第15話 学校の怪談

「うーん。いないねえ、ウメにゃん」

「心配だな。どこにいるんだろう。ウメちゃーん! どこお? ……自暴自棄になってないといいけどなあ」

「おーい! クソ関西毒舌女ーっ! 隠れネクラあ! タコ焼き屋あ!」

「そだこといってえ、聞こえたウメにゃんが、化けて現れたらどうすんのさあ!」

「死んでる前提かよ!」


 などと話しながら、暗い暗い校舎の廊下を、リストフォンのライトで照らしながら歩いている女子たち。


 りようどうさきあきかずへいなるの三人である。


 学校を使っての強化合宿中、あとはこのまま宿直室で寝るだけだったので、みな寝巻き代わりのティーシャツと短パンといった格好だ。


 彼女たちは、何故にこのような暗い夜の廊下を歩いているのか。

 お喋りの輪に入ろうとして、カズミから痛烈な拒絶を受けたみちおうが、泣き喚きながら、宿直室を飛び出してどこかへ消えてしまったので、その行方を探しているところだ。


「しかし、古い感じの建物だよねえ、ここ」


 あらためて気が付いたように、周囲を見回しながらアサキは、古さと暗さとに怖くなったのか、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「ああ、アサキ聞いてないのか? 天三中の第一校舎って昔な……」

「ちょ、ま、待って、カズミちゃん、ひょっとして怖い話じゃないよね?」


 ちょっと青ざめた顔で、危機回避の先回りをするアサキ。


「そんなんじゃないって。単なる学校の歴史の話だから」

「よかったあ」


 ほっと胸を撫で下ろす。


「歴史とか成り立ちとかね、そういう話は大好きだよ、わたし。日本史は苦手だけど。それで、この第一校舎が昔なんだったの?」

「ここはな、もともと病院だったんだ」

「え、そうなのっ? 成葉ちゃん本当?」


 カズミを挟んで反対側を歩いている、成葉の顔を見る。情報真偽を確かめるため。


 成葉は、ちらり横目で、アサキを見ながら、


「らしいよん。ナルハたちが生まれるずーっと前だから、詳しくは知らないけれどね。だから建物自体は、第一中の校舎よりも遥かに古いんだ、ここ。第二校舎と体育館は、ここが中学になってからだから、新しいけど」

「そっか。ここって古くさいだけでなく、なんかちょっと他と雰囲気が違うと思ってたけど、そういうことだったんだ」


 すっきりした顔で、アサキは微笑んだ。


「でな、病院だった時代にさ、いつだったかは知らんけど、生まれてすぐに死んじゃった赤ちゃんがいたらしいんだよ」

「そ、それ、歴史の話い?」


 上擦った声を出すアサキに構わず、カズミは言葉を続ける。


「時代が時代だから、珍しい話じゃあないんだろうけど、とにかくそういうことがあったんだ。……でな、それからしばらく経った頃、ベージュの布にくるまれて、廊下を這い這いする小さな物体、そんなのが病院の中で目撃されるようになったらしいんだ」

「それただの怖い話じゃん!」

「くだらん、と目撃情報をバカにしていた、ある医師が、廊下を一人で歩いていると……そう、出会っちまったんだ」

「や、やめて! 聞きたくないっ!」


 声を裏返らせ叫ぶアサキ。


「医師は呻きつつ、直感した。もしも捕まったら、自分はそのまま地獄へと引きずり込まれることだろう、と。しかし、逃げようにも身体が金縛りにあったように動かない」

「やめてよお! お願いだからあ!」

「しゃかしゃかしゃかしゃか、そいつが近づいて来る、さながら遊星からの物体! 気付けば、がっと肩を掴まれていた」

「え、え、やだっ」

「医師の目の前に、クシャクシャの紫色で幼い顔が、ムンクみたく口を開きながら甲高い声で『殺したのはお前かああああああああああ!!!』」

「あああああああああああああああああ!」


 絶叫に絶叫が重なっていた。


 ふらふら、ふら、ぺたん、


 アサキは、床にお尻をついた。

 壁に背を寄り掛からせながら、ぴくり、ぴくり、と頬を痙攣させている。


 半ば放心状態のアサキを前に、カズミと成葉が二人して、指をさしてわははは大爆笑だ。


 うつろな視線のまま、深い深いところへ意識を沈めて現実逃避していたアサキであったが、そのやまない憎たらしい笑い声に呼び起こされ意識を浮上させると、ぶるぶるっと顔を振った。


「やっぱり怖い話じゃないかあ! 酷いよお、もおお! 成葉ちゃんまでえ! で、でもさ、それっ、本当なのお? そのお医者さん、地獄に引きずり込まれちゃったのお?」

「一人でいた医者が、本当に地獄に引っ張られたんなら、誰がそれを伝えたんだよ? 『わたしはそう直感した』、とか誰が話したんだ?」

「あ……」


 壁に背を預けたまま、また呆けた表情になった。


「やはあ、カズにゃんの嘘話に引っ掛かったー」


 成葉が飛び跳ね、はしゃいでいる。


「引っ掛かったー」

「引っ掛かったー」


 カズミと成葉が肩を組んで、声を揃えて喜んでいる。


「う、嘘なのお?」

「あったりまえだろ。まあ古い病院だったから、そりゃ色々なことはあったんだろうけどさ。怪談とか、そういうのは聞いたことないよ」

「でも、でも、怖かったあ。……しばらく一人でトイレに行けないよお」

「ったくお前は。ザーヴェラーを一人で倒したくせしやがって、そういうとこも成長しろよ」

「ト、ト、トイレに行けるとか行けないで、人の成長を計るのやめてもらえますかあ」


 アサキはなんとも情けない震える声を上げながら、床に両の手のひらを置いて、立ち上がろうとする。が……


 ん?

 ん?

 あれっ……


「ここっ、腰が抜けて立てないよお」


 なんとも情けない声どころか、完全に泣き声になってしまっていた。


「世話のやけるやっちゃな。ほら掴まれ」


 カズミが、手を引っ張って起きるのを手伝ってやる。


「せ、世話もなにもっ、カズミちゃんが怖い話をするのがいけないんでしょお!」


 ぐしゃぐしゃの、鼻水まみれの、みっともないぶっさいくな泣き顔をカズミへとぐぐっと寄せた。


「分かったから寄るなあ! 真緑のぶっとい鼻水を両穴から垂らしてる、そのふざけた顔でこっちを見んじゃねえよ! ブン殴りたくなるけど、殴ったらバッチイだろ。これでかめよ、ほら」

「あ、ありがと」


 カズミの差し出したポケットテッシュを、一枚引き抜くと、ずぶずびびいっと勢いよくかんだ。


「うええ、はみ出て、手にくっついちゃったあああ」

「知らねえよ! 一枚で足りるかなとか、二枚重ねようとか、自分で判断しろよ! この鼻水女! 絶対あたしのそばに寄んなよ! 鼻水女! 半径二メートル、エンガチョーっだ! 青っ鼻の、鼻水女!」

「そこまでいわなくても……」


 ボロクソいわれて、ちょっと傷ついて下を向くアサキ。


 バッチイと思ったからかどうかは分からないが、いきなり成葉が廊下を折れた。


「ナルハ、あっちの物理室を見てみるねえ。なんかさあ、意外とそおゆうとこに、ウメにゃんいたりしそうな気がするからさあ」


 物理室。

 折れてすぐの、突き当りにある教室である。


「分かった。んじゃあ、あたしと鼻水女は、図工室とか視聴覚室とか見てみるから。階段のあたりで合流な」

「うおっけいいい」


 こうして、成葉が抜けた。


 となればまあ、当たり前のように飛び出すのが、


「成葉、短い人生だったな。単独行動を取った愚か者から殺されていくのが、ホラーのお約束だからな」


 カズミの余計な物騒一言弾である。


「やめてよおおお! 暗い学校の廊下でそういうこというと、怖いでしょお! 呼び込んじゃうでしょお! それに成葉ちゃんに悪いよ、そんな縁起でもないこといってさあ」

「はいはい。優等生か、お前は」

「そんなんじゃないけど」

「視聴覚室にもウメがいなかったら、もう三人で分担しようぜ。お前、校舎の外を見てこいよ」

「やや、やだよう。今なら一人きりでいる成葉ちゃんが、ホラー約束の避雷針だけど、わたしが一人になったら、どうせ絶対わたしに諸々がくるじゃないかあ!」

「お前の台詞の方が、よっぽど成葉にひでえよ! 優等生とかいって損した」

「怖いんだよおおおお。夜の学校なんてさあああ。ねえ、成葉ちゃんと合流したら、ずーっと三人で回ろうよお。一人になるのやだよお」

「別にいいけど、それよかその極度のビビリを直さないと、残りの人生辛くないか?」

「我慢して生きていくことの方がよっぽど辛い」


 きっぱり。


「はいはい。ずっとビビッて生きてろ」


 それきり二人は無言になって、ゆっくり歩き続ける。


 生き様を見下されているようで、ちょっと肩身を狭くしていたアサキであったが、トイレの前に差し掛かったところで、


「ね、トイレ行こっトイレ。ほら、わたし手を洗いたいし」


 汚れたままだし。

 それに、結構もよおしてもいるし。


 と、背に腹変えられぬ状態であること思い出し、カズミを誘った。


「そういやお前、ずっと手に鼻水ついたままだったな」

「えへへえ、恥ずかしい。それに、暗い廊下にすっかり怯えてるわたしを見て、カズミちゃんどうせまた戻ったら怪談やろうと思ってるんだろうからさ。だったら、今のうちに済ませときたい」

「分かった。ここで待っててやっから、行ってこいよ」


 しっしっ、と犬を追い払うかような手付き。


「えーーーーっ! 一緒に入ってくれないのお?」


 いまにも泣き出しそうなアサキの顔である。


「あたしが、『そういう目的』で怪談やろうってんなら、なんでお前の怖さをやらわげる手伝いをしなきゃならねんだよ」

「うー、確かにいってることの辻褄は合っている」

「いいから、とっとと入って、溺れ死ぬくらいのおしっこジョボジョボ出してこいよ。別に、いきなり灯りを消したりとか悪戯はしねえからさあ」

「そ、そ、そういうこというと、急に灯りが消えないか不安になるじゃないかああ!」

「だから、やらねえっていってんだろ! あんまりイライラさせっと、そろそろほんとに全裸にひん剥いて、真空地獄車で廊下をゴトゴト端から端まで転がすぞ! で、動画撮って売るぞ!」

「分かったよ。一人で入ればいいんでしょおおだ」

「済んだらちゃんと流すんだぞ」

「うん」

「ハンカチ持ってるか?」

「うん。だから、絶対にここで待っててよね」

「ああ」

「……それじゃあ、行ってくるね」


 女子トイレのドアを開けて、灯りをつけたアサキは、振り返って、カズミのことを見つめている。

 じーっと、なにかを訴えるような目つきで。

 じーっと。


「しつこいなあ、お前はもう! すがるような視線を向けてんじゃねえよ」

「だ、だって……」


 怖いのは嫌なんだよ。

 それって当たり前の感情じゃないんですかあ?


 そんなこと思いながら、泣き出しそうな顔でカズミを見つめる。


 しかし、修羅カズミにはまるで通じず。


「自慢のヘタクソな歌でもずっと歌ってればいいだろ!」


 アサキの小さな胸を、どんと強く突き飛ばしたカズミは、そのまま廊下側からノブを引いて、ドアを閉めてしまった。


「うぎゃああああああやめてええええええ開けてええええええええ! 狭いよ怖いよおおおおおおおおおお!」

「うるせええええええ! 便所ガンガン響くんだよ! とっとと用を済ませてこいよお!」

「やああだあああああ、怖くてそれどころじゃなあああい! だああすうけえてええええええ!」


 ガチャガチャガチャガチャ、中からドアを叩き引っ張るアサキであるが、外からカズミが怪力でノブを押さえているため、施錠されているかのごとくぴくりともしない。


「やだよおおお! 怖いよおおお! やああああだああああああ!」


 しばらくの間、必死にノブをガチャガチャ喚き続けていたが、諦めの境地というか、やがて少しだけ落ち着くと、ふーっと深呼吸をした。


 このままでも、おしっこを漏らしてしまいそうだし、よく考えると電灯のスイッチはこちら側なので、悪戯で消されてしまうこともないわけで、と諦め開き直って、カズミのいう通りに用を済ませることにした。怖いけど。


 上履きから、スリッパに履き替えて、タイル床をそおーっと歩く。


「どうか気付かれませんように、と」


 魔神とか花子さんとか、このトイレに古来より眠るなにかを目覚めさせてしまわぬように、そーっと。

 そーっと。

 まあ、もしもいるのなら、さっきの凄まじい狼狽ぶりに、とっくに目覚めているだろうが。


「ねーっ、カズミちゃん、そこにいるよねーっ」


 しんと静かな夜のトイレが怖くて、こそこそっとした声で、廊下にいるであろうカズミへと呼び掛ける。


「カズミちゃーん。おいーっ」


 反応がないので、ちょっとだけ声を大きくしてみたが、やはり反応なし。


「そこにいるんだよね。カズミちゃん。わたしをからかっているだけだよね」


 ききっ、きっと、そうに、違い、ない、とと、というわけでっ、りょ、令堂和咲は進みますっ。

 よし、まずは手洗いだ。

 いつまでも汚いままじゃ、カズミちゃんにまた鼻水女とかエンガチョとかいわれちゃうからなあ。

 ところでエンガチョってなに? どうでもいいけど。


 心の中で、ぶつくさ余計なことをいうことで恐怖心と戦いながら、洗面台へとそーっと歩を進める。


 そーっと。

 そーっと。

 静かに。


 と、その時である。

 横目に、なにかが動くのを感じたアサキは、


「ひいっ!」


 と、肩を震わせ飛び上がっていた。


 鏡である。

 鏡に映った自分を横目に見て、びっくりしてしまったのだ。


 壁へと飛び退いた瞬間に、それに気付いたアサキであるが、安堵するより先にもう一度びっくりが待っていた。


 ガチャガチャン、

 ギチャァーーーーン!


 タイル張りの室内に、ガラクタまとめて放り投げたような音が反響したのである。


「うわあああああああああああああ!」


 先ほどよりも、遥かに大きな悲鳴を上げていた。

 まさに絶叫、大絶叫、阿鼻叫喚である。


 バケツに清掃用具が突っ込まれ、壁に立て掛けられており、それをアサキが倒してしまったのだ。


「なんだああああああ、モップを倒した音かあああああ」


 胸を押さえながら、ふーーーーーっとようやく安堵のため息を吐くことが出来た。

 ドキドキドキドキ。

 すっかり涙目だ。


「アサにゃん! アサにゃん! なんかあったのお? どこお?」


 ぱたぱた走る音と、自分を呼ぶ成葉の声。


 カズミの迷惑な怒鳴り声はスルーでも、いまのアサキの悲鳴はさすがに楽天家の成葉とはいえ不安になったのだろう。


「トイレだよお!」


 安心させようと、アサキは叫んだ。

 だけど、その言葉によって、アサキ自身が不安になることになったのである。


「分かったあ。じゃあ前で待ってて……え、あれ、カズにゃんはあ? 一緒にトイレの中にいるのお?」


 え?

 どくん、とアサキの胸が不安に高鳴った。


 どういうこと?

 カズミちゃんがいないって……

 前で待っていると、いっていたのに。


「限界、近いんだけど……」


 膀胱の、貯水量の。


 でも、まだ少しは耐えられる。

 ちょっと外の様子を見てみよう。

 カズミちゃんいないとか、怖くて用も足せないから。


 と、ドアへと歩き出した瞬間、

 廊下から、悲鳴が聞こえてきた。


 成葉の声だ。


 先ほどの、ぱたぱた廊下を走る足音も、聞こえなくなっていた。


 しん、とした空気が、アサキの身体に、ねっとりとまとわりついていた。


「成葉……ちゃん?」


 ぼそりと小さい声だから、というだけかも知れないが、返事はない。


「カズミちゃん、そこにいないの? 待ってるっていってくれたでしょーっ!」


 やや声を荒らげて、廊下にいるはずのカズミへと話し掛けるが、やはり返事はない。


「成葉ちゃん、カズミちゃああああん! やあああああ、なんかいってよおおおお! 怖いよーーーーーーーっ!」


 トイレを出て確認しようと、スリッパぺたぺた足早にドアヘ向かうと、上履きに履き替えるのも後回しにしてノブを掴んで引いた。


 ドアが開き、開いた視界に飛び込んだのは……


 ささっ、と横切る、黒い人影であった。


「ああ、あ……」


 後ずさりしながら、そんな声を漏らしたかと思うと、それは突然、悲鳴に変わっていた。


 凄まじい、校舎中に轟かんばかりの、アサキの悲鳴が、絶叫が、夜の冷えきった空気を震わせたのである。

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