第04話 仲間

 現界とは色調が完全に反転した、青いはずの空はオレンジ色で、アスファルトの道路は真っ白で、さらには、ぐにゃりぐにゃりと歪んで見える、奇妙な町並みの中。

 漂う瘴気と狂気の中。


 カズミたちは、ヴァイスタの群れと戦っていた。


 ヴァイスタ、ぬめぬめ粘液質で白い身体の、のっぺら坊みたいに顔のパーツのない、不気味な巨人である。


 ぬめぬめ真っ白な身体から、なんの予備動作もなく突然、長い腕が槍状に硬く鋭く突き出された。


「と、あぶねっ!」


 驚きの声を発しながらも、カズミは身を捻り、紙一重でかわしていた。


「カズミちゃん! 大丈夫じゃった?」


 心配の声を掛けるあきらはる


「ったりめえだろ。こんくらい」


 カズミは、余裕の笑みを見せた。


「確かに、この謎ファーム、身が軽くなった気がするけえ、じゃけえまだ相手の方が遥かに多い。油断しちゃいけん」

「だから油断しちゃいねえよ。あたしの方が新ファームの先輩だぞ」


 それをいったら、一番の大先輩はアサキということになるわけだが。


「うわ!」


 その大先輩の悲鳴である。

 ヴァイスタからぶんと突き出される触手状の腕を、驚きの声を出しつつ、なんとかぎりぎりでかわしていた。


 ヴァイスタの、伸びた腕の先端部、人間でいう拳にあたる部分には、すっと亀裂が入っており、無数に生えている小さな歯が、ガチガチガチガチと、凶暴に打ち鳴らされている。

 アサキの避けるタイミングが、一瞬でも遅れていたならば、身体の一部を噛みちぎられてもおかしくはなかっただろう。


「このお!」


 アサキの反撃だ。

 両手に持っている剣を、斜め下からすくい上げ、力一杯に振るうと、ぶちゅりとゼリーを潰すに似た不気味な音がして、見事、白い怪物の首が跳ね飛んでいた。


 いや、まだぎりぎり皮一枚で繋がっている状態だ。

 首から上の部分が、ぬるりと背中側に垂れ下がって、そのままぴくりとも動きがない。


「いまです、アサキさん!」


 緑の魔道着、おおとりせいが叫んだ。


「分かった正香ちゃん。……っとなんだっけ、また忘れちゃった。そうだ……イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ!」


 アサキが呪文を唱えると、ぼおっと自身の右手が薄青く光り輝いた。


「生まれてきた世界へ、帰れえ!」


 自分が致命傷を与えたヴァイスタへ近寄ると、薄青く輝いている手のひらを、ゆっくりと腹部へ軽く押し当てた。


 ちっ、ち、ちっ


 一体どこから発声しているのか、ヴァイスタからそんな音が漏れる。舌打ちのような、皮膚が急激に乾燥して縮んでいるような。


 と、突然、ヴァイスタの身体が動き出した。

 といっても、四肢を動かしたわけではない。

 ビデオのコマ送り逆再生を見ているかのように、刎ねられもげそうになっている首が、戻っていくのだ。

 ほんの僅かの間に、剣による一撃を受ける前の、無傷な状態へと、完全に戻っていた。


 だけど完全に同じではない。

 顔に当たる部分は、先ほどまでは完全なのっぺらぼうだったのが、いつの間にか魚みたいな小さな口が生じていた。


 その口が、ニイーッと微笑んだかと思うと、ゼリー状のぬるぬるぷるぷるしていた全身は、いつしか干からびてシワシワになっており、頭頂から順に、さらさらと光る粉になって、風に溶けて消えた。


 アサキは、剣を地に突き立てて、はあはあと息を切らせ、肩を上下させている。

 ふう。と、小さくため息を吐いた。


「この、おちょぼ口でニヤリ笑うの、いつまでも慣れんなあ」


 紫の魔道着、治奈がしかめっ面をしている。


「治奈はビビリだからな。……しかしアサキ、お前よく一人で、ヴァイスタを仕留めたじゃねえか。合宿でかなり実力をつけやがったな。ファームアップのおかげもあるにせよ」


 カズミに、乱暴な言葉使いながらも褒められたアサキは、


「えー、そうかなあ?」


 後ろ頭を掻きながら、顔の筋肉をすっかり緩めて、ちょっと照れたふうに、えへへえと笑った。


 だが次の瞬間、

 その笑みが凍りついていた。

 まぶたが、驚きに見開かれていた。


 眼前ほんの数センチのところで、また別のヴァイスタから伸びる腕、その先端に生えている無数の鋭い歯が、ガチガチと獰猛に打ち鳴らされていたのである。


 カズミが、両手のナイフをクロスさせて、

 治奈が、槍で、

 さらに、正香が、鎖鎌の鎌で、


 それぞれに、アサキの顔の前で、ヴァイスタの触手を受け止めていた。


 ヴァイスタのもう一方の肩からも腕が打ち出されて、先端の裂け目が開いて、邪魔したカズミの頭へと、食らい付こうとする。


 カズミは軽くしゃがみながら、右腕を払って攻撃を跳ね上げた。


「このカズミ様を、なめんじゃねええええっ!」


 叫ぶと、両手に構えたナイフを構えたまま、膝を曲げて地を蹴った。

 足先から頭までを軸に、くるくる回転しながら、ヴァイスタの懐へと自らを突っ込ませる。

 ぶちゅぶちゅぶちゅと、ゼリーを手で握り潰すような音がしたかと思うと、カズミの身体はヴァイスタの背中側へと抜けていた。

 着地したカズミは、


「さっすが対ヴァイスタ用にバージョンアップされただけあんな、これ。楽々じゃん」


 両手のナイフを見つめながら笑みを浮かべたが、それも一瞬、腰の両側にナイフを収めると前を向いて、


「さあて、昇天だ。……イヒベルデベシュテレンッ、ゲーナックヘッレ!」


 二本のナイフに、千切りのようにズタズタに切り裂かれ動きを止めているヴァイスタの背中に、カズミの薄青く輝く右手が、そっと触れる。


「くたばりやがれえ!」


 ちち、ち、


 魚の焼けるような音を立てながら、無数に切り刻まれたヴァイスタの肉体が、元に戻っていく。

 映像をコマ飛ばしで逆再生しているかのように。


 先ほどのアサキの時と同様に、顔にあたる部分に小さな口が出来ていた。

 その口の両端が釣り上がって、笑みと思われる形状を作ると、続いて頭頂からキラキラ光る砂になって、一瞬にして全身が消滅、空気に溶けて消えた。


「守ってくれてありがとう、みんな、カズミちゃん。助かった」


 アサキが胸に手を当てて、安堵のため息を吐いた。


「おう。全員にハナキヤのケーキ一個ずつな」


 カズミが、にひひと悪戯っぽく笑った。


「ええーーっ! ……ハナキヤかあ。残り少ないお小遣いがあ」


 アサキは、脳内でパタパタ飛んでいく財布を追うように、天へと手を差し出した。


「よし、それは後だ。アサキ奢りの祝勝会の話は。残りを、ぱぱっと片付けちまおうぜ。あたしと治奈はあっち、正香と成葉はそっち任せた!」


 カズミと治奈、

 正香と成葉、

 みな頷き合うと、素早く二手に散開し、ヴァイスタの群れへと飛び込んでいった。


「あ、あの、カズミちゃん、わたしは?」


 一人残ったアサキが、きまり悪そうな笑みを浮かべて、自分の顔を指さしている。


「お前はやっぱりまだ未熟だから、そこで応援しつつ先輩たちの戦いを勉強してろ!」


「はい……」


 はあ、とアサキはまたため息を吐くと、がっくり項垂れた。


「まあ確かに、油断をしていたわたしが悪いか。……よおし、落ち込んじゃいられない。世界を守るためえ、しっかり治奈ちゃんたちの戦いを勉強するぞお! みんなあ、頑張れえ! カズミちゃん、治奈ちゃん、成葉ちゃん、正香ちゃあん、気合いだああ! 気合いだああ! 気合いだあああ!」

「うっせえなあ、あいつはもう」


 カズミは苦笑しながらも、ヴァイスタの集団の中へ単身を踊らせて、ぶんぶんと伸び襲ってくる無数の凶悪な腕を、見切り、かいくぐりながら、まるで舞いを踊っているかのように全身を使いつつ、両手のナイフを疾らせた。


「ほうじゃけど、そがいなとこがアサキちゃんのええとこじゃからなあ。……イヒベルデベシュテレン!」


 治奈は、カズミのナイフに切り刻まれて動きの止まっているヴァイスタの、間を抜けていく。

 薄青く輝く自らの右手を、一体、また一体へと触れながら。

 右手を高く上げ、指をパチンと鳴らすと、またもやコマ送り逆再生的に、ヴァイスタたちの切り刻まれた肉体が元に戻り、それぞれの顔に現れた魚のような小さい口がそれぞれニーッと笑うと、次々と頭から溶けて消滅していった。


 カズミと治奈は、微笑み向き合うと、ハイタッチをかわした。


「ナルハにお任せえ!」


 もう一方の側から、なんとも甲高い叫び声が聞こえてくる。


 黄色い魔道着、平家成葉が小柄な身体に似合わない巨大な刀をぶうんぶうんと振り回している。

 ただ刀の重みに振り回されているだけにも見えるが、意外にも攻撃は的確で、ヴァイスタの胴体が次々と切り裂かれていく。


 しかし……


「はにゃあ。もうフラフラだあ……」


 五体のヴァイスタに、一通りのダメージを与えたところで、目をぐるぐる回して、酔っぱらいのようによろよろ、よろけ出してしまう。


「では、わたくしが昇天させましょう」


 大鳥正香は、手にしている鎖鎌を腰にひっかけ吊るすと、


「イヒベルデベシュテレン ゲーナックヘッレ」


 呪文を唱え、薄青く光る右手で次々とヴァイスタの胴体に触れていった。


 ちち、ちち、


 ちち、


 成葉の大刀でズタボロにされたヴァイスタたちの胴体が、すーっと元に戻っていく。

 そして、ヴァイスタたちそれぞれの顔に小さな口が出現し、両端を釣り上げて不気味な笑みを浮かべると、頭から、光る粒になって、空気に溶け消えた。


 静寂。


 この歪んだ、瘴気に満ちた空間にいるのは、少女たち五人だけになった。


「任務完了っと」


 成葉は、自分の胸の高さほどもある大刀を振り回し、背中に引っ掛けると、満足げな笑みを浮かべた。


「やっぱり凄いなあ、みんな……」


 アサキは、先輩たちの戦闘力の高さに、口を半開きの間抜けな表情になってしまっていたが、すぐに首を横に振って、


「ででっ、でもっ、わたしだって一体倒したんだからあ!」


 と強がってみた。


 初めて一人で、ヴァイスタを倒して昇天までさせたのだ。

 少しくらい威張ってもいいだろう。

 というか、みんなはもともと強いんだ。わたしの倒したこの一体をこそ、褒めてくれてもいいじゃないかあ。


「うん、お前も偉い偉い。よくやったよ」アサキの胸の声が聞こえたのか、カズミがぽんぽんと頭を優しく叩いた、「でもハナキヤのケーキは忘れるなよ」


 アサキが、がくーっと大げさに項垂れると、周りから笑いが漏れた。


 五人は集まり、輪になると、お互いの顔を確認し合った。


「みなさん、お怪我はないですか?」


 正香の問いに、全員こくりと頷いた。


「わたしは少しも戦ってないようなもんですからあ」


 自虐に走るアサキ。


「まあまあ。アサキちゃんかなりよくなった。自信持ってええよ」


 治奈が、背中を軽く叩いた。


「ファームアップしても、あんなもんでしたけどお」


 ぶすーっとした顔のアサキ、の背中を、また治奈が慰めるように叩いた。


「……ほじゃけど、そのファームアッパーの件とか、アサキちゃんが誰に助けられたのか、気になるのう」

ぐろ先生たちに調べて頂いて、すぐ分かればいいですけど」

「そんな出回っているモノじゃないけえね、すぐ分かるじゃろ」

「うおっし。そんじゃあ、こんな気持ち悪いところ、とっとと出ちまおうぜっ!」


 カズミが、ぶんと右腕を突き上げた。


 五人は、輪を解いて横並びで歩き出した。

 青い空の下。

 人々の、ざわめきの中を。

 五人は、歩いていた。

 学校の制服姿で。


 異空から出たのである。


 色調、喧騒の戻った、自動車行き交う大きな道路を、五人は歩く。


「たくさん動いたから腹減ったなあ。それじゃみなの衆、さっそく柏に食いに行くかあ!」


 カズミが、車の騒音に負けないような声で叫んだ。


「柏に行くんなら、まず先に駅前に出来た雑貨店がいいなあ。決定っ!」


 成葉が、飛び跳ねながら右腕を振り上げた。


「キミたち切り替え早あっ!」


 治奈が、いまにも戻しそうな血色の悪い顔で、正反対になんだか元気満々なカズミと成葉を見ている。


 アサキが笑いながら、治奈の背中をさすってやる。気持ち分かるよお、などといいながら。


 気持ち悪くなって当然だよ。

 アサキは思う。


 だって、あんな腐ったようなにおいの中で、あんな怪物と戦っていたのだから。


 その腐臭瘴気とは打って変わって綺麗な空気を吸いながら、アサキは思わず両腕を上げて、ううーんと大きく伸びをした。


「同じ空間の裏と表だというのに、こちらはこーんなにも爽やかだとはあ」

「うん。もうすぐ財布の中身も爽やかになるねえ」


 間髪入れず、カズミの意地悪そうな一言。


「そ、そうだったあ」


 がくーっ、とよろける滑稽な仕草に、四人は笑った。


 ま、いいか。ケーキくらい。


 と胸に呟きながら、アサキも頭を掻いて笑った。


 なんだか、とっても楽しい気持ちだ。

 ようやく戦い終わって異空から出られたという開放感、生きているという安堵、この世界を守ったのだという充足感、それに加えて今日はついに一人でヴァイスタを倒したということもあって、普段以上に楽しい気持ちになっていたのである。


「雑貨屋なんかよりさあ、カラオケでいいんじゃねえの? ジーザックスのデカギガ唐揚げ美味いぜ。エリリンの新曲入ってるかも知れねーし」

「あ、カラオケ、いいねえ」


 アサキが、楽しげな笑みを浮かべて、食い付いた。


「おおおおお、アサキがいたんだったあああああ! じゃ、カラオケは無しで」

「えー、それどういう意味い?」

「どうもこうもねえよ。じゃあ食いもんはノリで決めるとして、とりあえず新しい雑貨屋かドンキか決めようぜ」

「ヤンキーならドンキ一択じゃろ」


 治奈がからかう。


「ハルハルちゃん、ヤンキーって誰のことかなあ?」


 顔を引きつらせながら、ぐいーっと治奈へと顔を寄せた。


 ははっ、とごまかし笑いをする治奈。


「まあいいや。……アサキは、どっちがいい? 駅前の雑貨屋とドンキ」


 カズミが、ヤンキーいわれて怒りにバリバリ引きつった顔を指で直しながら、尋ねる。


「わたしは別に、どこでもいいよ」


 振られたアサキは、にこり微笑んだ。


 別に適当に答えたわけじゃない。


 みんながいるのならば、どこだっていいんだ。


 そんな、仲間がいることの心地よさに、アサキは微笑んでいたのである。

 こうして並んで歩きながら、他愛のない話をするような友達のいることに。


 ほんの少し前までは、この四人の誰とも知り合いじゃなかった。

 でもいまは知り合いどころか友達。

 いや、違う。

 かけがえのない、親友なんだ。

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