月浜定点観測所記録集 第一巻
此瀬 朔真
七千六百二十三号書架 く 七十九区 二百九十八番 三百三巻 五百四十八頁 四十一章 八十二節 「禁書収集者の夜」
白い壁紙は抑えた照明で灰色から黒へのグラデーションに染まる。空調の稼働音がかすかに空気を揺らすほか、物音はしない。
割り当てられた部屋は実に殺風景だ。ベッドにクローゼット、ユニットバス。ホテルの一室と言えなくもないが、装飾の類が一切ない。分厚い遮光カーテンは黒一色、シーツと枕は真っ白で、深夜二時を指す壁時計はいかにもそっけない。おまけにデスクライトときたら、事務用品以外の何物でもないような出で立ちだ。
装飾を徹底的に排除した室内は、ひどく閑散としていて落ち着かない。好みの青を基調にしたインテリアを採用したかったが、備品も含めすべて支給品である部屋に文句は言えなかった。
あまりに静寂が冷たくて、わざと勢いをつけて椅子に体を預ける。背もたれのメッシュ素材まで真っ黒なオフィスチェアは、きい、と疲れた鳥のように小さく軋んで、すぐに黙ってしまった。
他の調度品と同じく無彩色の、しかし広さだけは充分すぎるほどの机にノートパソコンを広げ、津嶌は先日終えた任務について報告書を認めている。
津嶌は元々、とある地方都市の図書館に勤める司書だった。表向きとは裏腹に大部分が肉体労働であるこの職業を、津嶌は大層愛している。そのため着任した頃から誠実に仕事に取り組み、最近はそれが評価されて昇進もした。
元々出世にはまるで興味がないし、偉くなればそのぶん雑用も増えて煩わしい。それでも、日々好きな仕事に打ち込むことができ、それが評価されればもちろん嬉しい。ますます業務に励もうと思った矢先、差し出された名刺には見慣れない文字列が綴られていた。
指定書籍収集機構。
貸出カウンターの裏手には、図書館職員たちが作業をするための事務所がある。そこに隣接する小さな会議室で、津嶌は来客の男性と向かい合って座っていた。
市内で活動している民間団体が、子供向けのイベントを開きたいと申し入れてきている。内容は図書館のバックヤードを司書の案内で歩くというもの。開催にあたって現役の司書に助言を求めており、秦野さんにこれを担当してもらいたい。まずはこの日時に代表が訪ねてくるので、打ち合わせに行ってきてほしい。
上司にそう言われてきた津嶌は、受け取った名刺をしばらく無言で眺めていた。
「秦野津嶌さん。本日は、秦野さんに我々「
名刺から視線を引き剥がす。
グレーのスーツに銀縁の眼鏡、丁寧に撫でつけた髪。出で立ちも、柔和な笑みすらどこか匿名的な人物だった。男性は表情を崩さず、一枚のクリアファイルを取り出して机に滑らせ、津嶌の目の前でぴたりと止める。
男性の指先に、津嶌はふと目をやった。それは確かに血が通っている人間の爪なのに、まるで石膏から彫り出したような、ひどく冷たい硬質さを持っていた。
もちろんそれを口には出さず、ファイルの中身を取り出す。図書館ツアー、という文面が目に入る。パステルカラーに丸いフォントと、可愛らしいイラストを散りばめたそれは、それなりに手間をかけて作られたチラシであることが一目で分かる。
何も知らなければ、楽しそうなイベントだと思うだけだ。
ファイルのなかに入っていたもう一枚の名刺を見なければ。
「きっず・らいぶらりい代表、中山慎二さん」
津嶌は視線だけを上げ、ほとんど睨むように相手を見た。
「ではないのですね。あなたは」
「はい。わたくしの名前は中山ではありません」
加えて、と男性は津嶌の手元にある名刺を示す。
「そのイベントは架空のものですし、そのような名前の団体も存在しません」
手の込んだ嘘ほど恐ろしいものはない。
用意が大掛かりであるほど、それが隠す真実もまた大きいからだ。
返答するにはもっと情報が必要だと判断し、黙って首を傾げる。それを合図と受け取った男性はなおも穏やかな口調で続けた。
「大変失礼ながら、秦野さんがこちらの図書館に着任されてから現在に至るまで、我々はあなたを監視させていただきました。その結果、秦野さんは非常に優れた適性をお持ちだということが判明したのです」
まさに今、丁寧に真実が明かされている。嘘が解体されていく。そう思うだけで、背筋を冷たいものが這う。
どうする、と津嶌は自問する。
大声を上げて誰かに助けを求めることもできた。あなたにはそれが可能だと、男性の表情が物語っている。けれど、津嶌が単にそれを選択できるというだけで、この状況を打開する方法とイコールではない。
つまり。
今出ていけば、おそらく取り返しのつかないことが起きる。
迷う余裕はなかった。
「伺いたいことは山ほどありますが、ひとつだけ質問します」
津嶌は目の奥に力を込めて、男性を見つめ返した。
「あなたは、いえ、あなたたち未明書架は、一体何者ですか」
男性は頷く。津嶌の覚悟を受け取ったように、眼鏡の奥の目がほんの少し細くなった。
この世界には、禁書と呼ばれる本が存在する。
宗教や政治的な背景によるものではなく、もっと普遍的に「人類に対して」脅威を持つ本。読むだけで人を狂わせ、破滅させる本。
その正体は特別なものではない。世に出回っている、ごくありふれた本だ。
あるときは、誰もが知っている童話。これを読んだ子供が次々と精神に異常をきたし、身元を把握できた子供のうち、全員が脳になんらかの後遺症を負った。その一部は植物状態に陥り今でも病院で眠り続けている。回復の見込みは絶望的であるというのが、大方の医師の見解だ。
またあるときは、生物学の研究会が発行する論文集に投稿された、脊椎動物の目の構造についての一考察。たまたまそれを読んだ大学の教授が行方不明になり、数キロも離れた沿岸で遺体で発見された。当時は真冬にも関わらず、教授は全裸だった。
ただ読むだけで人間というシステムにバグを発生させる。均衡を崩壊させる。狂気に陥らせる。活字の飛沫と頁の波。それらが織りなす句読点と文節と段落と章とが、それを生み出した人間に牙を剥く。
「それらの本を回収し、人類から隔離し、秘匿する。それが、指定書籍収集機構「未明書架」の任務です」
男性は流れるような口調で言う。
「いつどの本が異常性を発揮するかはわかりません。ですので、未明書架は常に世界中の本を監視しています。書店や出版社はもちろん、学術機関、駅の売店、下町の喫茶店、住宅街のゴミ捨て場、美容室、高速道路のサービスエリア、工事現場のプレハブ小屋。そして、図書館も。その他ありとあらゆる場所に存在する、およそ本と名のつくものはすべてです。異常性を持つ本が発見されれば、これを禁書と認定し、回収の段階に移ります」
未明書架の「執行部」。この部署は禁書に指定された本を、文字通り根こそぎ回収する。いわば実働部隊だ。その一員となるための資格は、知識でも財産でも社会的地位でもない。ただひとつ、求められるのは特別な素質のみ。
内部では単に「耐性」と呼ばれているその能力は、禁書を読んでもその影響を受けないというだけのものだ。
禁書の持つ毒性の一切を棄却し、拒絶し、拒否する。ただそれだけだ。蔵書の書き込みを消すことも、紛失した本を探し出すこともできない。日々ひどくなる腰痛を治すこともできない。
津嶌の願望を叶えるためにはまったく役に立たない、なんの汎用性もない能力。
けれど。
文字を生み、操り、その集積として本を作り出し、ついにはそれに翻弄されることになった人類にとって、禁書に対抗する手段は「耐性」を持つ者たち以外にない。
「先ほどおっしゃった適性とは、その耐性と同義ですか」
「その通りです。具体的にどのようにして耐性を計測したかはやや込み入った話ですので、ここでは割愛しましょう。ですが、あなたの耐性レベルは現在の執行部構成員のなかでもトップクラスであることは確かです」
男性はきっぱりと言い切る。
「高い耐性を持つ人々を、未明書架では「保持者」と呼んでいます。わたくしを始め、執行部に所属していない構成員にとって大きな役割のひとつは、保持者を一人でも多く見つけ出しスカウトすることです。禁書の発生を予知できない以上、人手はいくらあっても足りないのです」
「それで、私を」
「はい。是非とも、我々にご協力いただきたいとこの度お伺いした次第です」
「わかりました」
津嶌は答える。そして、大きくひとつ息を吸う。
「では、ひとつ質問をさせていただけますか」
「はい。わたくしがお答えできることでしたら」
「先ほど本を秘匿するとおっしゃいましたね。それってつまり、焚書ですか」
「違います。文字通り『秘匿』です。本を回収し、我々が保有する書庫にすべて収蔵するのです。あなたが危惧されているようなことを我々は行いません」
男性はそう言って、苦く笑ってみせた。彼が初めて見せた表情の変化だった。
「ですから、どうか乱暴なことは控えていただけませんか」
津嶌はそこでようやく、机のしたで握り締めていた拳を解く。すっかり強張った指を苦労して開くと、血の通い出した手がすぐに痺れ始める。
津嶌一人のために手の込んだ嘘を作り上げるほどの相手に歯向かえばどうなるかはわかったものではない。それでも、本を焼くことだけはどうしても許せない。
「人類に害悪だから取り上げる。それは検閲と同じです。たまたま現代に生きている人間の傲慢に過ぎませんよ」
津嶌は固い声で抗議する。
「そうです、その通り」
男性は深く頷く。
「あなたのおっしゃることはもっともです、秦野さん。ですが禁書に指定された本は、未来永劫人の目に触れなくなるわけではありません。たまたま偶然にも、現代の人間にとって有害であると判明したから。理由はただそれだけです」
「つまり、本の秘匿は一時的なもの」
津嶌の呟きを受けて、男性は話をまとめた。
「すべての人類が本の異常性に耐えられるようになるまで隠しておく、とご理解ください。子供が分別のつく年齢になるまで、ライターを手の届かないところに仕舞っておくように」
しばらくの沈黙をおいて、津嶌は口を開く。
「私は、優れた本というものは万人の目に触れるべきであると考えています」
男性は答えず、表情のみで理解を示す。
「あなたたちの行為は、人が本に出会う機会を奪うのと同じではないんですか」
「わたくしは業務上、あなたのような考えを持つ方に多くお会いしてきました。これは不思議なことですが、保持者は本を扱う職業に就いている方のなかに多く現れる傾向があります。書店員しかり、図書館の司書しかり」
男性は軽く息をついて、言葉を続ける。
「その誰もが、あなたと同じように本を愛しています。ですから同じ質問はこれまで何回もされました。それゆえ、わたくしの答えも決まっています」
男性は再び苦笑する。しかしそれは先ほどとは違う、どこか寂しげですらある表情だった。
「世界から優れた本が失われるのは、もちろん惜しいことです。ですが、なんの罪もない人々がある日突然死ぬよりはマシです」
津嶌は口を閉ざし、男性の目をじっと見つめた。
ほんのわずかに榛色の、先ほどからみじんも逸らさない瞳には、嘘の影がない。
それを確かめて、まだ山ほどあった質問の代わりに大きくため息をつく。
反論する言葉はすぐには浮かばなかった。ここで正論を、しかも人の命なんて持ち出すのは予想外どころか卑怯だ、と津嶌は胸の内で負け惜しみを言う。
津嶌の倫理観がそれなりに強いこと、そのせいでこの手の言葉に敏感だということを、よく知っていて口に出したのだろう。
しかし、ここまで柔和で冷徹な交渉者を演じていた男性が急に見せた本心は、それなりに説得力を持っている。男性の言葉や態度が心理的なトリックであると津嶌は感じなかった。
おそらく彼自身が、過去に禁書に関わる事件に巻き込まれたのだろう。でも、今自分はそれについて聴くべきではない。
手元に置いたままの名刺を見る。
「
突然実名を呼ばれても、荒槙は背筋を伸ばしただけで動揺を見せなかった。
「万年筆を取ってきてもよろしいですか」
「はい?」
せいせいとした口調に自分でも驚きながら、津嶌は続ける。
「私のデスクにいつも置いてあるんです。司書になったときに自分で買いました。値段は張りましたけど、子供の頃からの夢が叶ったお祝いです」
荒槙は黙ったまま、津嶌の言葉を待っている。津嶌は、男性の傍らに置かれた書類鞄を示して言った。
「契約書に名前を書くときは、それに相応しい筆記具が必要だと思うんです」
軸の太い、つややかな黒の万年筆を携えて津嶌が戻ってきたとき、机のうえで白い書面が待っていた。会議室の扉を開ける寸前、気持ちを落ち着けたつもりでいたのに、名前を綴るペン先がわずかに震えてしまう。それを荒槙は何も言わず見逃す。ブルーブラックのインクは、拍子抜けするほど速やかに染み込んだ。
追ってご連絡します、と言い残して細い背中が歩み去る。それが見えなくなるまで見送って津嶌は仕事へ戻った。返却された本を山積みにしたカートを押し、書架の森を歩く。本を一冊ずつ元の場所へ戻していく。いつもは心地好いとさえ感じる冷たく固い背表紙が、今日はひどくよそよそしいものに感じられた。
そのようにして、秦野津嶌は未明書架の一人となった。
未明書架の方針に心から賛同したわけではない。
図書館に勤めているなら尚更、検閲めいたことは承服しかねた。けれど、人のために本があるのだと信じている以上、津嶌は反論する術を持たなかった。
人のためにある本が、人を殺す。それは焚書と同じくらい、あってはならないことだった。
本と人との出会いを奪うこと。人が本に狂わされ死んでいくのを見過ごすこと。一体、そのどちらが悪なのか。本の誘拐者となってから津嶌はそれを自問し続け、そして現在に至るまで天秤の両皿はぴくりとも動かない。
そうするともう、真面目に仕事をするしかないのだった。
皮肉なことに、責任と誠意を持って仕事に取り組む津嶌の性質は、未明書架においても否応なしに発揮された。執行部内でもすぐに頭角を現し、さほど時間をかけずに単独で回収を任されるようになった
過去に読んだ本。まだ読んだことのない本。対象は様々だった。津嶌は懺悔の代わりに、書庫へと封印された数多の本たちが再び世界へ旅立つ日を夢想した。解き放たれた本が出会うべき人に出会い、新たな物語を紡ぐことを願った。
狂気ではなく感動を。死ではなく息吹を。破滅ではなく、創造を。
本と人との交流と、そこから始まるすべてが、いつか現実になることを祈った。
禁書収蔵のための書庫が「方舟」と呼ばれていることを知ったのは、随分後になってからだ。厄災の波濤を越え、本と人との新約のときまで長い漂流を続ける方舟。再会の日への誓い。たとえどんなに遠い未来だったとしても、希望を託すことはできる。
おとぎ話と言えばそれまでだ。
けれどそれは少なからず、津嶌の心を慰めたのだった。
背もたれに体を預け、天井を眺めていた津嶌が不意に立ち上がった。机に背を向け、ノートパソコンの脇に置かれた一冊の本を取ってベッドに身を投げ出す。手さぐりで枕元のランプを灯すと辺りはやわらかい光に照らし出された。真鍮の外装が鈍く輝き、ガラスの火屋のなかで小さな三日月が輝いている。
ランプの灯りを頼りにぱらぱらと本をめくる。生前に出版された唯一の詩集。回収された本のなかから、報告書の資料に使うと適当に理由をつけて持ち出してきた。それは津嶌が、幼い頃から繰り返し、繰り返し読んできた本でもあった。たとえ意味するところはわからなくても、これは自分にとって大切な本なのだとどこかでわかっていた。
今回の報告書がなかなか書き進められない理由を、津嶌は既に知っている。
未明書架執行部に所属する者たちのほとんどが逃れることのできない悲しみ。津嶌も同じく、それに苛まれていた。
まったく報われない仕事だ。
愛した本を、魂を削って生み出された言葉を、自らの手で封印するなんて。
冒頭を、声でなぞるように読む。
「『わたくしといふ現象は』」
未明書架に所属する者は、みな生きる書庫なのだ。
以前同僚が、そんな話をしてくれた。
書庫に収められた本はそれ以降誰にも読まれない。すなわち、読まれない本は忘れられる運命にある。唯一その存在を覚えていられるのは未明書架の人間だけ。ならば、自らの手で集め封じたその本が確かにこの世界にあったことを、決して忘れないでいることも、また自分たちの使命と言えるのではないか。
昼間は書店の、とりわけ児童書を取り扱うスタッフとして働いていると教えてくれた同僚の目は、固く閉ざされた書庫の扉の向こうへ向けられていた。
「『仮定された有機交流電燈の』」
綴られた文字を噛み締めるように、読む。声を出す。空気を震わせる。唇に、舌に、喉に、耳に、目に、心に刻み込む。
土に立ち、現実に学び、理想に生き、病んだ体で呼吸し、貧しい農村と灰色の都市を駆け回り、人に語り自然に問い、力の限りに幻想を綴り、そこへ限りない祈りを託してこの世を去った、一人の青年の言葉を。
「『ひとつの青い照明です』」
耐え難い寂しさと後悔を決して忘れないために、読む。
これまで何冊の本を封じてきたか、既に数えるのはやめていた。多かろうと、少なかろうと、罪の深さは変わらない。
なぜ本が人間に害をなすのか。
未明書架はそれを、「作品を受け取る人間のほうが変わったから」と説明する。だから人類は本を遠ざける。治療法のない病にかかった患者を隔離するように。
再び人類が変わるときを待って。いつかの未来に、誰かがワクチンを発明することを祈って。
これは人類への罰なのかもしれない、と津嶌は思う。
『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』。
人はあまりにも変わり過ぎ、世界はあまりにも、断絶し過ぎたのかもしれない。
「『すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの』」
彼の祈りはもはや無意味と同義だ。死に損なった理想主義者の戯言と嘲笑られ、顧みる人すらいない。
「『すべてがわたくしの中のみんなであるように』」
青年が書き残したその言葉は、現代では既に意味を為さない。個人とは飢えにのみ従う獣であり、世界はその群れに食い荒らされる庭になり下がった。
荒れ果てた庭に再び彼の本が開かれるとき、自分はまだ生きているだろうか。
「……『みんなのおのおののなかのすべてですから』」
祈りに似た津嶌の声に、三日月が静かに揺れた。
部屋の隅まで染み渡った夜の気配が声を吸い取っていく。それを聞き届けて、そっと本を閉じた。『春と修羅』の文字を乾いた手が撫でる。
ランプを消す。津嶌はベッドから起き上がり、再び机に向かってキーボードを叩き始めた。
■■■■年九月二十一日
担当者氏名 秦野津嶌
所属 執行部第三十七班
回収報告書
禁書指定対象第一〇二二号「宮沢賢治(幻想明度 409,536 区分値A+)」
事例報告一
■■■■年■■月■■日、■■県■■市立図書館にて初号感染を確認。
対象書籍は『やまなし』。
被害者は■■歳の児童。対象書籍を閲覧した■日後の■■月■■日夜自宅から脱走し行方不明となる。翌朝、近所の■■■■川にて溺死体で発見される。
この日は満月であった。
これを受け、書籍『やまなし』を禁書に指定、同日全冊回収。
事例報告二
■■■■年■■月■■日、■■県■■■■町■■■幼稚園にて集団感染を確認。
対象書籍は『水仙月の四日』。
被害者は■歳から■歳までの園児■人、幼稚園教諭■人。対象書籍を園児らに読み聞かせた後に集団失踪。■日後、厳冬期の山中にて発見される。全員死亡を確認。
幼児の一人が「雪婆んごが来る」と発言していたという証言あり。
これを受け、書籍『水仙月の四日』を禁書に指定、同日全冊回収。
事例報告三
■■■■年■■月■■日、■■府■■■■町■■集落にて集団感染を確認。
対象書籍は『毒もみのすきな署長さん』。
地下水に毒物が混入され、集落の住人全員が死亡した。犯人はこの集落に住む■■歳の少女。捜査員に偽装した執行部員に身柄を保護されたが、事情聴取中に隠し持っていた毒物で自殺。
現地調査の結果、当該集落に存在する池沼のすべてから同一成分の毒物が検出された。同時に少女宅から対象書籍が発見された。
これを受け、対象書籍を禁書に指定、同日全冊回収。
以上の事例をもって、■■■■年■■月■■日に宮沢賢治の全著作・全書籍を禁書に指定。
同日、回収計画を発動。
回収状況
本報告書の作成日までに回収の完了した書籍は第百十三号書庫五一〇一区画に収容済み。詳細は別紙参照のこと。
今後は体制 M30 で本の流通を監視予定。
以下は報告者による所感である。
宮沢賢治の生まれ育った日本国東北地域は、有史から自然災害の多発する地域として知られる。
賢治の短い生涯のなかでも、地震や津波、異常気象、さらにこれを原因とする農作物の大規模な不作が繰り返し起きている。そのような過酷な環境が作品にも色濃く反映されており、賢治の生涯にも深い影を落としていたことが読み取れる。
災害とは地球上で発生する自然現象の一部であり、我々人類にとっての脅威であるものに対し、特別な呼称を与えているだけに過ぎない。そこに他者を害そうとする意思、または圧倒しようとする意思は存在しない。
禁書という存在も、これと同じ性質を持つのではないだろうか。
禁書は読んだ人間を害する。人間を害するものであるから、他の本と区別され回収される。しかし禁書自体に、あるいは禁書となった書籍の作者に、他者への害意は存在しない。
人類が存在する以上禁書は無数に発生する。ゆえに我々は禁書の排除ではなく、禁書と共存していくための道を模索していくべきであると考える。それは同時に、我々人類の在り方を問うことにも繋がっていくのではないだろうか。
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