第13話 魔法使いハルナ vs 白い悪霊ヴァイスタ

「アサキちゃん、大丈夫?」


 耳に、脳に、飛び込んでくるのは、聞き覚えのある声だった。


「うち、ここにおるけえ! アサキちゃん! 必ず助けるから。ほじゃから絶望なんかしたらダメじゃ! 闇に、取り込まれないで!」


 呼び掛ける必死な言葉に、深みへと落ちていたりようどうさきの意識が一瞬にして浮上していた。


 とろんとした目が、かっと見開かれた。

 そして目の前の光景、目の前にいるのが誰かを認識すると、ばちばちっとまばたきをした。


「え、ええっ、は、はるちゃんっ?」

「ほうよ、あきらはるじゃ。……よかった、意識を取り戻してくれて」


 治奈はにこりと微笑んだ。


 アサキは再びまばたきをしながら、治奈の全身、足元から頭までを見た。


 不思議な格好をしている。

 薄い銀にも見える白地の服の上に、

 コートのように長い、紫の刺繍が施された上着。

 下半身は動きやすそうな黒いスパッツ状で、

 さらに胸、前腕、脛、手足の甲には硬化プラスチックのような軽防具。

 両手には槍を持っており、柄には呪文のようなものが細かくびっしりと彫られている。


 その、槍の穂先を見た瞬間、アサキはぎゃっと悲鳴を上げた。

 あの、白くぬめぬめした、手足のひょろひょろ長い生物、その腕をその穂先が受け止めていたのである。


「うおりゃあ!」


 治奈は気合全開で槍をぶうんと振って、触手状の長い腕を弾くと、すぐに踏み込んで詰め、その腕へと斬りつけていた。

 だが気合もむなしく、攻撃は相手の弾力ある皮膚に跳ね返されて、ととっとよろけた。


「スパッとぶった切ろうとしたんじゃけど……もう魔力の、残りが……」


 治奈は、ぜいはあと息を切らせ肩を大きく上下させている。


 改めてその姿を見てみると、全身細かい傷だらけであった。

 防具にはひびが入り、白い服も薄汚れているばかりか、ところどころ切れて肌が見えてしまっている。


 息を切らせながらも治奈は、ぶんと振り下ろされる相手からの一撃をぎりぎり避けると、避けざまに槍を地について支えにして、胸部へと蹴りを見舞った。


 その勢いで後方へと跳躍して距離を取ると、前方をきっと睨み付けつつ槍を構えなおした。


 はあ、はあ、


 呼吸が荒い。


「その格好、さっき見たのやっぱり治奈ちゃんだったんだ」


 少しだけ心に余裕の出来たアサキは、離れたところから戦況を見守りつつぼそり呟いた。


 誰にいったつもりもなかったが、しんと静まり返っているためかその声に治奈が反応した。


「さっき、ベランダにおったじゃろ? 視線を感じた。鍛えてもいないのにくうにおるうちらの姿が見えるわけない、と思っとったけど……見えとったんじゃな」

「うん。気のせいかと思ってたけど。……それよりも治奈ちゃん、あの怪物はなんなの? なんでこんなところに治奈ちゃんや……わたしが……」

「あの白いのは、ヴァイスタと呼ばれとる」

「ヴァイスタ……」


 アサキの復唱に、治奈は頷いた。


組織ギルドからそう呼ばれとる、得体の知れん悪霊じゃ。人知れずに人間を襲い、絶望させてから殺して食らう。行方不明者のニュース、尋ね人のチラシ、未解決事件のかなりな割合がこいつの仕業じゃけえね」

「行方不明……」


 またアサキは治奈の言葉を繰り返した。

 ぼーっとした表情であるが、しかし、微かに目の輝きが変わっていた。


「ああ……」


 そうか、

 そういうことだったのか……


 仙台や水戸など以前に住んでいたところでも、この白い生物を何度か見たことがある。


 正確にはちらりと見たような気がするというだけで、はっきりした映像の記憶があるわけではないのだが。


 とはいうものの、その、ちらりと見たような気がすると、何故か分からないがたいてい翌日以降に、よくないニュースが入ってくるものだから、アサキとしては見てしまうことに対して罪の意識を抱えていた。


 でも、違っていたんだ。

 いるから見えてしまったというだけで、見てしまったから悪いことが起きたわけではなかったのだ。


 罪悪感が軽くなり、アサキはほっと胸を撫で下ろした。


「魔力を持つ者の絶望がな、こいつらの大好物なんよ」


 そういうと治奈は、槍を振りかぶるようにしながら白い怪物、ヴァイスタへと飛び込んでいった。


「え……」


 魔力を、持つ者?

 それって、わたし、関係あるの?

 魔法とか超能力とか、そんな力なんか持ってないよ、わたし。


 そんな疑問を抱いてちょっと難しい顔になるアサキ。


 そのすぐ前では二人、いや一人と一匹、一人と一体というべきか、激しい戦いが繰り広げられている。


 ヴァイスタと呼ばれる白い人間型の悪霊が、長い両腕をしならせて左右から挟むように治奈を叩き潰そうとする。


 治奈はその瞬間に躊躇いなく前方へと跳躍して、相手の懐へと飛び込んでいた。


 逃さない、というようにヴァイスタの両腕がぐにゃり曲がって、治奈の背中へと襲い掛かる。


 間一髪、治奈がすっと身を伏せた瞬間、ヴァイスタの腹部に自らの両腕が突き刺さり突き抜けていた。


 粘液質な音と共に、刺さった腕が引き抜かれていく。


 腹部にはぽっかりと大きな穴が空いていたが、胸からどろりどろりと白い粘液が垂れて、あっという間に塞がってしまった。


「治っちゃった! どっ、どうするの治奈ちゃん!」


 驚異的な生命力を見せられて、アサキはすっかりうろたえてしまっていた。


「心配いらん。うちの方が強いけえね」


 にっ、と強気な笑みを浮かべる治奈であるが、その顔から疲弊の色は隠せなかった。


「とはいうものの、正直いうと現在の状況ちょっとやばいかな。実はもう二匹と戦っていて、魔力も体力も使い切ってしまって。……カズミちゃんたちがくるまでの時間を稼ぐくらいしか出来ないじゃろな」


 ぜいはあと苦しそうに呼吸をしながら治奈は、振り返ってアサキへと視線を向けた。


「アサキちゃん、ごめんね。ほんとはさっさと片付けてこがいな場所から出たかったのに、いつまでも怖がらせてしまって」


 前を向き直り、槍を構える。


 ぶうん、とヴァイスタの右腕が唸りをあげて、斜め上から振り下ろされる。


 治奈は、槍をくるり回して跳ね上げた。

 と同時に、大きく横へ跳んだ。


 一瞬遅れて、それまで治奈のいた場所へとヴァイスタの左腕が突き刺さっていた。


 ヴァイスタが一気に攻勢に出た。

 触手状の腕を軟体化させては茨のムチのように、硬質化させては巨大な刀のように、織り交ぜた攻撃で治奈を追い込んでいく。


 もう、治奈には軽口を叩く余裕どころか、重口を絞り出す余裕すらなくなっていた。

 無言のまま、ただひたすら防戦に徹し続けることしか出来なかった。


 アサキがいるから、ということも多分に影響しているのだろう。

 いなければ、もう少し有利に戦えるのだろう。


 アサキは無意識に、ぎゅっと拳を握っていた。


 逃げたい。

 自分が逃げて、逃げ切れるものなら。

 治奈ちゃんのためにも。

 でも、あのヴァイスタとかいう悪霊は、そもそも自分を追い掛けてきたのだ。

 もしもわたしがここから逃げ出したら、きっと追ってくる。

 そうなったら、ただでさえ疲れ切っている治奈ちゃんが、わたしを守ろうときっと無茶をする。

 仲間を待つようなことをいっていたから、ならばここでこうしているしかない。多分それが、一番わたしたち二人が助かる可能性の高いことなんだ。


 だが、

 次の瞬間、アサキは聞いた。


 がふっ、

 胸が砕かれたかのような、激しい呼気を。


「治奈ちゃん!」


 アサキは叫んだ。


 横殴りの一撃を受けて吹き飛ばされた治奈が、受け身も取れず壁に激突したのだ。


 元々歪んで見えていた住宅の塀の壁が、この激突を受けてさらにぐにゃんと歪んでしまっている。


 治奈は、なんとか足をつき、なんとか倒れずに踏ん張っているものの、相当なダメージを受けているのは間違いないだろう。

 意識が朦朧としているのが、遠目からでもはっきり分かる。


「治奈ちゃん! 治奈ちゃん!」


 無力なアサキには、ただ名前を連呼することしか出来なかった。


 叫びながら、思っていた。

 どうして自分、こんなところにいるんだ、と。

 どうして、こんな怪物なんかに襲われなといけないんだ、と。

 そもそも、どうして治奈ちゃんが、こんなことをしないといけないんだ。

 こんな、血を吐くような思いをしてまで、戦わなくちゃいけないんだ。

 わけが、分からないよ。

 怖い。

 逃げたい。

 夢ならいいのに。

 これ、夢ならいいのに。


「でも……夢じゃない」


 現実なんだ。

 そうだ。これは現実なんだ。

 受け止めろ。


 冷静ではないものの、恐怖と必死に戦い、気力を奮い起こそうとするアサキ。

 こんな時だというのに、いや、こんな時だからというべきか、


 アサキの脳内に、ふと古い記憶が蘇っていた。

 この、白いぬるぬるとした生物、ヴァイスタと遭遇した時の、ある古い記憶が。

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