人界侵攻
長い年月が過ぎた。
多くの人と出会い、そして別れる。それが言葉を二、三交わしただけの人だけかもしれないし、無二の親友かもしれないが、人との別れはいつだって寂しい。
それが人でなくても同じだ。命という物があるのかは分からないが、意思の疎通はできた。その疎通ができなくなれば、やっぱり寂しいものだ。
ジェイは、体が限界を迎えていることを知らせてこなかった。
それを知ったのは魔石が割れてから三日経った後だ。あの狼が迷宮都市にやって来て、それを知らせてくれた。
そして狼が持って来たメモ帳にはジェイが書いたと思われる文字があった。内容は、私の本の管理をダズマの血筋に頼んだ事、そして、本屋も同じように頼んだ事だ。
事務的だなと思っていたら、最後に「楽しかったよ!」と書いてあった。
アイツとはタダの知り合いだが、一緒に長く生きた仲だ。あの頃の事を知っている奴がいなくなるのは友達でなくても寂しかったな。
ただ、形見として、レオの本体である魔剣ダーインスレイヴと、ジェイの本体である仮面を貰えた。狼が亜空間に入れて持ってきてくれたのだ。
狼は私にその形見を渡すと、一度だけ吠えてどこかへ行ってしまった。狼も魔素の体だ。限界が分かっているはずなので、どこか静かなところへ行ったのだろう。狼の最後がどうなったのかは知らないが、安らかな最後だったと思う事にしよう。
『フェル様、さっきから剣と仮面を見ているようですが、どうかされましたか?』
何もない部屋にアビスの声が響いた。どうやら魔剣と仮面を見て止まっていたようだ。
「ちょっと昔の事を思い出していた。ジェイは殺しても死なない感じだったんだけどな」
『ずいぶんと古い話ですね』
あれから三百年くらいだろうか。いや、三百五十年くらい? それとも、三百六十年か? 私が本を出した頃だからそのくらいだろう。
最近は時間の流れがよく分からない。数年前なんてつい昨日の事のようだ。精神や体は若いはずなのに時間の感覚が曖昧なのは長く生き過ぎたからかな。エルフがのんびりなのも分かる気がする。
魔剣と仮面を亜空間にしまってから、体を反らして大きく伸びをした。
「亜空間の中を整理しようと思ったら懐かしい物を見つけたんでな、つい色々考えて込んでしまった」
『ああ、なるほど。掃除で本を捨てようと思ったら読んでしまうという心理ですね?』
「分かるような分からないようなたとえだな。まあ、それはいい。何か用事か? 私が動かなかったから声を掛けた訳でもないだろ?」
『ええ、実はウロボロスから連絡がありました。もしかすると、魔族が人界へ攻め込むかもしれないようです』
一瞬、アビスが何を言っているのか分からなかった。魔族が人界へ攻め込むと言ったのか?
「なんでそんなことになってる? 確か魔王がそれを押さえているはずだよな? 魔王の仕事の一つのはずだが」
『その魔王が負けて新たな魔族が魔王になったようですね。前魔王が意識不明の重体で魔王のやるべきことが引き継がれていません。フェル様の名前も伝わっていないでしょう』
「それはまた……ほかに止める奴はいなかったのか?」
『いないみたいですね。まあ、今の魔王を止められるなら、その魔族が魔王やってますから』
面倒くさいことになったな……いや、むしろこんなに長い期間大丈夫だったことに喜ぶべきか。今までは私が何かしなくても魔族は魔族だけで頑張ってくれていた。それがちょっと駄目になっただけだ。
これは私が行かないとダメだろう。魔族も人界でそれなりの地位を築けた。それを台無しにされたら困る。それに侵攻というのはおそらく移住も含んでいるのだろう。ウロボロスから魔族が離れようとしたら、また閉じ込められてしまう。
そういえば、攻め込むかもしれない、って話だったな。ならまだ攻め込まない可能性もあるのか?
「どれくらいの確率で攻め込むか聞いているか?」
『聞いてはいませんが、かなり高いです。せめて前魔王の目が覚めれば可能性はあるのですが、ちょっと無理そうですね。それにもう戦う準備は整って、明日には攻め込むそうです』
「それを早く言えよ。のんびりしている場合じゃないだろうが……あ、今日はセラと夕飯を食う約束だった。頭を下げたくはないが仕方ないな」
セラに念話を送った。
「セラか? フェルだが」
『あら、どうしたの? そろそろ迷宮都市に着くわよ?』
「すまん、ちょっと急用ができて魔界へ行くことになった。悪いが食事は明日にしてくれないか?」
『そうなの? まあ、仕方ないわね。でも、魔界に行くなんて何があったの?』
「新しい魔王が人界へ攻め込んでくるみたいでな。ちょっと止めてくる」
『急いで行って。でも、約束は約束なんだから、明日はフェルが奢りなさいよ?』
「分かった分かった。いくらでも奢ってやる。それじゃ、すまん。またな」
『ええ、気を付けてね』
これでセラの方は何とかなったな。さて、魔界へ行くか。おっと、その前に聞いておかないと。
「アビス、魔王の名前ってなんだ?」
『アールですね。魔王アール。まだ二十三ですが、かなりの強さらしいですよ。強力なユニークスキルを持っているそうで、いままで負けなしとか』
「私に負けたら傷つくか?」
『ちょっと傲慢なところがあるらしいので、少しくらいへこませた方がいいんじゃないですかね?』
それはどうかと思うが、強さに頼り切っているだけじゃ魔王は務まらない。上には上がいることを教えてやるか……ちょっと偉そうだったかな。
「とりあえず、殴って分からせることにしよう。それじゃ行ってくる」
『行ってらっしゃいませ。あ、ついでに魔界の魔神城でなにか面白い物を拾って来てくれませんか? 旧世界の物とか。クロノスでも可』
「もっと緊張感を持ってくれ。遊びに行くわけじゃないんだから」
大体、アビスなら自分で行けと言いたい。
さて、とっとと済ませるか。
魔界への転移門を開き、その門を通った。
転移先は開かずの間と呼ばれる場所だ。相変わらず埃っぽい。
「ウロボロス、聞こえるか?」
『ああ、聞こえる。どうやらアビスから聞いたようだな。分かっていると思うが、このウロボロスから大量の魔族がいなくなるのは困る。何とかしてくれ』
「酷い丸投げだが、仕方ないな。魔王アールはどこにいる?」
『謁見の間だ。玉座に座って明日の事でも考えているのだろう。止めるなら今日だぞ?』
「分かってる。もうちょっと早く言ってくれれば、もっと楽だったのに」
『ギリギリまで魔族を信じようと思っただけだ。それにフェルの手を煩わせずに魔族だけで考えを変えられるかどうかも知りたかったからな。結果はこの有様だが』
連絡は欲しかったな。急だったからセラに奢る羽目になったし。
「魔王から情報を受け継げないと、こういう結果になるんだろう……魔王の決め方を変えた方がいいのかもしれないな。一番強い奴が魔王っていうのは、分かりやすいけど危ない」
『魔王の覇気を持たない魔族が魔王をやるのだ。強さ以外で魔王を名乗るのは難しいだろう……お前が魔王でいれば、なんの問題もないのだが』
私が魔王、か。
イブはもう倒したし、魔王様の場所も把握している。私が個人的に優先しなくてはいけないことは何もない。でも、魔王のシステムで選ばれた魔王が魔族の王であることが正しい事だとは思えない。
魔族が決めた王が魔王をやるべきだ。
「私が魔王なのは名前だけだ。本当の魔族の王は魔族が決めるべきだと思う。大体、私はイブに魔王にされたんだ。システムにも選ばれていない普通の魔族だぞ?」
『だからこそ、フェルは魔族の王をやるべきだと思うのだが……言っても詮無き事か。時間を取らせたな、それじゃ頼むぞ』
勝手に納得したようだ。さて、謁見の間へ行くか。
開かずの間を出て、謁見の間へ移動する。ウロボロスの中はかなり慌ただしい。明日、人界へ攻め込むと言う事で魔族が色々と準備をしているようだ。
人界へ攻め込み、そこに住むことで、ここよりもいい生活が送れると考えているのだろう。確かにここに住むよりはいい生活が送れる。それは間違いない。
このウロボロスへ一定人数の魔族を閉じ込めているのは、魔界の浄化をするためだ。ウロボロスがクロノスへエネルギーを送り、それを使ってクロノスが魔界の魔素を浄化している。そのエネルギーを作り出すために魔族はここにいる必要がある。
オリスアやサルガナがここに残ることを選択してくれた。そして私はそれに甘えた。
あの時の判断は正しかったのだろうか。
犠牲を出してでも、人界へ移住していれば、魔族の皆にもっといい生活を与えられたかもしれない。いまだにあれが正しかったかどうか分からない。でも、約束をした。魔族のみんなが魔界を浄化して、その浄化された魔界をこの目で見ると。
今の魔族達には関係のない話だろう。聞けば先祖が勝手に約束したことだと怒るかもしれない。あの約束を叶えて欲しいと思うのは私のワガママだ。そのために今のみんなに苦しい思いをさせている。
少しだけ、気が進まないな。今の魔王は正しいことをしている可能性がある。私がそれを止めていいのだろうか。人界へ攻め込むのは駄目だが、移住するだけならそれもアリなのかも。
そんなことを考えていたら、言い争う声が聞こえてきた。
「魔王様の考えは分かるが、人界へ攻め込むのはどうかと思う。ちょっと意見してくる」
「そんな意見が通るわけないだろ? 攻め込むのは明日だぞ?」
「でもよ、いままで俺達がここにいるのは魔神様との約束があるからだろ? 今の俺達がいるのはそのおかげだ。魔神様だって本当は魔族をここから連れ出したかったけど、犠牲が出るから思い留まったって歴史で教わったじゃねぇか」
「そうだけど、俺達の意見を聞いてくれるわけないだろ? せめて前魔王様がお目覚めになってくれれば可能性はあるんだけど」
意外だ。そんな話を今の魔族が知っているのか。それに人界へ攻め込むのに否定的な奴らもいるんだな。それにその二人に人が集まって色々と意見を出している。どちらかというと侵攻しては駄目だという方が多いか。
「ねえねえ、お姉ちゃんはどう思う? 侵攻派? それとも現状維持派?」
魔族の子共がズボンのすそをひっぱりながら、そんなことを聞いてきた。こんな子供でも、意見はあるのだろうか。
「お前はどっちがいい?」
「現状維持かな! だって魔神様に浄化された魔界を見てもらいたいもん! ご先祖様がそういう約束をしたってこの間勉強したからね!」
魔界の浄化の事まで知っているのか。色々教えているんだな。でも、それは当時の魔族がした約束だ。今の魔族には関係がない。
「ご先祖様がした約束を今の魔族が守る必要はないんじゃないか? それにここの生活は苦しいだろ?」
「なんで? 魔族が魔神様と約束したことなんだよ? ご先祖様とか今の魔族とか関係ないでしょ? それにここの生活は苦しいって言ってるけど、大昔なんかはもっと酷かったらしいよ。それに比べたら天国だって本に書いてあった。お姉ちゃん、ちゃんと勉強してないでしょ?」
この子の中では、今とか昔とか関係なく魔族が魔神と約束したことだと認識しているのか。いや、それともそう教わっているのかな。それに私は勉強不足か……そのとおりだな。
子供の方を見て少しだけ笑ってから、子供の頭を撫でた。
「実は私も現状維持派だ。ちょっと魔王に意見してこよう。約束は守るべきだからな」
子供は笑顔で頷くと、大人達の輪へ入って行った。
あの頃の決断が正しいかどうかは分からない。でも、あの頃のみんなは私に言ってくれた。浄化された魔界を見せると。なら、その約束を守って貰おう。正しかったかどうかはその時に判断すればいい。
謁見の間の扉が見えた。
さあ、説得だ。
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