第1話 王女の探偵

 しっとりとした蒸気がぼんやりと視界を曇らせる。

 滔々とうとうと流れる湯の音だけが、絶え間なく浴場に響いていた。

 その静寂を破ったのは、ちゃぷん、というなまめかしい水音。次いで、聴くものを虜にしてやまない甘美なソプラノが、浴場に小さく木霊した。


「それで、調査の結果はどうだったのかしら」


 彼女の言葉は私を試すようでいて、どこか楽し気だ。


「国王派によれば、『王族殺し』の犯人は彼で間違いなかったのでしょう?」


 へり頬杖ほおづえをついて目を細めている彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 私は決して中を覗かないように、脱衣室で浴場側の壁に背を預けて答える。


一月ひとつきに渡る調査によって、確信を得ました。処刑された人物は〈狼男〉ではありません」


 特異体質、〈狼男〉。

 それは、男性にのみごく稀に発現し、〈亜人〉に分類される特異体質であり、この王宮を震撼させた連続殺人事件「王族殺し」の犯人の特徴でもあった。

 一月ひとつきほど前、突如王宮に現れた狼男は、王宮にいた王族を次々と殺して回った。、王女派の王族ばかりを狙って。

 ……あの日。狼男は王宮にいた兵士を軒並み退しりぞけ、最後には王女のもとにまで辿り着いた。

 運良く退けることができたものの、彼の実力は本物だった。そして、翌日あっさりと捕らえられた狼男には、私がつけた傷がなかった……。

 それから私は、王女の命により、処刑された人物の調査を開始した。

 そして約ひと月に渡る調査の結果、ついに処刑された人物が狼男では無かったことの、確たる証拠を見つけ出したのだ。


「私は、処刑された人物が女性であったことを突き止めました。彼女は南方の貧しい村から出稼ぎに来ていて、稼ぎのいい男向けの仕事を受けるために日頃から男装していたのです。彼女の出身の村へ行き、その地の記録を調べ、裏を取りました」

「なるほどね。彼が、彼女が犯人であるはずがない」

「はい。です。


 天井を仰ぐと、そこには立ち昇る蒸気がおりのように溜まっていた。


「国王派は、王都に身寄りがなく足がつき辛いという理由だけで彼女を選び、狼男として王族殺しの罪を着せて処刑した。それを国民の間に、確かな筋の情報として、しかし決して出どころが分からないように流布るふしてあります」


 もう一度、ちゃぷんという楽しげな水音。


「ふふ。これで、お兄様の王位もますます危ういわね?」

「はい。少なくとも、国王——いえ、宰相派は、しばらくは大きな動きには出られないでしょう」


 クリスタ王国。

 世界の全てが集う場所とも称される、花の都ディンブルク。

 その王宮に、私たちはいた。


「私にもっと力があれば、あの場で狼男を捕らえることだってできた。そうすれば、王女を危険に晒すことも、罪もない民が犠牲になることもなかった……。力及ばず、申し訳ありません」


 悔恨とともに謝罪すると、王女は静かに言った。


「あなたがいなければ、私はあの時殺されていたのよ? ……だから、謝る必要なんてない。あなたは、十分よくやったわ」

「……ありがとうございます。ですが、次に相対することがあれば必ず、捕らえてみせます」


 悔しさから自然と熱くなった私の宣言に、王女は「ふふ、お願いね」と楽しげな声を漏らした。


「ええと、報告は以上です。——この後は、いかがされますか?」


 若干の気恥ずかしさを紛らわすために私が事務的に問うと、王女はとぷんと音を立てて湯から上がる。

 そしてぴちゃりぴちゃりと身体から水をしたたらせながら、こちらへと歩いてくる。

 その水音のなまめかしさが、私の頬をわずかに上気させる。

 王女は浴場の出口まで来て、恐らくは壁を挟んで私の真後ろに背を預けた。


「ねえイマジカ。また一つ、あなたにお願いしたい事ができたの」


 彼女は、私がその願いを断れないことを知っている。


「はい。私にできることであれば、なんなりとお申し付けください」


 形式に則って返すと、彼女は不服そうに「もう、堅苦しいのは嫌だって言ってるのに」と口をとがらせる。といっても実際には見えていないのだけれど、長い付き合いだ。それくらいは分かる。

 彼女は「はあ」と一つため息をついて続けた。


「ここからずっと北にある、『クランブルク』という街のことは知っているかしら?」


 クランブルク——。行ったことは無いが、話に聞いたことはある。確かそこは——


「あの、『国境線の英雄譚』の舞台となった土地ですね」


 かつてクリスタは、北方の隣国クリュニアと激しい戦争状態にあったと聞く。

 しかし今、その戦争は少なくとも表向きは沈静化し、事実上の停戦状態となっている。

 その立役者となったのが、北方に君臨する一人の辺境伯。

 この国の英雄であり、今や知らぬ者はいない国境線の英雄譚のモデルとなった人。

 夜戦の鬼・グーダルク辺境伯。

 彼が英雄譚の最後に帰り着くのが、彼の故郷であるとされるその街。クランブルクだったはずだ。


「そこにね、ある呪術師がいるらしいの」


 呪術師——。背筋に、悪寒が走った。


「あなたには、その呪術師のところへ行ってきて欲しいのよ」

「それは構いませんが……理由を聞いても宜しいですか?」


 私の問いに答えることなく、王女は壁から背を離し、脱衣室へと歩いてきて、私の隣に立った。


「見ていいわよ」

「……」


 ゆっくりと身体を横に向け、彼女の身体に目をやる。

 誰もが羨む美貌に、まるで宝石のような輝きを放つ金色ブロンズの髪。その美しさは世界に轟き、彼女はどこにいても、常に羨望の眼差しを向けられる。

 そんな彼女の肢体は湯に濡れていて、水気を含んだ髪も身体にぴったりとくっついている。とはいえそれは異変ではなく、今が沐浴の後だからだ。

 病的なまでに線の細い身体は元からだし、胸元の血管が透けて見えるほどの白さも、元から。

 それらが得も言われぬなまめかしさを放っているのも、元から。

 しかし一つだけ。私が以前見たときにはありはしなかった異変が、彼女の身体にはっきりと表れていた。


「それは……」


 言葉が上手く出なかった。

 彼女の身体。その右胸の上部には、淡く赤黒い光を放つ、黒薔薇の紋様が浮かび上がっていた。

 ……私はこれを、見たことがある。〈裂傷の呪い〉が付与された短剣。その刀身にも、これと同じ紋様が浮かび上がっていた。つまりこれは——


「しばらく前……王都にね、双子の吟遊詩人が来ていたのよ。それをこっそり見に行った帰りに、ね」


 彼女は、まるでいたずらを咎められることを恐れる子供のようにぽつりと言った。


「呪いを受けたのよ」


 王女が、呪いを受けた。

 その事実を理解するのに、一時いっときの時間を要した。


(呪い……)


 自分が唇を噛んでいたことに気づいたのは、口にじんわりと血の味が広がってからだった。


 ある程度体系的に種類や効果が整理されている魔法とは違って、呪いはその全容のほとんどが未だ謎に包まれている。特に呪いの解呪方法は「呪いをかけた呪術師による解呪」以外の方法が見つかっていない。

 かつて、それ以外の方法によって全ての呪いを等しく解く方法を見つけ出した人物がいたのだが——、彼女はその方法を公表する前にこの世を去ってしまった。

 呪いをかける目的は呪術師によって異なるが、呪いにはその準備に決して少なくない代償……時間や労力、そして金が必要になると聞く。つまりただの気まぐれに呪いをかけたということは考えづらい。

 往々にしてあるのが、呪術師側から接触があり、多額の解呪金を迫られるケースだが——、


「解呪金の要求は」

「ないわね。今のところは」


 それが無い場合、呪術師側は既にその呪いの報酬を何者かから得ている可能性が高い。

 そしてその場合、呪術師からの接触は期待できない。

 だから、呪いにかけられ、呪術師からの接触がない場合、まずは誰にどんな呪いをかけられたのかを一刻も早く調べる必要がある。

 とはいえ呪いの内容は、私に宿る特異体質によってすぐに明らかにできる。だが、誰にその呪いをかけられたのかは、やはり直接目ぼしい呪術師のもとを訪ねて調べるしかないのだ。

 しかし……


「また城の者に黙って抜け出したんですか?」

「もう、怖い顔をしないで。本当に評判のいい吟遊詩人なのよ? 特に、全盲の奏者の演奏が圧巻だったわ」


 彼女の感想は一旦無視だ。


「外へ出るときは能力を使えと口を酸っぱくして言ったと思うのですが?」

「ええ、きちんと使っていたわよ。——それでも、私は呪いにかけられた」


 つまりそれは、呪術師は彼女の能力を知っている。もしくは、彼女が能力を使っていたからこそ呪いをかけたいうことになる。

 どちらにせよ、やることは変わらない。


「……わかりました。明日……いえ、これから発ちます」



 私は急いで身支度を整えた。

 といっても、今朝王都に返ってきたばかりで荷ほどきもまだだったから、ほとんど時間はかからなかったが。

 王宮を出る前にもう一度挨拶をと思い、前庭の花壇へ向かう。

 果たしてそこには、予想通り王女がいた。彼女は月夜の沐浴と、花が好きだ。

 夜空には星が満ちていて、その真ん中には綺麗な小望月がその身を静かに横たえている。

 花を手に、淡い光に照らされた王女の姿はまるで童話の絵本の中の登場人物かのように美しく、そして今にも消え入りそうなほど儚く見えた。


「では、リーリア様。クランブルクにいるという呪術師が、御身に呪いをかけた呪術師なのかどうか。解呪の条件として何を望むのか。それを、確かめてまいります。……何か、他にご要望などあれば」


 出立しゅったつ前の、最後の確認。いつもは「特にないわ。気を付けて」と返されるところだが、この日は違った。彼女は私に、こう指示した。


「呪術師自身と、呪術師の身の回りに起きたこと。それを全て、つまびらかにして頂戴。あとは……そうね」


 蠱惑こわく的で、いたずらっぽい笑みを浮かべながら。


王女わたしの探偵として、あなたが為すべきことを為しなさい」


 この世界で物事の真偽を見定めることは、非常な困難を伴う。

 それはひとえに、魔法や呪い、特異体質といった〈理外の力〉が蔓延はびこり、それらを他者から推し量ること、あるいはそれらを自ら証明することが基本的には不可能だからだ。

 ……だけど、私にはそれができる。

 私の眼には、そういう力が宿っている。

 クリスタ王国には、王女が草案を提出し、前国王が設置した「探偵」という官職が存在する。

 彼女ら王族は、その力——。他者の〈理外の力〉を読み取り、そして出力・明文化することができる特異体質、〈真実の眼〉を持つ者たちを国中から集め、英才教育を施した。

 その第一号が、私。


「もちろん、土産も忘れずにね。向こうには、睡眠導入剤にもなる氷のヘリオトロープが咲くというから」

「承りました」


 私は、王女の探偵だ。

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