第15話

「お名前は? なんておっしゃるんですか? 僕は、北沢貴之です。小学校五年生ですが、地元の小学校ではなくて、私立に通っているんで、今日は開校記念日でお休みなんです」


今日は普通に平日。


毎日が日曜日みたいな俺にとって、祝日とか休みの日の感覚は、ないに等しい。


「俺は荒間和也、そこの商店街で、本屋さんをやってます」


「どうも、よろしくね、和也さん」


彼が右手を差し出してきたってことは、握手しろってことかな? 


よく分かんないけど、とりあえず同じように手を出したら、ぎゅっと握って振り回された。


「ついでに、お菓子でも買っていきません? 僕、お腹すいちゃったな」


よく分からないけど、彼はうちでお菓子を食べるつもりらしく、こっちへ来いと手招きする。


必然的に、俺と導師の修行はそこで中断した。


商店街のスーパーで、彼はありとあらゆる種類のお菓子を買い物かごへと放り込み、もちろんお金は俺が払って、うちについたら本屋の店の方から居間へ入った。


その時には、北沢くんの傷はもう出血も止まってかさぶたになっていたけど、消毒をして絆創膏をはった。


そうしてほしいって、彼に頼まれたから。


それが終わったら、彼はずっとお菓子をほおばりながらテレビを見ている。


ゲーム機やパソコンはうちにないと知って、あきらめたようだ。


俺は部屋の隅っこに正座して、導師と並んでその様子を観察している。


「……これから、どうするつもりなのかな」


「さぁな、私は人間の子供は嫌いだ」


「今日の修行、できなかったね」


「仕方ない、魔法の修行は、極秘裏に行うものだからな」


壁にかかった時計をちらりと見たら、もう六時を過ぎている。


子供は家に帰る時間だ。


「ねぇ、北沢くん、そろそろお家に帰らないと、家の人が心配するんじゃない?」


「スマホあるから、大丈夫っすよ」


テレビの前から動かない彼に、ため息をついた。


どっちにしろ、そろそろ夕飯の支度も始めないと、あの二人が帰ってくる。


仕方なく台所に立った俺の後ろに、いつの間にか北沢くんがやって来て、俺の手元をのぞき込んだ。


「わぁ、男の手料理ってやつですか? 今日のメニューはなに? 楽しみだなぁ」


この子は、夕飯も食べていくつもりなんだろうか。


にっこりと微笑む彼と目を合わせながら、彼のためにもう一品おかずを増やそうかと、考えているときだった。


ふいに、店の呼び鈴がなった。


表に出てみると、そこには北沢くんよりさらに小さな女の子が立っている。


「すいません。これください」


彼女は、一冊の料理本を差し出した。


『料理の基本~基礎から学べるかんたんおかず~』千二百円。


真っ黒い、つやつやの瞳に、肩先までの髪。


なんだかちょっと、懐かしい感じのする女の子だった。


「お料理、好きなの?」って聞いたら、「うん」ってうなずく姿が、なんだかとても可愛らしくて、俺は思わず「がんばってね」って言ったけど、それには答えずに帰っていった。


「この辺じゃ、見かけない顔だなぁ」


いつの間にかのぞきに来ていた北沢くんは、そんなことを言ってたけど、そんなことより、問題は君自身の方だ。


「もう帰らないと、ダメだよ」


「えー、せっかくお食事を用意してもらっているのに、申し訳ないから、夕飯もちゃんといただいて帰りますよ」


「夕飯は、お家で食べなさい」


俺は、北沢くんを見下ろした。


「ちゃんとおうちで家族と手を合わせて、いただきますをするのが、晩ご飯を食べる時の決まりだからね」


「えぇ? そんな風習、今どき絶滅してますよ」


やっぱり紳士的な笑顔でにこにこしながら、そんなことを言う。


「今や夫婦共働きは当たり前、家族がそれぞれ都合のいい時間に合わせて食事もしないと、それぞれの都合ってもんがありますからね、時間の有限性を考えると、それが一番効率的かつ、利便性が高いんですよ」


「じゃあ、スマホで一言連絡入れとかないと、ご両親も心配するから」


その一言は、彼の逆鱗に触れた、らしい。


北沢くんは突然大声をあげて、この世の終わりとばかりに、わめき散らした。


「おいふざけるなよ、おっさん! お前がいまやってることって、誘拐だよ? 誘拐! 俺が警察に行って泣き落としたら、絶対に俺の勝ちだからな! お前が犯罪者になるってことなんだよ、犯罪者に! 犯罪者になりたいの、お前。分かったら、余計なことすんなよ! こんなつまんねーとこ、こっちの方からさっさと出て行ってやるよ! いっとくけど、お前んちはもう覚えたからな! 逃げようったって、無駄なんだよ!」


彼はそうやって思いつくかぎりの悪態をつきながらも、大人しく店に戻って靴を履く。


「いいか! 明日もまた来てやっからな、覚悟しとけよ! お菓子もちゃんと補充してなかったら、この店に火をつけて、ここにある本、全部燃やしてやっからな!」


彼は去り際に、もう一言を付け加えてから、走り去っていった。


「ばーか!」


とにかく、ようやく帰ってくれたから、店じまいをしてから、夕飯の支度に取りかかる。


あんなの、尚子や千里に比べたら、かわいいもんだ。

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