第01話 絶望の図書館
それは、視界の記憶であった。
それは、感覚の記憶であった。
浮かんでいる。
満ちている、羊水の中。
そこにいる。
水泡の向こう。
白衣姿の男女が、なにか作業に没頭している。
時折ふらりと現れる、グレーのスーツ姿が一人。
いつも楽しげに、こちらへと近寄ってくる。
こちらへと、顔を近付けてくる。
にんまりとした笑顔で、覗き込んでくる。
凹レンズでぐんにゃり歪んだ笑顔で。
こぽこぽ、水泡。
小さな泡。
時折、大きな泡。
人工の羊水は満ちて、ただ、そこにある。
ふわり、ゆらり、そこに浮かんでいる。微かに揺れている。
なにをしているのだろうか。
そんな疑問も、なかった。
そんな思考力など、なかった。
細胞。
わたしは誰だ、というよりは、わたしとは、なんだ。なんだ。
ただ、眺めている。
ありのままを、見つめている。
ゆらゆら、揺れる、視界の先に。
ゆらゆら、揺れる、意識の先に。
それは、魂の記憶。
それは、肉体の記憶。
骨の記憶。
皮膚の記憶。
臓器の記憶。
細胞の記憶。
分子、原子、クォークの記憶。
友に、家族に、恋人に、仲間に、同僚に、組織に、主人に、主君に、家来に、魂の底から震えるほどの裏切りを受けて、生命を終わらせられることになった記憶、慟哭、怒り、狂い、呪い、激情。
無数、の
お、びた、だし、い
鳥肌、の、立つ、ような
絶叫、に、口、が、裂け、そ、うな、ほど
まだ乳を求める幼さであったのに、臓器の売人に売られた。
実の母と、その恋人によって。
貧しさが故?
否。
ただ遊びたいために。
派手な生活を送りたいために。
男にもっと好かれたいために。
聞かされたのは、聞いてしまったのは、解体のために殺される、その直前だった。
哀れみから口を滑らせたか、幼い故まだ言葉解せぬと思ったか、死にゆく者へ隠す必要もなしと思ったか。
呪い、届かぬと思うのか。
死者に、呪いなしと思うのか。
病弱だった娘。
窓辺から、ささやかに咲いている花を見ること、ただそれだけが楽しみだった。
何故、首を刎ねられなければならなかったのか。
一体、なにをした?
みなを救うためだから、と、もともと儚いその生命を、喜んで贄に差し出そうとした身であるというのに。魂であるというのに。
何故、引き回され、石を投げられ、杭を打ち込まれ、晒し首にならなければならなかったのか。
死んでなお、唾を吐き捨てられなければならなかったのか。
何故だ。
何故だ!
もう十人も殺しているのに。
何故、認めない?
疲れたよ。
あと何人、殺せばいいの?
誰か、教えてよ。
ぼくこれからお母さんに殺されるの?
腐った死体が、うず高く積み上げられて山を作っている。
どさり。
さらに積み上げられて、山がまた少し高くなる。
干からびた、
腐って、じくじくとウジの湧いた、
片目をくり抜かれた、
頭を叩き割られた、
全身いたるところ矢や剣の刺さった、むごたらしい状態で、
でもまだ、それは生きている。
あと何時間、あと何分、生きていられるか分からないが、まだかろうじて息はある。
だが、故の残酷さよ。
世の、神の無情よ。
震える、まぶた。
残っている片目が、うっすらと開く。
見事に澄み渡る、青い空が広がっている。
最後の力で、腕を、腐った腕を、動かした。
手を伸ばし、空を掴もうとする。
永遠の闇が落ちた。
だって、あたしのためだったなんて、そんなこと、そんなこと知らなかったからっ!
殺しちゃった。
殺しちゃったよ!
ねえ!
滅びゆく身体で、ただ待っていただけだった。
ひたすら、父の帰りを。
家族に会うこと。
それ以外になにも望んでいない。
求めてなんか、いなかった。
なにが、魔女だ。
何故、火に炙られ、死ななければならない。
我々が、誰に、なにをした。
答えてみろ。
もしも生まれ変われるならば、
必ずお前たちを殺してやる。
呪ってやる。
お前たちがもし生まれ変わるのならば、
何度生まれ変わろうとも、呪ってやる。
千回。万回。
永劫。
死ぬだけなら、よかったんだ。
信じたままで、いさせて、欲しかったのに。笑って死ねた、かも知れないのに。
あなたを呪わせないで、欲しかったな。
呪わせるな。
呪わせるな。
呪わせるな。
呪わせるな!
ずっと、ただ、それだけを願っていたのに。
でもあなたは、呪わせたんだ。
呪わせたんだね。
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