第14話 もう離さない

 こうやま地区。

 アサキの住んでいる、てんのうだい地区から、少しだけ南へ行ったところだ。


 田畑に囲まれ、閑静な住宅街が存在している、その中に、どこまでもレンガ塀の続く、広い敷地がある。

 古くからの名家である、おおとり家の敷地だ。


 その塀の外側を、アサキ、はる、カズミ、なるの四人が歩いている。

 学校帰りであるため、中学の制服姿で。


 目的は、この広大な敷地の内側にある家。

 おおとりせいに、会いにきたのだ。


「しっかし、いつきてもすっげえ家だよなあ」


 塀の向こうに見える土地や、大きな邸宅を見ながら、カズミが素っ頓狂な大声を出した。


「ほうじゃね。……あらためて思うと、うちらって、正香ちゃん以外は、みんな貧乏よりの庶民な気がするけえね」


 治奈がなんだか悲しいことをいう。


「あらためなくとも、あたしん家は自他認める完全なドドドド貧乏だしな」


 そんな悲しみどこ吹く風よ、とカズミは、はははと笑って吹き飛ばした。


「でも……こういうところに住んでいるから幸せとは限らないんだな。正香ちゃんは……苦しんでいる」


 アサキは、ちょっと寂しそうな目を、塀の向こうにある屋敷へと向けた。


「だーかーらー、仲間ってのが必要なんだよ。……なんかさ、考えてみるとさ、あたしら六人って、こういう時の心の支えとしては最強の仲間って感じしねえか? お嬢様、美女、お好み焼き、幼児、関西、アホ」

「わ、わたしはどれかなー」


 アサキの頬が、ぴくぴく引きつっている。


「いわないと分かんない?」

「カ、カズミちゃんが美女とかいうのもおかしいじゃないか!」

「どこがおかしいんだよ!」


 瞬間湯沸かし器のごとく、怒鳴り声と共にさっと伸びた両手が、アサキの首をがっしと掴んでいた。


「ぐ、ぐびじべだいでえええええ、ぐるじやあああべえでええええええ」


 掴む手を引き剥がそうと、もがくアサキであるが、野獣なみの怪力を前に是非もなく、顔を苦痛に歪め、目を白黒させている。


「二人とも少しは成長せんか! 中二にもなって!」


 声を荒らげる治奈であるが、諦めの境地に達しているのか、すぐに表情を戻すと、小さなため息を吐いた。


 その小さなため息に、成葉の声が重なった。


「ありがとね、カズにゃんたち。本当に」


 そういいながら微笑んでいた。


「はあ? なにがよ?」


 ぎりぎりと首締めを継続しながら、カズミが問う。

 既にアサキの顔は土気色、いつ別世界へ旅立ってもおかしくない状態である。


「ナルハのこと元気付けようと、そうやって笑わせてくれてるんだよね」

「あたしはその通りだけど、アサキは素でアホだぞ。DNAレベルっつうか前世」

「だっどぐいがだあああい、ぞれよじぐるじいいい、でをがあなあじいでえええええ」


 アサキは、涙目で口から泡を吐きながら、顔をぶっさいくに歪め、カズミの手を懸命に引き剥がそうとしている。


「滑舌よくお願い出来たら離してやるよ」

「ぶびだぼおおおお」

「はあ、もう飽きたから勘弁してやっか。感謝しろよ」

「あじがとおおお」


 涙目で、げほごほげほごほ、すがるようにカズミの手をぎゅっと握るアサキ。


 さて、そんなこんなバカなことをしながら、一行は塀沿いに進み角を折れて、敷地の正面へと回り込んだ。

 回り込んだところで、


「なあ、あれ正香じゃないか?」


 カズミが、前方を指さした。


 長い黒髪の女性が、門を潜って敷地から道路へと出てきたのである。

 ふらふらとした、まるで幽霊みたいな歩き方であるが、姿としては確かに大鳥正香である。


「辛そうじゃの……」


 治奈が気の毒そうに、ぼそりと言葉を発する。

 その背後でアサキが、苦しそうに喉を押さえて、げほごほげほごほむせている。


「いつまでもうるせえよ、お前は!」

「ええーーっ? ……正香ちゃん、学校での時よりも様子が酷くなっているね」


 喉を押さえながら、アサキも気の毒そうに顔をしかめ、正香を見つめている。涙目であったり、口から吹いた泡が垂れていたりするのは、また別の理由であるが。


 アサキは、いざこのような状況に直面して、成葉になんと言葉を掛けてよいかが分からなかった。

 みなも同じ気持ちでいるのか、誰からというわけでもなく立ち止まってしまっていた。


 だがその気まずさは、成葉自身によって吹き飛ばされた。


「みんなあ、表情が暗いよお」


 たたっと前へ出て、スカート翻しアサキたちへと振り返ると、歯を見せて、くしゃっとした人懐こい笑みを浮かべたのである。


「そんじゃ、ゴエにゃんに、ちょちょっと謝ってくるねえ」


 おそらく、あえて軽い感じにそういうと、再びくるりと門の方、ふらふら歩いている正香のいる方を向いて、迷うことなく走り出していた。


「ゴエにゃん!」


 大きな声で叫びながら、成葉は幼い頃からの親友へと走り、近寄り、勢いよく飛び込みながら、両腕を腰に回して抱き着いていた。


 もっと上の方を抱き締めたいのか、回した腕をずりずりと上げていくが、あまりの身長差に諦めたようで、お腹と胸の境界あたりをぎゅうっと抱き締めた。


「ごめん。ほんとごめん!」


 大声で謝りながら、正香の胸に顔を埋めた。


 まっとうな意識があるのかないのか、正香はぴくりとも動かない。が、成葉は構わず喋り続ける。


「ナルハね、ゴエにゃんに自分の気持ちだけ押し付けちゃっていた。助けてあげよう、って上から目線だったかも知れない。でもね、こんな、喧嘩、しちゃって、それで分かったんだ……ナルハ、ゴエにゃんのこと……」


 その言葉が、その熱意が、通じたのだろうか。

 正香の身体が、微かに動いていた。


 ゆっくりと腕が伸びて、成葉の背中に腕を回すと、その小さな身体をしっかりと抱き締めていた。

 ぎゅうっと。



 もう離さない。



 とでもいうかのように。

 力強く、

 正香は、成葉の身体を抱き締めていた。


 思いが通じて感極まったか、成葉のまぶたが、ぷるぷるっと震えた。

 目に涙が溢れていた。


「ゴエ……にゃん……」


 成葉も、正香を抱く腕に力を込めていた。

 涙をこぼしながら、嬉しそうな、照れたような、そんな顔で。


「ちょ、ちょっと痛いよゴエにゃん! もお!」


 泣きながら、笑いながら、身悶えをする成葉。


 その顔へと、ゆっくりと、正香の顔が迫る。


 前髪で隠れて見えにくかった、正香の顔が、はっきりと見えた瞬間、


「え?」


 成葉の顔に、疑問の表情が浮かんでいた。


 だがそれは、ほんの一瞬であった。

 一瞬で、疑問から驚愕の表情へ。


 そして、次に浮かんだのは、恐怖。

 絶対的、絶望的な、恐怖の表情であった。


 成葉の目は、恐怖に、限界まで見開かれていた。


 糊のようにへばりついている、乾いた口が、空気を求めて微かに開いた。


 ひっ、と息を飲む成葉へと、すうっと正香の顔が近付いた。


 成葉の身体が、びくびくっと激しく震えた。


 震え、

 涙の溜まった目を、見開いて、

 口を半開きにして、

 畏怖し、

 魂を震わせている、

 小柄な少女の、その顔へと、


 正香の影が、ゆっくりと落ちていった。

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