第四十五話:後悔の魔女

 大呪界から抜け、ひたすら南に進んだ荒野にて。

 ブレイブクエスタス魔王軍の四天王レディウィンドが守る主力防衛地に現れたのは一人の少女だった。

 少女は身体の半面に爛れた火傷のような痕があり、なぜかその傷を露出させるかのような装いに身を包んでいる。

 加えてうつむいた表情から見える片側の瞳には魔方陣のようなものが浮かんでおり、何より身に纏う濃密な魔の気配がその少女がただの娘でないことをハッキリと物語っている。


 月夜により辺りが照らされているとは言え時間はすでに深夜。

 まるで幽鬼のごとくふらりと現れた場違い極まる少女に、防衛地を預かる四天王レディウィンドは思わずぎょっとした表情を見せると、瞬時にして意識を切り替える。

 風の四天王レディウィンド。彼女は緑色の体毛と巨大な羽を有する天王で唯一の女性だ。だがむろん彼女とてそこらの平凡な魔物とは一線を画した判断力を有している。

 ゆえに配下の知恵ある魔物に指示し、その少女を取り囲むのにそう時間はかからなかった。


 少女の名前は――キャリア=エルフールと言った。


「いけないお嬢ちゃん。ここが魔王軍防衛地、風の四天王レディウィンドのねぐらと知ってのことかしら?……」


 返答はない。

 いや、ブツブツと何か独り言をしているようだが、距離があるため何を言っているかは分からない。

 レディウィンドは訝しみながらも悠然と歩みを進めてキャリアの前へとやってくる。

 夜目の利く配下の魔物はすでに戦闘態勢を整えており、包囲網はネズミ一つ逃げる隙間が存在しない。

 魔物達は今後の世界征服を進めて行くにあたって呼び出された粒ぞろいの精鋭だ。

 加えて自分は四天王の一人、風のレディウィンド。

 彼女が持つ絶対の自信と、自分たち以外の脆弱な生物に対する強者としての優越感が彼女の心から危機感や警戒感というものを消し去っていた。


「どこからやってきたのかは分からないけど……例の街の人間かねぇ? 一人でやってくるとはいい度胸だね」


「なんでキャリーたちがこんな目にあわないといけないのですか? なんでこんな酷い事ばかり起きるのですか? なぜ、世界はこんなにも苦しいのですか?」


 返事はなく、かわりにブツブツと呟かれるその言葉は後悔であり憎悪であった。

 彼女の人生にどのような事があったのかは分からない。だがおそらく自分たちに差し出された生贄かなにかで、その境遇を嘆いているのだろうかとレディウィンドは推察する。


「何を言ってるのかしら? 無理矢理ここに連れてこられたの? あら~、それは可哀想なお嬢ちゃんねぇ! じゃあ可哀想だから、ね~んいりにいじめてから、殺してあげるわぁ!」


 その言葉の何かに反応したのか、それともただ声量が大きかったから気になっただけだろうか。

 少女――キャリアはゆっくりと顔を上げると、まるで自分が魔王軍のど真ん中いることに初めて気がついたと言わんばかりの表情でじぃっとレディウィンドの顔を窺った。


「お前……ずいぶん威勢の良い顔していますね。自分の力に自信がある顔です。自分を疑っていない、強者を自負する者の顔なのです」


 レディウィンドはここでようやく気づく。

 致命的に会話が出来ていないと。その歪な文様が浮き出る瞳に映すのは、ただ狂気だけだと。

 そして同時に、相手が全力の警戒をすべき存在であると言うことを。


「アンタたち……警戒なさい。なんだか様子がおかしいわよあの小娘」


 武装の鞭を取り出し、戦いの構えを取る。

 同時に配下の魔物達が威嚇の声を上げる。

 小娘一人だと侮っていたのは事実だ。

 だがそうでなくとも相手はたった一人なのだ。

 無数の魔物がひしめくこの場所で何が出来ようと言うのか。

 得たいのしれない不気味さを覚えながら、レディウィンドは苛立ちで顔を歪める。


「疼くのです。顔の疵が……何もかも上手くいくと信じていた頃の自分が叫ぶのです」


 少女の独白は続く。

 だが先ほどと違うのは、ゆっくりとレディウィンドの方へと歩みを進めてくることだ。

 恐怖や緊張という感情がまるごとどこかへと消失してしまったかのような態度にレディウィンドは耐えられず思わず叫んだ。


「ええい! うるさい! やってしまえ!」


 レディウィンドの命令と同時に魔物がキャリアに殺到する……。

 自らが手を下さなかったのはレディウィンドの中に強い警戒があったからだ。相手の存在は未知数。

 単純な戦闘力では四天王最下位に位置する彼女なりの生存術という面もある。

 システムの制限限界数まで魔物が攻撃に参加し、その小さな体躯が魔物の陰に隠れて見えなくなる。

 続いて鈍い殴打音や咀嚼音が響き……やがてレディウィンドは勝利を確信した。


「ああ、お母さん。ゴメンナサイお母さん。私が無力だったから、私がまた希望を抱いてしまったから……」


 しかし……狂った少女の独白は変わらずレディウィンドの耳に流れ聞こえてきた。


「な、なによそれ……」


 その光景を見たレディウィンドは、思わず驚愕の声を漏らす。

 少女の身体は……魔物の攻撃によって確かに傷ついていた。

 爪や牙……そしてこんぼうや槍といった獲物で攻撃された少女は身体中から赤い血を流している。


 だがそれ以上に、彼女に攻撃を加えていたはずの魔物達がグズグズと腐り果てていくのだ。

 オーク、ゴブリン、ヒルジャイアント。果ては魔物のヒエラルキーにおいて上位に位置する魔族ですら……。

 まるで何か強烈な疫病にかかったかのように身体に浮腫が浮き、ドロドロと血と膿が混ざった液体がこぼれていく。

 やがて魔物たちの苦しみの声と共に不快な腐敗臭が鼻をつき、あっという間に哀れな配下たちは崩れ落ち金貨へと成り果てていく。


「世界に……誰かに頼ったら、必ず酷い目に遭うって知っていたのに。期待するとダメだって知っていたのに。世界はキャリーが嫌いなのです。世界はキャリーのことが大っ嫌いなのです……」


 少女はただ懺悔する。

 もはや彼女の瞳には何も映っていないようで、ただその言葉は自分とここにはいないだれかに向けられているようであった。

 気がつけば……少女の傷は全て塞がっていた。


(何が起こってるの!? 魔物がやられた!? くそっ! 敵か!! けどどうやって……毒系の魔法? いや……こんな強力な魔法聞いたことがない! それより――なぜ奴は回復しているの!?)


 思わず距離を取り、情報の収拾を図る。

 何が起こっているかは分からない。

 だが致命的な攻撃に晒されていることは理解できた。

 一瞬だ……一瞬でレディウィンド自慢の配下がことごとく殺された。

 その攻撃力は計り知れない。


「お前、何さっきからキャリーのこと見てるんですか?」


 気がつけば……少女が自分の方へと視線を向けていることにレディウィンドは気がつく。

 爛々と輝く瞳は魔族である彼女ですら寒気を感じさせるもので、まるで地獄を煮詰めて人の皮を被せたかのような不気味な気配を感じさせる。

 レディウィンドは返答をしない。代わりに自らの獲物を構え、鞭をしならせ少女を攻撃しようとした瞬間。


「お前も爛れてしまえ――」


「あっ――え?」


 どろりと、自らの視界が歪む。


「ぎぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁ! 私の顔がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 レディウィンドは叫ぶ、確認せずとも彼女は理解した。

 今まさに自らの顔が爛れ崩れ落ちている事を。密かな自慢だったその顔が、目の前の少女と同じように穢されていく事を。

 予備動作も発動の気配も、何もない不可視の攻撃が突如彼女を襲ったのだ。


「クソがぁ!!! 吹きすさべ! 《黒き呪いの風》!!」


 だが対するレディウィンドもこのままやられるほど愚かではない。

 手で顔を覆い隠しながら放たれたのはレディウィンド必殺の技だ。

 これこそが彼女がもつとっておきの技で、彼女だけが有する必殺の能力だった。


《黒き呪いの風》。それは闇の魔力と独自に編み出した呪術で戦闘中相手の全ステータスを半減させるという強力無慈悲な持続型減退魔法だ。

 全ての能力に影響を及ぼすが故、相手の戦闘能力を累乗的に低下させることが出来る半ば反則じみた特性を有している。

 だがこの技に存在する致命的な問題点が存在していた。

 存在していたが故に、彼女は四天王で最弱の地位を甘んじていた。

 すなわち……。


=Message=============

光の加護が勇者をつつみこむ。

呪いはキャリアにきかなかった。

―――――――――――――――――


「……は? 嘘でしょ?」


 自らの使命に目覚めた勇者には一切効かない。

 素っ頓狂なレディウィンドの声とともに示された事実は、この魔法の唯一にして最大の欠点だった。


 ……ブレイブクエスタスの勇者はとあるイベント後に一定の加護を得る。

 その加護は勇者にとって理不尽な呪い全てをかき消すものであり、彼が力を振るうに障害となるあらゆるバッドステータスを無効化する。

 共に戦うパーティーメンバーならまだしも、勇者がステータスを半減されるなどあってはならない。

 勇者とは、絶対の存在なのだ。


(まずいまずいまずいまずい!!)


 辺りを見回すと、見渡す限りいたはずの配下達がことごとく爛れ落ちていく様が視界に入る。

 レベルが高い魔物ほどその速度が遅いとは言え、最終的に行き着く先は同じだ。

 そして明確な対処法を有していない自分が辿るであろう結果もまた同じ。

 ここに来て自らが感じていた違和感が本能からくる警鐘だと理解するレディウィンド。

 彼女は繰り返すゲームでの記憶を有していない。

 故に自らの技が打ち消されるのはこれが初めて。

 勇者の存在もぼんやりと伝え聞く程度で、目の前の少女の力と繋げられるはずもない。

 そもそもが絶対者として君臨していた彼女は、今の今まで自分が狩られる側に位置した事がなかった。


(なんなのこれは! なんなのこのバケモノは! こんなの聞いてない! こんなバケモノがいるなんて――聞いてない!!)


 だからこそ……その動揺は想像を超えるもので。

 本来であれば魔王の四天王として誇り高き存在であるはずのレディウィンドが恐慌をきたすに相応しいものだった。


「ああああああああっ!!!!!」


=Message=============

レディウィンドは逃げ出した。

―――――――――――――――――


 絶叫とともに背中に生える羽を大きく広げ、勢いよく飛び立つ。

 彼女が取った手段は、最も愚かで度しがたいものだった。

 彼女は知っていたのだろうか?

 魔王四天王を含むボスモンスターは、一度戦闘行動を取るとシステムの制約で決して逃げ出すことが出来ないことを。

 今まで逃げ出したことなど無かったから、その制約を知らなかったのだろうか?

 それとも知っていてなお、その場から逃走を選ばないほどに恐怖を抱いていたのだろうか?


 どちらにしろシステムは無慈悲だ。

 それは定められた法則通りに世界に適応される。


=Message=============

ボスモンスターは逃げることができない。

―――――――――――――――――


=Message=============

勇者からは逃げられない。

―――――――――――――――――


=Message=============

魔女からは逃げられない。

―――――――――――――――――


=Message=============

レディウィンドの逃走は失敗した!

―――――――――――――――――


 不可視の力に縛られたかのように身体が固定され、浮力を失い墜落する。

 地面にぶつかる衝撃で朦朧とするレディウィンドがうめき声を漏らしながら顔を上げると、爛々とした瞳で彼女を見つめる少女――キャリアと目が合った。

 風の四天王レディウィンドは……いつかどこかで見た覚えのない記憶を幻視しながら、光とも闇とも表現できぬ存在を前に絶望を抱く。


「あっ、まって……ぐっ、げほっ、げぇ……」


 どろどろと、身体が爛れ朽ちていく。

 一歩、また一歩静かに死が訪れる。

 少女は静かにレディウィンドを見つめる。ただ静かに、地獄を思わせる瞳で。


「た、たすけ……」


 やがて小さく命を乞い、レディウィンドは金貨へと成り果てた。



=Eterpedia============

【後悔の魔女 キャリア=エルフール】戦闘ユニット


 戦闘力:22 移動力:2

《捕食》《疫病感染》

《邪悪》《英雄(偽)》《勇者(偽)》《狂信》

※月が出ているほど狂気と戦闘能力が増す。

満月の日にその力は最大となる。

―――――――――――――――――


 月は美しく輝いている。



 ◇   ◇   ◇


 魔に属する者達がその力を一切発揮することなく爛れ溶かされていく地獄の場所。

 その場所よりさほど距離を取らない別の魔王軍駐留地では、また別の地獄が繰り広げられていた。


 その場所では地面に巨大な魔方陣が施設されていた。

 赤黒くそれは絶えず発光を繰り返しており、周囲に規則的に並べられた巨大な水晶状のアイテムから魔力を供給されているようだった。

 大きさにすると一国の都市の広場ほどはあるだろうか?

 設備も術式もこの世界におけるそれとは全く異質なもので、だが漂う気配から感じる濃密な死の香りに真っ当な目的に使用するものではない事はよく分かる。


 配備される魔物は精鋭揃い。先ほどの防衛地点よりもより強力な魔物と魔族がひしめいており、この場所が魔王軍にとって重要な施設であることが一目で分かる。

 その地は、疫病で壊滅した先の防衛地以上に奇怪な状況となっていた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 無言だった。

 ありとあらゆる魔物、魔族が無言でその場に立ちすくんでおり、ぼんやりと意思のない瞳でただ目の前を見つめている。


「あははははは!! あははっ! アハハハハ!!!」


 その魔物達の間を、一人の少女がくるくると踊りながら駆け回っている。

 片方の瞳に不可思議な魔法陣を浮かべたダークエルフの少女――メアリア=エルフールだ。

 かつては何を考えているのか分からぬ表情が特徴的だった少女は、今はその瞳に確かな狂気を宿しただひたすら笑い踊っている。

 静寂と無言が支配するその場所で少女はまるで闇夜に灯る明かりの様に目立っていたが、魔物達はその様子を視認しても一切行動に移そうとしない。


 少女はくるくると楽しそうに踊る。

 その少女に視線を向ける者が一人。

 数多のカラクリ武器を操り、魔王軍における建造物の一手を引き受ける土の四天王オルドメカニクは、憎悪の瞳でその少女を睨み付けていた。


=Message=============

オルドメカニクは攻撃方法を忘れている!

―――――――――――――――――


 何が起きたのか、それすらも分からない。

 魔方陣の建築は順調であった。

 すでに施設の完成は90%を迎えており、あとは起動実験を行うだけでいつでも使用可能な状態に持って行ける。

 その事実に満足しながら、配下の岩石騎士へと指示を行った瞬間だった。

 先ほどまで忙しなく作業を行っていた魔物達がピタリと動きを止め、まるで仕事を忘れてしまったかのように呆然とし始めたのだ。


「世界は私たちが嫌いなの! 私たちの事が大嫌いなの!」


 少女はその時より現れた。

 彼女が仲間でないことは理解できる。排除すべき存在あることも理解できる。

 自分たち魔王軍に戦時法など存在せず、どのように敵を殺したところで咎める者がいないことも当然の常識だ。

 だが……その方法がどうしても思い出せなかった。


(攻撃を受けている可能性あり。防御が必要。だが……攻撃の質が見えない!)


 無論オルドメカニクも四天王という地位を有しているだけあって様々な精神魔法に対する抵抗力は持ち合わせている。

 眠りや混乱といった基本的な魔法はもちろんのこと、幻惑や憤怒といった特殊なものにも完全な防御が可能だ。

 だが、今受けている攻撃はそのどれとも言えなかった。

 敵の攻撃は分からない。

 だがこのまま茫然自失で立ちすくむわけにもいかない。

 なぜなら……。


「世界が私たちのことが嫌いだから、だから愛が必要なんだよ!」


 パクリ……と少女が小さな口を大きく開け、何かを咀嚼する仕草を見せる。

 瞬間……少女の近くにいた魔物が上半身から虚空に食いちぎられ消え去っていく。

 まるで差し出された食糧の様に、魔物達はその少女の胃袋へと消えていくのだ。


「私たちは生きている。食べて食べて食べて、愛する人たちに生かされている!」


 どんどんと魔物の数が減っていく。

 オルドメカニクは彼女を止める方法をなんとか模索しようとするが、まるで記憶が欠落したかのようにその方法が思い出せない。

 逃げるわけにいかない。助けを求めるにも……時間が足りぬだろう。

 配下の魔物や魔族はあてにならない。自分がどうにかするしかない。

 だが……その手段はすでに失われていた。


「聞こえる! みんなが私に囁いてる。肉の一片が! 血の一滴が! 私に生きろと囁いている! 私の中に、みんながいる! お母さんがいる! もう寂しくないよ! もう怖くないよ!」


 パクリ。また一人配下の魔族が虚空に消失した。


「ありがとうみんな! ありがとうお母さん! 嬉しい! 私、とっても嬉しいよ!」


 パクリ。まるでお菓子を摘まむかのように、その魔物は頭だけを失った。


「輝いている! 世界がこんなにも残酷だから、だから愛が存在するんだ!」


 全ての感情はその存在を認めることで初めて生まれる。

 形はなく、知恵ある者が精神の動きを定義づけすることによって発生する概念だ。

 だが愛の実在を標榜しながら忘却を振りまく少女の心に存在する矛盾は一体何を意味するのか?

 すでに明確な思考力を忘れさせられているオルドメカニクには、そんな事を考える余地すらない。

 あらゆる思考は、彼から失われようとしていた。

 だが、敵を駆逐するにあたって考える必要などないとしたら? その手段が偶然にもオルドメカニクに存在していたとしたら?


(緊急事態。――仕方ない、カラクリ鎧を自動戦闘に切り替える)


 カチリと小さな音が鳴り、オルドメカニクに変化が現れた。


 土の四天王オルドメカニクは小さな老人の体躯に蒸気を噴き出す機械が組み合わさった姿をしている。

 この外部骨格とも言える機械には魔力を用いた機械が組み込まれており、設定を行えば自動で敵を攻撃する事が出来る特性を有している。

 自らは補助や回復魔法を使い、カラクリ鎧に攻撃を任せる戦い方。これがオルドメカニク必殺の戦法だ。

 オルドメカニク自身が動けずともカラクリ鎧がその溢れんばかりの膂力で目の前の少女など容易く排除するだろう。

 設定の切り替えは攻撃にならない。何が起こるのか分からぬまま、耳障りな駆動音を鳴らしカラクリ鎧の巨腕が少女に襲いかかる。


「――だめ」


=Message=============

カラクリ鎧は動作を忘れた

―――――――――――――――――


 だがオルドメカニクの予想は崩される。

 カラクリ鎧がバラバラと崩れ落ち、まるで自分自身を忘れてしまったかのように消え去っていく。

 ここに来て初めて、オルドメカニクは少女が繰り出す不可視の攻撃が生命以外にも作用することを知る。


(危険度極大。我が生命捧げてでもここで止める。魔王様お許しください――魔方陣暴そ)


「だーめっ」


=Message=============

魔方陣は動作を忘れた

―――――――――――――――――


 魔力を暴走させ、巨大な爆発を起こそうとしていた魔方陣はその方法を忘れてしまう。

 説明や予兆すらなく終わる。

 オルドメカニクが残った思考で生み出した全ての作戦は少女のたった一言で無力化された。

 あまりにもあっけない幕引きだ。


 その魔方陣が何を目的としていたのかは不明だ。少女は最初から知らないし、オルドメカニクもそのことはすでに忘れている。

 だがそんなことをいくら考えたところで意味は無い。

 なぜならすでに魔方陣は自らの役割を忘れ、その機能を停止しているからだ。


 少女と――目が合った。


「あなたは……愛を信じている? 愛はあるんだよ?」


=Message=============

オルドメカニクは ちから を忘れた

―――――――――――――――――

=Message=============

オルドメカニクは すばやさ を忘れた

―――――――――――――――――

=Message=============

オルドメカニクは ゆうき を忘れた

―――――――――――――――――


 途端、オルドメカニクの心をとてつもない空虚感が襲う。

 自分の精神がバリバリと食われていくように喪失していく。

 戦う事はもちろん、逃げだすこともすでに忘れている。

 オルドメカニクはただ自らに許された感情をひたすらに発露することしかできない。


「ひっ、ひぃっ!……」


 どこか無機質で、彼が作り出す数々のカラクリ武器と同じで感情がないと言われていた四天王の男。その男が初めて見せた感情は恐怖だった。

 情けない声が漏れ、膝がガクガクと揺れる。

 かつて世界を恐怖に陥れ、数々の人間とその国家を滅ぼしてきた土の四天王とは思えない程の有様だった。


 そんな有様を見て、少女は瞳を輝かせる。


「怖い? 怖いの? ねぇ、怖いの!? アハハっ! 怖いんだ! 怖いんだぁぁぁ!!」


 少女が駆けてき、彼の頭を両手で掴みその瞳を見つめる。

 それはまるで自分が抱く恐怖をあますことなく味わうかのようで、その姿が何よりも恐ろしく。

 ついにオルドメカニクは自らの誇りも何もかも捨て去り情けなく叫んだ。


「う、うわああああ!! 魔王様! お助けください魔王様!」


 否、すでに誇りなど彼の中から失われていた。


「大丈夫。怖かったら忘れちゃえばいいんだよ」


=Message=============

オルドメカニクは恐怖を忘れた

―――――――――――――――――


=Message=============

オルドメカニクは魔王の存在を忘れた

―――――――――――――――――


=Message=============

オルドメカニクは自分が何者であるかを忘れた

―――――――――――――――――


 ビクリと、一瞬痙攣しオルドメカニクは呆然と立ちすくむ。

 その瞳はすでに数を半数ほどに減らした彼の配下達と同じようで、完全に自分という存在を忘れているようであった。

 少女――メアリアはそんなオルドメカニクをある種の慈愛に満ちた瞳で見つめる。


「忘れよう。全て忘れるの。辛いことも嬉しいことも、世界も何もかも……全部私が消し去ってあげる」


「あ、えっと……あれ? え?」


「そうすれば、愛だけが残るから」


 オルドメカニクにはもはや何も残されていない。

 精神性が人物を構成するのだとしたら、もはや彼のそれは失われつくしてしまった。

 ここにいるのはその抜け殻だ。

 だが、彼の心は不思議と温かな気持ちに満たされている。

 もしかしたらそれこそが唯一忘れず残された愛だったのかも知れない。


 だがその事を知ることなく……。

 四天王の一人オルドメカニクは自らが生きていることすら忘れた。


=Eterpedia============

【後悔の魔女 メアリア=エルフール】戦闘ユニット


 戦闘力:25 移動力:2

《捕食》《白痴感染》

《邪悪》《英雄(偽)》《勇者(偽)》《狂信》

※月が出ているほど狂気と戦闘能力が増す

満月の日にその力は最大となる。

―――――――――――――――――


 月は美しく輝いている。


 ◇   ◇  ◇


 すでにブレイブクエスタスの魔物たちはその統率を失い、崩壊の最中にある。

 それも当然だろう。彼らをまとめ上げていた四天王と、随伴していた上位の魔族達がことごとく壊滅させられたからだ。

 残るのは指示を受けずに好き勝手動く魔物の群れが存在するだけ。

 こうなってしまえばもはや少し強いだけの野生動物と変わりは無い。


 だが当然。最後の一人が残っている。

 彼女達の目的で、感情がおもむくまま全てを殺し尽くしてたどり着いた最終地点だ。


 夜空に浮かぶ月の下、やがて両者は相対する。

 月は美しく輝いていた。

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