第3話 部屋

 主人である薬師寺暢彦の部屋の扉は少し焼け焦げていたのだろうか、真新しい塗料が塗り重ねられたように塗ってあった。

 部屋の中は本棚、文机、筆箱といった必要最低限の物しか置いていなかったようだ。本棚の中の本はほぼ無事だったようである。床にいくつか本が落ちてはいるが……


「これが?」

「そうでしょうね」


 文机の横にぽんと置かれている物。それは白い磁器人形であった。些か蠱惑的な感じすら受ける微笑みの人形が。


「これが、あの件の人形ですか?」

「はい、そうです」


 春日が答えた。九龍頭は部屋を見回す。ある一カ所を見て九龍頭は春日に訊いた。


「薬師寺先生が亡くなられた日、この部屋の扉は?」

「はぁ、閉まっていましたが……」

「窓も?」


 窓枠を指でさっと撫でると、九龍頭は春日に訊いた。


「そうです」

「密室、ですか」


 井筒警部は微かに身震いをした。ちらりと部屋の片隅に鎮座した磁器人形を見る。


「その時の状況を、詳しくお聞かせ戴きたいのですが……」

「はぁ、あれは確かあの磁器人形を買ったすぐ後のことでしたから、午後三時頃でした」



 薬師寺暢彦は黒柳紫苑の遺作である磁器人形を持ち、応接間をあとにした。

 

「薬師寺先生」

「あ?」


 春日は薬師寺に近付くと、小さく頭を下げた。彼が手にしている人形に手を伸ばそうとする。


「いい、これはわしが部屋に持って行くから」

「その人形は?」

「くくく、これはただの磁器人形じゃないんだよ、春日」


 春日はそうですか、と大した反応もせずささっと下がった。そのすぐ後、家政婦の登美子がパタパタとスリッパを鳴らしながら廊下を走ってくる。


「旦那様。奥様からお電話です」

「あぁ、すぐ行く」


 薬師寺は自室に人形を置き、受話器を手にしている登美子から受話器を受け取り、電話口に向かって話す。


「儂だ。あぁ、そうか。いつもすまんな」


 薬師寺は高血圧であり、降圧薬を服用していた。しかも元々粉薬を飲むのが苦手であり、オブラートに包まないと飲めない我が儘な性格であった。その粉薬も毎回登美子か妻が綺麗に包んでいる。


「旦那様、お薬の時間は……」

「判っておるよ」


 薬師寺は自室に戻り、施錠をしてしまった。それからしばらく自室から出てくる気配はなかったという。

 春日がふと中庭から薬師寺の部屋の様子をちらりと見たその時だ。


「あっ!先生!」


 薬師寺の部屋の窓に大きな掌が見えた。何か部屋が煙って見える。かなりの愛煙家である薬師寺にしては、あんな部屋が霞んで見えるほどの煙草は吸わない。春日は厭な予感がして、一目散に薬師寺の部屋に駆け寄る。

 春日が扉に手を掛けた。扉には内側から鍵が掛かっている。扉の足下から焦げた臭いをさせた煙がうっすらと出て来ている。脚に力をこめ、春日は扉を蹴破った。


「あぁっ!」


 火達磨になった目の前の薬師寺暢彦はもう既にぐったりとしている。咄嗟に手近にあった薬師寺の上着を取り、春日は赤々と上がる炎を消した。


「うっ……」


 そこには煤と化した薬師寺がいた。異様な臭いをさせながら。その脇には無傷で残った蠱惑的な笑みを浮かべる磁器人形がぽつねんと立っていた。




 

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