第十九話:世界に災厄が蒔かれる時

【聖王国クオリア北方州】


 風が吹き荒れ、雪が舞う。

 吐息は白く輝き、凍える冷気は容赦なく体温を奪う。


 遠くより得たいの知れぬ奇声が重なり響く。

 悲鳴、雄叫び、ののしり、あざけり。

 この地より彼方果てにある都市より流れ聞こえてくる狂者の騒乱をその超人的な聴覚で聞き取りながら、華葬かそうの聖女ソアリーナは静かに尋ねた。


「魔女エラキノの動向は?」


「先日落とされた都市に駐留し、その後動きはありません」


 答えたるは彼女を護衛する上級聖騎士。

 北方州を統括し、彼女の行動に口うるさく指図してきた枢機卿は既に遙か遠くへと逃げおおせている。

 日ごと苛烈さを増すすすりの魔女エラキノによる攻勢。

 そしてすすられた者たちの対処。

 軍の動きを攪乱するかのように北方州各地に散った魔獣や亜人の対処で後手に回っていたソアリーナは歯がみしながら聖騎士の報告を受ける。


「前線には顔伏せの聖女さまが出ております。どうやら聖女さまの奇跡は魔女と相性が良いらしくここしばらくは膠着状態が続いているようです」


 ソアリーナの脳裏に常にヴェールで顔を覆い隠し、うなだれるように顔をうつむかせていた聖女の姿が思い起こされる。

 さほど話したこともない素性すら知らぬ相手ではあったが、同じ聖女として親近感だけは人一倍抱いていた。

 彼女が未だ無事であり、魔女を押しとどめている事実に心の中で感謝と激励の言葉を贈る。

 だが聖女とてあくまで個人だ。出来る事には限界がある。

 そして彼女たちが動くのは遅すぎた。


「被害の程は算出出来ましたか?」


「北方州における都市二つ、村や小規模の町に関しては数え知れず。北方州管轄兵団約三万。魔女の手により壊滅。民の被害は多すぎて計算が……」


 ソアリーナは静かに瞳を閉じ、救えなかった人たちへの謝罪を捧げた。

 どれほど謝っても取り戻すことはできない。

 誰も彼も救いたくて聖女になったはずなのに、誰も彼もがその手をこぼれて消えてゆく。

 ソアリーナの顔にまた一つ陰りが増す。


「南部大陸の災厄に関しては――いえ、そんなことに気をかけている余裕はありませんね」


 神託による南部大陸大呪界調査。その結果について何事も問題無しとの報は受けていた。

 詳細を求めてもはぐらかされる枢機卿の態度に些か不信感を覚えていたのだが、今はそれどころではない。

 よしんば何らかの問題が発生しても、王都には残り二人の聖女が控えている。

 ソアリーナは目の前の問題に集中し、己が責務を果たすことを決意した。


「周辺に散った魔獣及び亜人の討伐について、後は聖騎士の方々に任せたいと思います。私は前線へと向かい顔伏せの聖女さまを支援します。魔女を倒せずとも、なんとかこの地より押し返してみせましょう」


 一歩を踏み出そうとするソアリーナを聖騎士は慌てて呼び止める。

 聖女の身体能力は上級聖騎士のそれを優に越える。

 彼女一人であれば、その気になれば数刻で前線まで駆け抜けてしまうのだ。

 もちろん追従できる者など誰もいない。


「お待ちくださいソアリーナさま! 御身の前線出撃には枢機卿の許可が……」


「必要ありません。私が決めました」


 強烈な突風が巻き起こり、視界を塞ぐ粉雪に思わず聖騎士の男がたたらを踏む。

 彼が顔を振りながら瞳を開けた時には、すでに聖女の人影は何処にもなかった。



 ◇   ◇   ◇



【エル=ナー精霊契約連合 テトラルキア評議会審議場】


 エルフたちが治める連合国家、その最高意思決定機関である場所では各部族の長が神妙な面持ちでテーブルを囲んでいた。

 彼らに向かって報告を行うのは若いエルフの一人である。

 とある氏族の次期族長であり、経験を積むためにこの場への参加を許されている将来有望な男だ。


 その彼が神妙な面持ちで書面の内容を読み上げる。


「トゥーワイス氏族首長都市ワイス=ナーとの連絡途絶。かの街の最後通告は他の陥落都市と同じ、斥候から受けた情報からみても間違いございません。寝返りました」


「またかっ!? これでトゥーワイス氏族は完全に敵の元に寝返ったのだぞ!?」


 ドンとテーブルが叩き鳴らされ、血の気の多いことで有名な氏族の首長が怒鳴り声を上げる。

 だが他の者とて行動に出さずとも内心で抱えるものは同じらしい、各々唸り声を上げながら難しげな表情で腕を組む様子からもそれは明らかであった。


「精霊に祝福されし首長の皆様に僭越せんえつながらお伺いします。聖王国クオリアに救援を頼んでは? 此度の事案、若輩の戯言ではありますが我々の手にあまるようにも感じております……」


「バカを言え! このような情けない話、いくら長年の友であるクオリアとはいえ言えるはずもなかろう!」


「むしろ長年の友であるからこそ……だ。精霊に祝福されしエルフ族の誇りにかけても、この問題は我々だけで処理せねばならん」


 各部族の長である首長の言葉は絶対だ。

 意見を聞いてもらえるだけ上等ではあるが、ここで否と言われたからにはひるがえることはない。

 他の首長に関しても意見は同じようだ。

 エルフは年を重ねるごとにその知恵と力を増大させる。それは大抵の場合仲間の安全に寄与するのだが、時としてこのようにプライドが肥大化し大局が見通せなくなる。

 評議会の中ではいまだ若造扱いの男は、静かに頭を垂れ自分の言葉を撤回する。


「それに向こうは北方州に現れた魔女にかかりっきりだ。むしろ我々エル=ナーこそこのくだらん問題をさっさと解決して彼らの救援に向かわねばならん。どちらにしろ君の意見は実現が難しいだろう」


「その通り! 万が一このことが他国に露見してみろ! 後の歴史学者が喜び勇んで我が国への嘲りで書物を書き上げようぞ。くそっ! 忌々しい邪悪なる奴らめ……ああ! 話題にするのもおぞましいわ!」


「聖女を出せ! 精霊闘士団もだ! さっさとこの品性下劣な問題に片を付けるのだ!」


 喧々囂々とした雰囲気の中、今回の議会も終わりを迎える。

 ようやくエル=ナーが保有する聖女の出撃が決まった。一人で一軍を超える力を有する聖女であるのなら、氏族一つが陥落するというこの劣勢を覆すことはできるだろう。

 だがどうしてか……。

 次期首長の男は、この問題が何か大きな予兆の前触れなのではないかと不安を抱くのであった。



 ◇   ◇   ◇



【南極海 岩礁と海の国サザーランド】


 イドラギィア南部大陸、未開の地が多く未だその全容が明らかになっていない土地。

 その東方沿岸を国土として持つ海洋国家サザーランド。

 主として貿易や漁業への適正を高く持つ人間の中立国家であったが、その日一つの都市に異変が訪れていた。


「ん? 霧……か?」


 港で作業を行っていた船乗りは、キャラベル船の係留ロープをたぐり寄せながら海の向こうからやってくる霞を訝しげに見つめた。

 霧は船乗りの天敵だ。

 視界が悪くなれば当然海上で位置を計ることが難しくなるし、場合によっては海魔や海獣に出くわす場合もある。

 幸い出港準備中の船ばかりのため難破の危険性などはないが、それでも厄介なことに違いは無い。

 霧が濃くなる。考えてみればこの時期に霧は珍しかった。

 そもそも港まで覆い尽くすような霧が存在するのだろうか?

 にわかに辺りが騒がしくなってくる。


「なんだあれは!? どこ所属の船だ?」


 隣で同じく作業をしていた同僚が、海の向こうを指しながら叫ぶ。

 男が目を細めながら霧の奥へ視界を向けると、確かに何か船らしきものが揺れていた。


「クオリアじゃないか? うちの船は全部あるし、他の港所属の奴でもなさそうだ……」


「クオリアの船かぁ? にしては装飾が足りない気がするが……」


 不審な気持ちを抱きながら、係留ロープを括り付ける。

 気にはなれど仕事が先だ、特にこの霧ではさっさと終わらせて酒を飲むに限る。

 そう考え視線を地面へと向けていた男、それが同僚との命運を別けた。


「いや待て違う! あれは船なんかじゃねぇぞ! あっ、だ、ダメ み、ミミミルナ!!」


「お、おい!」


 慌てて振り返ると、同僚が泡を吹きながら白目をむいて倒れている。

 男はそれが海で時たま出会う海魔がよく行う精神攻撃であると判断する。


「くそっ! て、敵襲! 敵襲だ! 早くこのことを軍に知らせろ――! いいか野郎ども直視するじゃねぇぞ!」


 直接視ず、視界の端で船を捉える。

 精神が汚染されそうになる不快感に見舞われながら確認したそれは、決して船などというものではなかった。



 ◇   ◇   ◇



【大呪海マイノグーラ王宮建設地】


 大呪界では着々と各種建設が進められていた。

 現在主として建設が行われているのはマイノグーラの王宮である。

 国家の威を示す象徴的な建物がいつまでも仮の掘っ立て小屋じみたものでは体裁が悪い。

 加えて王宮は様々な効果を生み出すことがあるので国家運営の点から考えてもその建設は急務だ。

 すでにあらかたの基礎は組み上がり、ある程度の形となって出来上がっている。

 ダークエルフの女性たちが織り上げた彩りあふれる敷物や壁掛けなどもそこらに飾られ、完成の暁にはさぞかし立派な場所になるであろうことが予想された。


 その玉座の間にて変わらず石で出来た台座の上に座る拓斗は、夜の静けさと松明がもたらす温かな明かりを楽しみながら、静かに鼻歌など口ずさむ。


「……ところで拓斗さま」


 ふと、彼の横から声がかかる。

 ちらりと視線を向けると、彼が心から信頼する腹心たるアトゥと眼があった。

 彼女がいてくれたから今の自分がある。

 アトゥがいるからこそ、ここまで大きなトラブルなく順調に国家を繁栄させることができた。

 万感の思いを抱きながら、拓斗は微笑みを返す。


「ん? なぁに?」


「拓斗さまはこちらに来る前は一般的で平凡な市民でしたよね……」


「そりゃまあ普通だよ! まぁ実家は多少お金持ちだったみたいけど、それでも普通普通! いきなりどうしたの? 変なこと確認するアトゥだなぁ」


 拓斗の出自は彼の言ったとおりさほど珍しいものではない。

 庶民感覚を有しているし、一般的な倫理観も有している。

 突然異世界にやってき、まるでゲームのように国家運営をしなければならないという衝撃的な運命に見舞われたが、自身の本心は根っこのところで現代人だ。

 拓斗は自分をそう判断していた。


 こんな状況、普通の人だったら混乱する。その様な状況下で意外と自分はしっかりと王が出来ているのじゃないか?

 彼はそう自分を評価し、内から湧くかすかな喜びと興奮に身を委ねる。

 とは言え、アトゥがそう尋ねてくるということは王らしくない部分が残っているのであろうか?

 疑問を投げかけるように、拓斗は静かにアトゥの瞳を見つめる。

 アトゥも意を決して、先日言えなかった疑問を拓斗にぶつける。


「あっ、いえ! そういう意味ではなくて……えっと、私があの聖騎士たちを殺したことで何か拓斗さまのご気分を害していやしないかと気になっておりまして……」


「気分を害す? なんで?」


 その答えをアトゥは持ち合わせていなかった。

 まさかそのような言葉をかけられるとは思ってもいなかったのだ。

 拓斗はアトゥを通じて戦闘の詳細を全て把握している。

 肉を裂き、骨を砕き、その命を戯れに奪うその感触すら全て、だ。

 アトゥは自らが戦闘の際に遊びすぎたことへの言い訳はいくらか用意していた。非道な行為を咎められたことに対する謝罪の言葉を用意していた。

 だがなぜその様なことを気にするのか? と問われることは想定外だったのだ。


 拓斗はこの世界に来る前は一般的な人間だったはずだ。

 であれば一般的な倫理観を有しており、自分にもその倫理観が一部受け継がれているのだとアトゥは考えていた。

 だからこそ彼女は邪悪なる存在でありながらなお拓斗とともに歩めるのだと誇りすら抱いていたのだ。


 だが拓斗は今まさにその考えを自覚なしに打ち砕いた。

 普通の人間であれば動揺せずとも心動かさざるを得ないだろう場面で、なぜ? と問うたのだ。


 アトゥは何か嫌な気配によって舐め尽くすように見つめられている感覚に陥る。

 何が間違っていて、何が正しいのか分からなくなってきた。

 拓斗がこの世界に来たことによって彼の性質が変わったのかと言い知れぬ不安に苛まれる。

 マイノグーラの指導者としての属性が彼に付与され、あの優しくいつも自分に声をかけてくれていた拓斗が何処かへ消え去ってしまったのではと恐ろしい考えが頭をよぎった。


「変なアトゥ」


「あっ、いえ! も、申し訳ございません……」


 だがその憂慮すら、己の間違いであったことにアトゥは気づく。

 彼女は伊良拓斗という人間のことを、ゲームを通じて以外何一つ知らないことを思い出したのだ。

 これ以上自らの疑問を吐露することなどできようもなかった。


「何か心配事でもある? 僕で力になれるならなんでも言って」


「大丈夫です。私の勘違いだったようですので……」


「そっか……えっと、何か落ち込んでる? そんなアトゥは見ていたくないよ。もっといつもみたいに元気な君でいて欲しいな」


 そっとアトゥの手が握られ、親が凍えた子の手を温めるかのように包み込まれる。

 触れられる手の温もりは温かい。浮かぶ笑みも慈愛に満ちている。

 だがかけられたその言葉だけは、何か絶対的なものを感じさせる……。


「さっ、笑って?」


「は、はい!」


 慌てて返事をするアトゥ。

 何かたまらなく恐ろしくなって、自らが世界を滅ぼす可能性を秘めた英雄であるということすら忘れてぎこちない笑みを浮かべる。

 引きつった、おおよそ上等とは言えない笑顔ではあったが拓斗はそれで満足したようだ。


 アトゥがほっと胸をなでおろし、自信の内に湧く表現しようのない恐怖にどうにか折り合いをつけようとしていると、そっと彼女の頭に手が乗り撫でられた。

 その主は当然拓斗だ、慈愛に満ちた優しげな表情でアトゥを見つめている。


 拓斗の優しさも、拓斗の想いも、全てが伝わってくる。

 今までの不安が何処かに飛んでいったかの様な幸福が訪れ、安堵と信頼が全身を満たす。

 気がつけばアトゥは拓斗の胸に納まり、静かにその安らぎを甘受していた。

 夜の帳が落ち、パチパチと松明の爆ぜる音だけが静かに流れてくる。

 きっと拓斗と自分の関係も、いつか決着をつけねばならぬのだろう。

 アトゥは考える。

 なぜ彼がこの世界にやってきたのか、なぜゲームのキャラクターであるはずの自分が彼とともにここにいるのか。

 その疑問に対する答えは、いまだその糸口すら見せていない。

 だが願わくば今だけは。


「いろいろあるけど、アトゥと一緒だとやっていけると思うんだ。だからこれからもよろしくね」


「私も、拓斗さまと同じ想いです」


 ただこの時が永遠に続かんことを。

 永遠に、永遠に。

 崇敬し、愛する拓斗とともに。

 終わることなく、二人だけでと乞い願う。


「なんだかんだで面白くなってきた。楽しもうね!」


「お、仰せのままに、我が王よ……」


 明るく元気づけられるようにかけられた言葉。敬愛する自らの王。

 だが今の彼女には、

 拓斗の姿はただ漆黒の闇を纏う人の形をした何かにしか見えなかった。




 第一章:了




=Message=============

 連鎖イベント【終末の訪れ】が始まりました。

 マップ内の■■■■■■■■■します。


 ~善なる文明たちよ。神を信じ終末に抗え。

 ~悪なる文明たちよ、おのが欲望の赴くまま世界を蹂躙せよ。

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