4-13

 突如会場内がどよめいて場内の視線が一点に集中する。何が起きたのか困惑する美月も人々の視線の先を追った。


 紅色のロングドレスを纏う女性が会場後方の扉から入ってきた。グレージュ色に染まるロングヘアーは胸元でゆるく巻かれ、露出したデコルテに輝くダイアのネックレス。マーメイドラインのロングドレスの裾が彼女が歩くたびにひらひら揺れる。


男も女も会場にいる誰もが彼女の美しさに魅了された。それは美月も同様だ。


(めちゃくちゃ綺麗な人。女優さんみたい……)


 美月の側にいた貴嶋が慣れた仕草で女性の手を取ってエスコートする。貴嶋と女性の自然なやりとりに美月は直感した。


(この人がクイーン?)


紅色のドレスの女性は貴嶋に手を引かれて美月の前に現れる。女性は美月に優しく微笑みかけた。


貴女あなたが浅丘美月さんね。はじめまして。寺沢莉央です」


 品のいいソプラノの声が美月の名を呼ぶ。美月は会釈して、差し出された莉央の手をおずおずと握る。

莉央の爪はドレスとお揃いの真っ赤なネイル。着ているドレスやネイルの色も、白と赤と正反対の美月と莉央が初めての対面を果たした瞬間だった。


貴嶋が莉央の肩を抱く。


『しばらく二人で話をしていなさい』

「あら、レディ二人をエスコートもなしに置き去りにするなんて酷い人ね」

『ははっ。君も美月も、私がいない方が話しやすいだろう? 美月、莉央と一緒に楽しんでいてね』


 貴嶋は莉央に美月の相手を任せて会場の人混みに姿を消した。莉央と二人で残された美月は心細げに莉央を見つめる。美月の視線に気付いた莉央が口元を上げた。


「何か食べた?」

「いえ、まだ何も……」

「じゃあ料理でも持ちに行きましょうか」


莉央と共に料理が並ぶテーブルに向かう最中、会場の人々の視線を痛いほど感じた。それも自分に集まる注目ではなく莉央への注目の視線だ。


(さすがカオスのクイーン。こういうセレブなパーティーには慣れてるのね……)


 テーブルに並ぶ料理を莉央が皿に取り分けてくれた。美月は恐縮して皿を受け取ったが、実はまったく食欲がなかった。


時刻はすでに日没を迎え、若干の空腹の気配は感じるのに豪華な料理を前にしても食が進まない。

場馴れしないパーティーの雰囲気と貴嶋と莉央の存在が美月の神経を萎縮させていた。


 隣でカクテルを飲む莉央を盗み見る。小さな顔に猫のような黒目がちの瞳、長い睫毛と白い肌。目鼻立ちの整った美人とはまさに彼女を指す言葉だ。


(話には聞いていたけど綺麗な人。美人で優しくて、でも神秘的で……。隼人が好きになるのもわかるなぁ)


 料理を口に運びつつ、美月は半年前の出来事を思い出した。半年前、美月が在学している明鏡大学の准教授が殺害された事件に美月と隼人は巻き込まれた。

その過程で隼人は寺沢莉央と知り合う。隼人に早河探偵事務所に行けと助言をしたのは莉央だ。


隼人と莉央はその後も何度か顔を合わせ、隼人は莉央に惹かれた。そのことに関して隼人と大喧嘩をしたのは夏の終わり。あの大喧嘩以降、隼人の口から莉央の名前が出たことはない。


「あの……どうして莉央さんは私を助けてくれたんですか?」


 美月の質問を受けた莉央は横目で美月を一瞥し、カクテルのグラスをテーブルに置いた。


「半年前のこと?」

「そうです。隼人に早河さんの探偵事務所に行くように言ったり、佐々木さんに刺された隼人を助けたのもあなただと隼人が言っていました。どうしてなんですか?」

「あなたも、あなたの彼氏と同じことを聞くのね。木村隼人にも同じ質問をされたわ」


三日月型に細めた黒い瞳が笑っている。莉央は美月の頬に手を添えた。赤いネイルの細い指が美月の頬を撫でる。


「助けたくなったから助けただけよ。人を助けることに理由はいらないでしょう?」


 優しく穏やかな莉央の雰囲気が美月の心を惑わした。莉央は人殺しだと隼人から聞いている。

今年3月に起きた樋口コーポレーションの殺人事件の記事を美月も読んだ。あの事件の犯人が今、目の前にいるこの優しくて穏やかな女性だ。

わからない。わからない。


「……どうしたの? 涙が出てる。メイクが崩れちゃうよ?」


ふいに溢れた美月の涙を莉央がハンカチで拭う。美月もどうして自分が泣いているのかわからなかった。

莉央は涙ぐむ美月を会場隅の椅子に座らせた。


「ここで少し休んでいて。飲み物を取ってくるからね」


 ドリンクコーナーに向かう莉央の紅色のドレスが遠ざかる。美月は借りたシルクのハンカチを握り締めて顔を伏せた。


 わからなくなってしまった。

殺人は悪、犯罪者は悪。無意識に刷り込まれてきた正義の概念が崩れてゆく。

莉央の前で流した涙は母親に慰められて安心して流す涙と似ていた。


寺沢莉央は殺人犯だ。だが美月と接する莉央はとても優しく、彼女が人を殺した人間だとは信じがたい。

人を助けることに理由はいらないと莉央は言った。犯罪者が理由もなく人助けをする……わからない。


 何が正解? 何が間違い? 人を殺した人間が必ずしも悪ではないことを美月は知っている。

佐藤瞬がそうだった。彼も人を殺す人間には見えなかった。

だけどそれは佐藤が美月に見せていた顔が佐藤瞬のほんの一部分に過ぎなかったから。


美月は人殺しの佐藤瞬を知らない。犯罪組織の人間としての彼を知らない。

犯罪に手を染めた彼の苦しみや痛みを理解した気になっていても本当は何一つ、わかっていなかったのかもしれない。


 人間には表の顔と裏の顔がある。

例えば、ここに集う人間達。貴婦人と紳士のお喋りの声、クラシック演奏、グラスが合わさる音、視界に映る光景が表だとすると、裏の面も必ず存在する。


貴嶋はパーティーの主旨を誕生日の前祝いだと表した。犯罪組織のキングの誕生日パーティーに出席する紳士淑女は皆、貴嶋の正体を知っていることになる。


(まさかこの人達みんなカオスの人?)


この会場内で、自分以外の全員が犯罪組織の人間だと考えると背筋がぞっと寒くなった。

誰も彼もが笑顔の仮面を張り付けた裏側でその手を血に染めているとしたら。犯罪者の集団にひとり放り込まれている今の状況がたまらなく怖くなった。


(ここを出よう。やっぱり逃げなくちゃ。このままじゃキングの都合のいい着せ替え人形にされちゃう)


 莉央はドリンクコーナーの手前で数人の男女に囲まれて話をしている。幸い、貴嶋も近くにいない。

彼女に借りたハンカチを綺麗に折り畳んで椅子に置き、美月は小走りに会場の出入口に向かった。

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