閑話 狂姫

 

 トラン王国の冒険者育成学校。その訓練場で一人の少女が剣を振るっていた。


 剣を振るうたびに茶色の髪の毛が踊る。無造作に頭の後ろで束ねているだけの髪だが、その髪には平民では行えないほどの手入れがされていた。また一目で分かるほどの高価な服を着ており、その姿は煌びやかだ。


 そんな彼女が自身と同じ背丈ほどの剣を両手で持ち、それを振り下ろす。何度も、何度も。その剣筋は見た目と違い優雅などとは程遠く、まさに武骨。当たれば死ぬ、そう思わせる剣の振り方だった。


 何度目かの素振りの後、学校のチャイムがなる。授業が終わる合図だ。


「まだまだね……」


 剣を見つめながら、彼女はそうつぶやいた。


 トラン国の勇者と認められて聖剣を受け取ることができた。聖剣と呼ばれるものは何本か存在する。好きな剣を選んでいいと言われ、トラン国の国宝とも言うべきこの剣を選んだ。


 彼女は王族に名を連ねる者。国王の許可が出たので勇者協会からも特に反対意見はなかった。彼女は問題なく意中の聖剣を手に入れることが出来たのだ。


 遠い祖先が使っていたと言われる聖剣。その剣を使いこなそうと寝る間も惜しんで振るった。まだ自由自在とは言えない。剣を使っているのではなく、剣に使われている。そう思わせる感覚に軽い苛立ちを覚えた。


 子供のころから強くなりたかった。祖先の話を聞いたのがきっかけだ。


 力を持って王位を奪い返した祖先。人界中が知っている話だが、それを咎める者はいない。もともと殺される予定だったのを周囲の者が助け、逃げ延び、力をつけて奪い返したのだ。


 当時では珍しく、獣人も魔物も、そして魔族も王位を奪い返すことに手を貸した。その後、トランは大きく発展を遂げる。どんな者も受け入れ、優秀な者を国の中枢に迎え入れたのだ。魔族、獣人、エルフ、ドワーフ、そして魔物のあらゆる種族が入り乱れる他種族構成の国になり、その結果どの国よりも住みやすい国となった。これがきっかけだったのだろう。他の国も同様に他種族を迎え入れ、より発展した。


 そして、その時の王が使っていた剣がこの聖剣だ。彼女はこの剣を振るうことが夢の一つだった。だが、それが叶ってもまだ足りない。


「お疲れ様ですな」


 年老いた執事の男が彼女に近寄る。彼女はチラリとだけ執事を見ると、聖剣を亜空間に入れた。


「やり過ぎてしまったわ。手当をしてあげて」


「畏まりました」


 訓練場の周りに倒れて動けない者が何十人といる。人族だけでなく、獣人やエルフ、ドワーフなどの他の種族もだ。高名な冒険者達だが、すべて彼女が倒した。一人で全員と戦い、汗をかくこともなく倒してしまったのだ。


 勇者になる前から彼女は強かった。そして勇者となって聖剣を手に入れてからはまさに無敵。だが、彼女は更なる力を求めた。強いと言われる人族や獣人、さらにはドラゴンにまで戦いを挑んだ。そして勝った。誰それ構わず強者に挑むその姿は、まさに狂気的だといえる。


 そして複数いる勇者の中で最も強いとされる彼女は他の勇者からこう呼ばれていた。


 狂姫ナキア、と。




 ナキアは学園から馬車に乗って住んでいる屋敷に戻って来ていた。早速、剣を振ろうと屋敷にある地下訓練場へ行こうとしたが、メイドに止められた。執事長から大事な話があるので、部屋で待っていてほしいとの内容だった。


 大事な話とは何だろうか、とナキアは考える。執事長に頼んでいた仕事はいくつかある。だが、大事な仕事と言えるものはない。ないのだが、一つだけ思い出した。執事長に最も大事な依頼をしていた。もしかするとその話かも知れない。


 ナキアはメイドに頷いてから、部屋に向かった。執事長が部屋にいないのは分かっている。だが、歩くスピードが抑えることが出来なかった。もしかしたら自分の思い人の情報が分かったのかもしれない。そう思うと自然と足が速くなったのだ。


 ナキアは子供の頃に王位廃止派の策略で誘拐されたことがあった。当時、どこに監禁されていたのかもわからず、救出が難航した。だが、匿名の連絡により救出されたのだ。そしてナキアは救ってくれた人に憧憬の念を抱いていた。


 なぜなら、その人はナキアが監禁されていた場所に颯爽と現れて、王位廃止派の誘拐犯を叩きのめしたのだ。子供の頃なのでその姿は曖昧にしか覚えてはいない。だが、その強さだけはいまでもナキアの目に焼き付いている。その人に礼をいい、勝負を挑む。それがナキアの夢なのだ。


 執事長に救ってくれた人を調べるように頼んでいた。だが、この十年、なんの情報もなかった。実在しないということはない。自分がこの目で見たのだ。そう考えて、いくら金を使っても、いくら時間を使ってもいいから探し出す様にと執事長に頼んでいた。


 見つかったという情報なら最高だが、手掛かりをつかんだ、というだけでもいい。はやる気持ちを抑えながら、部屋に向かった。




 亜空間から取り出した聖剣を台座に置き、メイドにお茶を用意させて、執事長を待った。


 椅子に座り、お茶を飲みながら色々と考える。


 普段なら剣を振っている時間。あの時見たあの方に追いつくために何万と剣を振った。剣を振っていなければ死んでしまうというほど剣を振った。だが、いまだにあの方に追いついた感じはしない。


 流れるような動きで間合いに入り相手の意識を奪う。相手は何が起こったかもわからなかっただろう。必要最低限の力で一撃。誇張ではなく触っただけで意識を奪っていった。魔法を使ってはいない。技術のみで意識を奪ったのだ。


 今思い出しても震えがくる。そして、自分があの方の相手をするとしたら、と想像する。


 おそらく何もできずに意識を奪われてしまうだろう。だから、間合いに入った、そう思う前に剣を振り下ろす、という作戦を考えた。考えてから行動を起こしては絶対に負ける。長期戦も駄目。だから、一撃必殺の振り下ろし、これを鍛えた。意識する前、考える前に体が反応する、そういう特訓をしてきたのだ。


 力量の低い者になら確実に行えるが、アダマンタイト級の冒険者には無理だろう。おそらく、魔族にも。試したいのだが、アダマンタイトにも魔族にも戦いを仕掛けてはいけない。そんなことをしたら国の問題になる。王族としてそれは避けなくてはならない。だが、ちょっとくらいなら――。


 そんなことを考えていたら、ノックが聞こえた。心臓が跳ね上がる。待ちに待った情報が届くのだ。少しだけ緊張した面持ちでナキアは「どうぞ」と言った。


 直後に「失礼します」と声があり、扉が開いて、執事長が入って来た。


「おや? 珍しく緊張されていますな? いかがなさいましたか?」


「大事な話、というので期待しながら待っていたのよ。早く話とやらを聞かせて頂戴」


 早く聞きたい。あの方の情報を少しでも早く聞きたい。ナキアの頭はそれだけだった。


「では、早速本題にはいりましょう。ナキア様に迷宮都市の市長から仕事の依頼が来ています」


 ナキアは思考が止まってしまった。この執事は何を言っているのだろうか。


「何の話? あの方の話ではないのですか?」


 自身の体温が急激に下がる感覚に見舞われた。ナキアにとって大事な話というのはあの方の事のみ。それ以外の事は剣を振るよりも優先度が低い。


「あの方のことは調べていますが、いまだに情報はありませんな。それはともかく、殺気が漏れておりますぞ。メイドが震えているではありませんか」


 ナキアはふとメイドの方を見ると、確かに震えているのが見えた。このメイドは戦闘メイドでもなければ魔導メイドでもない一般メイド。自分の殺気に当てられたら危険であることは理解できた。


 反省して殺気を抑える。そして大きく深呼吸をした。勝手にあの方の情報だと思って、舞い上がっていたのだろう。勝手に期待して、期待を裏切られたと思うのは間違っている。


「謝るわ。ごめんなさい。そうね、ここはもういいわ、一度下がって貰えるかしら」


 メイドは一礼すると部屋を出て行った。もしかしたらまた殺気が漏れるようなことがあるかもしれない。恐怖で気を失ってしまったら困る。念のため下がっていてもらおうとメイドを部屋から追い出した。


「大事な話と聞いてあの方の情報と勘違いしてしまったわ」


「そうでしたか、それは私の配慮が足りませんでしたな。失礼いたしました。それで先程の話ですが、続けてよろしいですかな?」


「もういいわ。依頼は断ってもらえるかしら。鍛錬の時間が減ってしまいますから」


 もはや、ナキアは興味がなかった。早く終わらせて訓練場に行こう、という考えだけだ。


「せっかちは良くありませんぞ。私は大事な話だと伝えました。ここからが面白いのです」


 ナキアは何でもない顔をしていたが、心の中では眉間に皺をよせていた。面白いと言ったのだろうか。執事長とは子供のころからの付き合いだ。自分が好む話題も知っているはず。その執事長が面白いと言ったことに、少しだけ興味を覚えた。


「いいわ、なら続けて」


「依頼の内容はアビスの最下層で見つかった本の検証ですな」


「アビスの最下層!」


 確かに面白い。顔が笑っているのが自分でも分かった。アビスを踏破する。常人では不可能に近い。もしかすると、あの方につながる可能性があるかも、と身を乗り出した。


「誰? 誰がその偉業を達成したの?」


「セラ様というアダマンタイト級の冒険者ですな」


 聞いたことはない。アダマンタイト級の冒険者なら全員知っていると思っていたが、初めて聞く名だ。


「そして、ナキア様を本の検証に推薦された方でもあります」


「私を? 面識はないわよね?」


「面識はございませんな。素性を洗ってみましたが、誰も知らない冒険者のようです。冒険者ギルドにも問い合わせたのですが、グランドマスターでさえ、詳しくは知らないとのことでした」


 そんなことがあるのだろうか。冒険者ギルドのトップも知らないとは、どんな冒険者なのだろう。


 だが、アビスを踏破したのなら相当な手練れだろう。ナキアはその名前を脳に焼き付けた。そして確認したいことがあった。


「まさかとは思うけど、私を助けてくれた人だったりするのかしら?」


 ナキアはかすかな期待を賭けて執事長に聞いた。自分を推薦したのならその可能性はある。


 だが、執事長は顔を横に振る。


「その可能性はないですな。見た目二十前後の人族らしいので当時のナキア様を助けたとすると若すぎますからな」


 そんなうまい話はないか、とナキアは少しだけ落胆した。


「これはまだ序の口ですぞ。本命はこちらです。なんと検証メンバーに魔王がおります」


 ナキアは頭の中が真っ白になった。


 魔王。目の前の執事は確かにそう言った。歴代の魔王でも最高の強さを誇っている魔王の中の魔王。


 気付くと、両手をきつく握りこんでいた。戦ってもいないのに全身から汗が噴き出るような感覚に見舞われる。


「それは……面白いわね……」


 それを言うのがやっとだった。喉が渇く。目の前にあるお茶をゆっくり飲んだ。カップの中が空になるが、まだ喉が渇いている感じだ。先程メイドを部屋から出したのを後悔した。


 その様子を見た執事長が何も言わずに新しいお茶を用意する。


「まだございますぞ。その検証には魔王の他に、冒険王、魔女、そして聖女も参加されるようです」


 お茶を吹き出しそうになるのをぐっとこらえる。どれも超一流の戦闘力を持っている。


 戦いたい。


 ナキアの頭の中はその考えで埋め尽くされた。


「もし、そのメンバーと戦おうとしたら、どうすればいいかしら?」


「そうですな。ではまず、状況を確認しましょう。今回は本の検証ということですので、時間が掛かるでしょうな。そして本の情報が漏れないように何日かは拘束されると思われます」


「詳しくは知らないけど、そうなのね」


「ですので、ダンジョンを作って貰い、その中で検証するという提案をしてはどうでしょうか?」


「ダンジョンを……作る?」


 ダンジョンを作るという技術があるのは知っている。だが、詳しくは知らない。それにそれが他のメンバーと戦うことに繋がるのだろうか。


「簡単に言えば密室空間にメンバーを閉じ込める提案ですな。情報漏洩をさせないため、という名目ですが、本来の目的は邪魔をされないようにする、という事です」


 邪魔をされない。確かにその通りだ。魔王や聖女などは護衛などがいるだろう。戦うなら一騎打ち。他の邪魔が入らないようにしなければいけない。


「そしてもう一つ。逃がさない、という事ですな」


 逃がさない。そうだ、逃がしてはいけない。殺すようなことはしない。だが、決着をうやむやにされるような戦いは駄目だ。お互いが全力で戦い、どちらかが負け、どちらかが勝つ。引き分けなんてありえない。


「ダンジョン内で一対一で戦う交渉はナキア様がやるしかありませんが、そこは現場でお考え下さい。交渉で大事なのは、相手が必要とする物を提供する、ですぞ」


「そうね、何とかして一対一の戦いに持ち込むわ」


 交渉は苦手だが、金銭や物であれば何でも用意できる。あまり使いたくはないが王族の威光があるので大体の事は可能なはずだ。


「ですが、注意点が一つあります。あまり欲をかいてはいけません」


「欲?」


「全員と戦うのは無理でしょうな。一人一人を闇討ちするようならともかく、そんなことを望んではおられないでしょう」


 それはその通りだ。不意を突いて勝利を得ても意味はない。


「ならば、全員と戦うのではなく、一人に絞った方が良いかと」


「一人に絞る……そうね、こんな機会はもうないだろうけど、戦うのは一人だけに絞った方がいいわね」


「賢明な判断です。では、検証に参加ということでよろしいですね?」


「ええ、本の検証に参加するわ。手続きや手配はすべて任せるから頼むわね」


「畏まりました」


 そういうと執事長は一礼して部屋を出て行った。


 ナキアはカップに入っているお茶を飲む。そしてゆっくりと深呼吸をした。


 魔王。魔王だ。魔王しかない。戦う相手は魔王に絞る。おそらく先程のメンバーなら魔王が最強だろう。ならその最強に挑む。


 今までに負けたことはない。だが、それは自分より弱い相手と戦っただけだ。強い相手と戦い、そして勝利しなくてはこれ以上の強さは得られない。


 強さに憧れた。何者にも負けない強さに。王位を奪い返した祖先や自分を救ってくれた方と同等の強さを手に入れてみせる。


 ナキアは決意を新たに椅子から立ち上がった。そして台座に目をやる。聖剣は何も言わないが、光を放ったような気がした。


「勝つわ。この聖剣フェル・デレに誓って」

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