5-9

 小山真紀は東京都府中市の府中刑務所の一室である人物を待っていた。職員に連れられて眼鏡をかけた男が殺風景な部屋に入ってくる。

彼は9年前に真紀が自ら手錠をかけて逮捕した男だ。


部屋に入っても男は真紀と視線を合わせずに対面の椅子に座った。職員が手錠の鍵を外して部屋の外に立ち去ると、彼女は持参したノートパソコンを男の前に置く。


「話は聞いてるでしょ。あなたの力を借りたいの」

『ここに閉じ込められて以降、最新の機器に触れる機会もありませんでした。どこまでお力になれるかわかりませんよ? あなたのご主人ですらハッキングは無理だったと聞きました』


 かつて犯罪組織カオスに所属してその天才的なハッキング能力で数々の犯罪を犯してきた山内やまうち慎也しんやは組織内ではスパイダーと呼ばれていた。


「ここに長いこと閉じ込められているわりには、矢野一輝が私の夫だと知ってるのね」

『それくらいの情報は入ってきます。矢野はあの時僕のセキュリティを突破した。その彼でもセキュリティが破れなかったのなら……』

「謙遜はいらない。こちらには時間がないの。やるの? やらないの?」


真紀と山内の睨み合いが続く。諦めの溜息をついて山内はキーの上に十指を置いた。


『やらないと言ってもどんな手を使ってでもやらせるんでしょう。それが人に物を頼む態度ですか?』

「私だって犯罪者のあなたに頼みたくなかった。でも上からの命令だから……」


 貴嶋のファンサイトの管理人、ダンタリオンのサーバーに侵入するには高度なハッキングテクニックが必要だ。

矢野がハッキングを試みたが彼の力では限界があった。


白羽の矢は府中刑務所に収容されている山内に立てられた。犯罪組織カオスのスパイダーとして名を馳せた山内のハッキング技術は矢野や科捜研の人間が称賛するほどだ。

矢野の伯父の武田官房長官経由で法務省と警察庁の阿部警視監に根回しをし、武田官房長官直々に山内に協力を要請をした。


 真紀としては犯罪者の山内の力を借りることには抵抗があった。早河から篠山恵子に罠を仕掛けるために佐藤瞬と組めと指示を受けた時も同様に苦悩した。

ハッキングに山内スパイダーを使う策を思い付いたのも早河だ。


しかし今は警察官のプライドにこだわっている場合ではない。犯罪者の力を借りてでもダンタリオンの正体を突き止めて事態を終息させなければいけないと矢野に説得されて渋々承諾した。


「久しぶりのパソコンの感覚はどう?」

『別に何も。少しいじればこの9年でITがどこまで発達したかわかりますからね』


 山内は手慣れたブラインドタッチでキーを打った。

この男の謙遜はただのポーズ。彼は自分の腕に絶対的な自信を持っている。


自分が世を離れている間も発展を続ける文明に少しは狼狽える素振りがあればいいのに、喜怒哀楽の感情を見せない山内が真紀は気に入らなかった。


『顔に出てますよ』

「何が?」

『どうしてこんな所でこんな奴に捜査協力を頼まないといけないんだろう……大方そんな感じですか』

「人の心を勝手に読まないで」


図星を突かれてそっぽを向いた。山内は指の動きを止めずに口元を斜めにして真紀を一瞥する。


『だから顔に出てるって言ってるじゃないですか。面白い人ですね』

「口を動かさずに手を動かしなさい」

『僕の場合は手と口は同時進行です。それとコーヒーいただけます? カフェインを接種すると作業がはかどります』


 この期に及んでコーヒーを所望するとはつくづく気に食わない男だ。

ハッキング行為を行う山内の監視は阿部警視監の命令だったが、やりにくい仕事を任されてしまったと真紀は嘆いた。

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