第119話 Bertina's perspective 4:最愛のあなたとの訣別
「今日は危険区域レベル3まで行く予定だ」
『了解』
翌朝。私たちの隊は危険区域レベル3まで行くことになった。といっても前から予定されていたことなので、準備はとうにできている。それに昨晩のことを経て、私はもう覚悟が決まっていた。
きっと、少佐が死んでしまえば私は泣いてしまうだろう。その悲しみに、胸を焦がすだろう。それでも立ち上がるだけの気概はもう手に入れていた。だってそれは、あの人にずっと頂いてきたものだから。
「ベル」
「なんですか……少佐……」
全員が会議室から出ていき、室内に残るのは私と少佐だけ。今日は同じ家から軍の基地へやってきた。その間、特に会話らしい会話はなかった。
「この作戦が終わったら、俺は特級対魔師を引退しようと思う」
「……そんな」
「分かっているだろう。もうこの体は黄昏に侵されすぎている」
「……」
「それでだが、それと同時にお前を特級対魔師に任命しよう考えている。まぁ俺の後釜だな」
「……私はまだ、24歳ですよ」
「もう技量は十分だ。心の在り方も、もう大丈夫だ。俺がいなくてもな」
「……そんなこと、そんな風に言わないで……ください……」
拳を握り締める。ずっと目標だった特級対魔師。30歳になるまでにたどり着けばいいと思っていたその頂に、たどり着けると分かって一瞬だけ私は嬉しいと思ったが……今はそんなことよりも、やはり……少佐のことがどうしても気になってしまった。
「そんな
「だって……だってッ!」
涙が頬を流れていく。ツーっと流れるそれは、止まることを知らない。感情的になるのは昨日で終わりにしよう。そう思っていたのに、やはりまだ私は弱い。人の死には慣れているつもりだった。今まで隣で仲間が死んでいくのを幾度となく見てきた。葬式に出ることもとっくに慣れきってしまった。
だが、心から愛している人が死ぬということはこんなにも心に痛みを残すのか。まるでそれは心臓に焼け焦げている鉄の棒が突き刺さっているような感覚。ずっと心に残るそれは、決して私を癒してはくれない。
「少佐も……ずっと、ずっとこんな……気持ちだった……のですか?」
涙声でそう尋ねる。これを背負った上で戦い続けるなんて、地獄だ。私はそんな問いの答えを知りたかった。
「……そうだ。大切な人が死んでも、進まないといけない。俺は特級対魔師だ。止まることは、決して許されない。お前ももう、ただの対魔師じゃない。これからは人類の希望になるんだ。その覚悟を持て」
「……はい」
少佐の目にも、涙が浮かんでいた。
互いにこの状況を嘆いている。どうして、どうしてこんなことになってしまったのか。どうして黄昏は私たちをこんなにも苦しめ続けるのか。どうして、私たちは戦い続ける必要があるのか。
本当ならば、少佐と一緒にずっと結界都市の安全なところで暮らしていたい。適当な理由をつけて、そうすることは難しいだろうけど、不可能ではない。でも私たちは戦い続けることを選ぶ。その先に死しか待っていないとしても、進むしかないのだ。
それが対魔師の務めなのだから……。
「……行くぞ、ベル」
「はい、少佐」
その言葉を聞いて、いつものようにその後ろについて行く。昔は見上げるだけだった背中。でも今は私は同じ目線に立っている。彼に才能を見出され、鍛錬を課され、それを乗り越えて、同じ立場に至ろうとしている。
本能に従うのならば、ここで抱擁の一つでも、いや……キスがしたかった。彼の温もりを感じていたかった。でもそれは昨晩で終わりだ。
それは契約。私たちが、前に進むための……。
もう抱きしめ合うことはなかった。
◇
「……え?」
その声は隣を歩いていた対魔師の声だった。私は尋常ではない殺気を感じると、すぐにその場から飛び退く。そして目の前に現れた光景は、にわかには信じ難いものだった。
ここにいる対魔師は10数名ほど。それが今の瞬間で一気に、死んだ。周囲には首のない仲間たちがいた。すでに刎ねられた首は地面に転がっていた。
そして、鮮血。至る所で血が吹き出して、体が次々と倒れていく。
――何が、何が起きている……状況は、いや敵はどこだ。
「こっちだ、娘」
後方から声がした。私はすぐに振り向くも……わずかに遅い。まずい、このままでは……首を刎ねられて……。
「ベル、気を抜くな。魔人だ」
「……そんな、少佐……私のために、そんな……」
「くそ……かなり上位の魔人だな。このレベルは流石に、初めて見るな……」
全身から汗を流す少佐。そして……彼の左腕は肩から下がすでになかった。バッサリと切断されたそれは、地面に無残に転がっている。どくどくと血が溢れるが、すぐにそれを魔法で止血すると彼は刀を構える。
「ほぅ……やるな。お前たち二人は、少しばかり強いなぁ」
魔人。今まで会ったこともあるし、倒した経験もある。だが少佐のいうとおり、この魔人は異質だ。あまりにも濃い魔素を纏っており、睨みつける眼光だけでも心臓が震えるほどに恐怖を覚える。長く伸びた尻尾がゆらゆらと揺れ、そして転がっている仲間の頭部を尻尾で突き刺すとそれを手元に持っていき……捕食した。
「……やっぱり美味くねぇな。人間は」
挑発しているのか。それともただ単に興味本位でそうしているのか。仲間の死体が辱められて、怒りで体が震える。
「ベル……いつも通り行くぞ」
「……了解」
小声でそう言われ、私は頷く。
そして私たちは、大地を駆け……魔人に向かっていった。
◇
どれほどの時間が経過したのか。私と少佐は文字どおり、全身全霊を持って魔人に相対していた。すでに私の身体中には裂傷の跡があり、血が止まることはない。しかし問題なのは少佐だった。もとより、左腕がないのが痛すぎだ。私たち刀を使う対魔師は、両手でその剣技を使う。秘剣もまた、両手でなければ発動できない。少佐は、それでも戦い続けるも……流石に私のカバーも間に合うことはなくなり……ついに、その左脚もまた跳ね飛ばされてしまう。
「……ぐッ!! ううぅうううッ……!!」
「少佐ッ!」
「ベルッ! 俺のことは気にするなッ! 戦い続けろッ!」
「……はいッ!!」
脚を切断され、腹にも致命傷をもらった少佐はそのまま後方に転がっていく。私はすぐにでも助けに行きたかった。あの傷はもう、間に合わないかもしれない。すぐに治療をしないと、早く……早くッ!!
「……小娘、強いな。人間にもここまでできるやつがいるとは」
「……黙れ。お前は絶対に……殺す」
「いいぞ。その憎悪に燃える双眸。抉り出してやりたくなる」
舌なめずりをする魔人を見て、私の怒りはもう……頂点に達していた。こいつは、こいつだけは殺す。
殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。
――確実に、殺すッ!!
「……ッ!!」
もう無我夢中だった。意識などしていない。ただ体に全ての殺意を乗せて、刀を振るう。避ける、斬る。その単純な動作を繰り返せばいい。ただ、それだけだ。私は……こいつを殺す。そう心に誓ったのだから。
「ぐッ……ここまでとはッ!!」
何か喚いているようだが、もう聞こえない。色もない。音もない。ただ白黒の世界では私は、剣の世界に没頭していた。
不思議な感覚だ。体が軽い。自分のイメージ通りに体が動く。意識する必要もない。ただ、私は一つの刀となっていた。まるで自分自身が刀の構成要素の一つになっている感覚。これが……人の外にある領域だとでも言うのだろうか。
朧月夜もまた、私の反応速度に応じてその輝きを増していく。互いに呼応する。そしてついに私は……魔人の腕を跳ね飛ばした。もちろん追撃は続ける。秘剣の中でも最速の秘剣。必中必殺の秘剣である――第八秘剣。
「――第八秘剣、紫電一閃」
超高速の電磁抜刀術。そして私は、そのまま抜刀。相手の胴体を切断するようにして、横に刀を薙いだ。
「う……ぐう……うぅう……」
呻き声を上げながら、後方に下がって行く魔人。切断には至らなかったが、致命傷には間違いない。このままさらに攻撃を重ねるようとするも……。
「ぐッ……その技量……くそッ、ここは引かせてもらうッ!」
「……待てッ!!」
逃げようとするも、逃すわけにはいかない。そう思っていたが、魔人の姿はもうなかった。
――どこに、一体どうやって……。
その瞬間、私は少佐のことを思い出した。戦闘に没頭するあまり、少佐の傷のことを忘れていた。すぐに彼のそばに駆け寄るも、その出血量はもう彼の死がすぐ側まで近づいていることを如実に物語っていた。
「少佐ッ! しっかりして下さいッ!!」
「ベルもういいんだ……」
「まだ、まだ大丈夫です……ッ!!」
すぐに少佐の元に駆け寄る。ヒューヒューとなる喉は懸命に酸素を求めているようだった。それに加えて、血が止まらない。治癒魔法をどれだけかけても、回復しない。それが示す事実は一つ。もう、間に合わない……その事実が私の脳内に過ぎる。
――嫌だ、嫌だ、嫌だッ!!
こんなところで、こんな風に別れないといけないなんて、許容できるわけがない。昨日覚悟はした。それでも、その翌日にこんなことになるなんて流石に予想はしていない。それに……少佐がこんな風に負けるなんてことも。いやあれは私の失態のせいだ。私の、私のせいで少佐は……。
「ベル……お前は特級対魔師になれる器だ……」
「何を、何を言っているんですか……?」
「先ほどの一撃。見事だった……やはりお前の剣は……魔人にも届き得る……ものだ……」
「少佐……私のせいで、少佐は……」
「ばか、気にする……な。俺はな、最後に黄昏病で……朽ちるように……死ぬんじゃなくて……大切な……愛するベルを守れて……死ねることが……嬉しいんだ……だから、そんな
ぶるぶると震えながら、真っ赤に染まるその手を少佐は私の頰に持ってくる。そして優しく、私の涙を拭ってくれた。
こんな時にも、私を励まそうとするその姿には感服を覚える。この人はどこまでいっても変わらない。少佐は、ずっと彼のままだった。もう死がすぐそばまで迫っているというのに。
この世界は残酷だ。無情にも、人間の全てを踏みにじるようにして、こんな現実を突きつけてくるのだから……。
「ベル、頼んだぞ……世界を、人類を……どうか、どうか……」
「少佐……ッ」
手を握る。ギュっとその暖かさを確かめるように、私は少佐の手を握り続ける。涙でもう、前は見えない。私はそれを懸命拭うと、最後に微笑みかける。
これが、これこそが私にできる最期の手向けだ。今まではお世話になった。本当に、本当にお世話になった。ならば、最期は笑顔で送り出そう。たとえその顔が、涙で溢れていても。
「任せてください、少佐。いや……師匠」
「はは、懐かしい……な……その……呼び方も……」
「私が師匠の分も戦い……続けます」
「あぁ……よかった。今のお前なら、安心して任せることができる……」
「はい。私に……任せてください」
「……ベル」
「……はい」
「……愛している。今までも、そして……これからも……だが、もう……別れの、時だ……達者で……な……」
「はい……はい……今まで本当にお世話になりました……」
だらりと力が抜ける。瞳孔は散大していき、脈拍も停止。
死。
師匠は死んでしまった。あれだけ強い師匠が、こんなところで、道半ばにして、死んでしまった。死んで……死んで……しまった。
徐々に理解する。もう……もう私は彼と話すことも、頭を撫でてもらうことも、抱きしめてもらうことも、剣技を教えてもらうことも、何も、何もしてもらえないのだ。
そう再認識すると胸のうちから感情が溢れ出してくる。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
その亡骸にもたれかかるようにして、私は哭き続けた。
どうして人はその尊厳を、その生を踏みにじられるのか。
私にはもう、何もわからなかった。でもたった一つだけ。この心に残るものがあった。彼のために、彼が守ってきた人類を次は私が、私が守るのだと、そう……誓った。
――でも、今は泣いてもいいよね。ねぇ、師匠……?
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