをからかうのも、大概にせんと、怒るよ!」
すぐ隣の部屋で、呼び掛けの声が聞こえないなど、あるものか。
ちょっと声を荒らげながら、史奈の部屋を出る。
すぐ目の前に、自分の部屋のドアがあるのだが、開けっぱなしで、電気も点いている。
灯りのついた部屋の中が見えている。
だが、部屋の中には、誰もいなかった。
本棚の観音扉が開いており、何冊か、漫画本が落ちていた。
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