砲火の記述者-unknown notes-
三木桜
プロローグ
創世の賢者この地より生まれ世界を記述す
その賢者は世界を放浪し その全てを見定めん
賢者は一人にあらず
その賢者は記述を統率し その全てを見定めん
創世の二人の賢者 世界を創造し
また何処かへと消えゆかん
◆
赤い柄の片刃剣一振り、そして見た事もない鈍い光沢を放つ黒い鉄の塊体が一つ。その男が手にしていた物はそれだけであった。剣はともかくあのL字型の黒いものは何だろう、と少年は興味深く観察した。それが何かはわからなかったが、それは恐らく凶器―――人を殺す何かだという事は雰囲気で分かった。
持ち主である大柄の男は、黒いマントを頭からかぶり顔はよく見えない。しかし時折マントの奥から覗く眼光は、氷のように冷たく、見るものを震わせた。恐ろしいのは男の持つ凶器ではない、この男そのものが、まるでひと振りの鋭利な刃物の様で、周囲の人間に恐怖を与えた。
少年がこの男に出会ったのは、広大な砂漠を渡るために乗り込んだ乗合馬車の中だった。何日も馬車に揺られて長い旅路を行く少年他、旅の者たち。その中にその男の姿はあった。旅行者と言うには余りに身軽で、だが余りにも物々しい。乗り合わせたのは偶然か必然か、幸運か、はたまた不運か。奇怪な旅の道連れに、乗客は誰ひとりとして近づこうとはしなかった。
馬車が砂漠に差し掛かった頃、突然馬車が堰を切ったように加速し始めた。馬が御者に鞭打たれ、嘶いななきながら全力疾走を始める。何事かと馬車の中の客たちの間で不穏な空気が漂う。が、窓の外を覗き見た一人が信じられないという顔で悲鳴を上げた。
「砂虫だ!」
その叫びを聞いた途端、乗客は瞬く間にパニックに陥った。同時に馬車の外で、ドオォンと鈍い地響きが鳴る。少年は窓の外に一瞬、巨大な砂虫の触角とギラリと獲物を値踏みする黒い瞳を見た。
「くそっ、急げ!急げ!」
御者は一心不乱に馬を鞭打つ。しかし、砂漠の砂に足を取られて思うように速度が出ない。永遠のように感じられた長い疾走の果て、とうとう限界を迎えた馬たちが弱弱しげに鳴き、速度を落とし始めた時、再びドオォンと地響きが身を打って、次にズルズルと何かが砂の上を這いずる音が確かに聴こえてきた。いよいよこの化物は、この馬車―――獲物を補足し、食事の体勢を整えたのだ。
誰もがもう駄目だと諦めかけていた。老婦人がゆっくりと祈りを唱える声が聴こえた。
その時一人の客が立ちあがった。誰もが近づこうとしなかった、あのマントの男だ。男は荒く揺れる馬車の中でも揺るぎない足取りで、馬車の後方へ向かい、荷降ろし用の大扉を開け放つ。乾いた砂埃が馬車の中に舞い込んできた。砂の中を目を凝らして凝視すると、まるで蜃気楼のように大きな怪物が、眼前に迫る。
怪物と乗客の狭間に立った男は、焦る様子一つ見せず、マントの下から腰に提げた赤い片刃の剣を恐るべき速度で抜きさった。刹那―――、数メートルは離れていた怪物の胴体部分に赤い線が浮かび、次の瞬間その線が勢いよく切り開かれ、尋常ではないほどの鮮血が飛び散った。砂虫は鳴き声にもならない絶叫をあげ、ぱっくりと切り開かれた胸の痛みにもだえ苦しむ。すかさず男は左手であの例の黒い塊体を構えた。ゆっくりと致命傷を負った怪物に照準を合わせる。
その時少年は摩訶不思議なものを目にした。凶器を構えた男の左手から腕にかけて、何か白い帯状の物がうねるように巻きついていたのだ。まるで意思を持つ虫のように蠢くそれは、男の持つそれに集結し、やがて男の手首ごとすっかりと覆った。そして―――、
ダァン。大きな爆発音が一発。その帯状の何かを巻き込むように筒状の部分から強力な衝撃波が発射され、大きな白い閃光弾となって怪物の裂けた傷口に命中する。胸を切り裂かれ露わになった心臓を抉り、さらには胸を貫通し、骨を砕き、背を抜けて大きな風穴が出来あがった。砂虫の胸元から、その向うの澄んだ空が見える。やがて、力尽きた砂虫は、豪快な音を立てて倒れ、静かに絶命した。
男は砂漠に現れた砂虫をたった一人で屠ってしまった。砂虫の全長は大人の背丈五十人分はゆうにある。今まで何人もの旅人や行商人を腹に収めてきた怪物だ。だがこの砂漠の主は、自身の牙よりも小さな人間の手によってその生涯を終えていった。
他の旅行者たちは、主の身体が深い砂に沈んでいく様を茫然と眺め、やがて誰からともなく男に対して熱烈な謝辞を贈っていた。
◆
砂虫の襲撃にあったその日の夜、満天の星空の下で、少年たちは宴を楽しんでいた。宴と言っても、自分たちは旅行中の身で、せいぜいいつもよりも多めの干し肉を使ったスープをすすり、乗り合わせた音楽家のリュートに合わせて、若い娘が火の周りをくるくると舞を舞うだけだった。そんなささやかな催しでも旅人たちは、共に腹を抱えて笑い語り合う。故郷も行き先も違う、ただその時同じ馬車に乗り合わせた旅人たち。だが彼らの心は今日を生きる楽しさと明日を迎えられる喜びで満ち溢れていた。彼らの中心でパチパチと火がはぜる。その火の粉は、まるで彼らを祝福する精霊のように、彼らを包み空へと撒きあがった。
そんな煌びやかな光の渦から、一人離れた場所で空を見上げる者がいた。闇の中にそのまま溶けてしまいそうな黒いマントを纏った男。たった一人で砂虫を屠った、本日の功労者である。少年はその黒ずくめの影を薄闇に確認すると、そっとその影に近づいた。
「星を見ているの?」
少年が男の背に呼び掛けると、男はゆっくりと後ろを振りかぶった。マントの奥から覗く氷のような視線が少年を貫くが、少年は不思議とその視線に畏怖を感じなかった。
「……空を見ていただけだ」
「だから星を見てたんじゃないの?」
「星は見ていない」
それきり男は黙ってしまった。少年はなんだかよくわからない問答を突き付けられたようで困ってしまう。少年は男と同じように上を見上げてみた。
星を見ずに空を見る。空を見て見えたものは―――
「……真っ暗だ」
ぽつりと少年は呟いた。
「真っ暗で何も見えないよ」
もう一度呟くと、隣からそうだな、とぶっきらぼうな声がした。
「人は明るいものと暗いものがあると、本能的に明るいものを認識するんだ。真っ暗な闇の中でほんの一筋の光があれば、人はそれに向かって手を伸ばす。逆に明るい世界にいるとたとえどんなに大きな暗闇があってもそれを見ようとはしない。目をそむけ必死に遠ざかろうとする」
男の言葉に少年は疑問符を浮かべた。それに構わず、男は淡々と語り続ける。
「でもその闇の中にも声があり、温度があるかもしれない。誰かを待っている者がいるかもしれない。だから俺は闇を見るんだ。誰もそこに目を向けずとも、俺だけが気づいてあげられるように」
スッと男は空に向けて手を伸ばした。頭のフードの部分がするりと落ちる。少年の目に美しい銀の輝きが映った。どこまでも澄んだ銀色の瞳は、夜空に浮かぶ星空や背後で揺らめく炎の光を受けて乱反射を繰り返す。
彼が話す、光と闇があるのだとしたら、彼の瞳は間違いなく光だ。少年はなんとなくそう思いながら、遠くを見つめる男を見ていた。
「……なんだか絵本の物語の世界みたいだ」
男が話す光と闇の物語に対してか、それとも男の存在そのものに対してか、よくわからないまま少年はぽつりと呟いた。
「物語の世界か……、確かにこれはある意味伝承の話なんだがな」
そう言うと男は少年に向き直る。マントを被っていた時は分からなかったが、男は鋭い目つきではあるが、けっして恐怖を感じるものではない。むしろ温かな光を帯びている。
「伝承?」
「そう、闇の中にも生命はあるって言うのは、賢者の言葉なんだ」
「賢者……、もしかして『創世の二人の賢者』のこと?」
少年が尋ねると、男はコクリと頷いた。『創世の二人の賢者』とはこの世界で古くから語り継がれてきた伝承で、絵本にもなっており幼い子供でも一度は耳に振れたことのある名だ。少年も幼き日に母親に読み聞かせてもらったことがある。ベッドに横たわる少年の傍らで優しく読み聞かせてくれた母の顔を思い出して、たまらず胸を抑えた。
「どうした?」
少年の異変に気づき、男は少年の顔を覗き込んだ。
「お母さん…元気にしてるかな?」
「…母親と離れて暮らしているのか?」
そう問いかける男に、少年は母親とは幼い頃別離したこと、そして会いたいという思いを胸に母親に会いに行く決意をし、旅を始めたことを話した。一通り話し終わると、ポンと少年の頭に大きくて暖かい手が乗せられた。
「……頑張ったんだな」
そう囁いた男の声はどこまでも優しく、少年はまた涙を浮かべそうになった。
感情の波が少しおさまってから、今度は少年から男に問いかけた。
「あなたはどうして旅をしてるの?行先はどこ?」
「……行先は決まってない。どうして旅をしているのかと言われれば……ちょっと長くなるな」
男はうつむくと、遠い過去に思いを馳せるように目を閉じた。
「せっかくだから聞かせてよ。夜はまだまだ長いんだし」
後ろで宴に興じている大人たちも、まだまだ眠る様子はない。きっと明け方近くまでこの明かりは消えないだろう。
再び目を開いた男は、ゆっくりと顔をあげてぽつりぽつりと彼の物語を語り始めた。
夜はまだ、明けない。
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