閑話 愚者

 

 魔都ウロボロス第一会議室。その部屋に十人の魔族がいた。


 長方形の会議卓に四人ずつが向きあって座り、一人は上座にいる。そして上座の斜め後ろには一人だけ魔族が立っていた。


「人界に攻め込むべきです」


 一人の魔族が上座の魔族に向かってそう言った。他の魔族たちも頷く。


 上座に座る魔族は何も答えない。椅子の背もたれに体を預け、深く腰かけている。そして右手の人差し指でこめかみ部分を何度も叩いていた。


 これは不愉快を示すポーズ。この会議に出ている魔族なら誰でも知っている。だが、ここで引き下がるわけにはいかないと、魔族の一人は思い切って問いかける。


「魔王様のご意見を聞かせて頂けませんか?」


 魔王と呼ばれた魔族は、そう発言した魔族を見る。そして目をつぶった。


「儂の意見は変わらぬ。人界に攻め込むことは許さん」


「魔王様。理由をお聞かせください。人界に移り住んだ魔族から、とても快適な生活を送れていると聞いています。ならば魔界を捨て、人界に移り住みましょう! 人族は脆弱な生き物です! 我らなら数日で支配できます!」


 その言葉に他の魔族たちも賛同した。


 魔界は過酷な場所だ。ダンジョンの中なら快適に住むことは出来るが強力な魔物が多い。地表に至っては何もしなくても致死率が高い。そんな危険とは無縁の人界が手の届く場所にあるのなら、人族を追い出してでも手に入れたい。魔界の住人は誰もがそう思っていた。


 だが、現在の魔王はもとより、歴代の魔王がそれを良しとしない。


 魔王は目をつぶったまま何も答えない。勢いよく賛同していた魔族も様子がおかしいと言葉を少なくしていき、最後には黙った。


 息をする声も聞こえない状態の会議室で魔王は目を開ける。


「どうしても攻め込みたいのなら条件がある」


 魔族達は身を乗り出して魔王を見た。


 人界に攻め込む提案をした議論で魔王が提案してきたのは初めてだったのだ。


「人界に攻め込みたいのなら、儂を倒して新たな魔王となれ。誰でも構わん。なんならお前ら全員でも構わんぞ」


 魔族達は動けなくなってしまった。魔王の体から死を感じさせるオーラが会議室を覆ったからだ。


 魔王に勝つ。やってみなければ分からないとは思いつつも、心の奥底では全員で掛かっても倒せるわけがないと誰もが確信していた。今の魔王は歴代の魔王の中でも最強と言われ、四十年近く魔王の座にいるのだ。


 一分ほど経つと、魔王から発せられるオーラはなくなった。魔族達は力なく椅子に座り直し、肩で息をし始める。呼吸が出来なくなるほどの殺気。普通の魔族ならそのまま死ぬ可能性もあるだろう。既に六十を超えるはずの魔王に誰もが動けなかったということが、勝てないということを証明した。


「儂に勝てぬようでは人界を支配することなど出来ぬ。下らぬことを考えず、魔界で快適に暮らせる方法を考えるのじゃ」


「魔王様、一つ教えてもらいたいことがございます。人界を支配できないというのは、勇者には勝てないという意味なのでしょうか?」


 その魔族は息を整えながら魔王に質問をした。その魔族はまだ若く、勇者に会ったことも、人界に行ったことも無かった。魔王が何をもって人界支配できないと発言されたのが分からなかったのだ。


 だが、それは他の魔族も同様であった。むしろ勇者を知っている分、魔王が勝てないなどということは絶対にないと考えていた。


 そこに何かしらの理由があるのなら聞いておかねばならない。ここにいる魔族は全員そう考えて意識を集中させた。


「勇者に勝てないという意味ではない。……いいじゃろう、昔話をしてやる。お前たちの中から次の魔王が現れるかも知れん。どう捉えるかはお前たちの自由だ」


 そうして魔王は語り始めた。




 魔王アールが魔王の座に着いたのは四十年前だ。当時二十そこそこの若い魔族であったが、誰よりも魔力が高く、強力なユニークスキルを備えていた彼に敵はなかった。


 当時のアールも人界を狙っていた一人だ。初めて出た魔王との会議において、人界への侵攻を提言した。そして同じように魔王に却下され、今と同じように攻め込みたければ魔王になれ、と言われた。


 そこでアールは魔王に戦いを挑み、三日三晩戦って魔王を倒した。そして新たな魔王になったのだ。


 新たな魔王となったアールは人界に攻め込む準備を魔族に指示した。魔王との戦いで傷ついた体を治し、万全の状態で人界に攻め込む。魔王となって初めて行う事業だ。失敗は許されないと入念に準備を行った。


 人界への侵攻前夜、謁見の間の玉座に座り一人物思いにふけっていた。誰も居ない謁見の間は闇に包まれている。ほんの少しだけ光を放っている天井が心を落ち着かせるのだ。


 これで魔族の皆にいい暮らしをさせてやることが出来る。多少の犠牲はあるだろうが、未来を考えれば意義のある犠牲だ。形だけの勇者になど、負ける訳はない。そんなことを考えている間に玉座で寝てしまった。


 目を覚ましたのは足音が聞こえたからだ。謁見の間にみだりに足を踏み入れるのは許されてはいない。どこの馬鹿者だと思いつつも玉座で待った。


 現れたのは一人の魔族だった。アールはほとんどの魔族の顔を覚えてはいるが、初めて見る顔だ。


「魔王の前だぞ、ひれ伏すがいい」


 アールは威厳のある声でそう言った。だが、その返答は理解しがたいものだった。


「人界に攻め込むことは許されていない。即刻中止しろ」


 魔王とは魔族の王だ。だが、その魔族は魔王に向かってそう言ったのだ。意見でも、陳情でもなく命令。混乱するというよりも何も考えられなくなった。


 何も考えられないが一つの結論に至った。これは夢だ。起きたと思っていたが、まだ、まどろみの中にいるだけだと。


 人界への侵攻前夜という事もあり、気分が高揚していた。夢だとは思いつつもその魔族に言った。


「俺は魔王だ。魔王の決めたことに誰の許可がいるのだ?」


「魔王? 借りものの地位で王になったつもりか?」


 魔王の座は先代魔王を倒して得たものだ。戦いに手心を加えられてはいない。お互い死力を尽くして戦ったのだ。借りものなどと言うのは自分だけでなく、先代魔王も侮辱する行為だ。例え夢だとしてもそれは許せない。


 アールはゆっくりと玉座から立ち上がると亜空間から愛用の剣を出した。そして構える。


「例え魔族でも、お前の発言は許されるものではない。死をもって償うがいい」


「そうか。なら先手は譲ってやる。来い」


 アールは怒りに任せて剣を振るった。


 数分後、アールは床にあおむけで倒れていた。


 あらゆる魔法、スキル、さらにはユニークスキルを使ってもその魔族を倒すことは出来なかった。正確にはもっと酷い。相手に傷一つつけることも出来なかった。そして愛用の剣は折られ、角の片方が三分の一程欠けてしまった。


「その角を見る度に思い出せ。自分の愚かさをな」


 アールは薄れゆく意識の中でその言葉を聞いた。


 意識を取り戻したのは翌日、医務室で治療を受けていた最中だった。


 ベッドの上で意識がはっきりすると、近くにあった鏡を見た。間違いなく角が欠けている。あれが夢ではなく現実であることを理解した。


 そしてアールは人界への侵攻を取りやめると宣言した。




 話を聞いた魔族達は何も答えられなかった。嘘や冗談ではない。本当にあったことなのだろう。証拠に魔王の角は片方が欠けている。


 魔族にとって角が折られるというのは恥であるが、強き者に挑んだ証とも言える。折れた理由に嘘をつくのは相手にも自分にも侮辱する行為と言われ、魔族の中では禁忌とされているのだ。


「その魔族は一体誰なのですか?」


 先程質問した魔族が魔王に問いかける。魔王を超えるほどの力を持つものがなぜ魔王ではないのか。魔王が借りものの地位とは何か。人界に攻め込むのを許されていないとはどういう意味か。質問はいくつもあるが、重要なのはその魔族だ。


「ある程度予想はついているが、本当のところは儂にも分からぬ」


 アールは天井を仰ぎ、一度大きく深呼吸をする。


「あの後、魔界や人界の歴史を勉強して多くの事を知った。確かに人界に侵攻するという行為は愚かな事だ。儂はこの折られた角を見る度に、その愚かさを思い出さなくてはならん。良いか? 愚か者は儂一人で良いのだ。この話を聞いても人界に攻め込みたいのなら儂を倒し、魔王となれ。そして、新たな愚か者となるがいい」


 そしてアールは目をつぶり、腕を胸の前で組んだ。それは質問を受け付けないという行為。


 会議は終了した。




 会議室には魔王と宰相のみが残った。緊張感はなくなり、ゆったりとした時間が流れている。


 宰相はお茶を入ったコップを二つ会議卓に置いて自分も座った。


「信じたかの?」


「難しいでしょう。私も魔王様のあんな姿を見てなければ信じられませんから」


 玉座の間に倒れていた魔王を発見したのは今の宰相だ。先代との戦いよりもひどい状態になっている魔王を見て、魔王以上に混乱した。


 警備兵に気付かれることも無く、玉座の間に現れて魔王を数分で倒した。だれが信じると言うのだろうか。だが、その一端を見た宰相だけは魔王の言葉を信じていた。


「まあよい、これでしばらくは人界に攻め込むなどと言うことは言い出さんだろう。数年おきに提案してくるから面倒なんじゃがのう」


「今までやったことのないことを提案したくなるものなのでしょう。若い魔族の特権ですね」


 各部門の部長は数年おきに入れ替わる。同じ者が部長をやり続けずに多くの者に経験させることで部署の活性化を図っているのだ。だが、そのせいで魔族なら一度は考える人界への侵攻が提案されている。その都度、魔王が却下するのが恒例になっているのだ。


「さて、会議は終わったのだが何か問題か? いつもなら儂らも解散しておるじゃろう?」


 宰相はお茶を口に含み、ゆっくりと飲み干す。これから話すことは問題の類ではないが、どうにも意図が読めなかったのだ。


「迷宮都市の市長殿から魔王様宛に連絡を貰いました」


「迷宮都市じゃと? 儂に何の用じゃ?」


「人界最大のダンジョン『アビス』。あそこで見つかった本の検証をお願いしたいとのことです」


「儂にか? 儂は本なんてほとんど読まんぞ?」


「なぜ魔王様を指名してきたかは分かりませんが、市長殿曰く、魔王様に関係がある本だと言う事です」


「それこそ不思議じゃな。迷宮都市に行ったことはあるが、アビスに入ったことはない。過去の魔族が作ったという話は聞いたことがあるが」


「なら、それが理由の可能性が高いですね。見つかった本に魔族の事が書かれている。それが検証を依頼する理由なのでは?」


 魔王は「なるほどのう」と言って考え込んだ。それを見ながら宰相は思う。魔族の事が書かれている程度で魔王に検証を頼むようなことになるのだろうか、と。


 魔王を指名したのならそれなりの理由があるはずだ。魔王様ならなにか別の意図を感じられるかと思ったのだが、反応は芳しくない。


「魔王様には他の理由が思いつきますか?」


「いや、まったく思いつかん」


 魔王様でも分からないのなら一体どういう理由で選ばれたのだろうと宰相は改めて考える。そして一つだけ思い浮かんだ。


「魔王様を推薦したのはセラという人族らしいのですが、ご存知ですか?」


「セラ? いや、知らんな」


 これで手詰まりだ。理由が不明。宰相としては意味のわからない依頼に魔王様を送り出すわけにはいかない。断ろうと決意した。


「儂は詳しく知らんのじゃが、アビスというのはどういうダンジョンなんじゃ? さっきも言ったが魔族が作ったダンジョンだというぐらいしか知らんのだが」


「そうですね。アビスは千年前からあるダンジョンでいまだに拡大していると言われています。この魔都ウロボロスよりも大きいと言われていますが、実際には分かりません。いままでは最下層まで行けないとのことでしたが、その最下層から本が見つかったそうですね」


 ふと、宰相が魔王を見るといつの間にか魔王は考え込んでいた。


「魔王様、今の説明でなにか問題が?」


「いや、千年前からあるダンジョンと言ったのでな。もしかすると――」


 何かしらの意図に気付いたのかもしれない。宰相は魔王の言葉を待った。


「その検証に参加する」


「よろしいのですか? できれば、どうしてその考えに至ったのか教えて頂きたいのですが」


 魔王はお茶を一気に飲み干すと、宰相の方を見た。


「千年前の魔王を知っているか?」


 魔界には歴代魔王についての情報がまとめられている本がある。その本は誰でも閲覧することが出来るが、すべてを読んでいるのはごく一部だ。宰相はそのごく一部。記憶から千年前の魔王を思い出す。


「放浪の魔王ですか?」


「そうじゃ。玉座の間にほとんどおらず、従者と共に魔界や人界を巡っていたという魔王。具体的に何をしたかは全く分かっておらん。もしかすると、アビスを作ったのはその魔王、もしくはその従者なのではないかと思ってな」


「なるほど、それはあり得ますね。そういうことであれば、アビスで見つかった本も魔王かその従者の物である可能性が高いという事ですか」


 魔王は頷いて肯定した。


「魔王を指名するほどじゃ。なにかしら魔界の歴史に影響する内容が書かれた本かも知れん。なら参加する方がいいじゃろう」


「分かりました。では、手続きをしておきます。出発の準備をお願いします」


「うむ。準備しておこう」


 宰相は早速市長に返事をしようと会議室を出て行った。




 魔王アールは宰相が出て行った後も会議室にいた。ずっと天井を見ながら考えていた。


 降って湧いたような手がかり。これを機に必ず見つける。


 宰相には一つだけ嘘をついた。


 セラ。


 知っている名だ。会ったことは無いし、誰なのかも知らん。


 だが、あの方の敵だ。


 ならば儂が排除しよう。


 セラが儂の予想通りなら勝てぬかも知れぬ。だがやる。あの方のために死ねるなら本望よ。


「愚か者として生きるか、愚か者として死ぬかじゃ。どちらも大差はあるまい」

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