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 加藤麻衣子は見晴らしのいい病院の二階吹き抜けから下の待合ロビーに設置された大型テレビを見下ろしていた。


テレビでは午後2時開始のワイドショーが流れていた。トップニュースは明鏡大学とJSホールディングスの爆破事件だ。JSホールディングスには幼なじみの木村隼人が勤めており、明鏡大学は隼人の恋人の美月が通っている。


 爆破のニュースに驚いた麻衣子が隼人に送ったメールの返信が先ほど届いた。その返信では隼人の無事は確認できたが。


(でも美月ちゃんは……)


美月が行方不明なことも隼人から知らされた。隼人が知人の上野警部と連絡を取ったところ、警部の話では美月は大学の爆破直前に同じ大学に通う友人の石川比奈に連絡している。

比奈との連絡以降、美月の行方がわからなくなった。


 吹き抜けの手すりにもたれて物思いに耽る麻衣子の肩に手が触れた。軽く肩を叩かれて振り向いた麻衣子の側には同僚の臨床心理士、神明しんめい大輔が立っていた。


「神明先生! 今日はお休みの日じゃ……」

『必要な書類を取りに寄ったんです。こんなところでぼうっとされてどうしました?』


神明は今年の1月から啓徳大学病院精神科の研究チームに加わった。

常勤カウンセラーの麻衣子とは違い、神明は非常勤のカウンセラー。受け持ち患者のカウンセリング日や研究のミーティング以外で彼が病院に出勤することは珍しい。


「今テレビでやっている爆破事件、友達がいる会社と学校なので心配で……」

『加藤先生のご友人が……それはまた災難でしたね』


彼も吹き抜けから下の大型テレビを見下ろした。画面には明鏡大学の校舎が映され、興奮気味の学生のインタビューが流れる。


『今日の東京は色々と物騒なことが起きますね。有紗ちゃんが襲われて発作を起こした件も聞きましたよ』

「ええ、PTSDの発作が起きて……。さっきまで点滴を受けて眠っていました。出張に行かれている高山先生もあと1時間ほどでこちらに戻られると連絡がありました」

『そうですか……。有紗ちゃんもようやく症状の回復が見えた矢先にこんなことになって、心配だな』


 犯罪心理学が専門の神明は麻衣子と共同でPTSDを持つ犯罪被害者の心理状態やケア方法の研究を行っている。

夏から秋頃までは神明が有紗のカウンセリングを受け持っていた。


『有紗ちゃんの状態は今はどうです?』

「目覚めてからは少し落ち着いています。有紗ちゃんが信頼している探偵さんが付き添ってくれていたので」

『確か早河さんでしたね。有紗ちゃんが恋をしている探偵さん。彼女のカウンセリングの時に早河さんの話はよく聞いていましたよ』


 二人は階段を降りて待合ロビーに出た。外来に訪れる患者や薬や会計待ちの人々でロビーは混雑している。


『加藤先生がPTSD研究と犯罪被害者のケアに精力的なのは有紗ちゃんがきっかけですか?』

「PTSD研究に興味を持ったのは大学時代です。大学の時に殺人事件に遭遇したことがあって」

『それは初耳ですね。ではその時に?』

「はい。一緒にいた女の子がASD(急性ストレス障害)の症状が出ていたんです。幸い彼女はPTSDまで悪化はしませんでしたが、彼女の苦しみを間近で見ていたから……きっかけはその時ですね」


話をしていて自然と美月の顔が浮かぶ。美月は一体どこに行ってしまったのか、彼女の安否が気掛かりだ。


 それから少し立ち話をして、エントランスに向かう神明を見送る。実のところ、麻衣子は神明が苦手だった。

1月から彼がこの病院に非常勤カウンセラーとして出入りするようになってからは勤務が重なる日は何度か食事に誘われ、夕食を共にしたこともある。


神明とはそれだけの関係だ。恋人でも友達でもない、ただの同僚。外で食事を共にしても同僚以上の関係を求められたこともない。

それだけの関係なのだが、神明と同じ空間にいる時は妙に居心地が悪い。


 臨床心理士である神明はさすがに人の心理を読むことに長けている。彼と話をしているとこちらの心の内を見透かされている気がしてならない。

そのわりに神明の内面は一切読めない。何を考えているのかわからない。感情を表には出さず、物腰が穏やかでニコニコしている神明を不気味に感じた。


(神明先生と話している時はよくわからないけど緊張するのよね)


寒気に似た感覚が全身を這う。病院内の暖房は効きすぎていて暑いくらいなのに寒気で身震いするとはおかしなものだ。


 有紗は早河と付き添いを交代したなぎさと一緒に最上階のカフェにいる。麻衣子はエレベーターホールに出てエレベーターの呼び出しボタンを押した。

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