この感覚はとても良く分かります。
誰も自分のことすら分かっていないですよね。
分かったような感覚がしているだけで、説明すら出来ないことで出来ているのにね。どうして? って聞かれたら理由も言えないことの多さに目をつぶって、目を背けているのです。
でも、分かりあおうとする姿勢は捨て去るべきものでは無いですが。
作者からの返信
Askew 様
コメントありがとうございます。
共感いただけて何よりです。大事なのは完全に分かり合うことはできないものとしたうえで、お互いに理解しあう気持ち、もっと言うと相手を思いやる気持ち(決して甘やかすという意味ではなく)を持ち続けることが大事なんだと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
「自分のことが分からない」-。
ギリシャ哲学や禅問答のようですね。他の誰よりも「長い付き合い」なのに、「本当」の顔さえしらないのです。鏡は左右が入れ代わりますし、写真、映像といったフィルターを通した二次元の自分しか見ることが出来ないのです。幽体離脱ができれば、見ることが出来るのでしょうが、永遠のナゾですからね。
凹んでいた時「お前の気持ちはよく分かる」なんて励まされ「無責任なヤツ」と思った経験もありますが、あながち無責任ではないのかもしれません。
作者からの返信
鷹香 一歩 様
コメントありがとうございます。
最近写真にはまっているのですが、写真はあるものをそのまま切り取っているようで、そうではないんですよね。一般的には心の目には映っていないものも映してしまうように思われていますし、そういう写真もありますが、逆に存在しているはずのものを写さないでとる方法、肉眼では見えないようなものをクローズアップで写す方法、遠くのものをそこだけ拡大して写す方法、写っているものを残像のように移す方法など様々で面白いです。
それだけ、存在しているものをそのまま出切り取るのは難しく、また、様々な写り方がするから美しいものが出来上がることもあります。しかし、見えないから存在していないわけでもなく。
考えると難しいですね。
今後ともよろしくお願いいたします。