4-12
フェイシャルにボディエステ、ヘッドスパと髪の毛のトリートメントを受けている最中にネイリストが美月の爪にネイルを施す。
昔、絵本で読んだお姫様がパーティーに出掛ける準備さながらの優雅な時間を美月は過ごしていた。
(綺麗にしてもらって嫌とは言わないけど素直に喜べないなぁ)
仕上がりが間近の片手五本の爪を眺める。ホワイトピンクをベースにしたジェルネイルの表面にはスワロフスキーのストーンが置かれてキラキラと輝いていた。
(やっぱり謎。なんでキングは私にこんなことを?)
貴嶋の策略が読めない以上、どれだけエステやネイルを施されても手放しで喜べない。
ネイルの次に美月が案内された場所はエステの施術ルームの隣室。部屋全体が大きなクローゼットになっているその部屋は衣装部屋という言葉がぴったりだった。
どこを見ても色とりどりのドレスが並ぶ光景に圧倒されて立ち尽くす美月に構わず、サロンのスタッフが見繕ったドレスを何着も運んでくる。
白やピンク、赤、黒、ラベンダー色のパーティードレスが美月の前に並べられ、試着室に放り込まれた彼女は次から次へと試着の波に追われた。着せ替え人形にでもなった気分だ。
(着せ替え人形っていうか、これは着せ替え人間だよね……)
四着目の白いドレスに着替えた時にその場にいたサロンスタッフ達が満場一致でこのドレスが良いと頷いた。
美月が纏うドレスはデコルテ周りに花のレースがあしらわれたプリンセスラインのミニドレス。ウエスト部分にはサテンの白いリボンがついていて丈は膝上15センチほど。
スカートの短さは気にはなるが美月も試着した中でこのドレスが一番気に入った。
ドレスが決まれば後は早い。ヒールの高いシルバーのドレスシューズやアクセサリーも決まり、最後にメイクとヘアセットを行って美月はようやくエステサロンから解放された。
磨き上げられた二の腕や脚は余分な角質が取れたのか一段と肌の白さが増し、触るとすべすべとして気持ちがいい。
ネイルも初めてのジェルネイルに気分も高まる。日々のセルフケアではここまで綺麗にはできず、プロの技術を実感した。
髪はゆるく巻かれたアップヘアー。簡単な編み込みなら自分で出来ても本格的なヘアセットは初めてだ。鏡に映る自分の姿の何もかもがいつもの自分とは違っていた。
エステサロンに面した通路に三浦英司が立っていた。下から上に走る三浦の視線を感じてむず痒い。この気恥ずかしさをもて余して美月は顔を伏せた。
『綺麗になったな』
「ありがとうございます」
『馬子にも衣装か』
「なんですか! その言い方……」
顔を上げた時に見えた三浦の穏やかな微笑があの人と重なる。
(佐藤さんとは全然違うくせに佐藤さんと同じ雰囲気……同じ微笑み……)
頬を赤らめる美月の手を取って三浦が歩き出す。ヒールのある靴を履く美月に合わせて、彼の歩調はゆっくりだった。
「どこに行くんですか? どうして私はこんな格好をしなくちゃいけないの?」
『これからパーティーがある。君のその服装はパーティーに出席するためだ』
「なんで私がパーティーに?」
三浦に手を引かれてエレベーターに誘われる。二人きりのエレベーターが九階から上昇を始めた。
あくまでも多くを語らず無口を貫く三浦を精一杯睨み付けても、そんな些末な攻撃が彼に効かないことはわかっている。
『そんなに嫌そうな顔をするな。せっかくの綺麗な化粧とドレスが台無しだ』
「大きなお世話ですっ! どうせ馬子にも衣装ですからね」
『いや? 似合っていると思うが』
予告なく飛び出す三浦の甘い言葉に心臓が痛い。
二十六階と二十八階のそれぞれで扉が開いて着飾った女性二人組やカップルがエレベーター内に入ってきた。男性はスーツ、女性は華やかなドレスの装いは全員がパーティーの出席者に思える。
(パーティーって何のパーティー? 三浦先生もスーツ着てるけど先生もパーティーに出るの?)
隣の女性の香水の香りがキツくて息苦しかった。三十二階で開かれた扉から真っ先にその女性と連れの女性が出ていき、次にカップルが降りる。
美月と三浦は最後にエレベーターを降りた。
赤坂ロイヤルホテル三十二階のパーティー会場のロビーには貴嶋佑聖の姿があった。彼は長身の外国人男性と英語で会話をしている。
美月に気付いた貴嶋が手招きした。三浦が繋いでいた美月の手を離し、あちらに行けと目で合図を送った。
白いミニドレスで着飾った美月は親鳥から巣立ちを迎えた小鳥のような面持ちで三浦の側を離れて貴嶋のもとに向かった。
美月の全身を見た貴嶋が満足げに頷いた。
『とても綺麗だよ。ドレスもよく似合っている』
「……ありがとう」
『さぁ行こうか、プリンセス』
貴嶋は軽く曲げた右腕を美月に差し出す。彼女は恐る恐る、彼の右腕に左手を添えて彼の腕に掴まった。
側で一部始終を見ていた外国人男性と貴嶋が何かを話しているが、流暢な英語は美月には聞き取れない。
「キングって英語ペラペラなんだね」
『一時期アメリカに住んでいたからね』
扉が開けられ、貴嶋のエスコートで美月はパーティー会場に連れられる。
煌びやかなシャンデリアの下にはドレスを身に纏う淑女とスーツ姿の紳士、テーブルに並ぶ豪華な料理やシャンパンタワー、壇上ではオーケストラがクラシックを奏でている。今はヴィヴァルディの春が演奏されていた。
『立食形式だからどこに居てもいい。自由にしていていいんだよ』
「自由にって言われても……」
美月は華やかな会場の雰囲気に気圧されてまばたきを繰り返した。
会場にいる者達は皆が美月より年上に見え、ドレスアップした女性達は優雅にお喋りを楽しんでいる。この会場内で自分だけが場違いに思えてならなかった。
「これは何のためのパーティーなの?」
『そうだねぇ、前祝いと言うところだね』
「前祝い?」
『明日は私の誕生日なんだ』
貴嶋はウェイターからアルコールの入ったグラスを二つ受け取り、ひとつを美月に渡した。グラスの中身はシャンパンだ。
「明日がお誕生日なの?」
『そうだよ。だから美月にもパーティーに出席してもらいたかった。私の誕生日を祝ってくれるかい?』
「……うん。お誕生日おめでとう」
『ありがとう。乾杯』
二人のグラスがかすかに触れ、美月はシャンパンを口に含んだ。
そう言えば会場の外で別れたきり、三浦の姿がどこにも見えない。視線を彷徨わせて、美月は三浦英司の姿を捜していた。
*
会場中央の美月と貴嶋からは少し離れた壁際に三人の男が並んでいる。ファントムの黒崎来人、スパイダー、スコーピオン。
『あれがキングの愛しの姫君ね。それとラストクロウをこの世に繋ぎ止めた存在か。見たところ普通の女の子じゃないか』
燕尾服を着た黒崎は貴嶋の隣にいる美月を遠巻きに眺めていた。黒崎の言葉にスパイダーが応える。
『普通の女の子だからキングが面白がるんだよ』
『面白いか? キングもラストクロウもなぜあんな娘に夢中になる? あの程度のレベルなら駆け出しのモデルや新人女優に腐るほどいる。俺にはあの子の何がそんなにいいのかさっぱりだ』
黒崎は腑に落ちない様子で首を傾げた。そのうち黒崎の存在に気付いた女性陣が彼を取り囲み、黒崎は女性の輪の中に引き込まれていった。
黒崎の言葉にも一理あるが、スパイダーには貴嶋や佐藤が美月に惹かれる理由がわからなくもない。
『ファントムはああ言うけど、僕はあの浅丘美月には普通でありながらもただの女の子ではない何かがあると思うね』
口数の少ないスコーピオンに対してスパイダーはほぼ独り言として語った。彼は着なれないスーツのネクタイを緩める。
『あの娘……確かハタチだったな』
『もしかして、つぐみちゃんと同じ年?』
スコーピオンは頷いた。スコーピオンの娘、つぐみは15年前に5歳で死んでいる。つぐみはちょうど美月と同い年だ。
『生きていればつぐみもあんな風に成長していたのかもしれないな』
美月を見つめるスコーピオンの横顔に父親の面影が宿る。成長を見ることが叶わなかった娘の姿を同じ年頃の美月に重ねているのだろう。
死んだ人の年齢を数えてはいけないと他人は言う。しかしそれは無理な話だ。
自分が生きている限り、故人は記憶の中で生き続けている。
故人の誕生日を忘れはしない。無理に忘れることもない。
今年もまた共に生きられなかった年数を刻むことの虚しさを知っているのは、大切な誰かの命を失った経験がある人間だけなのだ。
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