第百十一話:調略

 商業都市セルドーチはレネア神光国の首都でありかつてのクオリア南方州の州都であるアムリタより南部に位置し、最も暗黒大陸に近い場所に存在している国境付近の街だ。

 暗黒大陸――住まう者に過酷な環境を強いるこの極限の地にて現在強い影響力を発揮しつつある国家が多種族国家フォーンカヴンと暗黒国家マイノグーラ。

 破滅の王イラ=タクトが与えし様々な技術や物品によって急激に発展を遂げるこの両者の国家と隣接するということは、すなわち両国からの影響力を強く受けるということを意味している。

 況んや現在はその破滅の王との争いによって南方州自体が機能不全に陥っている状況である。

 日記の聖女が駆けつけた州都ならばまだしも、それなりの規模とは言え末端の一都市であるここセルドーチなど、一顧だにされることもなく放置となっているのが現状だ。

 神の愛は無限なれど、人が救える数は有限であるが故の苦渋と言える決断。


 舌禍の英雄であるヴィットーリオが、その様な状況を見逃すはずはなかった……。


 ………

 ……

 …


 セルドーチ第一教区教会礼拝堂、臨時治療場。


「ごほっ、ごほっ……うう、全然良くならないなぁ」

「すいません、どなたか水を……」


 病に冒され、苦しむ人々の声がそこかしこから聞こえてくる。

 悲劇が生んだ英雄である双子の少女、エルフール姉妹。

 その片割れである妹のキャリアが満月の夜に生み出した疫病の呪いは、遠くこの地まで蔓延していた。

 それ自体は少し苦しい風邪の様なものである。潜伏期間があり、空気によって感染し、自然治癒に任せた場合かなりの長期間苦しまなければいけないという点を除けば、健康的な人の命を脅かすようなものではない。

 だが、だからこそその性質が厄介極まりない悪影響をもたらす。

 人々の旺盛な往来と交流が、悪意によって形作られたこの疫病を一瞬のうちに南方州全体まで蔓延させるに至っていた。

 現代であれば感染爆発、あるいはパンデミックと呼ばれる状況だ。

 ゆえにこの状況は特異なものではなく、何処の都市や村落であっても似たような光景が繰り広げられている。


「だぁいじょうぶですかっ!? みなさんっ、すぐによくなりますよぉ!」


 ここ第一教区教会もまた同様であった。

 信徒の礼拝はもちろん、都市に災害や問題が発生した場合の臨時の指揮所や避難所としても設計されているその場所では、現在ある種の戦場の様な空気感が漂っていた。

 人々の多くは椅子や床に座り込み、ぜぇぜぇと息苦しそうに治療を待っている。

 特に症状が重いものは床に作られた寝床に伏せり、命の危険はないとはいえかなり辛そうだ。

 看病の者がひっきりなしに行き来し、症状が重い者から軽い者、立場問わず老若男女。

 治療を求めてやってくる人々は後を絶たない。

 これ以上はもはや受け入れる余裕がない。礼拝堂はすでに一杯で足の踏み場も怪しい有様。

 根本的な治療法が無いが故に対症療法しか存在せず、人は山のように来るが快復して出て行く者は数える程しかない。

 限界が訪れようと……いや、すでに限界は訪れていた。


 そんな中、一人の患者が運び込まれてきた。

 聖騎士だろうか? 特徴的な騎士鎧を纏う若者に背負われた年老いた男性はかなり症状が重く、彼らの表現を借りるなら今にも神の元へと旅立ちそうだ。

 病魔が原因と言うよりも老齢であることによって肺炎を併発しているらしく、急激な体力低下も相まって重態となっているらしい。

 弱い病気であっても抵抗力の少ない老人子供などには時として致命的になる。

 この老人も、いずれこのまま治療の甲斐無く力尽きる可能性が高い。素人目に見ても、危険な状況であることは明らかだった。


「教祖さまっ! 教祖さまはおられますかぁ!? 急患なのですっ! 急患なのですぅ!!!」


 騎士によって椅子に座らせられた老人、彼の容体を遠目に把握した者が慌てて駆け寄り礼拝堂に響き渡る声で叫ぶ。先ほどから熱心に人々の治療に勤しみ、礼拝堂中を駆け回っていた男だ。

 その声は真に迫り心の底から人々の身を案じており、同時にこの状況に混乱をきたし動揺している様にも思える。

 教祖とは誰であろうか? ともあれ彼ほどの奉仕の心を持つ者が叫ぶからには重要な人物であろう。


「急患ですぅ! 教祖さまぁぁぁ! 《イラ教》の代理教祖さまぁぁぁぁ!」


 礼拝堂中に響きたる耳障り極まりない大声量。その者こそ……。

 英雄ヴィットーリオであった。


「うっせぇな……目の前にいるだろうが。お前の目は節穴か?」


 大きな舌打ちをしながら心底嫌そうに吐き捨てたのは《イラ教》の代理教祖ヨナヨナである。彼女の言うとおり先ほどからヴィットーリオの隣に居たし、老人の状況についても把握していた。

 無論ヴィットーリオも彼女の存在には気付いていたはずだ。むしろ先ほどから何度か目が合っていた。


「おお! 代理教祖ヨナヨナさまっ! そこにいらしたのですかぁっ!」


 にも関わらずこの態度。まるでようやく待ち人が現れたりとでも言った大げさな喜び。

 白々しいにも程がある。

 ヨナヨナはさらに大きく舌打ちをする。このクソ忙しい時にくだらない茶番をやるなとでも言いたげな表情だ。

 その表情と態度をどう受け取ったのか、病人であるはずの老人が萎縮しはじめる。


「ご、ごほっ。ごほっ! も、もうしわけぇございません……こんな死に損ないがご迷惑をおかけして」


「ああ、気にすんな。機嫌が悪いのはあそこでご機嫌に踊ってるバカのせいだ。それより、苦しいだろう、ほら横になりな……」


 ヨナヨナの言葉と助けによって老人は横になる。

 言葉こそ少々男勝りではあるが、その声音に険はなくむしろ慈愛が籠もっている。

 気遣う仕草にはいたわりの心があり、それだけで彼女の心魂が分かるようだ。

 ぜぇぜぇと荒かった老人の呼吸がいくらかマシになったのを確認すると、ヨナヨナはそっと辺りを見渡す。

 すでにこの場は人々で満員だ。これ以上の受け入れは不可能だろう。

 時間としても頃合いで、これまでの流れを考えるとそろそろアレをはじめなければならないと、ヨナヨナはため息を吐く。


「はいはいはーーーーいっ! みなさんご注目ぅぅぅぅぅ! 今から我らが代理教祖であるヨナヨナくんがぁぁぁっ! 皆さんをぉぉぉ! 苦しみから解放しちゃいますぅぅぅぅ!」


 そんな彼女の気苦労を察したのか、タイミング良くヴィットーリオがまた大声で叫び出す。

 その声量と内容に、病に苦しむ人々の視線が一つに集中する。

 無論その先はヨナヨナだ。すでに何度も経験しているが、彼女はこの瞬間が非常に苦手だった。

 元々が変哲も無いただの村娘だ。このように目立つ経験など今まで無かった。特に自分が祭り上げられるような人間では無いと理解しているが故にその気持ちはひとしおだ。


「どうぞぉ? 皆がヨナヨナくんを待ってますよぉ? どうぞどうぞぉぉ?」


 無論わざわざ大声を張り上げたヴィットーリオの目的がヨナヨナへの嫌がらせであることに疑う余地はない。

 ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべて煽るヴィットーリオをにらみ付け、ついでとばかりにそのつま先を盛大に踏んづけてやり、ヨナヨナはコホンと咳払い一つし気持ちを切り替える。


「い、偉大なる神イラ=タクトよ! この哀れな者たちへ、その癒やしの力を示したまえ!」


 ヨナヨナが大きく両手を広げ天に向かって叫ぶ。

 若干のぎこちなさはあるものの、こい願うようなその真摯なる祈りに人々の視線が注目する。

 一体何が起こるのか?

 苦しむ市民達に気付く者はいなかったが、ヨナヨナは宣言と同時に至極小さな誰にも聞こえない程の声量で誰かに向けてそっと呟いた。


「――今っす。お願いします」

「了解なのです……」


 瞬間、不思議なことが起こった。

 突如まるで神の威光に病魔が怯え去ったかのように人々から苦しみが消えたのだ。

 あれほどまで人々を苦しめた病が、ヘドロのようにへばりつき一向に消え去らなかった苦しみが、まるで一つの意志を持っているかのようにスッと人々から消失する。

 丸で神に直接命令され、頭を垂れて引いたかのように……。


「く、苦しくない! こ、これは一体――」

「おおっ! ありがたや! 先ほどまでの喉の痛みが嘘のようだ!」


 人々から困惑と同時に歓喜の声があがる。

 先ほどまであれほど苦しそうにしていた老人も快方にむかったようで顔色がみるみると良くなっていく。

 正体不明の疫病はおろか、併発していた肺炎さえもまるで忘れてしまったかのように消え去っているのだ。

 自らに起きた劇的な変化に驚きを隠せない老人と、突然の事にいまだ思考が追いついていない民衆に対して説明するようにヨナヨナは珍しく声を張り上げる。


「えっと……偉大なる神であるイラ=タクトが奇跡をお示しになりました。ウチ――私は何もしておりません。ただ皆の声を神へと届ける祈り手になったまで。人々よ、神へ感謝の祈りを。偉大なる神、唯一の神であるイラ=タクトへ祈りを捧げてください、っす」


 無論。この場における神であるイラ=タクトはそんなことやっていない。

 くだんの神は現在イラ教に関連するヴィットーリオのやらかしの尻拭いと、今後の作戦進行におけるバックアップのためにひたすら書類仕事を行っている最中である。

 すなわち、この場におけるこの奇跡――病魔の退散を起こしたるは……。


「あざっす。今回も問題なくいけそうっす」

「それは良かったのです」


 後悔の魔女。その片割れ――キャリア=エルフールであった。


「おおっ! これが奇跡!?」

「神様が奇跡をお示しくださるなんて、なんて素敵なことなの!」

「偉大なる神イラ=タクト……、なんと深き慈悲の心を持つ御方か」


 方々から人々の喜びの声が沸き起こる。

 あれほどまで苦しんだ病が一瞬で消え去ったことで、抑圧されていた気力が爆発し持て余しているかのような歓声だ。

 喜び、安堵、興奮……。

 その歓声には様々な感情が込められている。


 軽度の病魔の克服は、実のところそこまで難しいことではない。

 滋養強壮作用のある薬草や、ある程度の修行を積んだ魔術師や聖職者によってそれらは比較的簡易に解消できるのだ。

 だがこの規模を一度に、それも一瞬でとなるとその難易度は天文学的に増加する。

 それこそ、神の奇跡によって以外なし得ないと考えられる程に……。


 だからこそ人々はこれほどまでに歓喜し狂乱しているのだ。

 故に、当然の如く、人々の感動と信仰は一手に集まる。

 彼らにとって新たなる神となる、イラ=タクトに。


「っと、皆さんが元気になったことに神もお喜びのようです。偉大なるその御名を忘れぬように。イラ=タクト。マイノグーラを治めし、完全で一切の欠点のない、皆が信仰を捧げるべき絶対なる神っす……です」


 キャリア=エルフールは疫病を操る。

 自らがばらまきし呪いの病であれば、それを消し去ることなどまさしく朝飯前。できぬ道理はどこにもない。

 このようにタイミングを合わせて人々の病を消し去り、奇跡を演出してみせることなどお手のものであった。

 疫病をばらまいた者たちが、その病魔を取り除き感謝される。

 これほどまでに滑稽な光景が果たしてあろうか?

 しかし知らぬということは、時として幸福を呼び寄せることもあるのだ。

 とりわけ無垢で純粋な、強大な存在の前には吹けば飛んでしまうようなか弱い市井の人々にとっては……。


 ヨナヨナを中心に、人々が自然と祈りを捧げ始める。その向かう先はイラ=タクト。

 祈りの力は、大きなうねりとなってただ一箇所へと流れ続けていた。


「奇跡じゃああああああああ! 吾輩は今! 神の奇跡を直接目の当たりにしているぅぅぅぅぅぅ!!! 皆さんっ! 見ましたぁ!? 奇跡ですよこれ! ガチの奇跡ですぞこれはぁぁぁ!!」


 ヴィットーリオが大げさに叫び、人々を扇動する。

 その熱が伝わったのか、はたまた彼の能力故か……だが間違いなく言えることは、この場にいるセルドーチの人々は、確実にその熱狂の渦に巻き込まれているという事である。


「「「うるさ……」」」


 ちなみに、三人の娘だけは酷く不機嫌な様子だ。

 もちろん、ヴィットーリオがそんな三人に対して何らかの譲歩や配慮を見せることは永遠にない。


「ではぁ、これからも我らが偉大なる神、イラ=タクトの為に祈ってくれますねぇ?」


「「「はいっ!!」」」


 これが毎朝、毎昼、毎夕、毎晩行われている光景である。

 街のあらゆる場所から人々を集め奇跡と称した詐欺を働き、熱狂と興奮、そして多大なる欺瞞を持ってして教化を行うのだ。

 ここぞとばかりに先ほどまで人々の看病を行っていたイラの信徒がイラ=タクトを神と称える邪書を配っている。

 《イラ教》は、この街の中心まですでに入り込んでいる。

 あともう少し、ほんのちょっとだけ背中を押せば、彼らは教主国であるマイノグーラへの帰順を自ら願い出るだろう。

 事実すでにその相談と打診はあり、マイノグーラの文官が追加で派遣されている。


 だが一つ疑問がある。

 この場にいるは敬虔なる聖教の教徒ばかり。果たして信仰心厚き彼らをそう簡単に趣旨変えさせることが出来るだろうか?

 それどころか《イラ教》の教徒は現在そのほとんどがドラゴンタンの出身――つまり獣人の割合が多いのだ。

 代理教祖のヨナヨナを含め、正統大陸地域で野蛮人とされている彼ら獣人が当然の様に受け入れられているのは強い違和感がある。

 無論、それらの理由もすぐに分かる。

 懸念事項の対策を怠るヴィットーリオではない。その仕込みを忘れるイラ=タクトではない。


 狂乱の中、一人の聖騎士が居心地悪そうにキョロキョロと辺りを見回している。

 れっきとした聖教の聖騎士であり、レネア神光国崩壊の際に首都であるアムリタに居なかったことから災厄から逃れた運の良い人物だ。


「んんん? いかがなされた聖騎士殿ぉ? 大丈夫ですかなぁ? ご気分がすぐれないとかぁ?」


「いえ、大丈夫です。だけど、何か忘れているような……? 私が祈りを捧げる神は……」


 先ほど老人を連れてきた彼は、まるで呆けたようにこの光景をぼんやりと眺めている。

 この場において無言を貫く方が逆に目立つ。ヴィットーリオが彼に気付いて声をかけるのは当然であった。

 だが声をかけられたとうの本人は、それすらもよく分かっていないようでただ不思議そうに首をかしげるばかり。


「むぅぅぅん? おかしいですねぇ? この街の住人には、あらかた余計な事を忘れて頂いたはずですがぁ……? しからば、さいきょ~いくっ! んよろしくぅっ!」


「えーっ、はーいはい……」


 くるくるとミュージカルじみた滑稽な回転をその場でしたヴィットーリオが、ビシリとある一点を指さす。

 その先にはいるは双子の片割れ、メアリア=エルフール。

 彼女はどこかやる気のない表情と返事で、困惑気味の聖騎士へとスッと手をかざす。


「忘れちゃえー」


「――んっ? おや? 一体私は……」


 すると不思議なことに、先ほどまでの態度から一変して聖騎士の男性はすっきりとした表情を見せる。

 まるで憂い事が無くなったような、懸念などそもそも忘れてしまったかのような。

 そんな、なんとも奇妙な表情だ。


「ふむぅん。この方は中級聖騎士ですかぁ。レベルによるレジスト。この都市に来たときに聖騎士は念入りに忘却させたと思っていたのですが、確認不足ですなぁ。ちょっとちびっ娘ー? お仕事ずさんなのではぁ?」


「いーっだ!」


「なんと! 反抗期っ!」


 べーっと舌を出して威嚇するメアリアにヴィットーリオが大げさに反応する。

 まるで非協力的な態度が不本意とでも言った様子だが、この場におけるヴィットーリオの印象はすこぶる悪い。

 特にヨナヨナと姉妹の三人に至っては平然と暴言を吐いたり反抗したりする始末。

 彼のマイノグーラにおける立ち位置が、一目で分かる光景だった。


「あの何かありましたか?」


 聖教への信仰心と共に、先ほどまでのやりとりすら忘れてしまった聖騎士の男。

 彼に残るのは、人々への奉仕の心と、たゆまぬ鍛錬によって鍛え上げられた肉体。

 そして行き先を失った強い信仰心のみである。

 ――いや、信仰心の行き場なら、今新たに用意された。


「いやいやお気になさらずに聖騎士どの! ああ、聖騎士という名前は些か現状にそぐわぬ名称ですねぇ。ここは《イラの騎士》と、名付けましょうかぁ」


 その言葉で騎士の男の瞳が輝く。

 強く燃えたぎる信仰を思い出したが故だ。それはほんの数日前とは似ても似つかぬものかもしれないが……そのような記憶の存在しない男にはなんの意味もない事である。

 もはや今の彼には、何故自分が聖騎士などと呼ばれていたのかすら理解できない。

 ……理解する必要も無い。


「《イラの騎士》! それは素晴らしい称号です! 偉大なる神の御名に恥じぬよう、粉骨砕身職務に励みます!」


「ぐぅぅぅぅっど!」


 どこか、この世界の人々が知覚できないレベルで男の所属が変更された。

 寄る辺を失った者はこうもたやすく誑かされる。

 神の信仰を消し去り、誰の庇護も受けなくなった人々を取り込むなど、それこそ赤子の手をひねるよりも簡単なことであった。

 聖騎士――イラの騎士は高い教養を求められる特殊な役職である。

 戦闘能力もあり、教養もあり、経験もある。これほどまで有用な人材は早々いないだろう。

 これにて、闇の勢力は労せずまた便利な手駒を手に入れた。


 これが、破滅の王イラ=タクトが仕込み、ヴィットーリオが演じて見せた作戦である。

 キャリアの疫病によって南方州全体の混乱を引き起こし、相手の懐に入り込む。

 そうしてメアリアの忘失能力によって人々から聖神の信仰を奪い去り、ぽっかりと空いた穴にそのまま新たなる神であるイラ=タクトを滑り込ませるのだ。

 南方州の州都であるアムリタはイラ=タクト降臨の影響ですでに首都としても州都としてもその管理能力を喪失しており、各都市や村落に対する影響力と情報収集能力を失っている。

 ただでさえ破滅の王による呪いと称される一連の疫病と忘失の爆心地がアムリタなのだ。

 この規模の混乱を経験したことがなく、対症療法的な方法しかとる術を持たない日記の聖女ら派兵軍では後手に回るのは当然であった。

 厚顔無恥にも程があるマッチポンプと、それに伴う火事場泥棒。

 すでにマイノグーラの手に落ちた集落や村落は数知れず、皆が皆笑顔で感謝の言葉と共にイラの信徒として神への祈りを捧げている。

 ここ、商業都市セルドーチは周辺の地域を堕とした後の、総仕上げ。

 土地、生産力、人口、軍事力、信仰。

 全てを手に入れる事が出来る渾身の策であった。


「んんむぅ。この国には優秀な人材がた~くさんいて、実に良いですねぇ。しかもよりどりみどりのやりたい放題だなんてっ! 吾輩テンション上がっちゃう!」


 どこかの詐欺師が先ほどから騒がしいため、少女達の機嫌は最悪であったが、作戦自体は順調に進んでいる。

 ヨナヨナは考える。このまま行けばこの都市は完全にマイノグーラの所属となるだろうと。

 同時にあまりに簡単に事が進むためにこのままの勢いで南方州全域もと欲が出るが、そこで短慮に走るようではそもそも作戦などまかされていない。

 足るに値する能力があるからこそ任されているのだ。その点で言えばヨナヨナも一角の人物と言えた。

 そんなヨナヨナが、信頼の置けぬ教祖の代わりにミスがないかとあれこれ思案していると、人数管理などの計算事を任せていた信徒の一人が報告にやってくる。


「ヨナヨナ代理教祖。今回の奇跡にて都市の教化率は7割ほどとなりました。あと数回ほど神が奇跡をお示し遊ばされれば、残りは巡回による個別の説法で事足りるでしょう」


「りょーかい。神を信仰する奴が増えれば触れるほど、神はお喜びになるからな。次にお会いする時に情けない報告はしたくねぇ。皆でがんばろうぜ」


「吾輩も! 吾輩も頑張りますぞっ! ふぁいとっ!」


「「……ちっ」」


 信徒と一緒に舌打ちをしながら状況を整理する。

 人口が多かったために少々手間取った都市だったが、あと数日も滞在して奇跡を披露してやれば陥落することは明らかだ。

 すでにマイノグーラの本拠地である大呪界において、新たに手に入れた街や村々へ配備するための配下や《人肉の木》の苗木等の手配が進んでいる。

 攻撃こそが最大の防御とはよく言ったもので、この作戦は相手の国力を削り自らの国力を増強させる一挙両得の性質を持つ非常に巧みで有用なものだ。

 そこまでは理解できる。だがいくらヴィットーリオの薫陶あつく、ある程度彼の人の考えを推察出来るようになってきたヨナヨナであっても、当然分からぬこともある。


「なぁ、バカ教祖。なんでウチがこんな役回りなんだ? 正直むずかゆくて嫌になるぜ……お前がやったら早かったんじゃねぇか?」


 ヨナヨナはかねてより抱いていた疑問を口にした。

 何故自分がこんな役回りをしなければならないのかという単純な疑問だ。自分よりも適任が――それこそヴィットーリオが自ら差配すればもっと合理的に話が進むのでは無いか? と考えたのだ。

 無論、彼に質問してまともな答えが返ってくるなど、期待する方が愚かというものだ。


「吾輩が直接やるぅ? 嫌ですが? だってヨナヨナくんを矢面に立たせるのは面倒事を押しつけるためだし、それにヨナヨナくんの嫌がる顔も見たかったし。吾輩止められない止まらない!!」


「お前、神から授かった仕事の最中だから我慢するけど、これが終わったらボコボコにしてやるからな……」


「んまぁ! 反抗期っ!」


 ヨナヨナはついぞ気付く事がなかったが、実際の所ヴィットーリオが彼女を目立つ立場に据えるのは、彼自身が動きやすくなるためだ。

 教祖として目立つ位置に立ってしまってはそれだけで今後の暗躍に差し支える。

 縛られる立場に座ることを嫌ったが故の行動だ。

 それでもなお自分が教祖という立場にいるのは、ある種の自負なのだろう。

 彼が拓斗に持つ信仰心こそが最も高いと誇るがゆえの……。


「神の偉大さが……目に染みる。もう涙で目が見えぬ。ぐすっ」

「すげぇなぁ……俺、神の奇跡なんてはじめて見たよ。神の奇跡、でっけぇなぁ」

「神……まじやっべ。イラ=タクトさま、まじでやっべ」


 ヴィットーリオの能力による折伏が効き過ぎたのか、それとも洗脳がはまり過ぎたのか。

 先ほどまで咳き込んでいた若者達の一部が、怪しく瞳を輝かせながら口々に神への感謝と賞賛を行う。

 無論、その対象は数日前とは大きく変わっている。

 人の心を操る能力を複数持つこの英雄にかかれば、人々の信仰心を操ることなど造作も無い。

 それどころか彼ら自身にも苦しみからの解放という現世利益があったのだ。

 事実をねじ曲げて洗脳するより、感謝の気持ちにつけ込んで背中を後押しする方が何倍も楽な仕事だ。

 舌禍の英雄がもたらす災いは、それと悟られることなく人々の心を蝕んでいく。


「さぁ、残りもうひと踏ん張り! じゃんじゃん人を呼んでください! どこぞの神とは違って、我らの神であるイラ=タクト様の奇跡はまさに無限! その愛は決して尽きること無く、遍くこの地にはびこる悪意から皆様方をお守りするでしょう!!!!」


 ぞろぞろと、イラの信徒達に誘導されて帰宅の途につく人の川の中、ヴィットーリオは両手を広げ高らかに宣言する。


「この地を救ったら、次の街を! 次の街を救ったら今度は次の次の街を!」


 まるでこの世界に住まう人々全てを、イラの信徒で埋め尽くしてやると言わんばかりに。


「全て助けたらぁ? むろん北へ! どんどん北へ! 我らが神の寵愛を待つ者は、苦しむ者は、いまだ無数におりますぞぉっ!」


 北――すなわちそれは南方州の州都でありレネア神光国の首都であるアムリタを意味する。

 現在日記の聖女リトレインと異端審問官イムレイスが駐留し、必死に人々を慰撫しているその地。

 毒蛇のごとき賢しさと用意周到さを持つ彼がその事実を知らぬ訳はない。

 であれば、目的はただ一つ。聖女リトレインその人。

 聖女ですら計略に絡めとろうと企むは己が才への過信か傲慢か。

 ヴィットーリオを律することが出来る者は、残念ながらこの場にはいない。


「あの……ほんと、アレを自由にさせていいんすかね?」


 あまりにも自由すぎて、あまりにも奔放。

 なによりもたらす影響があまりにも甚大。

 この段階に至って初めて嫌な予感を抱いたヨナヨナが、ヘタレたかのようにエルフール姉妹へと弱音を吐く。


「不安しかないですけど、最終的には王さまが全部責任取るらしいので……」

「王さまなんて困ればいいのー」


 だが弱音を吐いて相談を持ちかけた姉妹達ですら、もはや事態のコントロールを諦めている様子だった。

 いや……初めからコントロールなど不可能だったのだ。

 その事実が、改めて提示されただけである。


「最悪あの人は放置でヨナヨナさんだけは連れ帰るように言われてるので、安心して欲しいのです」

「変態さんは目立つから囮にしようねー」

「うっす。何から何まで助かるっす」


 少女達の冷静な相談の最中であっても、舌禍の英雄は止まらない。

 ぴょんぴょん嬉しそうに踊り狂いながら、自らが持つスキルの許す限り人々を洗脳していく……。


「《イラ教》万歳! イラ=タクト万歳! 偉大なる神へ祈りを捧げるのです! さぁ皆ご一緒に! お友達も誘って!」


 ヴィットーリオの作戦は、常に最善の結果を出し続けている。

 彼の主であるイラ=タクトとの知の戦いもまた、最善の結果を出し続けている。

 練りに練り込まれた、凝縮された知の結晶とも言える彼の策に障害などどこにも存在しない。

 彼が求める幸福。その先へ至るための道は丁寧に丁寧に舗装されていく。


 ……未だクオリアの聖なる軍勢は、新たなる災厄の襲来を予測していなかった。


=Eterpedia============

【代理教祖ヨナヨナ】


種族 獣人(山羊)

所属 マイノグーラ

役職 イラ教代理教祖

―――――――――――――――――

~信仰心がとりえのなんの変哲も無い娘

  だがそういう者こそ祭り上げるには最適だ~


実質的な《イラ教》の教祖であるヨナヨナの人生は、波瀾万丈と言う言葉がふさわしいでしょう。

ドラゴンタンの蛮族襲来時に親より捨てられて孤児となった彼女は、自らが知らぬ間にマイノグーラの国民となり、自らが知らぬ間に《イラ教》の信徒となり、そして自らが知らぬ間に代理教祖という立場になっていました。

全ては大いなる流れの中の出来事であり一つの決断もさせてもらえなかった彼女ではありますが、今の立場に不満はありません。

気がつけば自分が救われていたように、自分も誰かを救えるようになろう。

その思いだけは、彼女が自ら決めた本物なのだから……。


なおヴィットーリオを直接折檻できる貴重な人材であり、本人はともかく信徒の間では彼女こそが《イラ教》の代理教祖に最もふさわしいと高い評価をうけています。

―――――――――――――――――


=Eterpedia============

【イラの騎士】戦闘ユニット


 戦闘力:3~7 移動力1

《邪悪》《聖剣技》《狂信》《イラの教徒》

―――――――――――――――――

~~神の名の下、人々を守り敵を打ち砕く

      その在り方に善も悪も関係ない~~


イラの騎士はクオリアの聖騎士を元とする闇に寝返った戦士です。

《イラ教》に改宗した事により邪悪属性となり、善性の能力を失う代わりに《邪悪》と《狂信》の能力を獲得しています。

また闇の所属ながら聖剣技を扱うことができ、その属性とは裏腹に闇の者との戦いを得意とする特殊なユニットです。

闇の存在となったことによる倫理観の欠如はその内に秘めたる暴力性を余すこと無く発揮する結果となり、一般的に同レベルの聖騎士よりも戦闘面で優位に立つとされています。

―――――――――――――――――

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