ワシ、異世界最強の翁になる。

@poiful2000

プロローグ 『幸せな人生じゃった』

 ぼんやりと消えつつある視界。


 その視界の中心に映るのは、愛する孫の顔だ。


 本当にかわいい孫で、じじ馬鹿っぷりをたっぷり発揮して愛情を注いできただけに、私の手を握りしめながら泣いている孫の顔は、見ていてとてもつらい。




「死なないでよ、おじいちゃん!!」




 ぼたぼた涙を流す孫は必死に私に訴える。


 こんな悲しい思いを孫にさせるのには心が痛む一方、私は少しうれしかった。こんなにも私のことを思ってくれる存在がそばにいる。孫だけではない。周りにいる息子もその妻も、そして友人さえも一様に私との生涯の別れを悲しんでくれている。




(充分だ、充分すぎるほどいい人生だった)




 これほどまでに、いい終わり方を迎えられる人間が世界中にどれほどいるだろうか。最期の最期までこんなにもたくさんの愛情にめぐまれていた。


 そんな思いを抱きながら、老人は静かに目を閉じ、




 ――あぁ、ようやく彼女に会える。




 脳裏に最愛の女性を思い浮かべ、老人は静かに息を引き取った。






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






 気がつくとそこは、天国だった。


 いや、天国(?)だった。だって自分が立っているのは、なんとか腰を下ろせる程度の、白く、丸い空間なのだから。天国と断言するには些か寂しすぎる空間である。そしてその円の周りには何もなく、真っ黒の暗黒が永遠とも思えるほど深くまで続いている。




(一歩踏み間違えれば、真っ逆さまじゃな)




 そう思いながら老人は、落ちないようにゆっくりと慎重に床に腰を下ろそうとした。




 ――!?




 瞬間、腰をおろしかけていた老人は自分の手を見て驚いた。




「ワシの手にしわがない?」




 慌ててほかのところも見てみると、手だけではない。足からも顔からも、体中からしわが消えている。さらに驚くべきことに、どれだけ緑地化を試みても無駄だった、砂漠化した頭皮からーー




「髪が……生えとる。しかもふさふさじゃ……!!」




 素晴らしい。素晴らしすぎる、天国。どうやら、原理は全く分からないが天国では体が若返るらしい。しかも今までの人生の中で最高だった体の状態に。これほどの恩恵を受けられるのなら、確かにここは天国といえるのかもしれない。


 歓喜に震える元老人は、そこではたと重要なことを忘れていたことに気づく。




「ただ、若返ったはいいんじゃが、こっからワシどうすればいいんじゃ……?」




 相も変わらず、自分が絶望的にさみしい空間に一人で座っているという事実は変わらない。もしこのままずっと助けが来ないのであれば、自分は一体どうなってしまうのだろうか。飢えたり、脱水をおこしたりで、また死んでしまうのだろうか。いや、すでに死んでここにいる以上、この世界に死という概念があるのかどうかすらも分からない。まさか、このまま死ぬことさえできずに、ここで永遠にひとりぼっちで過ごさなければならないのだろうか。




 そんな絶望的思考に背筋を凍らされた時、突然、目の前に自分が立っているのと同じ、白く小さな円が現れた。


 そして、その上に光が集まったと思うと、それは徐々に人の形をかたどり始め、見覚えのある姿が眼前にできあがっていった。




 それは最期に思い浮かべた彼女――




「フミちゃん……かい……!?」




 驚きで目を丸くしながらも、思わず漏れた愛しい彼女の名前。間違いない。目の前にいるのは妻のフミだ。ただ、最期にみた彼女と比べると幾ばくか、いや、相当に若返っているようだが。




 そしてフミと呼ばれた女性も、同様に目を丸くして、




「久しぶりだねぇ、正ちゃん! しばらく見ないうちにまぁずいぶんと男前に戻っちゃって。まぁ、あんたはじいさんになっても渋みがあって素敵だったけどね! アハハハハハハハ!!」




 懐かしいこの明るい笑い声。生前、決して体は強い方ではなかったフミだったが、そんなことをみじんも匂わせない、彼女のこの天真爛漫さに正平は惚れたのであった。


 思わず目の奥からこぼれそうになるものをぐっと押さえて、正平は今一番聞きたかったことを尋ねてみることにした。




「ワシもフミちゃんと久しぶりにあえてとてもうれしいし、話したいこともたくさんあるんじゃが、まずにここは一体どこなんじゃ? どうも足下がおぼつかなくて危なっかしくていけんわい。まさかここが天国なのかい?」




「まさか! ここは天国の一歩手前、天国の住人になるための試練を与えられる場所。『聖域』なんて呼ばれてるけどね。まぁ正ちゃんなら試練なんて簡単にクリアできると思うけどね!」




「試練?」




 眉をひそめて聞き返す正平に対し、フミは悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。




「そう、試練。まさか、これから先永遠に最高の暮らしが保証された天国に、ただで入れるとは思ってないよね?」




「思っとった」




「思ってたかーーーー!!!!」




 正平の素直な返答に、フミは大げさに驚くそぶりを見せて反応する。全く、彼女は見た目こそ若返ったが、中身は全然変わっていないらしい。正平はふっと微笑を浮かべ、フミが言ったことを頭の中で反芻する。




 フミの言葉をそのままに受け取ると、どうやら天国でも、「何かを得るにはそれ相応の対価を」の原則は地球と変わっていないらしい。


 ただ、気になるのは、




「フミちゃんのいうことは分かったんじゃが、その試練の内容とは一体何なんじゃ? そして、なんでそんな大事なことをフミちゃんは知っとるんじゃ?」




「まぁまぁそういっぺんにいろいろ聞かないでよ。アタシのおつむが弱かったことは正ちゃんもよく知ってるでしょ?それで、なんだったっけ...、あぁ、試練の内容か!えっとね、天国に入る資格を得るための試練の内容は――世界を一つ、救ってもらうってとこかな。」




「……ほぇ?」




 あまりに突拍子もない答えに思わず間抜けな声が出てしまった。


 今、なんといったか。世界を救う? 確か、孫が好きだったテレビ番組でそういう設定のものがあった気がするが、そんな「スーパーヒーロー」みたいなことは漫画やアニメの中だけの話じゃないのか。ただの一介の老人、まぁ今はぴちぴちの若者になってはいるが、とはいえ所詮一人の人間である。世界を救うなどと大それたことが現実にできるわけがない。




「そんなの無理に……」




「勿論今の正ちゃんじゃ、到底そんなことは無理とは思うけど!」




 心を読んだかのようなタイミングで正平の言葉を遮ったフミは、満面のどや顔を見せつけてきた。


 むっとした表情でフミを見ると、フミは笑いながら「ごめんごめん」と謝ってくる。こういう他愛のないやりとりでさえも、懐かしさで胸がいっぱいになる。


 フミはそんな感傷に浸っている正平を一瞥し、こう続けた。




「代わりに正ちゃんには、アタシから一つだけスキルをあげるよ。一つ、世界を救えるほどのスキルをね」




「すきる?」




 あまり聞き慣れない言葉に困惑する正平に、フミはかみ砕いて説明する。




「スキルっていうのは、何か特別な力のこと。例えば、地球を救う者に与えるスキルだったら、「天才頭脳」とかがいいかな。地球にはマナが少ないから魔法系のスキルより、科学的なものを発展させるスキルの方が世界を救うのには有効だろうし。まぁ、実際は与えられるスキルは完全にランダムだから、もしハズレを引いたら、残念だけど、その世界で一回死んでもらってまた一から再チャレンジ、というわけになるけどね」




 マナとか魔法とか聞き慣れない単語がバンバン出てきて、正平の頭は完全に混乱していた。だが、混乱していた頭でも、一つ、聞き逃せないことが。




「死んでやり直しって、救おうとした世界で死んだらまたここに戻ってきて、また新しく「すきる」をもらってからもう一度世界を救いに行くってことなのかい?」




「まぁ、大体そんな感じだね。ただ、救う世界は死んでも変わらないし、やり直しにはペナルティが課されるけど。」




「ペナルティ?」




「当然、やり直しだってただというわけにはいかないでしょ? やり直しをする際には記憶をすべて消去してから、もう一度人間をやり直してもらう。そしてその人生をしっかりやり遂げた上で新たな人格として試練に再挑戦、というわけ!」




「記憶を……消す?」




「そ、記憶消去。いったん試練に失敗した人間なんて、たかがしれてるでしょ? ならいっそ記憶を消して一から人間をやり直してもらった方が、有能な人間ができる可能性が高いじゃん。だから試練に失敗した人間の記憶はぜーんぶ消してから元の世界に転生してもらって、新たな人格で試練に再挑戦……あれ?これって当人の記憶はないから実質初挑戦? むむむ……どっちが正しいんだろう……?」




 フミがふとした矛盾に気づき、頭を抱えている姿を見ながら正平は愕然としていた。




 フミが他者を蔑ろにした発言をしたという事実が信じられなくて。




 フミは軽口やおふざけ程度だったらいくらでもするが、決して他者のことを軽んじた発言をする人ではなかった。いつも周りのことをよく考え、困っている人を見捨てられず、悲しんでいる人には寄り添うような、そんな人物だった。そのフミが、失敗した人間を、「たかがしれている」などと、そんな見下したような発言をしたことが信じられなかった。




「フミちゃん、そんな言い方はないだろう。たとえ失敗したって、そこから成長することもあるじゃないか。何でそんなひどい言い方……」




「ミカエル様がそういったから」




 突如、ひどく感情のない声がかえってきて、正平は一瞬それを誰が言ったのかわからなかった。




「ミカエル様がそういったから」




 二回目を聞いて、正平はようやくその声の主がフミだと気づいた。そしてその事実に驚くとともに、聞き慣れない単語に「?」が浮かんだ。




「ミカエル……?」




 一体誰なのだろう、そいつは。「様」をつけるくらいだからきっと偉い人なのだろうが、フミの言葉からすると、その人の言葉がフミを変えたというのだろうか。だとしたら心優しかったフミから優しさを奪ったミカエルとかいうやつは到底許せるものではない。ただ、そいつの言葉程度でフミの人間性まで変わるとは思えない。一体何が彼女をここまで――




「『様』をつけなさい!!!!」




 そんな思考はフミの怒声にかき消された。




「ミカエル様をっ! 呼び捨てだなんて!! そんな不敬がっ!! 許されるわけ!! ないでしょう!?!? あの崇高なるお方への不敬はっ!! この『狂愛』のっ! フミ=サリアがっ!! 決して許さない!!! 許してはならない!!!」




 突如として怒り狂いだしたフミに、正平は驚きを隠せなかった。




(――この様子は、明らかに異常だ。)




 目は血走り、怒りで我を忘れたフミの口元からはよだれが垂れている。どう見ても常人の様子ではない。まるで見えない何かにとりつかれたかのような様子に、正平は思わず身震いしてしまった。




(とりあえずフミには冷静になってもらわないと話すらできないな)




 そう考えた正平は、とりあえずフミに謝罪を試みることにした。




「ごめん、フミちゃん! ミカエル様がそんなにも崇高なお方だったとは知らなかったんじゃ! もしよかったら、そのミカエル様のことをワシにも教えてくれんかの?」




 その瞬間、怒り狂っていたフミはピタリと動きをとめ、ゆっくりこちらを見た。




「あぁ……分かったならいいのよ。そうよ、そうよね! ミカエル様のこと知りたいわよね!! 教えたい! 教えてあげたい!! あの方の素晴らしさを! 偉大さを!!」




 どうやらフミの怒りを静めることには成功したようだ。ただ、また別の変なスイッチを入れてしまった感は否めないが。




「ただ……」




 そこまで恍惚とした表情で話していた彼女は突如、沈鬱な表情で下を見つめた。ここまで感情の振れ幅が異常なところを見ると、彼女の身に何かあったのは間違いないと、そう認めざるを得ないだろう。


 そんなことを考えている正平のことなどお構いなしに彼女は続けた




「ミカエル様についてお話しできるのは正ちゃんが試練をクリアした後って決まってるから。残念だけど、今は話せない」




 本当に悔しそうに、残念そうに、フミは言った。




「どうして! ちょっとでもいいから教えてほしい!!」




 フミをこんな風にしやがったミカエルにはそれ相応の罰を与えねばなるまい。そしてその上で、フミを元に戻すことにも協力してもらわなくてはならない。そのためには、少しでもミカエルのことを知っておく必要があるだろう。だからなんとしてでもここで、ミカエルについて少しでも多く教えてもらわなければ。




 だが、そんな考えは無駄に終わった。




「だめなのよ、それがルールだから。……あぁ、もうこんなに時間が経ってたの。早く正ちゃんを異世界へ飛ばさないとミカエル様に怒られちゃう。」




 そう言うと、フミは、正平のことなど眼中にもないといわんばかりにさっさと彼女の目の前に時空の割れ目を作り出した。それはなんとなく歪な形で、不気味なものだった。




「試練のクリア条件はさっきいったとおり。救う世界とスキルは完全ランダムだから、いいのが出るようにミカエル様に祈っててね」




 正平との別れに何の感情も抱いていないかのような声で、業務連絡的な口調で淡々と説明をしていく。どうやら、あのミカエルとやらへの異常なまでの崇拝の気持ちがばれた時点で、フミは正平に対して現在のフミの様子を隠すつもりはなくなったらしかった。




 もはやここで最初に会ったフミは幻想なのではないかと思うほどの変わりように、正平は戸惑いを禁じ得なかった。




「待ってくれ、フミちゃん! まだまだ聞きたいこと、話したいことがたくさん……!!」




「バイバーイ!」




 そんな正平の叫びもむなしく、フミは無情にも正平を時空の割れ目に吸い込ませた。










「頑張ってね」




 最後に聞こえたその声だけは、フミから正平に向けられた、本心からの声な気がした。


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