第06話 あとがないのは

 さすがに不意を突かれたか、無防備な状態で、カズミの鉄拳を顔面に受けた、真紅の魔道着姿のみちおうは、吹き飛ばされて壁に身体を打ち付けた。

 足をよろけさせ、壁を背で擦りながら、床へと倒れた。


「デタラメ抜かして、アサキのバカな頭を、混乱させようとしてんじゃねえぞ!」


 だんっ、カズミが拳を強く握りながら、激しく床を踏み付けると、配線のため薄いタイル状の床板が、べぎりと割れ砕けてしまった。


 壁に吹き飛ばされた応芽は、ゆっくり立ち上がると、なにごともない表情で自分の頬をさすりながら、カズミを一瞥した。


「なんや、雑魚か」


 薄い笑みを浮かべた。


「てめえごときに雑魚呼ばわりされる筋合いは、ねえんだよ! ……やっぱり裏切り者だったな。つうか、自分の組織までも敵に回して、なにを考えてやがんだ」

「わたしをね、オルトヴァイスタにして、新しい世界ヌーヴェルヴァーグに行く……って」


 アサキが、腕を押さえて、剣で切られた痛みに顔を歪めながら説明をした。


「はあ? なんだそりゃあ。くっだらねえ!」


 カズミは、再び踵で床を踏み抜くと、小さな声で呪文の詠唱を始める。

 頭上から二本のナイフが落ちて、左右それぞれの手の中に収まった。


 ぎゅ、と柄を握り締め、前方に立つ応芽を睨み付けると、ちらり後ろへと視線をそらし、怒った顔のまま口を歪める。


「アサキ、てめえも勝手なことしてんじゃねえぞ。くろ先生が気付いたからよかったものの」

「ごめん。誰にも迷惑を掛けたくなかったから」


 アサキは本心から謝った。

 迷惑を掛けたくなかったのは本当だが、確かに、だからといって勝手な行動をしてよいものではない。


「みずくせえんだよお前は。あとでぶん殴ってやるから、その怪我しっかり治療しとけ」


 カズミは、前へと向き直る。

 向き直ったその視界に入ったのは、応芽のいやらしい笑みであった。


「あとで、がもしもあったならな」


 かちゃり、かちゃり、

 剣の切っ先を杖にして床を突きながら、慶賀応芽が、ゆっくりとカズミへと近寄っていく。


 カズミは、お手玉の要領で左右のナイフを交差させ、持ち換えると、


「あとがないのは、お前だよ。この関西女」


 応芽を睨みながら、唇の両端を釣り上げた。


 戦いは予告もなく、どちらからということなく、まるで示し合わせていたかのように、始まった。

 二人、それぞれが相手へと飛び込みながら、己の手にする得物を相手へと振るい、叩き付けたのである。


 ナイフと剣、金属と金属がぶつかり合い、軋る音、火花は爆ぜる。


 後ろへと距離を取った瞬間には、二人、もう距離を詰めて打ち付け合っていた。


 唸り、斜め上へと疾る剣を、身を低くして紙一枚布一枚のぎりぎりでかわしたカズミは、その瞬間に応芽の懐へと飛び込んで、左手のナイフを内から外へと払って、胸を、真紅の魔道着を切り裂いていた。


 いや、裂けては、いなかった。攻撃は確実に当たっていたが、かちんと音がするのみで跳ね返されていた。


「きかへんわボケ!」


 どおん、と建物を震わす低い爆音。

 応芽の左の拳が、カズミの顔面を捉え、文字通り爆撃の破壊力で吹き飛ばしたのである。


 応芽には、アサキの持つ非詠唱能力はない。

 通常詠唱している様子もなかった。

 つまり、拳の破壊力を増す術式は施されていないはず。

 それがこの結果。

 この真紅の魔道着が、魔力を効率的に体内循環させているためであろう。魔法使いとしての基礎値が格段に向上し、肉体能力にまで及んでいるのだ。


 ひとたまりもなく飛ばされたカズミの身体は、飛ばされたほぼその瞬間には、ぐしゃり壁へと叩き付けられていた。

 魔道着の防御性能がなければ、文字通り潰れ、肉塊と化していたかも知れない。


「くそったれ! 油断した!」


 頭をふらふらさせながらも、しっかり足を着き、左右のナイフを構え直そうとするカズミであるが、


「ブリッツシュラーク、ゼプテクション!」


 顔を上げ、前を向いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、


 早口で呪文詠唱しながら、ぐんと迫る、応芽の姿だった。


 応芽は剣を投げ捨て、今度こそは魔法強化された青白く光る拳で、カズミを殴り付けていた。


 殴られ、背後の壁に再び身体を打ち付けられたカズミは、ぐうっ、と呻き声を発し、痛みと衝撃とに顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


「しまいや!」


 唸る応芽の拳が、カズミの腹部へとめり込んだ。

 爆発した。


 ぐぅ……


 カズミの目が、襲う苦痛に見開かれていた。

 そのまま崩折れ、どさり音を立てて倒れたかと思うと、着ていた青い魔道着が、ふわり空気に溶けて消えた。

 変身前である、我孫子第三中学校の制服姿に戻っていた。


「畜生……」


 変身が解除されたことに焦り、舌打ちしながら、再び立ち上がろうと、床に両手を置くカズミであるが、その首へと、ぶん、と唸りを上げて、斜め上から、剣の刃が振り下ろされていた。


 ぴたり、

 と、静止していた。

 剣の切っ先が、

 カズミの喉元に、

 薄皮に触れる触れないというくらいの僅かな距離に、突き付けられていた。


 カズミは、くっと呻き声を出すと、応芽を見上げ、睨んだ。


「殺さへんよ」


 応芽の、喜悦に満ちた声が、しんとした部屋に響いた。

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