第一の死

第1話 ある作家

 東京、上野の老舗ビアホールで旨そうにビールを傾けるのは、警視庁捜査一課の井筒警部だ。豪快で細かい事をいちいち気にしないさっぱりした性格の井筒警部は小さな目を更に細めて嬉しそうににやついている。

 その目の前でちまちまとビールの泡を舐めるように吞みながら、つまみのソーセージを申し訳なさそうにちびりちびり囓っているのは、その井筒警部の友人である探偵作家の九龍頭光太郎である。井筒警部に呼ばれ、たまには一杯やらないかという誘いに、沸騰寸前まで熱された薬缶のような頭を冷やすべく乗ってきたのだが……彼自身は全くの下戸である。

 九龍頭と井筒警部との付き合いは、とある事件から始まっている。そもそも推理小説に明るい井筒警部と、奇しくも自ら探偵小説を自負する小説を書いている九龍頭が意気投合しないわけがなく、何だかんだで仲良くなって今に至る訳だ。

 井筒警部は給仕にもう一杯ジョッキを頼み、待っている間に九龍頭に話しかけた。


「先生、どうです?作品のほうは」

「あいたた、何とも突かれたくない所を突かれてしまったような感じが……」


 この大層な作家の名前はペンネームではなく、本名である。元々は貴族だか財閥だか、悪くない生まれではあるらしい、どことなく坊ちゃん然とした浮世離れしたような感じを受ける雰囲気が九龍頭にはあるのだ。

 髪質は針金のように硬い、ようやく伸ばした前髪は重力に何とか引っ張られ下を向いてはいるが、短髪にしたらまさに針鼠のように全てが真上を向いてしまう。その前髪の後ろに扁桃アーモンド形の小動物のようなくりんとした瞳がくっついている。


「取って置きの話があるんですが」

「井筒さん、僕は探偵じゃありませんよ?」

「しかしあのファイロ・ヴァンスやエルキュール・ポワロも顔負けの名推理を見せられたら……」

「煽てたってだめですよ、でも……つまみ代わりにひとつ訊きたい気はしますがね、あくまでも、

「あはは、こりゃ参ったな」


 井筒警部は白いソーセージを囓ると、赤いほうが辛くて美味いなと心の声を漏らして続けた。


「先生、呪いって信じますか?」

「んなもん、ナンセンスの極みですよ」

「ほぉ、ならこれでもそう言えますか?」


 井筒警部は1枚の記事をポケットから引っ張り出した。


「あ、薬師寺暢彦じゃありませんか」

「そう。ここ最近舞台にもなった【海峡】の著者です」

「残念でしたね。本当に」

「えぇ、南総の別荘の小火でねぇ」


 流行作家、薬師寺暢彦が南房総の別荘の自室にいる所出火し、運悪く彼のみが焼死体として発見されたという痛ましい……


「事件かもしれないんですがね」

「放火ですか?」

「それがまたそうとも言い難いんですよ」


 九龍頭はすっかり露がびっしりと付いたビールをちびりと舐め、眉間に皺を寄せて小さく咳き込んだ。


「別荘自体は、あまり焼けていないんです」

「って事は、どういう訳なんですか?」

「焼けたのは、

「だけ?」

「その通り」


 井筒警部のテーブルに新しいジョッキが運ばれてきた。そういう訳で、と一言告げると、井筒警部はまたそれを旨そうに喉を鳴らしながら飲んだ。


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