第26話 共同生活

 チュンと雀が囀った瞬間、時田赤子はぱっちりと目を開けた。床に敷いた布団から抜け出すと横目でベッドを眺める。

 時田翠子は両手を挙げた姿で寝ていた。半開きの口から微かなイビキが聞こえてくる。掛布団は蹴飛ばされ、足元に不貞腐れたように丸まっていた。

 赤子は軽く頭を振って仄明るいカーテンを開く。薄暗い部屋に真新しい朝陽を呼び込む。その輝きの中、布団を綺麗に畳んで押し入れに仕舞った。

 すっきりした顔で控え目な伸びをした。目に留まった冷蔵庫に摺り足で向かう。扉を開けて即座に閉めた。冷凍庫は一瞥で済ませた。

 物言いたげなおちょぼ口を引き締めて玄関に急ぐ。草履を目にした瞬間、自身の衣服に気が付いた。

 寝間着の代用品のチュニックにはタイヤのスリップ痕がプリントされていた。翠子の私物の為、首回りが緩くて肩がはみ出る。

 赤子は部屋に引き返す。クローゼットに収められていた自身の着物を手に洗濯機の前で手早く着替えた。

 ぴんと伸びた背筋で草履を履いた。一度、後ろを振り返る。艶やかな黒目をベッドに向けた。

 赤子は一言の愚痴も零さず、静かに部屋を出ていった。


 翠子の小鼻が膨らむ。幸せそうな顔で深呼吸を繰り返し、寝返りを打った拍子に瞼が開いた。

「……朝ごはん?」

「姉様、早く食べないと冷めるのです」

「どうしたのこれ!?」

 ベッドから転がり落ちるようにして座った。座卓に並べられた数々の料理に目を見張る。

 長方形の皿に焼けたサンマの干物が横たわる。程良い加減で醤油が掛けられていた。別の小皿には卵焼きが一口サイズに切り分けられ、淡雪のような大根おろしと刻まれたカイワレが食欲を掻き立てる。小鉢にはちんまりとした煮物が収まっていた。具のイカを見つけて翠子の口元が緩む。

「味噌汁もあるのです」

 赤子は正座の姿で横手の床に目を落とす。鍋敷きの上に置かれた手鍋の蓋を開けてお椀に注いで翠子の手前に置いた。小ぢんまりとした手鞠のような生麩が目を楽しませる。

「いただくのです」

「いただきまーす」

 翠子は無邪気な笑みで手を合わせた。艶やかなご飯が装われた茶碗を持ち、おかずを乗せては一緒に掻っ込んだ。

 赤子は音を立てずに味噌汁を飲む。口の中が潤ったところでサンマの身を箸で解し、少量を摘まんで口に含んだ。咀嚼の回数は多く、配分よく食べてゆく。

 二人は共に箸が進み、無口な時間を過ごした。

 翠子が最後の味噌汁を飲み干す。

「それにしても朝から豪勢だよねー」

「姉様の食事事情が悲惨なだけで普通のことなのです」

 赤子は箸を揃えて手を合わせた。

「赤ちゃん、朝から買い物に行ってくれたんだよね。いくら掛かった?」

「少しの間ですが居候する身なので気にしなくていいのです。それに赤子は」

 すっと立ち上がると優雅に舞った。ぴたりと止まって斜め上に手を伸ばす。その指の間には一枚のカードが挟まれていた。

 翠子の目が釣られた。

「もしかしてそれで買い物をした?」

「そうなのです。バウンティハンター専用のカードで、どのお店でも使える優れ物なのです」

「でも、お金を使ったことに変わりはないよね。やっぱり、ここは年長者であるお姉ちゃんが払わないと」

「大丈夫なのです。今月の赤子は40万の稼ぎがあるのです」

 くるりと回って着物のたもとにそっとカードを入れた。翠子は目を丸くする。

「お姉ちゃんの月給を超えてるんだけど……」

「赤子は立派なバウンティハンターなのです。花嫁修業中なので料理や掃除にも力を入れているのです」

「あの~、初耳なんだけど」

 翠子は更なる驚きで顔が妙に強張った。赤子は我関せず、自身が使った食器を重ねて持ち上げる。

「跡目を継ぐには伴侶はんりょが必要なのです。強い殿方と結ばれて次の世代に託すのが使命なのです。姉様は考えたことはないのですか」

「えー、だって私には彼氏がいないし。それに跡目に興味もない訳で、ねぇ」

「跡目に関係がなくても未来の為に必要なことなのです。由緒正しい家柄であることをもう少し自覚して欲しいのです」

 諭すように言うと赤子は食器をシンクに運んだ。何かを思い出したかのように袂に手を入れる。取り出した紅色のスマートフォンの画面を見詰める。

「姉様の出勤は重役待遇なのですか」

「そんなわけが、ああああっ!」

 赤子が突き付けたスマートフォンの画面を見て一瞬で顔色が変わった。立ち上がるなり、パジャマを脱ぎ捨ててパンツスーツに着替える。乱れた髪に手を入れることなく玄関に突っ込み、黒いパンプスに足を捻じ込んで焦りながらも笑顔を浮かべた。

「赤ちゃん、いつもの行ってきますのチューは」

「赤子はそんな変態さんではないのです。今の無駄話で三分を失ったのです」

「い、いってきますっ!」

 怒鳴るような一言で飛び出していった。開け放たれたドアを赤子が閉める。

「素行調査の始まりなのです」

 微かな笑みで人知れず宣言した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る