第7話 山茶花

 ひたむきとはどっちなのか、それを考えているだけで午後の授業が終わってしまった。大学の授業はどれをとっても退屈だった。高校の時、あれほど受験勉強に時間を割いていたのに、いざ入学してみると、そこには怠惰の海が広がっているだけだった。結局、大学はこの国の最高教育機関ではなく、企業就職予備校なのだ。そして将来の役に立つ教科は、残念ながらこのキャンパスの中にはない。

 それでも授業に出ているのは、単に暇だったからだ。人の話をただ聞いているのはいい暇つぶしになる。そしてぼんやりと、どうでもいいことを考えている。それが僕の日常だった。


 シオリと出会ったのも、そんな戯れの時間の中だった。当時、サークル活動に傾倒していた僕は、同じ学年のシオリとよく行動を共にしていた。文学部の彼女とはキャンパスが違い、サークルでしか話す機会はなかったが、妙に気があった。

 サークルは民俗文化研究会という硬い名前の組織だったが、その実態はただの飲みサークルだった。日本人の心でもある酒を通じて日本人がこれまで培ってきた精神を体現する、というのがサークルのスローガンだった。何をするのにも理由が必要で、そして理由さえあれば、人は簡単に一つの方向に向かう。僕たちはそうして毎日のように大学近くの穴蔵のような居酒屋に集い、酒を酌みかしていた。果てることのない時間をその場所で過ごし、何かを得て、何かを失っていた。


「サトルは、どうしてこのサークルに入ったの?」その日、焼酎のグラスを片手にサオリが首をかしげた。乾杯のビールから始まり、間に酎ハイを挟んで焼酎に移行しても、サオリの顔色は全く変わらない。それに比べて僕は、先輩から勧められるがまま杯を乾かし、すでに管を巻いていた。

「どうしてって、日本の民俗学の発展に祝して、乾杯!」自分でも何を話したかはうろ覚えだ。でもそこで、「シオリといると楽しいから」と言えなかったのは確かだ。

「乾杯」シオリが僕のグラスにちん、とグラスを合わせる音は今でも耳に焼きついている。その時、僕はどうして酔いつぶれてしまったのだろう。


 キャンパスをあてもなく歩く。広場に出た。右に曲がればサークル等のあるキャンパスに行ける。直進するれば図書館で、左に行けば学生街へと続く門がある。僕はその分岐点で立ち止まった。どの方向に向かっても、僕の未来は明るくない気がした。いっそこのまま、ここで佇んでいてもいいくらいだ。

 あの日、酔いつぶれた僕を心配し、シオリは駅まで連れて行ってくれた。間近に感じる彼女の体温が秋の風に吹かれていたのを思い出す。少しずつ視界が開けて、気分も回復していった。改札の前で手を振るシオリに大きく手を振り返し、僕は改札を入って行った。シオリが交通事故にあったのは、そのすぐ後だった。


 僕の目の前には、赤い山茶花が咲いていた。銀杏並木がすっかり葉を黄色に染め、アスファルトにはらはらと舞い落ちているのに、山茶花は葉を青々とさせ、花は深い赤色をしていた。燃えるように力強く開く花弁は、さざめく周りの学生や北風をものともせず、ただそこにあった。

 シオリは数日間生死の境をさまよい、ついに帰らぬ人となった。漠然と過ぎてく時間をただただ浪費するだけの学生生活は、そうした人の生き死にとは最も離れた場所にあると、頭のどこかで思っていた。シオリとはあの洞穴のような酒場でいつまでも盃を酌み交わし、そしていつか恋人同士になって。密かに抱いていた感情も何も、永遠に届かない、遠い場所へ行ってしまった。


 サークルには顔を出さなくなった。僕はただ、暇つぶしのために授業に出て、ひたすら自分の人生のページにシオリの存在を探し続けた。栞が見つからなければどこまで読んだのか分からないように、僕自身の存在さえあやふやになりそうで、山茶花の咲くキャンパスで一人、僕は途方に暮れていた。

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