第五十六話:彼女はかつて大切な人をその手にかけた
聖王国クオリア。
南方州議会場、聖アムリターテ大教会。
神の僕を自負する者たちが作り上げたにしては華美にして絢爛豪華な議場にて、二人の娘が言葉を交わしていた。
「なぜこのようなことをするのですか?」
一人は華葬の聖女ソアリーナ。
クオリア北方州で魔女事変の対応にあたり、魔女エラキノの前に敗れ去ったはずの娘だ。
「なぜ、このようなことをするのですか?」
ソアリーナは目の前の娘に尋ねる。
先ほどから何度も繰り返した問答だ。
あの瞬間、自らが何か致命的な過ちを犯してしまったことを刹那の時に知覚したソアリーナは、確かに死を確信した。
だがようやく楽になれると思った彼女の運命にはまだ続きがあるようで、気がつけば目の前の少女と共に見慣れたこの北方州へと戻ってきている。
ソアリーナは再度尋ねる。
何が楽しいのだろうか。それともこれから楽しくなるのだろうか。
もう一人の娘は先ほどからくるくると議場を踊っており、一人しかいない観覧者の視線を気にする事もなく歌っている。
……ソアリーナが同じ言葉を三度言おうかと考えた時だった。
踊る少女はようやく踊りを止めると、道化師がするかのように陽気な動きでくるりと向き直る。
「それは君が望んだからだよ、ソアリーナちゃん♪」
少女は、――啜りの魔女エラキノと呼ばれる存在であった。
「私が、この状況を望んだと?」
「もちろんだよ、ソアリーナちゃん♪」
ニコニコと、まるで長年の付き合いである友人に向けるかのような笑顔を魔女は浮かべている。
エラキノの特殊能力によってその意思を奪われていたソアリーナだったが、彼女の意識は他ならぬエラキノの手によって返却されていた。
最も、それは一部という注釈がつくことになるが……。
ソアリーナが許されたのはあくまで言葉のみだ。
彼女の精神はいまだエラキノに縛られており、彼女の命が無ければ指一本自分の意志で動かす事はできない。
どのような能力であるかはいまだもって不明だったが、それは特定の条件をクリアすると人の心をも縛り付けることが可能であることは確かだった。
敵対行動の禁止、助けを求める事の禁止、エラキノに関する情報漏洩の禁止、異変を気づかれるあらゆる行動の禁止。
おおよそあらゆる禁止事項がソアリーナに課せられ、神の加護さえ届かぬ不可思議な力によって強制的に遵守されている。
今やソアリーナは籠の中の鳥だ。
美しく鳴くその姿は人々を魅了するだろうが、自由を奪われたが故の囀りでしかない。
だからこそ、ソアリーナは問う。
エラキノの考えを見定めるために、目の前の魔女がどのような信念に基づいて行動しているかを理解するために。
理解できぬそれを、なんとか理解するために。
「私はこのような事を望んではおりません。貴方はただいたずらにこの国を戦渦に巻き込もうとしている」
「エラキノちゃんが巻き込もうとしているのか、はたまた別の誰かがそれを望んでいるのか。世の中は摩訶不思議だねっ!」
「少なくとも、貴方が来るまではこの国は平和でした」
「だからといって未来が平和である保証はどこにもないんだよソアリーナちゃん。遅かれ早かれ、世界は大きな争いに巻き込まれる。その中で生きるか死ぬか。今はそれが重要事なんだ」
エラキノの北方州出現によって失われた都市と人々は数知れない。
寒冷地であったために実際の人口は他の州に比べて少なかったとは言え、それでも無視できる数では無かった。
エラキノの言葉は全てが矛盾している。まるで先の出来事は自分の責任ではないとでも言いたげな感覚さえしてくる。
だが目の前の少女が悪性の存在であることは疑いようがない。
その証明は驚くほど簡単で、なぜならその証拠が今も目の前に散らばっているからだ。
「ではこの惨状の一体どこに、必要性があるのですか?」
議場は血と臓物と肉で彩られている。
それはかつて聖職者たちだったもののなれの果てだ。
ほんの数時間前まで威勢良くソアリーナたちを罵倒していた彼らは、今は分け隔て無く聖神の元へと迎え入れられている。
その問いに満面の笑みを浮かべたエラキノが優雅に踊り始め、びしゃびしゃと血が辺りに散らされ白の聖堂を真っ赤に染め上げていく。
その様子を、ソアリーナは眉一つ動かさず眺めていた。
「うーん、レッドカーペット! こりゃあR18だよねっ! あっ、こういう場合はR18Gって言うのかな?」
聖女は返答しない。
エラキノの言葉が持つ意味がよく理解出来ないということもあったが、下手な返答は彼女を喜ばせるだけだと理解していたからだ。
だからと言って、魔女の言葉を止めることはできない。
「ねぇ、ソアリーナちゃん。彼らはこの国に必要な存在だったのかな?」
エラキノの言葉に、ソアリーナがピクリと眉を動かし感情の揺れを表に出す。
「全ての魂は役割を持ってこの世に生を受けています。そられは全て聖神アーロスの導きにより、それぞれの人生を全うするのです」
「ん~? 質問がちゃーんと届いていなかったのかな? エラキノちゃん、そんなこと聞いたっけ?」
あざ笑うようにエラキノが尋ねる。
いつの間にか側までやってきたエラキノは、うつむき目を逸らすソアリーナを挑発するかのようにのぞき込む。
ソアリーナは、己の中にある矛盾を必死で押し殺しながら仮初めの言葉で感情を塗りつぶす。
「顔伏せの聖女様がこの地に残っております。いずれこのことが露呈し、聖都守護を司りし残りの聖女――日記の聖女と依代の聖女も貴方の企みを見抜くことでしょう」
「あーあー、そんなの今はどうでもいいんだよっ。エラキノちゃんにとってはどうでもいいことなんだよ。――ねぇ、ソアリーナちゃん。本音を言って」
「本音?」
パタパタと手を振りながら問答に飽きたと言わんばかりの態度を見せるエラキノ。
彼女の言葉に、ソアリーナは虚を突かれたようにぽかんと口を開ける。
と同時に……。
「彼らは、死んでいい人間だったかな?」
それが最も聞かれたくない事柄であることを理解し絶句する。
「皆の生活の為に、邪魔な存在だったのかな? ――本音で答えて、ソアリーナちゃん。命令だよ」
血と臓物と肉でできた山を指さしながら、魔女が問う。
意志の決定権はソアリーナにない。
この場で喋っている彼女はあくまでエラキノに許可された籠の中の鳥。
飼い主の命に逆らう手段など持ち合わせていない。
「不正蓄財に権力濫用。教会に通う少年少女に対する口にすることも憚られる虐待行為。おおよそ民を導く者として不適格」
不可思議な強制力は、今まで決して口にすることがなかった聖王国の矛盾をいとも簡単に吐露させた。
「なるほろなるほろ。じゃあさ、彼らが死ぬのは……良きことなの?」
「……良きことです」
動揺を悟られまいと平静を装っていたソアリーナの顔が苦渋に歪む。
口にするとふつふつと怒りが沸き起こってくる。
魔女に対する怒りではない。
聖女という大層な名前を戴きながら、何も出来ない自分に対する怒りだ。
そして、その良きことを成したのが目の前で笑う魔女という事実に対して……。
「だったら喜ばなきゃ! 少なくとも、これで彼らの悪事で泣く人はいなくなったわけだよ。これを正義と言わずに何が正義か! 私達は正しいことをしたんだよソアリーナちゃん♪」
これを果たして正義と呼んでいいのだろうか。
邪魔な者を殺しただけだ。
クオリア北方州は聖職者による汚職が特別多い。
枢機卿と呼ばれる者を始めとした上位の聖職者達はその殆どが不正に手を染めており、神の怒りをも恐れぬその狡猾さは今までその尻尾を掴ませることすらさせなかった。
聖王国が定めし法に背いているのは明らか。だが証拠無くして審判はくだせない。
それが国家という物であり、法というものだ。
それを……エラキノは腕の一振りで覆した。
力で、暴力で、悪意で、無配慮に、ただ無邪気に……。
彼女の言うとおり、この惨劇で多くの人々が救われるのだろう。
間違いなく、救われるのだ。
……これでは正義とは何の為に存在するのだろうか。
彼女が信じてきた理想は、どこにあるのだろうか。
「私には、貴方が何をしたいのか検討がつきませんエラキノ」
己の信念がガラガラと崩れさり、救えなかった者たちの怨嗟の声が幻聴となってソアリーナの耳元で囁く。
もはや考えることも億劫になったソアリーナは、ただ呆然と首を左右に振りながら魔女エラキノに尋ねる。
その態度をどう捉えたのか、エラキノは今までで一番の笑みを浮かべソアリーナの問いに饒舌に答え始めた。
「エラキノちゃんとマスターは学んだのだ。この世界を攻略するには、ただ力任せになんでもかんでも推し進めちゃダメだって。ちゃんと手順を踏んで、いろんな人を味方につけないとダメだって」
マスターという言葉は何度か聞いていた。
エラキノの口から語られるそれはどうやら彼女の主らしく、その名を口にする時のエラキノには溢れんばかりの敬意と親愛が存在している。
どこにいるかは分からない存在ではあるが、きっと彼女はそのマスターとやらを心から信頼しているのだろう。
魔女ですら信頼する存在がいるという事実に、ソアリーナは胸をかきむしられるかのようなザワザワとした気持ちになる。
だが、そんな彼女の胸中を知ることなくエラキノの言葉は先へと続く。
「ねぇ、ソアリーナちゃん。エラキノちゃんと君の利害は、ここに一致している訳だよ。エラキノちゃん達は自由に出来る国が欲しい。ソアリーナちゃんも自由に出来る国が欲しい。二人で頑張れば、きっと素敵な国が作れるんじゃないかな?」
「素敵な……国?」
「そうだよ! 誰も苦しまない、誰も悲しむことはない国だよ! 全ての人が幸福の元に過ごせる国だよ! エラキノちゃんが欲しいのはあくまで軍隊だから、細かい所はぜーんぶ、ソアリーナちゃんのやりたいように任せちゃうよ! いくらだって困ってる人を救っていいんだ!」
「多くの人を殺した貴方が、それを語るのですか……」
「うーん、それはエラキノちゃんじゃないんだけど……まぁいっか! 同じようなもんだしねっ♪」
どこか浮ついた態度で夢を語るエラキノに思わず皮肉で返してしまったが、ソアリーナの中に欲が生まれたのも事実であった。
北方州上位聖職者の壊滅はいずれ他の州や中央にも知れ渡るだろう。
だがその前に自分の聖女という立場を利用すればやや強引ではあるがもみ消すことも不可能ではない。
そして聖王国クオリアの各州はかなり広範囲にわたった自治権を中央より与えられている。
北方州に限るのであれば……エラキノの言葉通り理想の国を作ることが出来るのだ。
「重要なのは、エラキノちゃんとソアリーナちゃんはもう一蓮托生ってやつだよ。ここで力をつけないといずれ飲み込まれるのは確実だ。ゲームはすでに始まってる。降りることはできない、命を賭けたゲームさっ!」
考えがまとまらず、ただ無言を貫くソアリーナにエラキノは更にたたみかける。
「ソアリーナちゃんも気にしてたんでしょ。大呪界で生まれし災厄って奴をさっ♪」
大呪界における災厄の存在は一部しか知らないはずだ。
そして彼女が神託で受けたそれの証明は、他ならぬ魔女よりもたらされた。
滑稽としか言いようがない。かつて枢機卿はソアリーナの願いに足を引っ張ることで答えとしていたのに……。
「二人で倒そう! 二人で力を合わせて、悪い奴をやっつけよう! 今日したように、今までして来たように! そうすれば、きっと私達が望む平穏がやってくる!」
言葉に窮す。
あまりにも魅力的で、抗いがたいものが存在していた。
上手くいけば、理想の国を作り出すことが出来るのではないか? という甘い誘惑だ。
そして、全ての邪悪を退け真なる平和を作り出すことが出来るのではないか? という少女じみた妄想でもあった。
本来の彼女であれば、この程度の甘言など一顧だにしないだろう。
だが彼女の自由は今や縛られ、何より失ってきた者たちの声が彼女の心を惑わしていた。
「人生はギャンブルだよソアリーナちゃん。人はそれを運命だなんて綺麗な言葉で飾り立てるけど、結局はサイコロの出目が良かったか悪かったかだけの話なんだよね」
ソアリーナはただ静かに黙想する。
自分が信じていた善が誰も救えず、憎しみを抱いていた悪こそが正義を成すというであれば、それに賭けてみるのも良いのではないか。
どうせ自分は何も出来ないのだから。
今も……そして今までも。
「一つ……約束をしてくれますか?」
「なぁに?」
「もう、無益な殺生は行わないと」
「もっちろん!」
保証も何もどこにもない。ただ適当に答えただけにも思えるし、始めからそうするつもりだったからすぐさま了承出来たようにも思える。
ただソアリーナが願い、エラキノが受け入れた。それだけだ。
「のるかそるか、そこが一番の問題なんだよソアリーナちゃん♪」
魔女は嗤う。
その言葉はどこまでも軽薄で、およそ信頼というものが存在してはいない。
だが同時にソアリーナは思う
そもそもこの世界に信頼できる者など、どこに居るというのだろうか……。
かつて確かにいたその人達は自分が――――してしまったというのに。
遠くからガシャガシャと鎧の音が聞こえてくる。
異変を嗅ぎつけた聖騎士達が己の責務を全うするためにこの議場を目指しているのだろう。
ソアリーナは静かに息を吸う。
そしてこの世の全てに諦念を抱きながら、この馬鹿げた提案に乗ってみることにした。
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