第六十六話:やがて少女は夢を見る(1)

 拓斗たちマイノグーラの上層部が善なる文明の異変に懸念を抱いている頃、聖クオリア南方州では彼らが危惧する通り大変革の最中にあった。


「「「聖女さま! 聖女ソアリーナさま!」」」


「「「偉大なる聖女さま!」」」


 南方州議会場、聖アムリターテ大教会。

 腐敗した聖職者たちの伏魔殿は、今や聖女の支配下に置かれ、賛美歌と光が包み込む神の家へと本来の姿を取り戻していた。

 様々な人々が教会の前に集まり、聖女への感謝と称賛の言葉を紡いでいる。

 今日は祝日でもなんでもないただの平日だ。にも関わらず人々は教会へと集まりその賞賛と感謝の声を南方州の新たな指導者となった聖女へと届けんとしていた。


「ふぅ……」


 人々の声に応え、バルコニーより手をふる華葬の聖女ソアリーナ。

 義務ではないが、さりとて放置を貫くのも気がとがめる。よって毎日数分だけ人々に顔を見せるのがここ最近加わった日課の一つだった。

 眼下に見える無数の人影に向かって手を振り、ひとしきり笑みを浮かべたのちに室内へと戻る。

 ソアリーナの顔には些か疲労が見える。それは肉体的な疲労というよりも精神的なものだった。


「お疲れ様! ソアリーナちゃん! なかなか様になってきたんじゃないかなっ?」


 柱の影から声がかかる。現れたるは啜りの魔女エラキノ。

 ソアリーナと共にここ南方州にやってきた彼女は変わらぬ様子でカラカラと笑うと、軽快な足取りで直ぐ側までやってくる。

 魔女エラキノはいままでと変わらぬ態度だ。どこか軽薄で、道化じみた態度で、全てを娯楽としか考えていないような闇の雰囲気をまとっている。

 聖女と魔女は不倶戴天の敵同士。いわば水と油の関係。決して相容れない存在。

 それが道理であり、それが摂理。

 決して違えることのない世界の根本から存在する法則だった。

 だが、長年の友人のように気軽な声掛けをするエラキノに向かってソアリーナは……。


「もう、恥ずかしからやめてください……エラキノ」


 まるで年頃の少女のように可憐な笑みを浮かべ、その言葉に応えた。


「にゃはは。南方州を治めし聖女! 神が遣わした真なる指導者によって人々の生活はウナギ登り! ……ウナギはここになかったか、急上昇中! もはや飛ぶ鳥を落とす勢いのイケイケだね! 皆とっても喜んでるよ!」


「それもこれも、エラキノのお陰です。貴方が協力してくれたから……。貴方が私の背中を押してくれたから、この平和が成ったのですよ」


 優しい微笑みを浮かべるソアリーナ。

 それはまるで年頃の少女のようで、ソアリーナの年齢から考えるとややそぐわない幼い態度に思える。

 だがこれが本来の彼女だったのだろう。聖女という存在は様々な思惑や期待を人々から寄せられる。

 その巨大な感情を一身に受ける彼女たちは大なり小なり心を閉ざす傾向がある。

 そんな中で気の置けない相手が現れたのなら、普段では見せぬ顔を浮かべるのも道理だろう。


「むっふー! そでしょそでしょ、エラキノちゃんのお陰でしょ! ってか! もっと砕けた喋り方でいいのに。エラキノちゃんとソアリーナちゃんの仲でしょ? マブダチはお喋りもフランクなのだよっ」


「ご、ごめんなさい! まだなんだか慣れなくて……。これでも貴方の言う通り気軽に喋ってるつもりなんですよ?」


「え~! まだまだかたかただよっ! 本当ならもっと気安く『エラキノちゃん』って呼んでほしいのにっ♪」


「そ、そんなこと出来ませんっ」


 穏やかで、平和な時間が流れる。

 啜りの魔女と未だ姿を見せぬゲームマスターがこの南方州に拠点を移して以降、エラキノとソアリーナの関係性は予想していたものとはまったく違った形となっていた。

 どのような奇怪な流れによってそれがなされたのかは誰も答えることができない。もしかしたら神々ですらその判断は不可能とすら言えるかもしれない。

 だが南方州の政治を行う仲で二人の関係性は急速に深まり、結果としてソアリーナとエラキノの関係は今や無二の親友と呼べるほどのものとなっていた。


 ……エラキノが能力によってそう仕向けたのではない。

 むしろ彼女が持つ啜りの能力による洗脳はすでにエラキノ自身によって解けられており、自主的に彼女と共にこの国を良くしようと邁進している始末だ。

 だから、これはもっとも簡潔に説明するのならただ「仲良くなることができた」というだけのことに他ならない。


 滑稽で、愚かで、あまりにも陳腐な話である。


 悪意の塊であるはずの魔女が聖女にほだされ、善性の具現であるはずの聖女が魔女に心を砕く。

 今までの犠牲や失ったものから目をそむけるように、二人の関係性は親密になり、その間柄を示すかのように南方州に住まう人々の幸福度は向上していく。

 歪みに歪みきった……されどけして不幸になる者のいない平和であった。

 だがそんな二人を冷ややかな目で見つめる者が一人いた。


「随分と……仲良くなったのね」


「フェンネ様……」


 何時の間にかその場にいたのは《顔伏せの聖女》フェンネ=カームエール。

 ヴェールで顔を隠し、決して自らの素肌を見せようとしないその聖女は、いつもどおりの冷淡な声音で浮かれるように手を取り合う二人の世界に割って入った。

 常に不機嫌そうな彼女がこのような態度を取るのは別段珍しいことではない。

 むしろ全ての人間に対して同様の態度であり、聖女としての実績がなければおおよそ人々から受けいられるとは言い難い性格をしているのがフェンネという名の聖女であった。

 故に彼女の言葉はいつもどおりのものだ。

 だが自分の中に後ろめたさがあったのだろう。どこか棘のある物言いにソアリーナがたじろぐ。

 そんな彼女を守るかのように、エラキノは前へ出てその軽薄なる口調で言葉を投げ返す。


「あらら、嫉妬しているのかな顔伏せちゃん! エラキノちゃんとソアリーナちゃんがズッ友になったからってそんなに妬かなくてもいいんだゾ! そ・れ・に。エラキノちゃんはちゃ~んとお仕事頑張ってるよ。今まで悪巧みしたこともないし、この国の人々が幸せになれるよう一生懸命頑張ってるんるん♪」


「それについては一応、認めてあげるわ。確かにあなた達のお陰で民は救われている。救われるべきだった人々が幸福であることは、神も私も望むところよ」


 エラキノの言葉を興味なさげに受け取るフェンネ。

 その言葉にはどこか心が籠もっておらず、エラキノは本当に彼女は聖女なのだろうかと疑いすらしてしまう。

 だがフェンネが聖女であることは明白であり疑う余地がない。

 自分たちとはまた違った目的があることを、エラキノと彼女に対して密かに指令を出すそのゲームマスターは知っていた。


「あの、フェンネ様のご協力にも感謝いたします。貴方様のお力によって、この国からさらなる不幸が取り除かれています」


 ソアリーナの言葉にフェンネは頷く。

 人を寄せ付けぬ性格とは言え、二人とフェンネの間には明らかに一枚壁が存在している。

 そのことにソアリーナも気づいていたが、かと言ってフェンネが何らかの企みを抱いているとは考えられなかった。

 フェンネは彼女たちが行う改革に協力的だし、その力をもって協力もしてくれている。

 少なくとも、他の聖女同様に人々の平和を望んでいるのは間違いないだろう。

 聖女は神によって選出される。

 平和を望み人に奉仕する心がなければ、決して聖女になれないのだから。


「フェンネ様のご懸念も承知しております。ただ、エラキノはここに来てから約束を違えたことはありません。他者へ疑いの目を差し向けることはすなわち自らの内に住まう恐怖の表れであると……神もおっしゃいました」


「…………そうね」


 おそらく、聖女と魔女が仲良くするという事実が受け入れがたいのだろう。

 本当ならばフェンネとも同じように心を開いて会話が出来る様になりたいと夢抱いているソアリーナは、今までの浮ついた気持ちが少しばかり冷めてしまう。

 そんな彼女の内心の揺れ動きを知ってか知らずか、フェンネは変わらぬ態度で自分たちを取り巻く状況について確認を投げかけてきた。


「聞きたいことがあるの。中央や他州の反応はどうなのかしら? いくら耄碌し盲いたお歴々と言えども、流石にこの状況では感づくと思うわ。それに、放っておくと依代の聖女の耳に入るわよ」


「中央は依然として沈黙しています。現在は北方州の魔女事変によって荒廃した地域の再編監督に追われており、西方と東方の州が責任追及と担当する枢機卿に対する辞職勧告で横槍を入れてきているようですね」


 クオリアでは透明性に疑問が残る密室会議によって選出された三人の法王を頂点とし、その元に枢機卿と呼ばれる上位聖職者が複数存在している。

 彼らが権力闘争の主戦場とする場所が聖都であり、中央と呼ばれる統治機構であった。


「なるほど、北方州を切り取りたいのね中央の方々は……。それにしても、これだけ改革と好景気に沸く南方州に目をつけないのは不思議ね、ソアリーナ」


 ソアリーナたちが行う改革によって、南方州は未曾有の好景気に沸いている。

 もともと豊かな国だったのだ。気候は温暖で食物はよく育ち、統制された聖騎士団の巡回によって治安も良い。

 資源も豊富で神の加護によるものか大きな天災や疫病も無い。

 更には聖女による神託によってあらゆる邪悪は未然に防がれている。

 だからこそ、一部の聖職者たちが集めた金銭を民に流せば、大きな経済のうねりが発生するのは当然だった。

 食料から衣服、住戸などの生活必需品。はては娯楽品や嗜好品。

 民に金が流れることによって発生した需要は生産者たちを潤わせ、その生産者たちによる購買欲求はさらなる需要を生む。

 豊かになった感謝の印として神への喜捨が活発に行われ、それらは聖騎士団や聖職者の装備や設備の充実化となる。

 聖騎士も聖職者もまっとうなものは自分の私財を売り払ってまで民に施しを与えるような生真面目で清貧好きばかりだ。

 汚職が完全に消え去れば、そこにあるのは理想郷への約束された未来のみとも言えよう。


 だからこそ、欲深い中央や他州の聖職者たちが掣肘しない理由はなかった。


 ソアリーナは無言であった。

 なぜ横やりがないのか? という疑問への答えが一向に示されない。

 だがその表情は口ほどに雄弁で、だからこそフェンネはソアリーナが何を行ったのか容易に知るに至る。


「ああ、そう」


 ソアリーナは、およそ聖女らしからぬ手法にて中央や他州からの介入を排除するに至った。


「ふふっ、袖の下で黙らせたのね」


 初めてフェンネが笑った。

 その笑みはどのような意図が込められていたのだろうか……。

 いや、それは明らかだ。明らかにそこには冷笑の意図がありありとこもっている。

 クオリアが侵された病巣は深刻だ。

 神の名を語り私腹を肥やし、他者との強調を拒んでただいたずらに権力を振るう。

 自我が肥大し、自尊心が膨張し、執着が肥え太る。

 ともすれば自身を神であると勘違いすらしていそうな程の愚者がはびこり、自らの権益を奪われないための様々な法律が神の名のもとに施行されている。

 それがその国で、そんな国が嫌でソアリーナはこの場に立っているはずだ。

 立っていたはずだった。


 そんな自分が、相手の動きを牽制するためとはいえ不法に手を出すなど。

 ソアリーナは歯がみする。

 理想という言葉はかくも無力なのか……。ソアリーナの見てきた現実は、何時だって理想や希望を容易く押しつぶしてみせた。


「今回のことで消費した資金は必ずや民の下へ返されるでしょう。今はまだ中央の介入を招くべきではありません! 将来を見据えるのならこの判断は!」


 堰を切ったようにソアリーナが自らの意見をぶつけてくる。

 その言葉すらフェンネを喜ばせるものでしかないことを知っていてなお、ソアリーナは何かを言わねばならぬという焦燥感に囚われていた。


「ふふっ。落ち着いて、私は貴方の行為を咎めている訳ではないの。だから自分の中にある罪悪感を私にぶつけないでちょうだい。大きな声を出されると、とても怖いわ」


 だがフェンネには梨の礫だった。

 否、初めからソアリーナの一人相撲だったのかもしれない。フェンネの言う通り彼女の中にある正義と罪悪感が、自身を苛んでいるだけなのだ。

 ソアリーナの瞳にうっすらと涙がたまる。

 自らへの無力感が、ただ運命に絶望して毎日泣いていたあの頃の自分と重なる――。


「顔伏せちゃん。それ以上ソアリーナちゃんをいじめたら許さないよ」


 彼女を手を差し伸べたのは、今まで沈黙を保っていたエラキノだった。


「エラキノ……貴方も随分とほだされたみたいね。私だけ仲間はずれなの? 少し寂しいわね。もう少し優しくしてほしいわ」


「仲良くしたいと思うなら、意地悪なことをしちゃダメだと思うんだけどなぁエラキノちゃんは! 顔伏せちゃんこそ、自分の中にあるどうしようもない感情のはけ口をソアリーナちゃんに求めるのはお門違いじゃなくなくない?」


 エラキノの反撃に初めてフェンネが動揺の態度を見せる。

 それは知らずのうちに己の本心を指摘されたとでも言わんばかりの態度で、どうやらフェンネ自身やりすぎたと思ったのか、口調と物言いが幾分柔らかくなる。


「……これは一本取られたわね。ちなみに、その推測は貴方のもの? それとも貴方の愛しいマスターのもの?」


「さぁ~ね? 顔伏せちゃんは意地悪だから教えてあげな~い! いこっ! ソアリーナちゃん!」


「嫌われてしまったわね。でもごめんなさい、少し待ってくれるかしら?」


 ソアリーナを引き連れてそのまま退室しようとするエラキノを、フェンネは静止させる。

 まだ余計な小言があるのかと言わんばかりに眉をひそめるエラキノ。同様にまた何か不都合な事実を突きつけられるのかと怯えた表情を見せるソアリーナ。

 そんな二人の対極の表情をヴェールの下から見つめ、フェンネは損ねてしまった二人の機嫌を取り戻すかのように慎重に言葉を述べる。


「私にはまだソアリーナに聞きたいことがあるの。安心して、次の話はちゃんとしたものよ。これからの南方州の運営に関わる話」


「それだったら聞くけど。ソアリーナちゃんもそれで良いかなっ?」


「う、うん……」


 二人が互いの顔を見合わせ、フェンネの提案に同意する。

 話が致命的にこじれなかったことに内心で胸をなでおろすフェンネ。

 そもそもフェンネがここにやってきたのはこの件に関して真意を問いただすためだった。

 先の皮肉めいた言葉はやや悪い遊びが出てしまった前座のようなものだ。

 フェンネに促されエラキノとソアリーナが椅子に座り、彼女の方へと顔を向ける。


 フェンネは二人を眺めながら、これから質問を行う計画について軽く思い起こす。

 そしてやはり分からないとヴェールの下で眉をひそめた。

 この件に関しては、ソアリーナが賛同しエラキノが反対している。その事実はどうしても理解に苦しむことだった。

 普通に考えればその立場は反対であるはず。

 いや、このような状況で……善悪の二人が仲良く手を取りあっている状況でそれを悩んでも詮無きことか。

 フェンネは首を小さく左右に振り、今まであれこれ考えていた全てを振り払い意を決する。

 そして……。


「ソアリーナ。貴方が計画しているマイノグーラに対する斬首作戦。この意図について話を聞かせてほしいわ……」


 今後の自分たちの状況を確実に左右するであろう計画について、真正面からソアリーナにぶつかる。

 先程まで何処か怯えた様子だったソアリーナの瞳が、ヴェールの向こう側に存在するフェンネを射抜く。

 それは、何処か狂気が含まれているようにも思えた……。

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