探偵事務所の採用試験

19

 

 最近、金欠だ。高校生になってからというもの、友達付き合いやらなんやらで親から貰うお小遣いでは足りなくなりつつある。今のペースで貯金を崩していれば半年ともたない。幸か不幸か校則でバイトは禁止されていないので、バイトで稼ぐのが手っ取り早い。求人情報誌を読んでると、サヨが声をかけてきた。

「そんなの読んでどうしたの?」

「バイト始めようと思って。でも高校生に出来そうなのないわね」

「バイト?そういえばウチの近所で募集しているところあったよ?」

話を聞くと、探偵事務所の事務員の仕事らしい。日中出られないけど採用されるのかな?と思ったけど、

「アタシの知り合いだからきっと大丈夫よ。高山さんの紹介です、って言っていいからさ」

とまで言われたので一応行ってみることにした。


 その探偵事務所は年季の入ったテナントビルの一室にあった。郵便受けには「湊川探偵事務所」と書かれている。

「ごめんください。先日電話した夏目と申しますが」

返事はない。時計を見たが、ちゃんとアポを取った時間と合っている。入って良いのかな、と思いつつ奥へ進む。あちらこちらに書類や本が積まれていて雑然としており、端的に言うと汚部屋だ。ソファーに座って待とうかと思い近づくと、その裏から音がする。寝言のような音だ。覗き込むと、女性が寝ていた。見た目は二十代くらい。どうしようかと悩んだけど不用心なので起こすことにした。

「あの……」

揺すると、ムニャムニャ言いながら目を開けた。見つめ合う。

「君は……誰かね?」

その声は電話で話した相手と同じだった。

「先日電話した夏目と申します」

「夏目……あぁ」

思い出したようだ。

「高山くんの紹介でバイトをしたいという」

「そうです。あの、あなたは」

「私か?私は湊川灯子。探偵だよ」


 湊川さんが向かいのソファーに座る。テーブル上の書類の山を腕で押しのけて、空いたスペースにコーヒーを置いた。

「どうも片付けが苦手でね。前の助手が辞めてからこの有様さ」

私の書いてきた履歴書を読みながら言う。

「あの、助手というのは……」

私は事務員の募集と聞いてきたのだけど。

「別に、助手でも事務員でも変わらんだろう。やって貰う仕事は部屋の整理だとか書類の整理だし」

まぁ、それはそうなんだろうけど、少し釈然としない気持ちはある。

「夏目麻衣さん、十五歳で××高校一年生で合っているね?」

「はい。そうです」

「高山くんの紹介だから人となりは信頼していいだろう。うん。じゃあ一つ試験を受けてもらいたい」

「試験、ですか」

「試験っていっても簡単なものだよ。『ウミガメのスープ』っていうゲームは知ってるかな?」

「いいえ、初耳です」

ウミガメのスープ、美味しいのだろうか。

「ウミガメのスープってのは、出題者の出す問題に対して回答者がYESかNOで答えられる質問をして、その反応から解答を推理するっていうものだ。私が出題者になるから、君が答えてくれたまえ」

この試験がどういう意味を持つのかわからないが、受けなければ始まらない。

「わかりました。お願いします」


 後で揉めても困るから、と湊川さんは解答を書いた紙を机の上に置いた。

「問題はこれだ」

そう言って私に問題の記された紙を渡してきた。それにはこう書かれていた。


『あるところに、空家になった屋敷があった。そこにはとある絵があった。しかし、その屋敷を買った主人はそれを見るなり画商を呼んで手放してしまった。何故か?』


ふむ、と私は唸った。問題を目にすると、これだけではさっぱりわからない。というよりいかようにでも言える。ここから質問を通じて可能性を絞っていくのがこのゲームの趣旨なのだろう。

「では、早速。その絵が何で描かれたかは答えに関係ありますか?」

「NO。フレスコ画みたいに動かせない絵じゃなければ油絵でも水彩画でもいいよ」

美術の素養はあまりないので、絵の具の材質なんかが関わる問いだと困るなぁと思っていたけど、その心配は無さそうで安心。質問と答えを忘れないように紙に書いておく。

「では二つ目。その絵の技法は答えに関係しますか?」

「これもNOだ。どんな技法でもいい。なんならただの落書きでもいい。まぁ落書きだと売れないか」

「つまり、答えに絵の知識は要らないんですね?」

「YESだ」

「では、絵の内容は関係ありますか?」

「これもYESだね。そこは大事だよ」

なるほど……。絵の内容が大事、ときた。これは大きな

「それでは、その買われた屋敷は日本にありますか?」

「うーん、NO、かな」

歯切れが悪い。

「YESではないですか?」

「別にYESでも良いんだが、シチュエーションとしてあまり日本では起こりえない気がするからNOで」

「なるほど」

日本ではあまり起こらない状況、ときた。うーん、どういうのがあるだろう。というかそもそも現代なのだろうか。

「そういえば、現代の話ですか?」

「YES」

現代の日本ではあまり起こらない状況らしい。なるほどわからん。

「回答って回数制限あります?」

「いや、ないよ」

じゃあ一回回答してみて、そこから反応を探るのもアリか。そういえばこれってアルバイトの採用試験だけど、間違えると影響あるのだろうか?とにかく行動に移さねばどうにもならない気がする。

「じゃあ、湊川さん。回答してみます」

冷めつつあるコーヒーを一口飲み、口を湿らせた。

「その絵は呪われていると言われる絵で、屋敷の主人は呪いを恐れて手放した。ってのはどうですか?」

「そうだなぁ。当たらずとも遠からずといえなくもないけど、違うね。呪いのような迷信だったら今の日本でいくらでも見られるだろうし」

やっぱり違うか。とはいえ、パッと思いついたのを言ってみて、「当たらずとも遠からず」と言って貰えたのは僥倖だ。あれ、「――といえなくもない」だっけ?まぁいいや。

 当たらずとも遠からずと言えなくもないっていうのは、どの点だろうか。構造自体はシンプルで弄りようがない。呪いが的中していたら正解なはずだから、それに類するものなのだろう。

「呪いではないんですよね」

「そうだね」

「じゃあ呪いに近い何かなんですか?」

「うーん、どうだろうね」

一応確認してみたが呪いではなかった。呪い……呪術……。呪術といえば、この前読んだ本に呪術と錬金術と科学の話が書かれていた。錬金術の時代には科学と呪術が未分化だったとかなんとか。あんまりよく覚えていないけど。

「絵は錬金術と関係ありますか?」

質問にも回数制限は付されていなかったはずだ。とりあえず訊いてみた。

「おお?どこから錬金術が出てきたのかはわからないけど、NOだね。ヒントになるかはわからないが、正解までの距離としては呪いと五十歩百歩だと思うよ」

錬金術も関係なさそうだ。この方面からの類推は難しいか。

 アプローチを変えてみることにする。

「例えば私がその絵を手に入れたとしたら、屋敷の主人と同じように手放しますか?」

「どうだろうね。夏目くんのパーソナリティについて詳しくないからなんとも言えないけど、多分NOだと思うよ」

原因は私に無さそうなもの、か。無いものとなるとまた難しい。大概の要因は持っていないんじゃないかと思う。悩んでいると、

「ちなみに私は積極的に手放そうとは思わないね」

と湊川さんは言った。ヒントなのだろうが、それこそ湊川さんのパーソナリティについて持ち合わせる情報がないのでヒントになっていない。それが顔に出ていたのか、再度口を開いた。

「というか、日本人の多くはしないんじゃないかな」

日本人の多くに共通する性質に起因するのだろうか。日本人と絵に関係するもの……。まず日本画が思い浮かぶが、絵の技法は関係無いと既に言われている。このアプローチも行き詰まった気がする。

 初心に返って絵の題材について考えようと思った。絵で知ってるのなんてモナリザとかナポレオンが馬に跨がってるやつとかしかない。あとはアレだ。グンニャリした時計の絵。美術の授業で見た気がする。美術史で習ったことは……遠近法……宗教画……印象派……。その時私の頭に何かが引っかかった。

 宗教画。

 現代の日本人には無宗教が多い。色々な宗教をちゃんぽんするので、メジャーな宗教の宗教画だったら出題のように「見るなり手放す」ということはないだろう。では海外ではどうか?テレビで観たが、偶像崇拝が禁止されている宗教もある。その信者が宗教画を見たら……?

「湊川さん、その絵は宗教画ですか?」

「おっ!良い質問、というかほぼ答えだね。YESだよ」

私の推論は合っていたようだ。すっかり冷め切ったコーヒーの残りを飲みきって言う。

「では二回目の回答です。その絵は宗教画だった。屋敷の主人は偶像崇拝が禁止されている宗教の信者で、その存在を認められず、すぐに手放した。どうですか?」

「素晴らしい!正解だ」

私の答えに対し、拍手をしながら言う湊川さん。解答が記された紙を私に差し出す。そこには、


『屋敷を購入した主人はムスリムだった。絵はキリスト教の神が描かれたものだった。イスラム教は偶像崇拝が禁止されていることから、神が描かれた絵を手放した』


と書かれている。私の回答とほぼ一致していると言える。

「夏目くんは知識と推理力で解答に辿り着いた。試験は合格だよ」

「あ、ありがとうございます」

そういえばコレ、アルバイトの採用試験だったな。すっかり忘れていた。

「高校で部活には入っているのかい?」

「いえ、帰宅部です」

「じゃあそうだな。とりあえず来週から、週三で来てもらえるか。十六時から十九時までの三時間、仕事は部屋の掃除とか書類整理とか。時給はこのくらいでどうだ?」

電卓で提示された数字は、この辺りの最低賃金を大きく上回るものだった。

「こんなにもらっていいんですか?」

思わず訊いてしまう。

「ん?前の助手と同額だぞ」

多くもらって困ることは多分ないので、有り難くいただくことにした。

「それではよろしく。夏目くん」

「はい。よろしくお願いします!」

こうして私の湊川探偵事務所でのアルバイトが始まったのだった。



――相場より高い賃金が、危険手当込みであることを、当時の私はまだ知らない。

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