6-6

 吹き抜けの回廊に面した螺旋階段はホテルのロビーに続いている。階段の手前で美月が身動いだ。


「自分で歩けるから……下ろして」


佐藤は美月の両足をそっと地面に下ろす。ブーツのヒールが着地の瞬間に音を鳴らした。


「……怖かった」


 バルバトスに殺されかけ、佐藤と男達の銃撃戦に居合わせた。張り詰めて限界に達した美月の精神の糸が佐藤の胸に飛び込んだ途端に切れた。


『ごめんな。もっと早く助けに来ていればこんなことには……』

「そうじゃない。そうじゃないの……」


溢れる涙を拭うのも忘れて彼女は佐藤の胸元に顔を埋める。


「隠れてる間、ずっと佐藤さんが撃たれて死んじゃったらどうしようって考えてて……でも怖かったのはそれだけじゃなくて……」


 しゃくりあげながら美月は必死に言葉を紡いだ。28歳の大人の女性、二児の母親になっても泣きじゃくる彼女は幼い子どものようだ。


「銃を使う佐藤さんを見たくなかった。佐藤さんなのに佐藤さんじゃないみたいで知らない人みたいで怖かった。私のためだってわかってる。でも……」

『うん。俺もできれば美月の前で銃を使いたくなかった』


あの場でバルバトスとアモンを殺さなかったのは美月に死体を見せたくなかったから。急所を狙えばすぐに片がついたのに佐藤はあえて彼らの急所を外して発砲した。

美月にだけは、犯罪者の顔を見せたくなかった。


「もう誰も撃たないで……。誰も傷付けないで……。あなたが罪を犯す姿を見たくないの」


 愛する女に泣きながら懇願されれば従うしかない。泣き止まない彼女の額にキスをした。


『誓うよ。銃は使わない。誰も傷付けない』

「本当?」

『本当。それにすべて終わった。銃を使うことも、もうない』


涙目で見つめる美月の前で嘘はつけない。彼女は再び佐藤に抱きついた。


『子ども達も無事だ。早河探偵が助け出してくれた』

「よかった。斗真は今……」

『怪我はないらしいが、鎌倉の病院で検査を受けてる。早河探偵の奥さんが付き添ってくれてるよ』


 二人は手を繋いで螺旋階段を降りる。ロビーの大理石の床に降り立った美月が歩みを止めた。


「さっきすべて終わったって言ってたけど本当に終わったのかな……。夕食の後からキングの姿が見えないの。あんなに銃声がしていたのにキングが部屋に来ることもなかった」

『キングはどこに行くと言っていた?』

「何も……。なんにも言ってくれなかった」


うつむく美月の頭に佐藤は手を置く。ポンポンと優しく彼女の頭を撫でた佐藤はスマートフォンを取り出した。


「何してるの?」

『GPS情報を追ってる』

「GPSってキングの?」


 佐藤は画面に現れたものを美月に見せる。画面の約半分が海の表示の地図上の一ヶ所に赤いピンマークがついていた。

ホテルを出て、美月を乗せた佐藤の車は国道134号線を直進する。1分もしないうちに片瀬東浜海水浴場に到着した。


 暗がりの海景色の中に貴嶋佑聖の姿があった。彼は潮風に吹かれて海辺と歩道を繋ぐ階段の段差の上に座っている。


『やぁ美月。お迎えが来たんだね』


美月と佐藤が現れても貴嶋は驚かず、にこやかに二人を迎えた。


 波のさざめきの旋律が海岸に佇む三人の男女に自然のオーケストラを聴かせる。

佐藤が美月の肩に自分のコートを羽織らせた。彼女は佐藤のコートに袖を通して段差を一段下に降りる。

男物のコートはサイズが大きすぎて、美月の華奢な身体はすっぽりとコートに包まれていた。


「どうしてこんな所にいるの?」

『少し食後の散歩をね』


貴嶋は悠々と煙草を楽しんでいた。美月の後方で佐藤は貴嶋を見据える。


『バルバトスとアモンと言う名の男達は自殺を図ったようです』

『そうか。あの二人が……。バティンとグレモリーはどうしている?』

『裏口にいた若い男と中国人の女なら気絶させてホテルの中で拘束しています』

『ははっ。君もやるねぇ』


バルバトスとアモンの最期を知った貴嶋の横顔は寂しげだった。


『私の居場所は夏木会長に教えてもらったのか?』

『ええ。今回のキングの行動には色々と腑に落ちない点がありました。目立つヒントをばらまいて俺達に見つかるように動いていたとしか思えない。夏木会長を動かしていたのも貴方あなたですよね』

『夏木会長には君が私の情報を求めてきた時には協力してやってくれと頼んでいただけさ。あのたぬきの爺さんも約束は守る義理堅いとこはあってね』


 貴嶋は段差に腰かけたまま語る。美月はまた一段下に降りて貴嶋と同じ段で立ち止まった。

佐藤と貴嶋の会話は美月には意味がわからないやりとりだ。紫煙がゆらゆらと潮風に揺れている。


貴嶋は立ち尽くす美月を見上げた。


『どうした? 泣きそうな顔をしているじゃないか。やっと愛する人のお迎えが来たんだ。早くお帰り』

「嫌。まだ帰れない」


 逃げられる環境にいても逃げ出さなかったのは何故か、貴嶋をほうっておけないと思ったのか。答えは自明だ。


「ひとりにしたらキングが……死んじゃいそうだから」


貴嶋が両目を見開いた。滅多に動揺を見せない彼には珍しい表情だ。


『美月は私が自殺するとでも思っていたのかな?』

「そうだよ。だって今のキングはふらっとどこかに消えちゃいそうで、弱々しくて、昔のムカつくくらい自信たっぷりなキングとは全然違う。いつ死んでも構わないってそんな投げやりな感じがして……」


 突如、貴嶋が笑い出した。笑われたことにムッとした美月が顔をしかめる。


「なんで笑うの? 心配したのに!」

『いやぁ……ごめんね。美月のそういうところが好きなんだよ。君はいつも優しい。私は君の優しさに甘えていたんだ』


貴嶋は携帯灰皿に煙草を捨て、美月の後ろにいる佐藤に目を向けた。


『そうそう、ラストクロウ。ホテルじゃなくこの場所に私がいるとよくわかったね』

『早河真愛の携帯電話を持っていますよね。携帯のGPSの反応がこの海岸を示していました』

『ああ、これか。今は小学生でも携帯を持つ時代になったんだね』


 貴嶋のコートのポケットからは彼が持つには似合わない子ども用の携帯電話が出てきた。

佐藤が追ったGPSは早河真愛の携帯のGPSだ。GPSは片瀬東浜海水浴場で動きを止めていた。


「キングがなんで真愛ちゃんの携帯のGPSを使うの? 居場所がわかっちゃうのに……」

『それが狙いだ。キングはわざと携帯のGPSを作動させた。早河真愛のGPSに最も反応を見せる人間を呼び寄せるために……ですよね?』

『君は昔と変わらず優秀だね。さすがだよ』


 サイレンの音が近付いてくる。迫ってくるサイレンと車のヘッドライト、チカチカ光る赤い電灯が海岸の前の道で停車した。

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