世の中には「輪廻転生」の考え方や「前世の記憶」をお持ちの方もいらっしゃるようですが、一個人の人生を考えた場合、生と死は確かに一方通行ですね。特に日本のように「火葬」の習慣がある地域では…。米国をはじめとする多くの国は「土葬」の文化なので、映画の「ゾンビ」は死から生を生み出したり、古代エジプトのように蘇りの信仰があったりする地域では「一方通行」ではなかったかもしれません。相変わらず、深いですね。
考えてみると、人間以外の動物や植物も生から死へは「一方通行」ですね。文系的に2つの仮説を考えました。
其の一。
生物のDNAには寿命の「暗号」がプログラムされているのかもしれません。だとすれば、遺伝子の組み換えやゲノム編集によって「不老不死」が可能になるかも。
其の二
地球上は実は「生物の生存に適した環境」ではなく、生存することでストレスを与え続け、“耐性の容器”が限界(満杯)になった時点で死を迎えるのかも知れません。その場合に考えられるストレスとして一番怪しいのは「呼吸のプロセス」でしょうかね。生きるためには必要だけど、生きるための「代償」としての死が待っているー。
仕事をしながら、否、仕事を忘れて(???)妄想を膨らませてしまいました。何か初のSF小説のネタになる予感?!
作者からの返信
鷹香 一歩 様
コメントありがとうございます。
そうですね、生死感については、宗教をはじめ様々な概念があるのも事実ですが、残念ながら、多くの人はそれを確認できていないのもまた事実です。最近では『ゲームでは復活できる』などとそれこそ、当たり前だと思われる、この一方通行の関係が理解できていない人もいるようですし、今回の災害でも、『まさか自分が』とか『まさかこれほどとは』という、安易な判断も見られたようです。もちろんすべてに備えることはできませんが、できる備えと、万が一の行動指針は考えるべきです。ましてや河川の状況を見に行くなどは……
SF小説ですか! 鷹香 一歩様の今までのジャンルにはないものですよね。アイディアの一助になれば幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
編集済
こんにちは。
真逆なものとして考えたくて「表と裏」と
言いたくなりがちですが、
確かにそうですよね。
隣り合わせ。
実はそんなに遠くもない。
そんな気もします。
作者からの返信
切り株ねむこ 様
コメントありがとうございます。
そうなんですよ。よく『表と裏』と言われますが、表と裏はひっくり返すことが出来てしまいますから、個人的にはこの表現は当たらないと思います。
隣り合わせであることは間違いないのですが、踏み越えると決して戻れないのです。
人は思ったより死なないものでもありますが、思ったよりあっさり死んでしまうことがあるものです。
日本は安全で、医療も発達しているため、この当たり前の感覚をもっとよく考えなくちゃいけないような気がします。
今後ともよろしくお願いいたします。