第百四十三話 喜悦
――ハックアンドスラッシュ。
それはプレイヤーがランダム性の高いダンジョンを攻略しながら、自らを強化していくアクション性のあるゲームだ。
繰り返し要素ややりこみ要素が強く、キャラの育て方によっては無限の遊び方ができる非常に根強い人気を誇るゲームである。
そのハックアンドスラッシュを支える一番とも言えるゲームシステムがランダム装備。
入手する毎に変化する様々な能力を持つ強力なアイテムを求め、プレイヤーは何度も繰り返しダンジョンに挑戦する。
すなわち、ハックアンドスラッシュのプレイヤーは様々な能力を持つ装備を大量に有していると言える。
それがH氏の能力の正体であり、ヴァギアが高レア装備に身を包んだ勇者に傷をつけるほどのダメージを与えることができた理由だった。
「見事だわ。本当にしてやられたとしか言えない。H氏は後でお仕置きね♥ 動揺する男は女の子を不安にさせちゃう。交渉もエッチも同じって教訓だわ♥」
蠱惑的なため息。それはサキュバスの女王から漏れ出たものだ。
拓斗がH氏のゲームを完全に言い当てたことで状況が変化したことを悟ったのだろう。
それはすなわち、今までどうにか彼女なりの和平を模索していた対応が、明確に拓斗たちの排除に傾いた事を意味している。
「けれども、H氏のゲームがハックアンドスラッシュと分かったところでどうするの? 情報は戦力差を覆すものにたり得ないわ♥ そ、れ、に……」
「ちっ、サキュバスどもの本隊がわらわらと集まってきたな……」
優が焦りの声を漏らす。
ただのサキュバスなら問題なかった。だが今集結している者たちは護衛の二人とまでは行かずとも上位の位階らしく一筋縄ではいかない気配を漂わせている。
それだけではない。その全員がH氏の装備を身につけているのだ。
優にすら傷を付けるハックアンドスラッシュの武具。
強力なアイテムにはレベル制限や能力値制限があるのが常だ。拓斗が予想するH氏のゲームでもその制限は同じ。
その点で言えば戦力がインフレしないのはありがたかったが、だとしても楽観視出来る戦力では無い。
むしろ装備制限があったとしてもなお、あらゆる敵を寄せ付けないと断言できるほどの戦力であろうことは確かだ。
「H氏から提供してもらった強力無比な高レア装備を身につけたエルフとサキュバスの混成軍。それらをマイノグーラとの国境に配置している。私がひとたび号令をかければそれが一斉に暗黒大陸に押し寄せるわ」
さらに、ヴァギアが用意していた作戦はそれだけではなかった。
拓斗もその事に思い至り、わずかながら眉間に皺を寄せる。
この強力無比なサキュバスとエルフの混成軍だ。さしものマイノグーラの軍勢と言えど勝てる見込みは無い。
もしもマイノグーラの研究やユニット生産が最終段階まで到達していたのなら話はまた違っただろうが、もしもを語るのはこの世界で最も愚かな事の一つであることを拓斗はよく知っていた。
現状の戦力では個人でも軍でも到底叶わない。
それは火を見るよりも明らかだ。
(クオリアがこの同盟に参加していたのが不思議だったが、案外この戦力で脅されたというのが理由だったりしてね)
すでに地上まで落下した――まぁおそらくどこかのサキュバスに助けて貰っているだろうクオリア法王の苦渋に満ちた表情を思い出す。
「確かにマイノグーラという国は強力な闇の軍勢を所有しているでしょう♥ 暗黒大陸の中立国家も少なからず戦力を保有している♥ けれども、生命体として人より上位の性能を持つサキュバスと、彼女たちを支える名品級の装備。それらを相手にどれだけ持つというのかしら?」
彼女の言葉はまさしく正論である。
そして同時に彼女の言葉通り拓斗は現状においてサキュバスたちを押し返す力を持ち合わせていない。
片方ならなんとかなった。
サキュバスの軍勢、ハクスラの装備。それらを同時に利用されては拓斗としても窮地に立たされているという現実を認めざるを得ない。
「イラ=タクトちゃんには散々辛酸をなめさせられたけどこれでもうおしまい♥ ふふふ、諦めて楽になりなさい! エッチなサキュバスお姉さんのハーレムご奉仕コースがあなたたちを待っているわよ!!」
囲まれた。
すでに周辺はサキュバスたちによって埋め尽くされており、逃げる隙はどこにも存在しない。
七神王の魔法カードによる結界もまだしばらくは解除されそうな気配はなく、アイの転移魔法に期待することはできない。
優は体力的にはまだまだ戦えそうだが、この危機的状況を前に精神の方が先に疲弊してきているようだ。
ヴィットーリオは完封されているため役には立たず、拓斗が操る《出来損ない》も英雄に迫る戦闘能力とはいえどこの状況を覆せるほどではない。
(なるほど、ほぼ詰みって感じだね)
拓斗は冷静に状況を分析する。
拓斗本人はこの場にいないため無事だろう。ヴィットーリオも自害すれば逃走できる。
だが優たちはそうではない。彼らは拓斗達の様にこの場を脱出する切り札を持っていないだろうし、サキュバスたちに勝てる手立てもない。
そして相手側も馬鹿ではない。
彼女たちが言う平和に協力しないのであればどのような手段をもってしても取り込みをはかるだろうし、様々な効果を持つ七神王のカードならば場合によっては洗脳や関係性の変更なども可能だろう。
無論、その点で言えばフォーンカヴンの使者も軽んじることはできない。
指導者の代理に選ばれるほどの役職を持つものなら当然マイノグーラとフォーンカヴンが行っている取り引きについて詳細に知っているだろうし、外部に漏らすには不味い情報も沢山持っている。
この場にいる全員が無事帰還すること。
最低でもそれが今後を見据えた上で必要な目標だった。
「や、やべぇよ……」
「ご主人様……」
じり……と包囲網が狭まる。
相手側が一気に飛びかかってこないのは今もなお拓斗らの行動を警戒しているからだろう。
ずいぶんと慎重に事を運ぶものだ。
時として勢いに任せて行動した方が結果として良い方向に向かう事を知っている拓斗としては、相手の――特にヴァギアの偏執的なまでの臆病さは気になるところだった。
「ふむぅん。これは絶体絶命! んでんで、いかがなさいますかぁ?」
ヴィットーリオが問うてくる。どうやらタイムリミットが来たらしい。
時間稼ぎもこれ以上は無理だろう。
拓斗はゆっくりと辺りを見回すと、やれやれといった様子で両手を軽く挙げた。
「ゲームのシステムというのは、つくづく理不尽だと思うよ。どれほど策を練り、どれほど力を蓄え、どれほど慎重に動こうともソレを容易に覆す。バランスなんてあったものじゃないね」
「それは同意ね♥ というか、エロゲーだのSLGだのRPGだの、そういうのごちゃ混ぜにしたらこうなるのもわかりきってるのよ♥ まっ、私には関係ないことだけどね。それに、もうあなたたちにも関係ないことよん♥」
ヴァギアの提案を受け入れれば命は助かるだろう。
だがその先に待ち受けるのは甘く淫靡な世界で行われる牧場の家畜としての生活だ。
流石にそれを受け入れる訳にはいかないし、拓斗のプレイヤーとしての矜持が許しはしない。
「さ、私の手をとってねんマイノグーラの王、イラ=タクトちゃん。今ならこのエッチなお姉さんが、特別にお相手してあげる」
そしてなにより……。
「残念ながらそれは遠慮させてもらうよ。僕の心にいる人はただ一人だからね」
拓斗は決めたのだ。
全てを取り戻すと。失ったあらゆるものを、この手に取り戻し、そして天上の世界へと国民を導くと。
彼の決意は揺るがない。
止まらぬから、そして止められぬからこそのトッププレイヤーなのだ。
「というわけで魔女ヴァギア。理不尽の時間だ――」
「……え?」
「《大儀式:仄暗い国》」
その言葉と同時に、不可視の力場が大陸全土に広がる。
そう……大陸全土だ。
世界樹周辺に張られた結界など意に介さぬほど強大で、強力な魔法が発動しようとしていた。
魔力の奔流が世界に吹き荒れる。
それは誰も傷つけることなく、何も破壊することなく……。
だが明確に、世界の理を書き換えようとしている。
「ヴァギアさん! 逃げられます!」
「つ、捕まえて! 絶対に逃がしちゃダメ!」
魔女ヴァギアが、護衛のノーブルサキュバスが、そしてこの場に集うサキュバスの精鋭兵たちが。
それらがH氏の用意した神話、伝説、名品級の数々を持って拓斗らに殺到する。
まさに一撃必殺。
高レア防具で固めた勇者の防御力ですら貫く強力な攻撃が雨のごとく降り注ぎ、その悉くが寸分違い無く拓斗ら全員に命中する。
だが……。
「――なっ! なんで……きいてない!?」
理不尽なまでの攻撃の嵐は、だが彼らを止めるどころか一切の傷を負わせることが叶わなかった。
まるで、はじめからそんな事が許可されていないかのように……。
ヴァギアの顔が驚愕に見開く。
今までも何度か感情を見せていたサキュバスの女王だったが、今見せている表情はその中でも特に感情的で、怒り、驚愕、苦悶、後悔、恐怖、あらゆるものがない交ぜになっている。
拓斗は目と鼻の先、まるで恋人が口づけを交わそうとするかのごとき距離まで顔を近づけると、ヴァギアの顔をじっくりと、じっくりと眺めながら心底うれしそうに嗤う。
「うん、その顔が見たかった。キミにも僕が味わった理不尽を感じて欲しかったんだ。ほんと嫌になっちゃうよね」
バッとヴァギアが怯えたように距離を取り、彼女を守るかのように護衛のサキュバス達が間に入る。
その間にも遠近関係なく攻撃が加えられるが、何人たりとも拓斗らの防御を攻略できずにいる。
暗い闇が、ゆっくりと拓斗たちを包み込んでいく。
サキュバスたちが距離を取り、何があっても対処できるように鋭い視線を向ける。
その反応が少しおかしくて、拓斗は苦笑いしながら軽く手を振る。
「安心して、これでお開きさ。けど残念ながら君たちが一枚上手だったことは認めないといけない。勝負は一旦預けるよ。まっ、再開するのはずっと先だろうけどね……」
ドロドロとした黒い魔力はどんどんと拓斗達を包み込み。
やがてその全身が闇で覆われる。
拓斗は己の視界が遮られる瞬間、ヴァギアをしっかりと見つめ……。
「次は負けない」
そう言い残し、彼らは闇に包まれた。
その後すぐに魔力の奔流が収まり、闇の塊も霧散する。
無論その後には何も存在しない。
拓斗らは、はじめからいなかったかのように、逃走不可能とされたこの場所から消え去っていた。
=Message=============
大儀式が発動されました。
仄暗い国:マイノグーラ
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