第2話

老猫は、短い尻尾をゆらした。


「修行をすればな」


「魔法使いになったら、未来が分かる? 瞬間移動とか、空を飛べるようになれる?」


猫は大きなあくびをした。俺の心臓が騒ぎ出す。


「も、もてるようになるとか?」


これが一番大事な質問だ。


老猫は、自分の前足の付け根辺りをなめて、毛づくろいをしている。


「もてるようになるとか?」


猫は、ゆっくりと俺を見上げた。


「もてるように、なるとか!」


ピンポーン、玄関のチャイムの音。


三十歳の誕生日、俺の運命を変えるかもしれない大事な時に、一体誰が何の用だ!


「はい! どちらさまでしょうか!」


廊下を駆け抜け、コンクリートの床に飛び降り、サンダルを引っかけついでに、玄関の引き戸を開ける。


「あら、こんにちは」


その勢いで飛び込んだ俺の目の前には、齢八十は越えるかと思われるような、バアさんが立っていた。


色とりどりの華やかなレースを、みの虫のようにひらひらと全身にまとって、にこにこと立っている。


肩から斜めに、大きな黒いぼろぼろの鞄をぶらさげていて、さらになんのお香か分からないけど、鼻をつく独特の臭いが体からたちこめている。


「あの、どちらさまですか?」


バアさんは、数年はクシでといてないような、ぼさぼさの長い白髪をかき上げる。


「最近、おたくに不幸があったでしょ」


「えっ?」


「通りかかったら、どうしてもこの家から不幸の臭いがしてさぁ、あたしはそういうの、どうにも我慢できないたちでねぇ」


臭いと言えば、このバアさんの臭いも大概ひどいし独特なものだけど、それよりも無遠慮に部屋の中をのぞき込む、不幸が分かるというバアさんに、俺は驚いた。


なんでこの人は、そんなことが分かるんだろう。超能力者か天才か? 


不幸なら、この家に山ほどある。


「お金はいらないから、お祓いだけでもさせてくれない?」


それは願ってもない申し出だ。


俺は快く、降ってわいた幸運を受け入れる。


「よ、よろしくお願いします」


三十歳の誕生日、今日の俺は珍しくツイている。


この機会に、しっかりとお祓いをして、人生再出発だ。


しかも無料!


居間に上がり込んだ俺の救世主は、ぐるりと部屋を見回した。


そして、部屋の一角をキッとにらみつけると、『キエーッ!』という奇声を発してから、なにやらぶつぶつと呪文らしきものを唱え始める。


凄い迫力、本格的な本物の祈祷師のお祓い、初体験だ。


二、三分は続いた、その高貴かつ無料なお祓いを邪魔したくなかったので、俺は神妙な面持ちで、正座をしたままじっと聞きほれていた。


実にありがたい、これで俺の不運ともおさらばだ。


祈祷が終わったとき、バアさんは厳かな雰囲気で座り直し、振り返って俺を見つめた。


「あなた、毎日辛いことばかりおきてるんじゃない?」


「何でわかるんですか!」


「そりゃ分かるよ」


「本当に?」


「あたしを何だと思ってるのさ」


そのお婆さんは、急に小声になってささやく。


「あたしはね、顧客に有名人とか、政治家なんかが沢山いる、れっきとした祈祷師なんだよ。一回の祈祷で五十万円出す人もいるんだよ。そんなあたしに、ただでみてもらったって他の人にばれたら、あんたあたしの熱狂的な信者に、殺されるよ」


下から見上げるその鋭い目つき、このバアさん、やっぱタダ者じゃない。


熱狂的な信者って、どれくらいいるんだろう、一万人? それとも、百万人?


「なんでも聞いてあげるから、言ってごらんなさい」


そう言ってこの聖女は座り直し、姿勢を正して静かに目を閉じた。


俺は、改めて背筋を伸ばした。


聞いてもらいたいこと、誰にも言えなかったこと、払いのけてほしい不幸なら、有り余るほど持ってる。


「えっとですねぇ」


迷い込んできた老猫が、ぴょんと膝の上に飛び乗った。


「そこでしゃべったらイカンだろ。つーか、どうして家にあげた」


「なんで?」


「こいつは本物の祈祷師なんかじゃない、ただの詐欺師だ」


「どうして分かるの?」


「魔法の臭いがしない。コイツは、本物じゃない」


老猫は、俺を見つめて言う。


「お前が話した話しを元ネタにして、延々と話しが続くぞ。それはコイツが予見したんじゃない、お前が自分でしゃべったことを、言い換えてるだけだ」


膝の上の猫は、物知り顔で俺を見上げる。


「どうしてそんなことを?」


「それが、こいつらのやり方だ」


俺と老猫との会話に、凄腕女祈祷師が割って入る。


「どうしてそんなこと? なにか、ありましたかな?」


ゆったりと構える祈祷師に、膝の上でしゃべる猫。


「うちの不幸の臭いが分かったからここに来たんだし、それがどんな不幸で、俺が毎日どんな辛い思いをしてるかって、もう分かってるんでしょ」


「もちろん」


女祈祷師は、自信満々で答えた。


「だったら、適当なウソを言ってみろ」


「ウソ?」


膝の猫がわめく。


「絶対にあの女、答えられないぞ!」


「そんなの、失礼じゃないか」


俺は、なだめるように猫の頭をなでた。


「ウソなんかじゃ、ありませんよ、失礼なのはどちらです?」


俺と猫は、バアさんを振り返る。


このオバアさんには、この老猫の声は聞こえていないらしい。


「怪しすぎるだろ、こいつ」


自分を魔法使いだと名乗る、しゃべる猫はなかなか納得しない。


「人の不幸で商売なんて、普通しないよ」


「今に金の話しがでるぞ」

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