第八十九話:挨拶

 天井を突き破ってきた触手が縦横無尽に教会を駆け巡り、まるでそれ一本一本が独自の意識を有しているかのように様々な軌道をとり襲いかかってくる。

 それら触手にいち早く気づいたのは汚泥のアトゥ。

 彼女は目の前に広がる死の棘の大群が自らの持つそれと寸分違わず同じである事を理解しながら、大地より迎撃の構えを取る。


「避けなさい! くっ! ――はあああああっ!!」


 びゅるりとアトゥの背後より無数の触手が生まれ、仲間を守るべく繰り出される。

 互いに放った触手がぶつかり、およそ有機物とは思えぬような金属音めいた不気味な交差音をかき鳴らしながらその衝撃の余波にてわずかに残った教会の残骸を破壊していく。


 アトゥに守られている者もまた、すぐさまその対策にあたった。

 フェンネはその不可視の衝撃刃によって少なくない数の触手を打ち払い――切断し、地面に落ちてビチビチと跳ね回るそれをソアリーナが焼却していく。

 そしてエラキノとGMはすぐさまこの異常事態への対応を取るべく、現状の確認を行った。


「マスター! 能力は! ……ちぃっ! ふざけやがって!」


「どういうことですかエラキノ!? ゲームマスターの能力がなぜ!?」


 口ぶりからして、GMは現在何らかの方法においてその権限を凍結されているらしい。

 おそらく先のイラ=タクトによる宣言が何らかの鍵となっていたのだ。

 無論ソアリーナもすでにエラキノたちからGMが持つ能力の詳細と、彼らがTRPGという遊戯を由来とする能力を有していることは聞き及んでいる。

 だがあまりにも荒唐無稽で異文化な概念だったため、詳しいことは分からないのだ。

 故にまず事実確認として彼女に問うたのだが……。


「セッションの中断宣言だ! あのくそやろう! 土台からひっくり返しに来やがった! TRPGは会話とダイスによって進めるゲーム! だからプレイヤーにも進行を止める権利がある!」


 イラ=タクトが持ち出した反撃の剣こそ、このゲーム中断であった。

 エラキノの言葉の通りTRPGは参加者の会話が重要なキーとなる。

 故に一人が中断すると言えば、参加者はその言葉に耳を傾けセッションを一時的に中断する必要があるのだ。

 無論、その性質をシステムは従順に再現する。

 つまりはGMが行使する無法にも等しい絶対権限を一時的に制限することが可能なのだ。

 だがそれは……諸刃の剣でもあった。


「けど――あははは! ばぁぁぁぁっか! それ、使うなんてまじで終わりだよお前! 啜りの魔女エラキノがゲームマスターに代わり質問! ゲームを中断する正当な理由を述べよ!」


 GMとエラキノは、拓斗が用いた作戦の穴にすぐさま気づき指摘することに成功した。

 そう、ゲームの中断は可能だ。だがそれには理由が必要。

 理由なき行いにはペナルティが下される。むろんこの場合の対象はイラ=タクトである。

 いくら《名も無き邪神》の権能によって存在を偽っているとはいえ、盤上ではなくプレイヤーの次元から行われた申請だ。

 システムはその厳罰を下す相手を決して間違えないであろう。


「いやぁ、あんだけ余裕ぶってるから何するかと思えば、こーんなこととはね♪ 確かにこれでゲームマスターの権限は凍結された。けどルールブックに記載のある通り、セッションの正当な理由なき中断は禁止事項! 円滑な運営を阻害するものは何者も許されない! お前はもうおしまいだよ」


 おそらく、そのペナルティはゲームからの強制排除という形でなされるだろう。

 この世界で魔なる者たちを率いて国を興した破滅の王イラ=タクトという存在ではなく、一度死んで二度目の生を受けた伊良拓斗という人間の敗北。

 それがどのような意味を持つかはわからないが、ただ全てが失われ二度と元に戻らないことだけはハッキリと理解できた。


「さぁ! 答えてみな! まぁ口からでまかせの運任せだと思うけどねぇ! 残念だったねぇイラ=タクトくぅぅぅん!」


 エラキノが狂喜に満ちた勝利の声をあげる。

 これで終わるのか? いつの間にか止んでいた攻撃に事態の変化を感じ取ったアトゥの背後から……。


「挨拶です」


 突如言葉が紡がれた。


 アトゥたちは慌てて背後へと振り返り勢いよく跳躍して距離を取る。だが……。

 その途中で視認した相手の姿に苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。

 揺蕩うかの如くその場で静かに佇むのはやはり汚泥のアトゥ。

 顔面がべっとりと黒に塗りつぶされたイラ=タクトによる模倣だった。


 そして同時にエラキノは異変を感じる。

 先程からあった能力に制限がかけられる感覚が継続しているのだ。

 すなわちそれは――セッションの中断が継続していることを意味していた。


「エラキノ。あなたがゲームマスターと共にこの世界に持ち込んだエレメンタルワード第四版に関してですが、このシステムはある特徴があります」


「――なっ!?」


 聞き慣れたアトゥの声音でイラ=タクトが語る。

 その言葉ぶりからするに、ソレが最初からセッション中断を貫き通せる方法――すなわち正当な理由を用意していたことは明らかだった。

 だがなによりもエラキノを驚愕せしめたのは、決して誰にも伝えなかった……エラキノと彼女のマスターだけが知るTRPGのシステム名を当然のように語ったことだった。


「このシステムの特徴は、プレイヤーの道徳について比較的多くその紙面を割いていることです。例えば他人と楽しくプレイするコツだとか、相手にやってはいけない行いだとか……挨拶だとか」


 知っている。

 誰よりも、何よりも詳しく知っている。

 そのシステムによってエラキノは生まれたのだ。試行回数はいったいいくつになるだろうか?

 ようやく完成品として生を受け、マスターとともに万難を排してこの世界での戦いに身を投じたつもりだった。

 どこから漏れた? どうしても漏れた?

 答えの分からぬ問いを己に投げかける間にも、イラ=タクトの独白は続く。


「これ、説教臭いという理由から賛否両論あるんですけどね。私は意外と嫌いじゃないんですよ」


 そう、それは理由。


「だって、ルールブックの最初に『参加者全員が名乗り、挨拶が終わるまでセッションを開始してはいけない』なんて書いてあるんですから」


 セッションを止め、ゲームマスターが持つ無敵の権能を止める唯一の方法。


「挨拶はとっても大切。幼稚園児でも分かることですね」


 同時に、ありえぬほどにくだらぬ内容でもあった。

 エラキノはその憎らしい言いぐさに歯ぎしりをしながら対策を考える。システム名を知られていたことは想定外にも程があった。

 彼女たちが扱うTRPGの能力はその元となったゲームのルールに準拠する。

 特にTRPGはルールの運用に厳格であり、またそれぞれ独特かつ特殊なシステムが用意されていることが特徴だ。

 それこそが彼女たちの武器の一つであり、だからこそひた隠しにしてきた事実でもある。

 手の内を知られるということはエラキノたちにとっては致命的な損害に等しい。

 その証拠に、挨拶などというくだらない理由であっという間に窮地に陥った。


「おや? 何をそんな驚いた顔をして……ああ、なるほど。どうしてこの私があなた達のゲーム名を知っているか、でしょうか?」


 図星、だった。

 相手が気を良くしてべらべらとお喋りしている間に少しでも情報を収集する必要がある。

 どこまで把握しているか分からぬが、だが相手が情報面で圧倒的に優位な位置にいることは残念ながら認めなければならないだろう。

 エラキノたちは、常に翻弄されっぱなしであった。


「というか、あれほどヒントを出していれば誰だって分かるでしょう。それに……そのゲームはオンラインでですが私も遊んだことがあるんです。なら推測できて当然でしょう? ねぇ……汚泥のアトゥ?」


 くすくすと、汚泥のアトゥに似たナニカはそう本物に同意を求める。

 その言葉はアトゥを激発させるに十分であった。


「次は私を模倣しますか! 小癪な!」


「この中で直接的な戦闘力に最も長けているのは私ですよ。ならばこのような手段を取るのは当然でしょう。……あっ、もしかして許可とか貰った方が良かったでしょうか?」


 挑発である。

 敵対したとは言え、イラ=タクトが自分に対してこのような手段に出ることが些か信じられないアトゥは己の中にある懸念がどんどんと膨らんでいくことに焦燥感を抱く。

 明らかにそれは彼女の知る拓斗とは違った。


「いいえ! 拓斗さまならば特別に許可しますよ! 拓斗さまならば!!」


「おや、思わせぶりな言葉ですね。何か懸念がありますか私?」


 そう、確かに懸念があった。

 拓斗が《名も無き邪神》の権能を有していると知った時から。

 その能力がこの世界にやってきた時より備わっており、ただアトゥがその事実を忘れていただけだと理解した時から。

 つまり、彼女が抱く恐れとは……。


「もしかして、始めから伊良拓斗なんて存在しなくて。《名も無き邪神》がそう名乗ってるだけの人形遊びだったと、そう思っているのですか?」


 彼女の聞きたくなかった言葉を、イラ=タクト――ソレは的確にぶつけてきた。


「――あっ」


 ベキリと、彼女の心の中で何かが折れる音がした。

 思わず膝から崩れ落ちてしまいそうになる。

 慌ててフェンネやソアリーナが彼女に気遣い近づいてくるが……。


「――っ!! しまっ!!」


 イラ=タクトにその隙を見逃すような甘さは存在していなかった。


「アハハ、アハハハハハハ! 刃に陰りが見えますよ私!」


「くそっ! くそっ!!」


 無数の触手が再度彼女を襲う。

 慌てて迎撃するアトゥであったが、受け止め切れない衝撃を与えられた彼女は精彩を欠いており、先程のように攻撃を相殺することが難しくなっている。


 フェンネやソアリーナもその御業を用いて迎撃に参加しているが、この場において最も戦闘能力の高いアトゥを模倣したイラ=タクトの……その全力の攻撃をいなすのは困難を極めた。

 このままでは敗北は必定。

 やがて死を呼ぶ無数の触手の前に屍を晒すこととなろう。


 一方、彼女たちが作った僅かな時間に全てをかける者が居た。


「マスター! 名乗って! 早く名乗ってこの調子に乗った偽物引きこもり野郎を殺して!!」


 エラキノが叫ぶ。

 挨拶が重要とされるのであれば、挨拶を行えばよい。

 無論その後相手が挨拶を拒否した場合はセッションの進行妨害の咎でペナルティを与えることができる。

 ゲームマスターの声を世界に直接届ける方法も少ないながらいくつか存在している。

 てっとり速く行うならエラキノの口を借りても良いし、GMの権能を用いて直接この場に声を流しても良い。

 後は何故か先程から戸惑っている様子のGMが自らの名前を告げ、挨拶をする決断をすればよいだけだった。

 決断をすれば、よいはずだった。


「あっ、そうそう」


 神速とも言える素早さで触手を繰りながら、まるで世間話をするかのような口調でアトゥを模したイラ=タクトは無造作に投げつける。


「ブレイブクエスタスには真実の名前を用いて相手を呪殺する特殊なまほうがあります」


 GMが懸念していた、死への恐怖という名の鎖を。


「――っ!!」


 エラキノが息を呑む、これでもかと憎悪の籠もった表情でイラ=タクトを睨みつけるが、彼は何が楽しいのか終始クスクスと嗤うだけだった。

 また一つ。情報面で遅れをとってしまった。

 致命的な……まさしく彼女たちの命にかかわる遅れである。


「は、ハッタリだ!」


 エラキノは叫ぶ。

 相手がブレイブクエスタスのイベントを用いて妨害を行ってきた事はすでに周知の事実。

 これはすなわちイラ=タクトがRPGに出現するイベントを行使する何らかのキャラクターを模倣出来る事を意味している。

 彼は……ブレイブクエスタスに存在する未知なる呪いを行使することが出来るのだ。


 だが同時にその宣言が非常に怪しいものであることも事実だった。

 今までも何度も目の前の化け物のハッタリに騙されている。

 自分では何もできないから誰かの力を借り、そして口からの出まかせで翻弄する。

 すでに種は割れた。どうせ今回もこちらを動揺させてGMの権限を封印しようとする浅はかな悪知恵だろうと。

 そう断じようとしたのだが……。


「ま、待ちなさい!」


「フェンネちゃん! どうして!? どうせ嘘に決まっている!」


「万が一それでゲームマスターが倒されては致命的……。死者すら復活させるその能力を優先するのが第一よ!」


 目に見えぬ恐れに立ち向かえる者はそう多くない。たとえそれが聖女であったとしても、時として後ろ向きな判断を下してしまうこともある。

 フェンネの言葉にエラキノは内心で歯噛みする。

 何を気弱なとも思うが、同時にその言葉に確かな正当性を感じたからだ。

 気勢を上げたところで名前を明かすことのリスクが依然として重く伸し掛かっていることはエラキノも理解していた。


「アトゥちゃん!!」


「分かりません! わ、私はあくまで『Eternal Nations』のキャラクター。他のゲームとなるとその知識の範疇外。一度ぶつかった相手ですからいくらかは知っているとはいえ、その詳細は流石に……」


 チィっと舌打ちをする。

 アトゥが知らぬように、当然エラキノもブレイブクエスタスというゲームについては知らない。

 名前だけはアトゥを通じて聞き及んでいるが、その細かな設定やシステムについては自身が保有する知識の外だ。

 ゲームに名前を知ると相手を呪い殺すことが出来るまほうが存在するか否かなど知る由もない。


「マスター!!」


 そして、非常に不味いことに……。


「ブレイブクエスタス。知ってます? 知らないでしょうねあなたのマスターは。あまりゲームに明るくなく、ただダイスの導きによって選ばれたなんの変哲もない人間。という話は私も聞いていますからね……そう、直接」


 ゲームマスターもまた、その内容については一切を知らなかった。


「あの時! もうすでにあなたは!!」


 フェンネが叫ぶ。

 あの時とは果たしてどの時なのだろうか?

 イラ=タクトはいつ、どの話し合いに参加していたのだろうか?

 それはもはや本人しか分からず、全ては暗い闇に葬り去られている。

 ただ確かなことは、ソレが満足し薄ら笑いを浮かべ続ける程に彼女たちは多くの情報を渡してしまっていたという事実だけだった。


 そして均衡は崩れる。


「そうですよ、顔伏せの聖女フェンネ。自分が幸せになりたいがために、魔女と手を組んだ愚かな女」


「なっ! ――ぐあっ!!」


「フェンネ!」


 怒りのあまり叫びを上げたことで一瞬集中が切れたのか、それとも長い攻防の間で神経をすり減らしていたのか。

 まずはじめにフェンネが落ちた。

 触手の一撃を脇腹に食らった彼女は、その勢いのままわずかに残った壁に激突する。

 よろよろと動いていることから致命傷は免れているようだが、白く美しい聖女の装いに鮮血が滲んでいる様子から戦線復帰は不可能に見えた。


「そのヴェールに包まれたみすぼらしい身体では、到底この戦いについていくことはできないでしょう。そこでゆっくりと見学なさっていてください」


 止めも刺さず、イラ=タクトはそれだけ告げると興味を失ったかのように視線をエラキノたちへと戻す。


「あっ! そういえばすっかり忘れていましたね。これは失礼しました」


 そして突然何かを思い出したかのように両手をぽんと打つと、アトゥが持つ超人的な脚力でその場から距離をとり、壇上へと場所を移す。


「あ゛あ゛、ん゛っ。ああ……」


「「「――――っ!!」」」


 それは――突然の出来事だった。

 アトゥの姿をしたイラ=タクトの輪郭が一瞬ぶれたかと思うと、そこに漆黒の闇が生まれる。

 まるで世界から拒絶されたかのようにそこだけ切り取られたかのような暗黒。

 漆黒のその先、闇よりも深い闇より滲み出てくる悍ましき黒色。

 到底生きている存在と断じるには不可能な相手は、だが僅かな身動ぎでもってその存在を世界に知らしめている。


「あ゛あ、ごほっ。ごほっ……んっ!」


 ソレは、喉を押さえながら聞くに堪えない音を出した。

 まるで喋るという行為が慣れていないとでも言うかのような仕草。

 咳き込む音色と調律される声色は、聞くも悍ましき邪神のそれだ。

 やがてひとしきり調子も確認できたのだろうか……。


「僕の名前は伊良 拓斗。はじめまして、どうぞよろしく」


 聞くも悍ましき声音で、その全身がべっとりと黒に塗りつぶされた破滅の王は挨拶をした。

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