第09話 地、固まる。といいなあ。
腰を落とし対峙する
「ぶっ潰せえ!」
カズミが、右腕を突き出し声を張り上げている。
見守っている
がらんと、静かな体育館であるが、しかし、なんだか妙な炎に包まれていた。
まずボールを保持するのは応芽である。
経験があるのだろう。
腰を低くして小さくドリブルする姿は様になっているし、その顔には余裕を感じさせる笑みが浮かんでいる。
「まず弟子とやらの、お手並みを拝見やで。奪えるもんなら奪ってみ」
不敵な笑みが、さらに強くなる。
しんと静かな体育館に、ダスダスと響くドリブルの音。
「ぶん殴っても奪えアサキ!」
「反則やで! アホか」
「勝ちゃいいんだ!」
などと応芽とカズミが物騒な言葉をかわす中、いわれた当人のアサキは、自信なさげな難しい表情でドリブルを見ていたが、やがて、
「いくよっ!」
と、意を決して、ダンと強く床を蹴った。
制服のスカートをなびかせて、応芽へと飛び込んでいた。
「甘いで!」
応芽は笑みを崩すことなく、す、っと音もなくかわした。
だが、
次の瞬間、その目が驚きに見開かれていた。
ボールをつこうとした手が、宙を切ったのだ。
それもそのはずで、自分の脇を駆け抜けて振り向いたアサキの両手の中に、ボールはあったのである。
「嘘や……」
ごくり、唾を飲む音。
アサキも、自分のことながら応芽と同様に驚いた顔をしていたが、バスケ経験がある故の条件反射ということか、躊躇うことなく軽く跳躍すると、両手に持っているボールをそっと優しく投げた。
小さいながら急角度の放物線を描いたボールは、リング部分にかすることもなく、ど真ん中に吸い込まれた。
「よっしゃ先制だーーーーい!」
カズミが、どっかあーんと腕を突き上げた。
「ま、まぐれやっ! たまたまやっ! もっ、もしくは単なる偶然や!」
あっさり得点を許したことに動揺しているのか応芽、顔を真っ赤にして同じ意味の言葉を繰り返している。
気を取り直し、きっ、とアサキを睨み付けると、
「経験者か自分」
尋ねた。
「い、一応」
アサキは照れた顔で、小さく頷きながら鼻の頭を掻いた。
「だからあ、バスケ部っていってたろ、聞いてねえのかバーーーカ!」
横から、カズミがヤジを飛ばす。
先制したためであろう、それはもう、実に嬉々とした表情で。
「じゃかしい昭刃和美! ……ほな様子見はやめて、そろそろあたしも本気を出すで。令堂和咲、またそっちのボールからでええから、仕掛けてこいや」
「うん。そ、それじゃあ、いくね」
勝負再開。
ドリブルを始めるアサキに、応芽がささっと詰めた。
両者、そのまま膠着状態になるが、やがて一瞬の隙を見付けて応芽が手を伸ばした。
だがそれは、アサキがあえて作り出した隙だった。
同時にアサキも仕掛けており、手と足の伸び切った応芽の守備範囲をぎりぎりではあるが鮮やかに擦り抜ける。
いや、
「抜かせへん!」
応芽が意地を見せ、強引に身体を横っ飛びさせて、正面に立ちふさがり食らいついた。
アサキは身体を反転させて、背中でボールを守る。
足音と気配から応芽の回り込もうとする動きを察すると、逆方向にターン。あっさりとかわして、また軽く跳躍しながらのシュートが決まった。
追加点である。
「まさかこんなうまく決まるなんて……。なんか、気持ちいい……」
先ほどの不安顔などどこへやら、アサキ、ぞわぞわむずむずといった笑みを浮かべている。
対して、
「まだまだや!」
応芽はまた足を激しく踏み鳴らして、怒鳴り声を張り上げた。
「そうやあ、まだまだやあ! まだまだやられ足りないんやあ!」
カズミが、なんだか舌ったらずな声を発して、イライラしている応芽の神経をさらに逆なでする。
「じゃかしいクソボケが! 絶対に逆転したるで。バスケは決まれば二点、それでまずは同点や!」
そのルールなら、アサキは既に四点なのだが。
だがというか、しかしというか、すっかり頭に血が上っている応芽は、次の一点もすぐに決められて、三対〇になってしまった。
「圧勝! カズアサ連合軍の勝ちい!」
右腕突き出し雄叫ぶカズミ。ちゃっかり自分も勝者に含めてしまっている。
「まだや! まだ終了の笛は鳴っとらん!」
「じゃ、終了。もう勝負見えてるもん。ぴっぴーーーーーっ!」
審判役の成葉が、腕を振り上げ、笛の音を真似して叫んだ。
「くっそおおおおおおおおおお! 悔しいいいいいいいいいい!」
抜けよとばかりの勢いで、応芽は、ガスガスダカダカ床に踵を叩き付ける。
そんな彼女を尻目に、
「アサキ、お疲れ。思ったより上手じゃねえかよ。それでレギュラーじゃなかったの?」
カズミが、アサキの背中をばんばん叩いた。
「練習後に間違ってバレーボールを回収しちゃったりとかあ、部室の花瓶を転んで割っちゃったりとかしているうちに、お前絶対レギュラーにしないとか部長にいわれちゃってえ」
頭を掻きながらアサキ、えへへと笑った。
「技術と関係ないとこで嫌われてただけかよ!」
「嫌われてはいなかったけど、試合になると雨が降るし、よく呪われてるとかいわれてたなあ。……でも、一対一とはいえ久々で楽しかったあ。やっぱりバスケって楽しいね」
勝利すればなお楽しということか、にまにま得意顔になっているアサキ。
それを、ボロ負けした応芽が、拳ぷるぷる睨み付けている。
という構図に、スッキリ満足げなカズミであったが、しかし、嬉しそうなアサキの顔を見ているうち、だんだんと手が震え、そして突然くわっと眉を釣り上げて、
「関西女はザマミロだけどお前に得意になられるのもそれはそれでムカつくパーーンチ!」
雄叫びと同時に、得体の知れないろくでもない系の感情に燃え上がるカズミの拳が、アサキの頬にガスリ、突き抜けよとばかりめり込んでいた。
「あいたあっ! な、なんでえ?」
頼まれて勝負して勝ったのにい、とほっぺた押さえて呆然としているアサキ。
「新米のぺーぺーがあああああ、調子に乗ってんじゃあねえぞおおおおおお!」
「ええー、ご、ごめんなさいーー」
混乱しながらも謝るアサキ。
しかしカズミは容赦せず。
ずるずると、体育館端の、体操マットの積まれたところへ獲物を引っ張っていくと、突然、「うおりゃあああ」と叫びながら、制服の裾を両手で掴んで、逆さまに持ち上げたのである。
スカートがはらり、めくり下がって、下着が丸見えになってしまい、アサキはぎゃあぎゃあ叫びながら恥ずかしさに身をよじり暴れるのだが、カズミは構わず、ぎゅうっと腕を回して身体ごとがっちり締め付け、押さえ付け、そして必殺、
「マットだから遠慮せずう、パアアイルドライバーーーーーッ!」
ドスと鈍い音がした。
アサキの頭部が、マットに叩き込まれて食い込んだ音である。
「マットだけど、いったああっ!」
アサキの、なんとも間の抜けた金切り声が、しんとした体育館の中に響き渡った。
パイルドライバー。プロレス技である。
和名、脳天杭打ち。
ビル・ロンソンが発明したといわれている。
派生技も多数存在している。
ゴッチ式、キン肉マン式、ザンギエフ式エトセトラ。
脳への激しいダメージに、倒れたままぐったりのアサキであるが、カズミは容赦なく追撃を仕掛ける。
スカートがめくれにめくれ、もしここに男子がいたら舌を噛むしかないような、激しくだらしない格好で伸びているアサキのその足を、ガッシリと両手で掴んだ。
「意識朦朧のとこへ追撃! 嬉し懐かしのスピニングトーホールドッ!」
立ったまま足に足をからませ、ぐるりん回りながらカズミは叫んだ。
「ぎゃーーー! いたいいたいっ! 痛い足痛いほんとに痛いっ! やあああめええええてええええっ! ねじ切れるううううう!」
意識が目覚めて、地獄の攻め苦にバンバンとマットを叩くアサキ。
スピニングトーホールド。プロレス技である。
ファンク兄弟の曲としても有名。
要は、足関節技である。
「許してえええええええ!」
「うおおおお!」
差し込んだ足を軸にぐるぐる回転するカズミ。
アサキは目に涙を溜めて、ばんばんばんばんマットを叩き続けている。
「なんで自分ら同士で争っとるんや。アホなのか関東もんは」
応芽が、理解でけへんわあ、といった感じに腕を組んで、冷ややかな表情ですっかり呆れてしまっている。
「あたしら二人を関東の代表のようにいうなあ。あたしらのアホは特別仕様なんだよ!」
「そうだあ!」
技を掛け終え掛けられ終え、立ち上がって肩を組み、組んでない方の腕を突き上げるカズアサコンビ。
アサキは、ちょっとやけっぱちな態度に見えなくもないが。泣いてるし。
「はあ、負けたわもう。超弩級のアホにはかなわんわ」
応芽は、ため息吐きつつ苦笑すると、
「なんやかんやバスケも負けたしな。……あらためて、よろしゅう頼むわ」
二人へと、右手を差し出した。
「お前、そうやって仲良くなるチャンスを狙ってたんじゃねえの? 友達作れないタイプなんだろ」
いやらしい笑みを浮かべながら、カズミは差し出された手を握ろうとする。
が、その台詞に応芽は自尊心を傷付けられたか、
「だ、誰も仲良うなりたいなんて、ゆうとらんやろ! ボケ!」
パシリ!
カズミの手を、思い切り払った。
「ああ?」
ピクリ、とカズミが頬を引き攣らせ、目を細めた。
「ダメだよお、仲間なんだからあ! ほおら、これで仲良しこよしだっ」
アサキは、二人の手を掴むと強引に握らせて、上下から自分の両手で包み込んだ。
にんまりにこにこ楽しげに笑っているアサキの表情に、二人は怒る気持ちをすっかりそがれてしまい、唇を尖らせながら決まり悪そうに、
「お、おう」
「まあ、しゃあないわ」
などと、なおも小さく意地を張り合っていたが、やがてどちらからともなく、ぷっと吹き出して、笑い始めた。
小さな笑いは、すぐに腹を抱えるような大笑いへと変わって、その大笑いはなかなか終わることがなかった。
バスケで地固まる。
気持ちの意味でも正式な六人目の仲間が誕生した。今がその瞬間であった。
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