故に届かぬ理想郷

抜きあざらし

 これまでの人類史において、革新と呼ばれる出来事は幾度もあった。思想、文化、発明……啓蒙主義が人類に真の叡智を与え、貧民文化が世界を動かし、コンテナは物流に革命を齎した。個人にまつわる些細なことから世界を揺るがす大事件まで、人類史は革新の連続によって成り立っていると言っても過言ではない。

 しかし今これから起きることは、それらを全て過去にする。人類が人類という枠を越えるための、唯一無二の革新だ。真の革新と表現しても過言ではない。

 これから私は、この巨大なサーバー群に自らの思考をコピーする。いいや、コピーという表現は適切ではない。このちっぽけな肉体に、からだ。

 電脳世界への完全なダイブ。五感をジャックすることで擬似的に電脳空間での活動を行う技術が世に出て久しいが、未だ思考は電子化されていない。魂の再定義とすら言えるそれは、とても嘆かわしいことに、たいへんに多くの思想妨害を受けることとなった。

 摂理に反するだとか、神への冒涜だとか、退廃的な説法を何度も何度も繰り返された。直接的な妨害を受けたことも決して少なくはない。彼らはひどく狭量で、加えて肉体に強い執着を持っている。都合、スポンサーを募るために多くの権力者に取り入ったが、その中でもとりわけ非協力的だったのが――意外なことに、身体障害者の地位向上を謳う団体だった。彼らには何度も電脳化のメリットを語って聞かせたが、耳を借りるどころか銃器を突きつけられてしまった。

 それでも辛抱強く活動を続けた私は、遂に装置を完成させた。量子コンピュータの理論確立に背中を押された形になる。この装置は脳の組成を解析し、思考パターンを一度量子変換してからバイナリデータに落とし込む。試算した結果、人間の思考を欠落なく保存するために必要な容量は一○二五ゼタバイト。加えて、浮動領域を三十五エクサバイト確保する必要がある。これが、魂の容量だ。

 電脳化された魂は、ネットワーク上を自在に行き交うことができる。合衆国のサーバから、南の島の家庭用パーソナル・コンピュータまで。ネットの海を泳ぐことで、世界を自由に移動できる。私はこの技術を、国境のない世界を歌った名曲から『イマジン』と名付けることにした。肉体の楔を逃れることで、人類はようやく次のステップへと進むことができる。


 しかしこの理論を発表したことで、私はあらぬ疑いをかけられることとなった。

 各国主要サーバへのハッキングだ。世界は、私がこの技術を悪用して全世界のネットワークを掌握するのではないかと疑っているのだ。

 そんなつまらないことのためにこの技術を発明したわけではない。私は純粋に人類の発展を願って研究を続けていたのだ。

 しかし崇高な意志はなかなか理解されない。何度かねぐらを移したが、ここも既に特定されてしまった。あまり時間は残されていないだろう。故に、私は自らイマジンの被検体一号となる。本来であれば、私はこの技術を普遍化させなければならない。それこそが開発者の使命なのだが、とても叶うような状況ではなかった。だから私は今からネットワークへ――真に不本意ながら――逃亡し、それから全世界に存在するであろう同志に理論の一端を提供していく。全てを一度に伝えることは困難だが、彼らの知恵と結束によって、イマジンは必ず肉体世界に蘇ると信じている。


 あまり時間がない。私はそろそろ肉体を捨て去るとしよう。ゼロとイチに還元された後、また君達と邂逅することになる。その時まで、しばしの別れだ。

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