幸せな時間

 

 ローズガーデンから外にでると、もう夕日が眩しい時間だった。


 迷宮都市の周囲には壁があって、あの頃のような風景ではない。でもこの時間帯に感じる寂しさはあの頃と同じだな。


 帰ろう。アビスにある「何もない部屋」ではなく、妖精王国にある私の部屋に帰ろう。掃除はしてくれていたようだし、泊っても大丈夫だと思う。


 それにしても随分と遅くなってしまった。すぐに戻るつもりだったのだが、子供達にリエルの話をせがまれてついつい時間が経ってしまったからな。すぐ隣の建物だし、アビスを先に妖精王国へ戻していたから大丈夫だとは思うが、どんな感じだろうか。


 妖精王国の食堂へ足を踏み入れたら、ちょっと驚いた。


 昼間にいたような人相の悪そうな奴らではないが、多くの人が楽しそうに飲み食いしている。格好から考えて冒険者だろう。


 それにメイドギルドの制服でウェイトレスをしているメイドが何人かいる。それに意外な人物がウェイトレスをしていた。


「ようやく戻って来てくれましたか」


「アビス、何やってんだ?」


「見ての通り、ウェイトレスです。ハーミアさんにどうしてもと頼まれまして。給仕術をインストールしているのでやれないことはないのですが、恥ずかしさで熱暴走を起こしそうです」


 アビスにも苦手な事があるのか。というか恥ずかしいのか。まあ、どう考えてもヒラヒラが多いからな。それに、猫耳と尻尾も付けるのは年齢的に厳しいものがある。私もそこまではしたことがない。


「五百年前にやったことがあるから、ある程度はその気持ちが分かる。でも、食堂が忙しそうだから今日くらいは頑張ってくれ。そうだ、コツを教えよう。無心だ。無心で料理を運ぶんだ。そうそう、お酒はコップギリギリまで注いじゃ駄目だぞ。八分目だ、八分目」


「コツでも何でもないですよね? 分かりました。今日くらいはやりますよ。何事も経験ですから」


 前向きだな。それはいいとして、この状況は何なのだろう?


「ところで、この状況はなんだ? 楽しそうにしているからシシュティ商会の奴らじゃないんだよな?」


「はい、違います。シシュティ商会と関係がない冒険者達ですね。メイドギルドの方が派遣されてきたのですが、護衛だけじゃフェル様からお金は貰えないということで、宣伝活動を行ったようです。ガラの悪い冒険者がいなければ、ここへ来たい人は多かったようですよ。シシュティ商会が経営している宿は質が悪いとかで嫌々泊まっていたとか」


「そうだったのか。元々質の高いサービスをしていたから、客が戻るのも早かったんだな。さすがはニア達の子孫だ」


「そうですね。さて、私は仕事に戻ります。フェル様はいつもの席でお待ちください。ハーミア様の手が空いたら挨拶をしたいと言っておりましたので」


「分かった。えっと、私も夕食を頼んでいいのか?」


「もちろんです、スペシャル盛ですよね。頼んでおきました。残念ながらリンゴジュースはないのですが」


「それは残念だ……もしかして今はエルフ達が来てないのか?」


「いえ、その辺りの事情は知らないのです。ハーミア様に聞いてみてはどうでしょうか?」


「分かった。そうしよう」


 アビスは少し頭を下げてから離れて行った。途中で注文を取っていたが普通にこなしている。まあ、能力を体に覚えさせたみたいだし、できて当然か。


 アビスの働きぶりを一通り眺めてから、いつもの席に座った。そして周囲を見渡す。


 皆がいた頃の雰囲気に似ている。楽しそうな喧騒が周囲を包んでいる。うるさいなんて思わない。楽しそうな雰囲気と笑い声がこっちまで楽しくしてくれるようだ。


 このテーブルには私以外誰も座っていない。だからかな、とても広く感じる。あの頃はとても狭く感じていたんだけどな……料理を頼み過ぎていただけかもしれないけど。


 そんな昔の事を思い出していたら、誰かが近づいてきて椅子に座った。


 顔を上げて確かめると、タルテだった。ニャントリオンのお店はもう閉めたのだろうか。でも、何でここに?


「えっと?」


「あ、ちょっと待ってくださいね。注文しちゃうんで――すみませーん、大盛一人前お願いします!」


 タルテの声に気付いたメイドが「大盛いっちょー」と言って厨房の方へ歩いて行った。


「いやー、お客さんから聞いたんですよ、妖精王国の食堂からガラの悪い奴らがいなくなったって。自炊できないから最近はずっとパンだったんですけど、助かりましたよー」


「いや、そんな話を聞きたいんじゃなくて、何でこの席に?」


「やだな、いいじゃないですか。知らない仲じゃないんですし。奢ってくれなんて言いませんから……ほんのちょっとだけ闇のパワーを分けて貰えないかなっては思ってますけど」


「そんなパワーはない」


「そうですか……影のパワーでもいいんですけど?」


「そっちもない。まあいい、パワーはやれないが相席するぐらいは問題ない。ディアの時も、なんの断りもなく相席してたからな」


 単に知り合いという時点でぐいぐい来たからな。まさかディアも闇のパワーを狙って……?


 まあいいや、一人で食事するよりも二人で食事した方が美味しいだろう。アンリにそう教わったしな。


「フェルさん、ご先祖様の事を教えてくれませんか。それに、その執事服の事も。それってご先祖様が最初にして最高の出来だと言っていたらしいんです。見た限りフェルさんの体型にピッタリだし、見せてもらうだけでも勉強になるんですよね!」


 最高の出来、か。最初に作った服だから、かなり気合を入れて作ったのかもしれないな。これからも大事にしよう。


 それはいいとして、タルテはこの服を見て勉強になると言ったようだが、家業を継ぐと言うことなのだろうか。


「タルテも仕立て屋をやるのか?」


「ええ、もちろんやりますよ。まだ、デザインとかはやらせてもらえませんけど、それなりに重要な個所はやらせてもらってますからね!」


「そうか。頑張れよ」


 ディアは子孫に恵まれているんだろう。五百年近く家業を子孫が継いでくれているんだからな。私も応援してやるべきか。落ち着いたら、また素材とかを安く売ろう。


「はい、頑張りますよ! ご先祖様が持っていたという称号、ブラッディニードルを受け継ぐまで頑張ります! ……フェルさん? 目頭を押さえてどうしたんですか? まさか、私から何かの波動を受け取っている……?」


 モチベーションは人それぞれだから、私がとやかく言う必要はないけど、もっとこう別の何かがあったんじゃないかって思うんだけどな。


「フェルさん、こちらにいたのですか……あ、タルテもいたんだ?」


 ローズガーデンのシスターがやって来て、これまた何も言わず椅子に座った。別にいいけど、一言くらい言って欲しいんだが。


「げ! ルミカ、何しに来たの?」


 ルミカというのはシスターの名前のようだ。この二人は知り合いのようだな。ご近所だし年齢も近い感じだから、幼馴染なのかもしれない。でも、ちょっと仲が悪そうな気がする。


「えっと、私に何か用事か?」


「引き続き聖母様のお話を聞かせて頂きたいと思いまして。あとは食事ですね。治療を受けに来た冒険者さんが、妖精王国が昔のように戻ったと言っていましたので、久しぶりに顔を出しに来ました。あ、すみません、大盛お願いします。それと持ち帰り用に二十人前お願いします」


 あれ以上リエルの話をすると色々ボロが出てくるのだが。何事にも限界はあるんだ。勘弁してほしい。


 どうしようかと思っていたら、トルテがルミカの方を見ながら腕を組んで首を傾げた。


「そういえば、最近、聖母様って色々言われているよね? なんかうちのご先祖様も聖母様には色々されたって聞いてるけど?」


「それはニャントリオンの創始者が聖母様を裏切ったからです! あと、初代魔女も! やられたらやり返すに決まってるでしょ!」


 裏切った……? ああ、あれか。


 最後にリエルに呼び出された時、ヴァイアとディアは裏切り者だと言っていた気がする。そして両手で手を握られて、「フェルだけが真の親友だ」とか言いやがった。私も結婚できないと思っているんだろう。非常に遺憾だ。


 多分、それを誰かが聞いていたんだろうな。それが裏切ったという形で伝わっているのだろう。笑いながらだったから、リエルは本気じゃなかったと思う。私を真の親友だと言った時は目が本気だったけど。


 リエルは結局結婚できなかった。でも、それはリエルが男から嫌われていたわけじゃない。皆から尊敬され過ぎて普通の人とは一線を画するって感じだったからな。皆が恐れ多くてリエルとは結婚なんかできないって感じだった。


 ちょっと可哀想だけど、亡くなった時は多くの子供達に見とられて幸せな顔だったと聞いている。多分、リエルも満足して逝ったんだろう。向こうで文句は言ってそうだけど。


「大体、聖母様ってご先祖様の結婚式に出席するのをギリギリまで拒否したとか聞いてるよ?」


「だから、裏切者の結婚式なんて出たくないでしょ? それくらい当然です」


 いや、出席は拒否していない。最初からいた。結婚式の進行役だったし。ただ、リエルは精霊の呼び出しを拒否した。二時間くらい。ステージの上に寝っ転がって駄々をこねてたから、私がずっとなだめてやったんだが。


 ディアが結婚するなら私にもいい男連れて来いって言ってたけど、そんなの無理だからな。最悪、ウェンディに精霊を憑依させて進めようという話もでたくらいだ。


「フェルさんは知ってるんですよね? 実際は何があったんですか?」


「少なくとも聖母様に非はないはずです!」


「……よく覚えていない。まあ、どうでもいいじゃないか。結果的にディアの結婚式はリエルが進行した。そしてディアは結婚したんだ。めでたし、めでたし、だ」


 終わり良ければすべて良し、という言葉がある。いい言葉だ。


 だが、二人は納得してくれなかった。思い出してくださいとか言って体を揺さぶられている。でも、断固として言わないつもりだ。リエルの名誉のために。


「お待ちどおさまでした! フェルさん、それに二人ともいらっしゃい」


 ハーミアが料理を持ってテーブルのすぐ近くにいた。どうやら注文した料理が届いたようだ。でも、ウェイトレスじゃなくて本人が持って来たのか? 手が空いたら来るとか聞いたけど、まだ忙しいと思うのだが。


 私の不思議そうな顔に気付いたのだろう。ハーミアが笑顔になった。


「メイドの皆さんから休むように言われたのでちょっと休憩です。今のうちに食事をしておこうと思って、私の分も持ってきちゃいました。相席してもよろしいですか……?」


 聞かれたら聞かれたで水臭いと思ってしまう。私ってわがままだな。


「もちろんだ。座ってくれ。それにしてもこれだけの客がいるのに一人で大丈夫なのか?」


「はい大丈夫です。メイドの皆さんやアビスさんに手伝ってもらっていますので。それにこういう忙しさならいくらでも頑張りますよ!」


 色々と吹っ切れた感じになっている。テンションが高いというか、なんというか。


「ハー姉、良かったね。危ないから来ないでねって言ってたけど、もう大丈夫なんだよね? しばらくは両親が帰ってこないから、毎日通わせてもらうつもりなんだ」


「私も同じです。しばらくはここで食事を買うようにするから」


「ありがとうね、二人とも。私の料理も美味しくなったと思うから是非食べに来てね」


 ハーミアは二人にそういうと、今度は私の方を真っすぐ見て頭を下げた。


「フェルさん、本当にありがとうございました。またこの宿がこんな風になれたのはフェルさんのおかげです」


「気にするな。こうやってすぐに客が戻って来たのは、これまでの実績があるからだろう。私はシシュティ商会に与する奴らを追っ払っただけだ」


 ハーミアは「それが一番大変なのに」と言って笑った。トルテもルミカも笑いながら頷いている。


「さあ、暖かいうちに食べてください。また少しご先祖様の味に近づけたと思いますよ?」


「そうか、ならいただこう。今日のメニューはふっくらパンと野菜ゴロゴロシチューか。いいチョイスだ……お前ら、シチューだからってサイクロンはするなよ。危ないから」


 念のため言っておかないとな。ディアは完璧だったが素人には危ない食べ方だ。


 だが、何か反論があるのか、トルテが手をあげた。


「じゃあ、ボルケーノはいいですか?」


「なんだそれ? いや、ダメだ。危険な感じがする。普通に食べろ、普通に」


 どんな食べ方かは知らないがやめさせた方がいいだろう。見たい気はするけど、そんな食べ方をしなくても美味いだろうからな。


 シチューを一口食べる。さすがにこの短時間で味が向上するわけではないが美味しい。


 トルテとルミカは相当驚いたようだ。今までどれくらいの味で提供されていたのかは知らないが、おそらくかなり美味くなったのだろう。二人でハーミアを褒めたたえていた。


 その様子を見ながらコップの水を飲んだ。そして息を吐きだす。


 いつものテーブルで知り合いと食事をとる。たったそれだけのことなのに、なんて幸せな時間なのだろう。気を付けないと涙が出そうだ。


 目の前にいる皆ともいつか別れの時が来る。でも、皆と一緒に食事をしたことは覚えておける。それにいつか皆の子孫とも食事をすることがあるかもしれない。


 そんな私のささやかな楽しみを守るためにもシシュティ商会と不死教団、それにイブは潰しておかないとな。


 明日から忙しくなるから今日はもっと英気を養うか。食べ終わったらおかわりしよう。

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