1-5

 キッチンで母の友里恵と夕食の準備に追われていたなぎさは、しきりに早河と父のいる仏間の様子を気にしていた。


「なぎさ。これ切っておいてね」

「うん」


サラダ用の野菜を切っている時に手を止めて、鍋の番をする友里恵を見る。


「お母さんは反対しないの?」


早河との結婚を友里恵に報告しても、友里恵は微笑しただけだった。


「反対なんてしないわよ。お母さんはこうなること、なんとなくわかっていたの。なぎさはずっと早河さんのことが好きだったからね」

「ずっとって……えっ?」

「早河さんを好きになったのは2年前に早河さんがなぎさのお見舞いに来てくれていた時からでしょう?」


 なぎさは放心した。これが包丁を使っている時じゃなくて良かったと思う。間違いなく包丁で手を切ってしまっていた。


「お母さん……に、2年前って……」

「あら、やだ。気付いていなかったの? 鈍い子ねぇ」


友里恵はパニックを起こすなぎさを見て面白がっている。


「だって2年前のお見舞いの時って私が助手になる前の……」

「そうよ。あの時にはもう早河さんのこと好きだったでしょう? 早河さんが病院にいらっしゃるのを心待ちにしていたじゃない。早河さんにいただいた花束のリボンをコレクションしたりして」

「それは……そうだけど……」


 2年前の早河の助手になる以前から、早河のことが好きだったのかもしれないと自覚はあったが、改めて母親から指摘されると恥ずかしいものだ。


「出版社を辞めて早河さんの事務所で雇ってもらうって家を飛び出した時も、あれは半分以上は早河さんに会いたくてたまらない恋する女の顔をしていたのよ。お母さんからすれば、結婚すると聞かされても、やっとかぁ、むしろ遅すぎるくらいね? と思うだけよ」


ニコニコと微笑む友里恵の姿に安堵と脱力でなぎさは肩の力を抜いた。不安になる必要などなかった。母は娘の気持ちを最初からお見通しだった。


「やっぱりお母さんって凄いね」

「なぎさも母親になればわかるわよ」


友里恵はなぎさを優しく抱き締めて彼女の下腹部に触れる。


「次はあなたを一番大切に想ってくれる人の子供を産みなさいね」

「……うん」


 母の手に手を重ねる。次にこの身体に宿る命は大切な人の命の一部。

中絶した過去は永遠に消えない。だからこそ、次は胸を張って産んであげたい。


「お父さん達、何話してるのかな」

「色々と込み入ったお話があるのよ。男同士のお話もあるでしょう。お母さん達もね、結婚を反対されたのよ」

「そうなの?」

「お母さんのお父さん……秋山の家のなぎさのお祖父さんにね。結婚を決めた時、お父さんは大学院生で、私もまだ大学にいて、お腹に秋彦がいることがわかったの」


 初めて聞かされる父と母の過去。母が一度流産し、秋彦と自分の間には幻の兄弟がいた話は聞いたことがあるが、結婚前の話は初めて聞く。


「それでお祖父じいちゃん怒っちゃったの?」

「もう大変な騒ぎだったわよ。二人とも学生だからお金はないしお父さんはお祖父ちゃんに殴られるし、でもお母さんは絶対に秋彦を産みたかった。堕ろすなんて考えもしなかった」

「それでお母さん達はどうしたの?」

「ふふっ。半分は駆け落ちみたいなものね。私が家を飛び出して、親に無断で婚姻届を出して、お父さんが独り暮らししてるアパートに転がり込んじゃった。だから、なぎさはさすがお母さんの娘だなぁと思ったものよ」


両親の歴史を聞かされて、なぎさは苦笑いした。確かに自分と母はよく似ている。


「でも秋山のお祖父ちゃん、お父さんと一緒にお酒飲んだり将棋したりしてるよね。今は仲良しに思うけど……」

「お父さんがそれだけ頑張ったからね。頑張って頑張って、院生から講師になって、今は立派な教授ですもの。そうやってお祖父さんを認めさせてきたの。だからお父さんもね、早河さんのことを認めざるを得ないのよ。きっと自分の若い頃と早河さんを重ね合わせているんだわ」


 食事の準備が整った頃合いに仏間から早河と正宗が出てきた。


「そのご様子だと和解できたのかしら?」

『最初から仲違いなどしていないよ』


友里恵の含み笑いに正宗は照れ臭そうにそっぽを向いてダイニングテーブルの席についた。食卓には四人分の席と料理が用意されている。


『早河さんもそんなところに立っていないでこちらにお座りなさい』

『はい』


緊張の面持ちが解けないまま、早河はなぎさと顔を見合わせた。


『結婚、認めてもらえたから』


 なぎさにそれだけ伝えて早河は友里恵の誘導で正宗の向かい側の席に座った。早河の席はかつて兄の秋彦がいた場所だ。

なぎさが早河の隣に座る。


『なぎさ。早河さんを支えてあげなさい。夫婦になると言うことは、どんな時も互いに支え合って生きていくことだ。わかったな?』


四人分の味噌汁を食卓に並べ終えた友里恵も正宗の横で優しく微笑んでいた。


「秋彦もなぎさのお相手が早河さんなら文句ないわね」

『どうだろうなぁ。アイツはなぎさのことになると、俺よりうるさいかもしれんぞ』


 父と母と死んでしまった兄。

兄の席には今は愛する人がいて、ダイニングテーブルの下で温かい手が触れ合った。


この幸せで温かな日常を失いたくない。

絶対に失いたくない。

戦う覚悟はできている。


間もなく、戦闘開始だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る