第38話 玉藻前の世界(勝者)

 夜の世界に更なる暗さが訪れた。街を華やかに照らしていた狐火は荒廃した地に未練がましく残る鬼火のようだった。

「終わったようだぞ」

 酒呑童子は世界の中心に向かう。その巨躯に隠れるようにして三人が続く。

 竜司は明かりで点々と映し出される残骸に目を向けた。

「原形が残っていないどころか、粉々だな」

「これが姉様の力……」

 赤子は微かに震えた。真紅の着物の襟を正す。

 二人とは別に天邪鬼は笑顔を見せる。弾むような足取りで付いてきた。

「お姉様の圧倒的な力に惚れ惚れしました。チューもうまくてぇ、されると蕩けるようでぇ、失神するくらいに最高なんですよねー」

「……親父さんや妹がいるところで、その発言はどうかと思うぞ」

 竜司の背が丸くなる。渋い表情で斜め後ろに振り返ると天邪鬼の顔が間近にあり、大きく仰け反った。

「大袈裟ね」

「バ、バカ野郎! 唇が触れそうになったぞ」

「亡霊でも気になる? この唇が」

 天邪鬼は唇を緩めた。少し突き出すようにしてゆっくりと人差し指でなぞる。合間に赤い舌先を覗かせて誘うようにくねらせた。

 振り切るように竜司は前を向いた。力強い歩みを見せる。

「……今の俺が気になるのは姉御のことだけだ」

「同じ気持ちよ。お姉様の姿を早く見たい」

 声の調子が変わった。天邪鬼は真剣な目を前方の暗がりに向けていた。

 中心に近づく程に闇の濃さが増す。石畳は粉砕されて土が剥き出しになっていた。

 前を歩いていた酒呑童子が足を止めた。やや遅れて三人がならう。

「少し明るくするぞ」

 上に向けた掌に赤々とした炎が渦を巻く。急激に膨らんだ瞬間、無造作に空へと投げる。

 即席の太陽が一帯の闇を退けた。一同の足は止まったままだった。前面に広がる大地は流星群が落下したようなクレーターで占められていた。

 酒呑童子は近くのクレーターに近付き、中を覗き込む。底の方が等間隔で波打っていた。

「これは拳による攻撃か」

「これが……」

 竜司は気の抜けた顔で見回す。一目では把握できない。規模と数に圧倒された。

 無表情の赤子は身体を震わせた。黒目勝ちの目に涙が溜まる。小さな身体の内部に様々な感情がひしめき、押し出されて大粒の涙となった。

 天邪鬼は一帯を走り回った。忙しなく目を動かし、お姉様、と方々に叫ぶ。何かを見つけたのか。一つのクレーターの斜面を勢いよく滑り降りていった。

「この近くにきっとお姉様がいるはずよ! 手分けして探して!」

 その声に赤子はビクッと肩を震わせた。袖口で涙を拭い、普段の顔となって駆け付ける。先に着いた酒呑童子と竜司が下を見ていた。

 擦り切れた状態の狐の尾が何本も落ちていた。土には血が混ざり、色鮮やかな端切れが手向たむけの品のように散らばる。

 酒呑童子は顎を撫でた。

「女狐は相当な傷を負ったようだぞ。絶命の可能性もある」

「ここが戦いの中心だったのよ。だからお姉様もきっと近くにいるはず」

 天邪鬼は力説して真っ先に走り出す。残された三人も別々の方向に動き出した。

 赤子は歪な地形を物ともせず、滑るように移動した。斜面に差し掛かると動きが鈍くなる。妙な膨らみを見つけたのだ。

「……姉様」

 目が丸くなる。盛り上がった土の一部から助けを求めるような指が出ていた。汚れるのをいとわず、赤子は両手で掘り始める。

 翠子の上体が露わになった。眠るような顔で口元には抑え切れない笑みが見て取れる。微かな息遣いを耳にした赤子は翠子の胸に飛び込んだ。

「姉様、姉様!」

 無表情の仮面が瞬く間に壊れた。頬を涙で濡らし、感情のままに連呼する。翠子の頭が揺れて前に傾く。おかっぱ頭に頬を当てて、大丈夫だよ、と語り掛けているように見えた。

「……良かったな、おかっぱ」

 飛んできた竜司は上を向いて言った。零れそうな涙を堪えているようだった。

 少し離れたところで酒呑童子は腕を組み、二人の我が子を黙って見詰めた。

「……お姉様を独り占めにして……ここを見つけたのはアタシなのに……妹だからって……なんなのよ、もう……」

 天邪鬼は膨れっ面でブツブツと不満を垂れ流す。


 赤子が素に戻ると翠子は速やかに掘り起こされた。

「姉様は赤子が立派に送り届けて見せるのです」

 翠子を背負った状態で力強く言った。

「アンタね。ちょっとは遠慮しなさいよ」

「遠慮しないのです。姉様をとんでもない痴女には任せられないのです」

「黒キノコが調子に乗るんじゃないよ!」

 その時、軽く地面が揺れた。酒呑童子の踏み付けた右足がくるぶしまで埋まっていた。

「門を開くが用意はいいか」

「もちろんですわ。お父様」

「その言い方は不安になるぞ」

 苦笑いで話を終えると酒呑童子は両方の拳を握る。両肘を後ろに限界まで引いて同時に打ち出す。何もない空間が揺らめき、二つの鈍色の穴を形成した。

「右はオレの街に繋がっているぞ。左は翠子の住まいだ」

「赤子は姉様と一緒に左に行くのです」

「俺も左で」

 竜司は酒呑童子に向かって深々と頭を下げた。

 最後に残った天邪鬼は当然というように左の穴を指差した。

「当たり前のことですが、愛らしい天邪鬼ちゃんも」

「小娘は右に決まっているぞ」

 酒呑童子は天邪鬼を握ると右の穴に入っていく。

「ええええ、そんなあああああ……」

「赤子達も行くのです」

 しっかりと見届けた赤子は左の穴に向かう。入る間際、ちらりと横目をやると赤い舌を思いっきり出した。

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