心残り


 ヴァイアは歳をとった。


 黒色の髪は真っ白になり、肌は皺だらけ、ローブの袖から出ている手はやせ細っている。あの頃の魔力量は鳴りを潜めて今では普通の人族と変わらない程だろう。


 ヴァイアは百歳にしては元気な方だと言った。だが、だれが百歳まで生きられる? 普通の人族なら六十から七十。頑張っても八十だ。あの頃村にいた皆はもう他界している。最後まで残っていてくれたのがヴァイアだ。


 そのヴァイアも、そろそろお迎えが来るらしい。自分の死期が分かるのだろう。だから私を呼び出したんだ。皆と同じだ。死期を感じると誰もが私に会いたいと言ってくる。


 ディアも、リエルも、メノウも、それにアンリやスザンナも、村にいた皆は全員がそうだった。


「ごめんね、フェルちゃん」


 ヴァイアが申し訳なさそうに謝罪した。だが、意味が分からない。なんの謝罪なんだ。


「……なんで謝る?」


「もっとフェルちゃんと一緒にいたかったけど、それができなくなるからね。ごめんね、一緒に生きることができなくて」


 胸が痛い。穴が開いたような痛みだ。でも、訂正しないと。ヴァイアの言っていることは間違っている。


「それは違うぞ、ヴァイア。私がお前達と一緒に死んでやれないんだ。謝るのは私のほうだ」


 私は不老不死。これも魔王の呪いだろう。生きると言う事を冒涜する呪い、そんなくだらない呪いを私は受けている。本来なら皆と共に生きる資格がないんだ。いや、そもそも不老不死なんて生きていないと同じだ。


「フェルちゃんは相変わらずだね。そう言うと思ってたよ」


 なぜ笑う。どうして笑っていられるんだ。私はこんなにも悲しいのに。皆、私を置いていく。私は永遠に追いつけない。それが、辛い。


「フェルちゃん、外に行こうか」


 ヴァイアが急にそんなことを言いだした。


「何を言ってる。もう冬だ。外は寒い。こっちの方は北に位置しているから寒さも尋常じゃないはずだ。それに歩くのも大変なんだろう? 話ならここでできる。無茶な事はするな」


「大丈夫だよ。今日は体調がいいんだ。それに外に行くと言っても庭先にあるベンチに座るだけだから。フェルちゃんに見てもらいたいものがあるんだ」


「いや、そうはいってもな――」


 ヴァイアが微笑みながら右手を出してきた。ベッドから降りるのを手伝えと言うのだろう。だが、私には無理だ。暴走したあの日から人族に触るのが怖い。ヴァイア達なら辛うじて大丈夫だったが、それは短い時間だけ。長い時間は無理だ。


「メイドを呼ぼう。普段から身の回りの世話をしてもらっているんだろ? ヴァイアは言いだしたら聞かないからな。なら早めに終わらせよう」


 ヴァイアが少し寂しそうにしたのが目に入ったが、それには気づかない振りをしてメイドを呼んだ。


 外へ行くと言うと、メイドも驚いたようだが、庭にあるベンチまでと言う事で許可が下りた。車いすを持ってきて、メイドが手を貸しながらヴァイアを乗せる。


 移動するにも一苦労のようだ。そこまでして私に見せたい物ってなんだ。


 家を出て庭のベンチまで移動する。気付かなかったが、迷宮都市とは違ってこっちは晴れているようだ。思ったよりも寒くはない。日差しが暖かいくらいだ。


 ヴァイアは車いすからメイドに補助されてベンチに座り直した。メイドは一礼すると、ベンチから離れた。目の届く距離にはいるが、話を聞かないようにしているのだろう。


 ベンチに座ったヴァイアは、その横を叩きながら私に座る様に促した。


「さあ、フェルちゃん、座って。ここからだとよく見えるから」


 少し間を空けてヴァイアの隣に座る。そこから見えるのはエルリガだった。家が高台にあるからだろう、町全体を見下ろせる場所だ。


「フェルちゃん、エルリガが見える?」


「ああ、もちろん見える。だが、これが見せたい物なのか?」


「そうだね。魔導都市エルリガ。今ではエルリガに存在しない魔道具はないと言われるほどなんだ。フェルちゃんのおかげであんなに大きな都市になったんだよ。それを見てもらいたかったんだ」


 何を言っているんだろう。どう考えてもあれはヴァイアの功績だ。


 ヴァイアは魔術師ギルドのグランドマスターとして色々な魔道具の開発をした。それが今のエルリガの状況だろう。どう考えても私のおかげじゃない。


「魔導都市と言われるようになったのはヴァイアがいたからだろう? 開発した魔道具や発表した術式理論なんかは魔法の進歩を百年は進めたと言われているじゃないか。それがなんで私のおかげになるんだ?」


「だからだよ。私が頑張れたのはフェルちゃんのおかげだからね。結果的にエルリガが大きくなったのはフェルちゃんのおかげと言えるでしょ?」


 ため息が出た。


「またその話か。私がヴァイアのスキルを教えてやったから、という話だろ? 何度も言っている通り、それはヴァイアが努力して身に着けたもので、私は関係ないって言ってるじゃないか。それに私がいなくてもヴァイアは必ず今のようになっていたはずだ」


 私がいたかどうかは関係ない。ヴァイアは私がいなくても魔女として名を馳せただろう。


「そんなわけないでしょ。フェルちゃんに会わなかったら、ずっとソドゴラで雑貨屋さんをやってたよ。それとも夜盗に襲われてたから夜の蝶かな? ノストさんとも出会えなかっただろうし、子供を生むなんて夢のまた夢だったと思うよ」


 それこそ、そんなことはないと思う。でも、仮定の話をしても意味はないだろう。私はヴァイアと出会った。そしてこういう結果になっている。それだけで十分だ。


「ありがとうね、フェルちゃん。ソドゴラ村に来てくれて。そのおかげで今の私があって、あのエルリガがあるんだ。そのことに、ずっと礼をいいたかったんだよね」


「……皆、そう言うんだ」


「え?」


「最初はアンリだったかな。村に来てくれてありがとうと言われた。他の皆もそう言ってくれる」


 ヴァイアと同じように、皆は死期を悟ると私に来てほしいという。そして礼を言うんだ。


 私からすれば、あの村にいてくれてありがとうと言いたい。私でも人並みの幸福を味わえた、そんな風に思ってる。


 両親を亡くして魔王となり、がむしゃらに働いた。いつか来る勇者に怯えながら。


 そして魔王様が魔界から私を連れ出して村へ導いてくれたんだ。もちろん魔王様には感謝している。でも、一番感謝したいことは、皆があの村にいてくれたことだ。


「ヴァイア、感謝するのは私の方なんだよ。ヴァイア達がいてくれたから、今の私がある。ヴァイア達がいなかったら……」


 セラに殺されていたかもしれないし、イブに体を奪われていたかもしれない。助けられたのは私の方だ。


「フェルちゃんは相変わらず、謝罪も感謝も受け取ってくれないんだね。いっつも、そうするのは自分の方だって言う」


「それが事実だからな」


「フェルちゃんの中ではそうかもしれないけど、私の中では違うんだよ。せめて死ぬ前に感謝だけでも受けとって欲しいんだ。そうしないと心残りができちゃう」


 死ぬ、という言葉に痛いくらい大きく心臓が跳ねた。そんな事を口に出して言わないでくれ。


 それに心残りがあるなら、まだ頑張ってくれるのか? 私と一緒に生きてくれるのか? もう残っている親友はヴァイアだけだ。そのヴァイアも私を置いていこうとしている……そんなのは嫌だ。


 もっと話をして欲しい、もっと話を聞いて欲しい、もっと……もっと一緒にいて欲しい。


 ミトルやアビス、従魔達はいる。一人になるわけじゃない。でも、寂しいんだ。


「大丈夫だよ」


「え?」


「フェルちゃんは大丈夫。私の親友であるフェルちゃんは凄く強いからね」


 私の心の声が聞こえたのだろうか。それとも口に出していたか?


「……強いのは身体的な能力だけだ。精神は弱い。私はな、皆の死を受け入れられなくて誰の葬儀にも出ていないんだ。墓の場所も知らない。そういう弱い心を持った魔族なんだよ。そんな奴が魔王とか魔神とか言われている。滑稽だろ?」


「フェルちゃんが弱い心を持ってるわけないでしょ。だから滑稽じゃないよ。もしかしたら、ちょっとは気持ちが落ち込むことはあるかもしれないよ? でもね、フェルちゃんならすぐに元通りになれるよ。保証する」


「そんなことを保証されてもな。こう見えて私は繊細なんだぞ?」


「……知ってるよ。今だって目から涙が溢れているからね」


 自分では気づかなかった。私は泣いていたのか。


 手の甲で頬をぬぐった。間違いなく泣いていたようだ。


「これは目にゴミが入っただけだ」


「そうだね。相当大きなゴミだったんだろうね」


 ヴァイアが微笑んでいる。私のバレバレの嘘に、気付かない振りをしてくれているのだろう。気付かない振りも私にはバレバレだけど。


 私は昔から皆に気を使われていた。でも、私はどうだ? ヴァイアに気を使ってやれているだろうか。ヴァイアは感謝を受けてくれないと心残りになると言った。せめてヴァイアには安心して向こうへ行けるようにしてやらないと。それが本当の親友だろう。


「ヴァイア、感謝を受ける。これなら心残りはないだろ? でも言っておくが、エルリガが大きくなったのは私のおかげだけじゃないぞ。ヴァイアと私の二人で大きくした。そうだろ?」


 ヴァイアは笑顔になり頷いた。


「そうだね。ありがとう、フェルちゃん。でもね、まだ心残りがあるんだ」


「まだあるのか?」


「個人的な事だけどね。それをフェルちゃんにお願いしたいんだけどいいかな?」


「どんなことだ? 他の皆からも色々お願いされているから、もちろんヴァイアのお願いも聞くぞ」


 皆と会ったときに色々お願いされている。ニャントリオンのこととか聖人教のこととか。一つくらいお願いが増えても問題はない。


「できればでいいんだ。魔術師ギルドと私の子供達の事を気に掛けて欲しいんだ」


「そんなことか。それくらいなら任せろ。アンリなんかトラン国をお願いするとか言ってきたからな。それに比べたら可愛いもんだ」


「あはは、アンリちゃんはいつだって豪快だね。ならお願いしていいかな? でも、一方的なお願いなんだから無理はしなくていいからね……フェルちゃん、今日は家に泊まれる? 時間があるならもっと色々話したいんだ」


「もちろんだ。いくらでも話をしよう。ただ、泊りなら美味い料理を出せよ?」


「うん、頼んでおくよ」




 その後、ヴァイアの家に戻り、遅くまで語り合った。


 主に昔の事だ。ディアの結婚式や、リエルの婿探し、メノウとの主従攻防、アンリのお忍びダンジョン、スザンナのお見合い事件等、話題は尽きなかった。


 そして、それがヴァイアとの最後の会話になった。


 エルリガから迷宮都市に戻って一週間後、ヴァイアが亡くなったと知らせがあった。その顔はとても安らかだったらしい。

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