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2019年11月28日 11:06
「目に見えるもの」=「必ずしも事実でない」というより「必ずしも真実ではない」ということですね。客観的な事実は不変ですが、「目に見えるもの」「目に映るもの」には多分に主観に影響されます。言葉としては「見る」というより「観る」の方が適切かと思います。 ですから、おっしゃるように経験や知識の積み重ねで見え方は変わってきます。「観る力」をどう高めるかー。人間関係においては、特に難しい問題ですね。
作者からの返信
鷹香 一歩 様 コメントありがとうございます。 「見る」と「観る」の使い方も結構悩みました。人は「観て」いるつもりで「見て」いるだけということが多いのかと考え、あえて「見る」を使ってみました。 おっしゃる通り「観る」力を養うことは生きている限り一番重要なことだと思います。でも「知る」事により「観る」ことを阻害することもあったりしますし、中途半端な知識が成長を阻むこともあります。 世の中難しいことだらけですね。 今後ともよろしくお願いいたします。
「目に見えるもの」=「必ずしも事実でない」というより「必ずしも真実ではない」ということですね。客観的な事実は不変ですが、「目に見えるもの」「目に映るもの」には多分に主観に影響されます。言葉としては「見る」というより「観る」の方が適切かと思います。
ですから、おっしゃるように経験や知識の積み重ねで見え方は変わってきます。「観る力」をどう高めるかー。人間関係においては、特に難しい問題ですね。
作者からの返信
鷹香 一歩 様
コメントありがとうございます。
「見る」と「観る」の使い方も結構悩みました。人は「観て」いるつもりで「見て」いるだけということが多いのかと考え、あえて「見る」を使ってみました。
おっしゃる通り「観る」力を養うことは生きている限り一番重要なことだと思います。でも「知る」事により「観る」ことを阻害することもあったりしますし、中途半端な知識が成長を阻むこともあります。
世の中難しいことだらけですね。
今後ともよろしくお願いいたします。