1-5
1月19日(Fri)午前7時
早河家の朝はいつも母と娘の戦いから始まる。なぎさは真愛の布団をめくりあげた。
「真愛ぁー! いい加減に起きなさい」
「やだぁー。さむいぃー」
真愛は一緒に寝ているうさぎのぬいぐるみを抱き締めてベッドの上でごろごろ転がった。なぎさがめくった布団を奪い返して真愛は再び布団に潜る。
「学校遅れるでしょ。ほら、起きて起きて」
真愛の朝が弱いところは父親にそっくりだ。毎朝なぎさが真愛を起こして、パジャマのままリビングに強制連行するおきまりのパターンは今日も同じだった。
叩き起こされて不機嫌な真愛はイチゴジャムを塗りたくったトーストを頬張る。食卓に父の姿はなかった。
「パパは?」
「お仕事行ったよ」
「またぁ? いっつも真愛が起きる時にパパいない」
「嫌なら早起きさんになればいいのにねぇ。そうすればパパとも会えるよ」
「むぅ。ママだけパパとイチャイチャしてずるい。真愛だってパパにぎゅってしてほしいのに……」
ずるいと言う真愛のセリフを早河に聞かせてやりたくてなぎさは笑い転げた。娘にとっての父親の存在定義は様々だが、早河家を例に挙げれば真愛にとっては早河が世界で誰よりも格好いい理想の男性らしい。
思いの外ファザコンな娘に育ってしまった。
トーストとハムエッグとコーンスープを綺麗に平らげて真愛は両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「はい、よく食べました。お顔洗って、お着替えしてきてね」
「はぁーい」
ハート柄のパジャマのまま、真愛は椅子からピョンっと飛び降りて洗面所に走っていった。
返事だけはいつも百点満点なのだが、椅子を降りる時は静かにと何度教えてもあのおてんば娘は言うことを聞かない。
真愛が食べ終えた食器の片付けをする最中、リビングのテレビからニュースが聞こえてきた。
{――東京都東久留米市で昨日、未成年者男女五人の変死体が発見されました。警察は自殺と判断しており……}
アナウンサーの声になぎさは洗い物の手を止める。テレビには死体発見現場近くの住宅街からの中継映像が映っていた。
また未成年者集団自殺事件が起きた。
今回も自殺者達のSNSには貴嶋佑聖の名が書き残してあったが、その情報はメディアには伏せられている。警察関係者のみが知る情報だ。
だが一部のSNSユーザーにはメディアに伏せられているこの情報が噂として広まっている。
SNSのひとつであるツイッターには他人のツイートを自分のアカウントに表示して拡散できるリツイート機能がある。
昨年集団自殺した男子高校生の人生最後のツイート〈親愛なる貴嶋佑聖にこの身を捧げます。キングの復活を我は望む〉が自殺者達のSNSコミュニティの中でリツイートを繰り返して拡散してしまった。
メディアもその情報を掴み、週刊誌では〈未成年者の血を生け贄に教祖の復活か〉と銘打って貴嶋佑聖の特集記事が組まれる事態となった。
早河が今朝も真愛と食卓を囲めない理由はこの集団自殺事件絡みで彼が動いているため。貴嶋が脱獄してからの1年程、早河は警察庁の阿部警視監直々の任で警察と協力して貴嶋を追っている。
警視庁捜査一課の元刑事でありながら刑事の職務を辞めて探偵業を営む早河が警察庁幹部から捜査協力の要請を受けるのは異例だ。
貴嶋の性格は早河が誰よりも熟知している。脱獄した貴嶋は必ず早河の前に現れると誰もが考えていた。
貴嶋の動向を警戒して早河の妻のなぎさと真愛にも常に護衛の刑事がつくようになった。そんなことをまだ小学生の真愛に言えるわけもなく、真愛は自分の身が危険と隣り合わせの状況であるとは知らない。
「ママ……ママ!」
真愛に呼ばれてなぎさは我に返った。着替えをした真愛が隣で仁王立ちしている。
真愛は小さな手に黄色の星の飾りがついたヘアゴムとピンクのハートがついたヘアゴムを持っていた。
「もぉ。ぼぉーっとしてぇ。ね、今日のゴムどっちがいい?」
「服がオレンジだから黄色かな」
真愛の髪を星の飾りのヘアゴムで二つに結う。なぎさにツインテールにしてもらってご機嫌になった真愛はランドセルを背負って家を飛び出した。
娘を見送った彼女は丁寧に淹れた紅茶を飲んで一息つく。あと2時間後には勤務する二葉書房に出勤する時間だ。
真愛の元気が早河となぎさの活力。大事な娘を守るために二人は戦っている。
首もとのネックレスは御守り代わり。寺沢莉央の形見のゴールドの指輪をこうして肌身離さずネックレスとして身につけている。
(莉央……お願い。彼と真愛を守って)
莉央の指輪に触れた。スピリチュアルなことはわからなくても、この指輪に触れると心が落ち着く。
亡き親友が今も生きていれば莉央はまた命懸けで貴嶋を止めようとする。9年前のカオス壊滅と貴嶋の逮捕は莉央がいたからこそ成し遂げた。
その代償が莉央の命だった。
もう莉央はいない。貴嶋を止められる人間はただひとり。
貴嶋佑聖の友人にして貴嶋が宿敵と名指しする男、早河仁だけ。
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