ハイドランジア
灰出崇文
HYDRANGEA_CN
縛められた悪夢が振るった刃が唸り眼前に迫る。黒の剣線が見えるほどに緩慢になった空気が断ち切られる。迫る刃、私の足はなぜこうも鈍いのだろう。もつれる足を必死で進めようとする。それを嘲笑うように悪夢は跳躍した。高く──高く。刃は止まらない。太陽を背負って白く見える刃は確かに私の胸元を狙い────
視界の端を黒い物が横切った。追うように、静かな駆動音、ぬばたまの髪、白磁の肌。淡紫の目が確かに私を見た。遥か後ろでガシャンと音がした。そしてそれよりも近くで鳴る……金属と金属が触れ合うギャリギャリと嫌な音。
「シアン!」
光を吸い込むようなまろやかな肌に、その名の通りの血が流れる。霧散する悪夢をつき抜けるように落ちた少女は、石畳の上にその体を横たえた。重たすぎる義手義足のせいで彼女の寝姿は少し傾いでいた。そのせいでぱっくりと広げられた傷は、手が入りそうなほど深く大きなものだった。
「シアン……シアン……シアン……っ!」
彼女は何も言わず、ただ笑った。その笑顔が、少し歪む。傷口に、淡紫の結晶が生えていた。
半人半機の彼女の体に流れるのは血ではない。光に触れると結晶を伸ばす薬品である。かすり傷は死に繋がり、涙は失明を招く。私は彼女の体に覆いかぶさり、少しでも光を遮ろうとした。
「シアン……生きてくれ……もう少ししたら援軍が……きっと来るから……っ!」
ざり…ざり…と生える結晶が華奢な体を覆い隠していく。彼女は唇を噛んで、優しい笑みを作った。結晶は生え続ける。せめて顔だけは、と顔の血を拭う手が濡れた。
「笑って、くれよ……」
涙に歪む視界の中で、彼女が口を動かすのがかすかに見えた。
……あ、なた……が…………
瞼を突き破り、揃った歯を押しのけ、胸を裂いてて生える結晶に、彼女の外皮がずたずたになっていく。
「あ……ああ………ああああっ……!」
世界がすべて逆さまになったような気分だった。
彼女の形相というものは結晶を守るただ一枚の薄皮だったのか。結晶の上、散り散りになって所在なさげに揺れるボロ切れのようなそれが“彼女”だった。
いつの間にか私の手の中には、彼女の脱ぎ棄てた装甲が抱かれていた。
黒鋼の装甲には微かに温もりが残っていた。私は彼女が最も憎んでいたその装甲を、彼女の亡骸の上に置いた。
「君は……君はどうして……っ」
私の手には彼女の涙から生えた
✳✳✳
「異形姫、
「そう焦るな、どれ、候補を見せてくれ……ふむ……そうだ、コイツはどうだ」
「悲哀の涙、ラルマ・ポプラ。754年葡萄の月入隊。時期尚早」
「早すぎることはない。コイツであれば『異形姫』の称号が使えるだろう。新しい称号を考えるのは手間だからな」
「了解しました。ラルマ・ポプラを15位に昇格いたします」
「──さて、今度の『異形姫』はどれくらい働くだろうかねぇ」
ハイドランジア 灰出崇文 @Heide_T
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