第02話 初日の掴み今度こそ

 令和 二十七年 五月 十五日 (曜日 月) 日直 山田 遠藤


 いつも明るく

 挨拶しっかり

 自ら進んで行動


 ここは市立てんのうだい第三中学校の校舎三階、二年三組の教室である。


 紺色の制服を着た男女生徒たち。

 授業前のよくある光景ではあるが、みな大声ではしゃいでおり、教室は実にうるさい状態である。


 前のドアが開いて担任のぐろさと先生が入ってくると、すーっと溶け入るように静かになったが、でもその後すぐに、あちらこちらの席からちょこっとしたざわめきが起きた。

 先生に続いて、見知らぬ女子生徒が入ってきたためである。


 この学校の指定とは違う、えんじ色のブレザーにタータンチェックのスカート。

 長い赤毛を後ろで縛り上げすっきりまとめており、一見するとショートカットのようだ。縛っているのにところどころピンピン跳ねているのは、寝癖をまとめ切れなかったのかなんなのか。

 女子生徒、りようどうさきである。


「もしかしてえ……」

「まさかあ」


 と、何人かの生徒からそんな言葉が漏れる中、和咲はギクシャクギクシャク同じ側の手と足を同時に出しながら教卓の前まで身体を運ぶと、ギギッと回れ左してようやく動きを止めた。

 まるでブリキの人形である。


「はいはい、静かにする! ……では転校生を紹介します」


 須黒先生の言葉に、


「おーっ!」

「やっぱり!」


 教室がどっと沸いた。


「令堂さん、自己紹介をして下さい」

「はは、はいっ!」


 和咲は氷のようにガチガチに強張った表情を生徒たちへと向けながら、ぎゅっと手を握った。汗でじっとり湿った手を。


「…………」


 小さく口を開くものの、つっかえつっかえで全然名前が出てこない。


 なんだか大人しくじーっとしているようにも見えるが、


 どど、どうしよう。どうしよう……


 と、心の中では必死に焦りの声を上げていた。


 本当に名前すらも出ない。頭が、真っ白になっちゃって。そ、そもそもなんだっけ、わたしの名前っ。

 ずばーんと名乗って、すかーんとなんか面白いこといって笑わせてやろうと、昨日必死に挨拶の練習をしたのに。

 どうしよう……

 バカなことしていないで、普通に名乗る練習だけしとけばよかったよおおお。


「令堂和咲さんです。お父さんの仕事の関係で、仙台からこちらへ移ったとのことです。仲良くしてあげてね」


 結局、先生が助け舟を出した。


「は、はい! 分かりましたあ!」


 緊張ガチガチ赤毛の転校生は裏返った声で叫んだ。


「あなたがあなたと仲良くしてどうするんですか」


 苦笑する先生。

 教室内に、はははとちょっと乾いた笑いが起きた。


 わ、笑われたあ!

 いじめられる、それか、無視される、

 いずれにしてもターゲットロックオンされたかもお!

 最悪だ……


「それじゃあ、せめて黒板には自分でしっかり名前を書いてね」

「は、はい。お任せを」


 白墨を手渡された和咲は、ぐるりん黒板へと向いた。


 ふーーーー


 ゆっくり息を吐いた。

 全然思考が落ち着くことなどなかったけど。


 カツ、黒板へと白墨を押し当てながら、また、小さく息を吐いた。

 今度はため息だ。


 相変わらず、ダメだなあ、わたし。

 全然、変わっちゃいない。成長していない。

 すぐに緊張して、ドジばかり踏んじゃうところ。

 過ぎたことは仕方ない。せめて名前だけでもちゃんと書いとこう。

 なるべくいじめられないよう、隅っこで大人しくしとこう。


 そんなことを考えながら、白墨カツカツ名前を書いていると、先生の声が現実に引き戻す。


「令堂さん、小さすぎて前の席の子でも読めないんだけど。視力検査じゃないんだから、大きく書かないと」

「ええっ、あ、ほんとだっ!」


 ノートに書くよりもいくらか大きな字ではあるが、確かに黒板にこれでは誰も読めないだろう。


「あ、あ、あのっ、あのっ、すすみませんっ、書き直しますっ!」


 ああもう、まいったなあ。

 ここでこんな失敗して、余計に緊張しちゃうじゃないか。

 そもそも先生も先生だよお。視力検査じゃないとか、そんな嫌味をここでいってどうなるんですかあ?


 そんなことを思いながら、掴んだ黒板消しを押し当てて、左右に動かした。

 カチカチ音がするばかりで字が消えない。


 なにこれ? 新種のいじめ? と思ったら裏表が逆だあ!


 ちょっと顔を赤らめながら、あわてて持ち直して字を消し、意識して名前を大きく書き直すと、向き直り深く頭を下げた。


 ぜいはあ、

 こんなことで息が切れて、恥ずかしそうにしていると、

 その様子に耐え切れなくなったのか、誰かがプッと吹き出した。

 一瞬にして、教室は爆笑の渦に包まれていた。


 ぽあっと顔をさらに、髪の毛と同じくらい真っ赤に染める和咲。


 死にたい……

 そこまでじゃなくても、穴があったら入りたい。

 先生なんで穴を用意しておいてくれなかったんですかあ?

 いや……

 それでいいのか。

 成長するんだ。

 これを機会に、わたしは前へ進むんだ。

 い、い、いくぞっ、

 いち、にい、さんっ!


「令堂和咲です! みなさん、ど、どうかよろしくお願いします!」


 教室がまだ笑いに包まれている中、そのどさくさに乗じて大きな声で叫んでいた。


 生徒たち拍手。


「はい、よろしくお願いします。では、令堂さんの席ですが……」


 紆余曲折はあったけれど、なんとか挨拶を乗り越えたことに和咲は小さく安堵のため息を吐いて、浮かんだおでこの汗を袖で拭った。

 汗で体重が半分に減ったかも知れない。


「先生」


 窓際後方の席に座っている女子生徒が手を上げた。


「うちの後ろが空いちょるけえ、当然ここってことでええんじゃろ?」

「そうね。とりあえずはあきらさんの後ろに座ってもらって。いずれ席替えを考えましょう」

「やった! 転校生の近くの席だあ!」


 明木と呼ばれた女子生徒は、嬉しそうに右腕を突き上げた。

 おでこで髪の毛を左右に分けている、さっぱりした印象の女子だ。


 あの子の、後ろの席か。

 言葉が首都圏ぽくないけど、なんか岡山とかあっちっぽいけど、でもまあ普通の子のようだからよかったのかな。

 いやいや、まだ分かんないぞお……


 などとぶつぶつ胸に呟きながら、和咲は、ふと気が付いた。

 教室の中央に、もう一つ空席があることを。


 いまの話しぶりだと窓際の一席しか空きはないということだから、今日は休んでいるということなのかな。

 パッと見た感じ、このクラスに怖そうな子はいないけど、その席がそんな子だったら嫌だなあ。

 どんな子なんだろう。男子かな、女子かな。


 などとその中央の空席をやたら気にしていると、先生が察したようで、


「ああ、そこの席? あきかずさんっていってね、たぶん学校にきてるとは思うんだけど。……おおとりさん、知らない?」


 え?

 どういうこと?

 きているのなら、なんでいないの?


「いえ、今日は会っていませんけど。それよりも、どうしていつの間にかわたくしが彼女の監視役になっているのか必然性の理解に苦しむのですが」


 いま受け応えしている大鳥さん、長い黒髪で、身体もほっそりして、とても美人だ。

 生まれも育ちもいいのか、声も喋り方も非常に上品で。


 あまりに自分にないものばかりで、和咲は羨ましさを感じることもなく単純にうっとりしてしまっていた。


 やり取りは続いている。


「だって、性格が正反対すぎて、反対に相性が合うのかなあと思って。知らないならいいや、後で探してぶっ飛ばしておくから」


 そういうと先生は、ははっと笑った。


 な、なんか、喋り方が乱暴になってない?

 先生、地が出てきてない?

 それより、昭刃さんて子、学校にきてるのに教室にいないって……

 ひょっとして、そういうのが日常茶飯事の学級崩壊クラス?

 だ、大丈夫なの? ここ。


 不安になる和咲であった。


 表情から察したか、先生が手をぱたぱた振りながら、


「あ、いや、昭刃さんだけだから。素行不良なのは」

「はあ」


 信じますけど、いいですかあ?


「それじゃあ令堂さん、さっそく席についてください。早速授業に入るから。……教科書まだだっけ? 隣のにいくらくんに見せてもらってね」

「分かりました」


 指示された窓際後方の席へと向かう和咲。


「よろしくね、令堂さん」


 アキラギさんと呼ばれていた女子生徒は、にんまり無邪気な笑みを浮かべながら右手を差し出した。


「あ、どうも、こちらこそ」


 和咲は、差し出される手を握りながら、もう片方の手を頭に当てて照れた笑みを浮かべた。


「うち、あきらはる。下の名前で呼んでええよ」

「いやいや、そんなっ、会ったばかりでとんでもないっ。……よろしく、明木さん」


 和咲は明木治奈の後ろの席にこそっと座り、その背中を見ながら心に呟く。

 妙に馴れ馴れしい子だなあ。と。


 千葉県って東京に近いのに標準語じゃないんだな。

 それとも我孫子だけ特別?

 それとも特別なのはこの子だけ?

 どうなんだろう。


「ああ、うち広島出身なんよ」


 明木治奈が背もたれ越しに振り返って、にっと楽しげに笑った。


「あっ、明木さんてっ、超能力者なんですかあ?」

「いや、思い切り独り言が出とったけえね」

「ええっ、ほ、ほんとですかあ?」

「うそうそ。初めて会う子は必ずこの言葉遣いにびっくりするもんやけえ。でもあっちじゃあこれが普通なのになあ」


 明木治奈の笑い声を、パンと手を叩く音が掻き消した。


「はい、そこの二人! いつまでもお喋りしていない! 令堂さん、初日とはいえ、もうここの生徒なんですからね」

「あ、は、はいっ、すみませんでしたあ!」


 和咲は肩をびくりと震わせながら立ち上がって、深く勢いよく頭を下げた。


 ガツッ

「いたっ!」


 自ら激しく、机におでこをぶつけてしまったのである。

 周囲から笑いが起きて、和咲は恥ずかしさにまた顔を真っ赤にしながら、肩を縮こませて座った。


「面白い子じゃのう、和咲ちゃんて」


 また明木治奈が振り返って笑っている。

 しかもいつの間にか、下の名前をちゃん付けだ。


「面白くありません! また怒られちゃうじゃないですかーーーっ!」


 こそーっと小さい声で怒気を吐き出すと、ながーいため息を吐いた。


 でも、


 ちらりと、前を向き直った明木治奈の背中を見る。


 どんな学校かと不安で一杯だったけど、とりあえず前の子は、性格は悪くなさそうで安心した。


 いつまでこの学校にいることになるか分からないけど。

 勉強に、運動、頑張るぞお。

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