桜散るエンディング
北谷 四音
前編
桜並木道の水たまりに曇天が映る。陰鬱なそれを踏みつけて歩いても、俺の心は晴れない。コツコツと軽快な音を立てる革靴とは対照に、足取りは重い。
桜の花びらから雨粒が滴る。満開に咲くそれらを横目に、礼服の内ポケットを弄った。俺は、一枚のハガキ――先日自宅の郵便受けに入っていたもの。そして俺を憂鬱にさせたもの。――を出して、読み返す。
『私、安田賢一は生涯でたくさんの方にお世話になりました。つきましては、生前に皆様への感謝の意を表したく、生前葬パーティーを開催いたします。何卒ご参加下さるようお願い申し上げます。』
差出人は安田賢一。彼とは小学校から大学まで一緒で、それぞれ就職してからもたまに飲みに行く仲だ。つまり幼馴染で親友というやつである。
並木道を抜けた先に目的地は物々しく聳え立っていた。桜より何倍も背が高く、そのうえ華美なこの建物で今日のパーティーが開かれる。俺は思わず尻込みする。その雰囲気に気圧されたからではない。ここに入ってしまえば、式が始まってしまえば、もう後には戻れないからだ。最後には哀しい現実が待っているのだ。
俺は来た道を振り返る。すると、一本の桜が並木の外れにあるのを発見した。それは他の木々よりも一回り小さく、どこか生気がない。不意に一陣の風がそれを襲った。華奢なからだでは為す術もなく、花びらは地に落とされる。その姿が切なくて、俺は目を逸らしてしまう。俺は踵を返して、重苦しい方へと飲み込まれていった。
受付を済ませ、会場となるホールに入る。眩しい照明に目を細め、全体を見渡す。正面にはステージ。中央にはバイキングスペースとなる大きなテーブルがある。床には赤を基調とした風変わりな模様の絨毯。それから、円形の机一卓と椅子四脚が組になって全面に散らばっている。各卓上には花瓶が置かれ、見慣れない紫色の花が挿してある。
周りを見回せば、俺と同じような黒ずくめの格好をした参加者が五十人程。これほどの規模のパーティーを開催するのは、二十代後半の稼ぎではなかなか難しい。
やっぱり、全部つぎ込んだのかな。
会場前方を見ると、ステージ脇に黒のタキシードに身を包んだ人が立っている。彼は手にしていたマイクを徐に口元へと寄せた。
「皆様、本日は『安田賢一 生前葬パーティー』にお越しいただき誠にありがとうございます。開式に当たりまして、安田賢一がご挨拶を申し上げます」
司会を務めているのは、おそらく葬儀会社の人だろう。ステージ上手から賢一がゆっくりと歩いてくる。一歩ずつ、一歩ずつ前へ踏み出す。その姿に胸がきゅっと詰まった。
賢一はステージ中央の演台があるところまで辿り着くと、浅く一礼する。スタンドのマイクの電源を確認し、それに口を近づける。
「皆様、本日は僕のためにお集まりいただきまして誠にありがとうございます。皆様にこれまでの御礼を申し上げたいと思い、このパーティーの開催に至りました。……えーっと、少し硬い感じになってしまったんですけど、今日は皆さんには楽しんで帰ってもらいたいなと思います。おいしい料理、お酒たくさん用意していますので、どうぞ召し上がって、楽しくおしゃべりしましょう!」
賢一はいつものように――彼はよく笑う人である。――眩しい笑顔を見せた。しかし今日に限っては眩し過ぎるくらいに感じ、俺は目を逸らしてしまいそうになる。
賢一の頭上には、「安田賢一 生前葬パーティー」とポップな字体で書かれた横看板が吊られている。生前葬――俺はその三文字を目でなぞる。
例のハガキが家に届いた時、俺は聞き慣れないその単語の意味をネットで検索した。――本人が生きている内に行われる、本人の意思を反映した葬儀――だいたいこんな意味だったと思う。
そういえば俺が幼い頃、大好きだった祖母が死んで、その葬式ではひどく泣いていたことを覚えている。あの時は死というものの意味を全く理解していなかったけれど、二度と会えないというのは分かっていた。泣き止まない俺に母は言っていた。「お葬式はね、亡くなった人との最後の思い出作りなのよ。おばあちゃんを忘れない限りは、心の中で生きるの。泣いてばっかりじゃ、おばあちゃんも心配しちゃうよ。笑顔で送り出してあげなきゃ」と。幼い俺にはその意味がよく分からなかった。大人になった今でも腑に落ちたわけではない。葬式なんて、死ぬなんて悲しいだけじゃないか。
ステージへ視線を戻すとそこに賢一の姿はなかった。どうやらもう開会式は終わっていたようだった。参加者たちは料理のある中央に集まっている。慌てて俺も向かった。
用意されていた料理は照明の光を受けて宝石みたく輝き、どれもおいしそうだ。何にしようかしらと物色していると、賢一の好物が多いことに気付いた。しかし、きっと彼はほとんど手を付けないのだろう。
二、三種類適当に皿に盛りつけ、空席を探す。席が自由なのは、いろんな人と会話を楽しんでもらいたいという彼の願いなのだろうか。残念ながら俺にはそんなコミュニケーション能力はないので、彼の期待には応えられない。ここは知り合いを見つけたい。
「すみません、よかったら一緒にどうですか?」
知らない声に呼び止められる。声の主は片手には料理を盛った皿を、もう片手には、どす黒い静脈血のようなワインが注がれたグラスを持っている。俺を食事に誘ってくれたらしかった。俺はせっかくだからと思い、ぜひと答えた。その人は嬉しそうに笑った。頭の後ろでは、一つに結われた長い髪が揺れていた。フォーマルな黒のワンピースにデニール数の低いタイツを穿き、妖しげな美しさを放っている。俺たちは空席を見つけ、向かい合って座った。花瓶の小柄な花が俺に微笑んでいるような気がした。
「かわいらしいお花ですよね」
彼女も同じところを見ていたらしい。
「ええ、そうですね。これはなんという花でしょう?」
「ベルフラワー……花言葉は『感謝』、『楽しいおしゃべり』」
そう言って彼女は顔をほころばせた。選んだ花が粋で賢一らしいと思う。楽しいおしゃべり……か。まあ、少しは頑張ろうかな。
こういう時はどんな話をしたらよいのだろう? ――そうだ、賢一との関係を聞いてみよう。
「賢一とはどういったご関係で?」
「私は、彼の会社の……」ああ、同僚の人かな。
「彼の会社の近くの食堂でお昼時にいつも一緒になる他社の者です」
他人? ……まさか。きっと何かしらの関りがあるのだろう。
彼女はグラスに口をつけた。ゴクゴクと喉を鳴らし、アルコールを流し込む。俺はグラスが空になったのを見計らって、彼女に再び問う。
「賢一といつも食事するんですか?」
「いえ、お話したこともありません」
「他人じゃねぇか」
俺は、思わず間髪入れずに言ってしまう。
彼女は赤の他人ではないか。誰だよ、 こいつを会場に入れたのは。そもそもなぜこのパーティーがあるのを知っている? ……ああ、そうか! きっと彼女は酔っているに違いない。頬をほんのりと紅潮させているのがその証左だ。そう思おう。とりあえず逃げよう。
「ちょっと料理取ってくるんで」と、とってつけたように一言だけ告げ、足早にその場を後にする。
突然の出来事に戸惑い、逃げ出してしまった。しかし、料理を取りたかったというのは噓でもなくて、俺は中央へ向かっていた。その途中、賢一を発見した。参加者一人一人に挨拶して回っているようだったが、俺は気づかれないようにして料理に目を向ける。今しがたハンバーグを食べたから、今度はオムレツにしようかしら――なんて考えていると、再び俺の背中に声がぶつけられた。
「よう、達樹」「今日は来てくれてありがとう」
低くて、落ち着きのある声音。聞き慣れた声だった。
振り返って声の主を見ると――むろんそうするまでもなくそれが誰だか分かっていた――、彼は屈託のない笑顔を浮かべて立っていた。賢一だ。俺はその笑顔を直視できず、目を伏せる。
「楽しんでるか?」
「まあ……」
俺は俯いたまま答える。すると賢一が手を差し出した。俺はここに来る前に見た生気のない桜の木を思い出した。今にも折れてしまいそうなその枝と重なった。それくらいやせた腕だった。賢一は俺の手を握った。
「一人一人に握手して回っているんだよ」
そう言ってまた一笑する。俺も少し笑ってみたけれど、気まずさが強く残った。
「なあ賢一、ちょっと外出よう」
握られた手を握り直して、彼を引っ張っていった。
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