3-6

 暖かな日差しが差し込む啓徳大学病院の最上階のカフェで高山有紗はキャラメルマキアートを美味しそうに飲んでいた。有紗の向かい側に香道なぎさがいる。


出張から戻ってくる父親の到着を待つ間、処置室で寝ているのも退屈だからと有紗はなぎさとこのカフェで過ごしていた。


「それでね、その店の店員がすっっごい無愛想なのっ! 見た目はまぁまぁ格好いいのに注文の時も愛想なくて。ああー、はい、って感じ。だけど私以外のお客さんには愛想がいいの。意味わかんない」


 有紗は行き付けのカフェの男性店員の愚痴を話している。


「でも悔しいけどそいつが作るキャラメルマキアートが美味しくってね、あ、違うか。あの店のキャラメルマキアートが美味しいだけだ。別にあいつの腕じゃないっ!」


勢いよく首を左右に振って有紗はキャラメルマキアートのカップを両手で持ち上げた。

愚痴の聞き役に徹するなぎさにはその男性店員からはある感情が予測できた。けれどこれは有紗には言わない方がいいだろう。


「私の周りはイケメン多いなー。早河さんもそうでしょー、あのカフェの店員は知り合いじゃないけど。あと神明先生も早河さんとは違うかっこよさがあるんだよねぇ」

「神明先生?」

「お父さんのカウンセリングチームにいる男の先生。カウンセリングで何度か会ったことがあるよ。穏やかな紳士ってイメージのイケメン。そうそう、加藤先生といい感じなの」


 ミルクティーを飲んでいたなぎさは神明の名前を記憶から引き揚げた。そういえば先月に麻衣子とオムライス専門店に食事に行った時、帰り際にその男と遭遇した。


「神明先生なら私も会ったことあるかも。麻衣子とご飯食べた時にその先生も同じお店に来ていてね」

「ええー! そうなの? ね、イケメンだったでしょう?」

「うん、優しそうな人だった。だけど麻衣子はちょっと苦手って言ってたかな」

「神明先生、日本男子には珍しい超ジェントルマンだと思うのになぁ。勿体ない」

「誰にでも苦手なタイプはあるからね」


高校生の有紗は神明の外見や表向きな人柄だけで憧れを抱いてしまうのかもしれない。先月に神明と遭遇した時の麻衣子の言葉が印象的だった。


 ――“誰かにとってはイイ人でも自分にとっては悪い人の場合もあるでしょ?”――


「あ、加藤先生ー!」


 カフェに入ってきた麻衣子を見つけて有紗が手を振る。白衣姿の麻衣子は有紗に手を振り返していた。


「今ちょうど先生のお話してたんだよ」

「私の? どんな話?」

「加藤先生と神明先生の話! いい感じなのになぁって」


無邪気な有紗の笑顔に安堵する反面、麻衣子の表情の曇りに気付いたのはなぎさだけだった。麻衣子は椅子には座らず、テーブルの横に立った。


「神明先生ならさっき病院に来ていたよ」

「ええっ? ウッソォ! 会いたかったぁ。先生もう帰っちゃった?」

「うん。書類を取りに来ただけみたい。有紗ちゃん、気分はどう?」

「だいぶいいよー。元気げんきっ!」


 ピースサインを作って明るく笑っていてもえぐられた心の傷は深い。


精神的支えの早河と鎮静作用の点滴のおかげで一時的に症状は落ち着いていた。だが点滴が終わり、病院から早河がいなくなった後に表れた神経の高ぶりとわざと明るく振る舞う今の有紗には過覚醒と回避の兆候が見られる。


 なぎさと麻衣子は目を合わせた。


「麻衣子、ちょっといい?」

「うん。有紗ちゃんごめんね」

「二人でお話があるんだよね。いいよ、ひとりで大丈夫ー!」


 有紗はニコッと笑ってテーブルに置いた携帯電話を持ち上げた。スワロフスキーのラインストーンが全面にデコレーションされた有紗の携帯に太陽の光が当たってスワロフスキーがキラリと光る。


 有紗を席に残してなぎさと麻衣子はカフェのデッキに出た。病院の最上階に位置するカフェの外はウッドデッキになっていて冬のこの時期に人の姿はない。


「指輪、外したんだね」


なぎさの左手薬指には早河との婚約指輪がない。なぎさは自分の左手に右手を重ねた。


「今の有紗ちゃんには見せられないから外した。彼と私が結婚するって知ればショック受けちゃうから」

「そうだよね。結婚のことはタイミングを見て早河さんから言うのかな」

「だと思う。有紗ちゃんが私のこと嫌いになったらどうしよう……」


 二人はデッキに設置されたベンチに腰掛けた。ベンチには日が差していて座面が暖かい。


「大丈夫だよ。有紗ちゃんにとってなぎさはお姉ちゃんみたいな存在なんだよ。早河さんの相手がなぎさ以外の人の方が嫌がると思うなぁ」

「うー……。でもあの子がどんな反応するかは怖いよ」

「私だって、隼人が選んだ人が美月ちゃんだったから隼人を諦められたの。隼人が好きになったのが美月ちゃん以外の人だったら、私はまだ隼人に片想いしてたかもしれない」


麻衣子は空に向けて大きく腕を伸ばして、それからゆっくり息を吐いた。


「木村さんの様子どんな感じだった?」

「まだメールしかしてないから仕事終わった後に隼人の家に行ってみる。美月ちゃんと連絡取れないことが心配みたい」


 青空の下に見える巨大なビル群、東京の灰色の群れの中で次々と起きる異常事態に誰もが困惑している。


「隼人のメールに書いてあったんだけど、今朝撃たれて殺された竹本元議員……3年前に静岡の合宿で殺された竹本くんのお父さんなんだよね」

「そこで繋がってきてるのかぁ。竹本元議員はカオスと関わりがあったんじゃないかって仁くんが言ってた。用済みになったから始末されたんだろうって」

「カオスって怖い組織だね。莉央は……そんな組織にいるんだよね」


二人の視線が足元に落ちる。太陽の反対側に黒い影法師が伸びていた。先に麻衣子が立ち上がった。


「そろそろ戻ろう。有紗ちゃんが不安がっちゃう」

「うん。……麻衣子。莉央のことは私がなんとかする。そのためにずっと助手やってきたんだもん」


決意を固めたなぎさに向けて麻衣子が柔らかく微笑んだ。


「莉央のことはなぎさに任せた。頑張れ! 探偵助手っ!」


なぎさも釣られて柔らかく笑う。二人は北風と日向が混在するウッドデッキに背を向けて建物内に入った。

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