第11話
祀莉は鋼探偵事務所のソファに座っていた。目の前の応接テーブルには書類の山が積まれている。このソファにたどり着くまでにもゴミだかなんだか分からないものをいくつも乗り越えてきた。
祀莉はどうにも落ち着かずに辺りを見回してしまう。探偵はじっと椅子に座ったまま
「探偵さん、この書類とかってデータ化しちゃったらダメなんですか。私、できますけど」
「ダメだ」
「じゃあ、整理するのは?」
「それはまあ、構わん。が、なぜ?」
「だって暇なんですもん。見ていて居た堪れないし」
「……好きにしろ」
探偵は苦々しく言った。
「ヤッター!」
祀莉は意気揚々と書類の山を整理し、掃除機がけを始めた。自分の部屋はさほど片付いているわけではないが、公共の場が散らかっているのは妙に気になってしまう。そんな
この探偵事務所の主は何をしようが特に文句を言うこともないから、やりがいがあった。彼がずっと煙草を吸っているのだけは気に入らなかったが、この事務所に来てから三度ほど止めるように進言しても断られていたからまだ根気が要りそうだ。
「ねえ、煙草やめてください。健康に悪いし、前時代的です」
「ダメだ」
「ちぇっ」
だいぶ根気が要るようだった。
「それで、事件は何がどう解決したんですか」
「魔女は去り、呪いは解かれた」
芝居がかって言う探偵を祀莉は恨みがましい目で見た。
「そういう言い訳の部分の話じゃありません。じゃあ、あの……よく分からないものは何だったんですか?」
あの怪物のようなものをどう形容していいのか分からず祀莉は少し言い淀んだ。しかし、探偵は事も無げに言う。
「あれか。あれはお化けだ」
「お化けなんて有り得ないじゃないですか。どういう理屈なんですか。あれもコンピュータウイルスのせい?」
「いいか、柳崎祀莉。有り得ないなんてことは有り得ないのだ。目の前にある現実を受け入れろ。世の中にはああいうものがままあるのだ」
「……信じられない」
祀莉は胡散臭そうに探偵を見つめた。手元では古い掃除機がごうごう鳴っている。ゴミが着実になくなっていくのが場違いに楽しかった。
拭き掃除をしたソファの横の壁には『事務員募集中』という手書きの紙が貼られていた。紙は既に変色しかかっている。いつから募集しているのだろう。どう見ても捨てるべきだ。
「ねえ、これ剥がしていいですか。ARで表示すればよくありません?」
「やめろ」
探偵が心底嫌そうに言う。
「こういうところは偽物の柳崎祀莉の方がよかったな」
「おっ、なんだ。やるかー!?」
祀莉は雑巾と掃除機を放り捨ててファイティングポーズを取った。
「お前、散らかすのはいいが来客があると言ったろう。人が入れるようにしておけよ」
「げっ。もっと早く言ってくださいよ。本腰を入れ過ぎちゃったじゃないですか」
祀莉は慌ててゴミ袋を人目につかない場所に移し始める。
「事件の真相はその客に聞くといい。僕は推論に基づいて動いただけだから事実は知らないよ」
「誰ですか。警察の人?」
「本人が言うには警察の協力者だとさ」
「はあ。誰ですか、それ」
その時、室内に据え付けられたARの通話装置が起動する。通知画面には
ARによって事務所内に描き出されたのは長い金髪をした
「キミ、ハウスメイドでも雇ったの?」
メイド扱いされていた。学生服姿のメイドがいてたまるものかと思う。
「これは僕の依頼人だ。今回の事件に巻き込まれた被害者でもある。同席してもいいだろう?」
「口外さえしてくれなきゃあ何でもいいけどさ。えっと、祀莉ちゃんか」
少年は祀莉に微笑みかけてくる。綺麗な顔だ。
「あっ、はい。
年下だと思うのだが、なぜか敬語を使ってしまう。不思議な雰囲気のある少年だった。
「キミ、あんまりニュースとか見ないタイプ?」
「はい、あんまり見ないタイプです!」
元気良く手を上げる。
「エムズコープ社長の白澤映室です。気軽に映室って呼んでよ」
幼い経営者は屈託のない笑顔で笑った。
「超有名人じゃん!」
祀莉は思わず
「お前、普段は威勢がいいのにどうして権力には弱いんだ。ほら、座れ。真実が知りたいんだろう」
祀莉は探偵に促されて自らが掃除したソファに座った。探偵も祀莉の隣に腰を下ろす。
「全ての発端は風見優が父親の会社の従業員に命じてコンピュータウィルスを作らせたこと。そうだな?」
「まあ、そうだね。学校でクラスメートを侮辱したりしてるくらいならよかったんだけどね」
「待ってください。別によくないですよ、それ」
祀莉は思わず口を挟んだ。
「うん、よくないね。でも、バーチャルスクールじゃあイジメに発展しようがないでしょ」
「え?」
「だって、暴力はシステムで禁止されているし、悪口はミュートしてしまえばいいし」
「確かにできないですね」
「でも、風見優はしたかったんだろうね。暴力的なこと」
「最悪じゃないですか」
探偵はつまらなさそうな顔で答える。
「最悪だな。それで、一計を案じた風見は父親のIT会社の社員に泣きついたわけだ。いや、脅したという方が正確か。『新しいコンピュータウイルスを作れ。さもなくばパパに言いつけてクビにするぞ』ってな」
「そのコンピュータウイルスって――」
「君と三國弥沙夜のAR端末に感染してるやつだ。新種だからセキュリティソフトにも検知されない」
白澤は手を合わせて謝罪する。
「ごめんね。風見の社長が君と弥沙夜ちゃんの端末の代金は弁償するって言っていたから。許してあげてよ」
「風見の社長って……お父さんですか。その人はどこまで知ってるんです?」
白澤はわざとらしく腕組みをする。
「うーん、強いて言うならほぼ全部かなぁ」
「ぜ、全部って」
「ウイルスを作らされた社員が罪の意識に耐えかねて社長に垂れ込んだんだよ。それで、風見の社長は娘が勝手をしていることを知った。悩んだ社長は僕に相談してきたんだ。これ以上の凶行は止めさせるから、娘のやったことを揉み消してくれって」
「揉み消す!?」
「そんなに驚くことでもないでしょ。社長の娘が従業員を利用してサイバー犯罪に手を染めたなんて知られたら大スキャンダルだよ。やり方はともかく、ひた隠しにしたいと思うのは当然のことじゃない?」
「そんなことが許されるんですか」
「許す許さないはともかくとして、優ちゃんは頭のいい子だったから自分でも暴力が明るみに出ない方法を考えてたんだね」
「それが、魔女の呪いというわけだな。風見優はネットで調べたのか本で読んだのか、飯綱権現の呪法を知り、周りの人間にそれを話して聞かせた」
「イイズナ様、ですか」
「そうだ。そして、自分が作らせたウイルスを呪いだと信じ込ませた。起きている現象だけを見れば謎の怪現象だからな。呪いであれば、同級生が不登校になろうが罪に問うことはできない」
「……呪いを隠れ蓑にしてコンピュータウイルスで好き放題するつもりだったんですね」
「そういうこと。ただ、優ちゃんは百パーセントの安全が欲しかったんだろうね。周りの人間が信じ込むだけでなく、外部からの証言も必要だと考えた。そこで目を付けたのが――」
「エムズコープにも所属しておらずなんとなく簡単に騙せそうに感じた僕だったというわけだな」
鋼探偵は仰々しく一礼する。
「随分と買い被ってもらったものだ」
「買い被ってもないし、褒めてもいない。キミ、勝手なことしすぎ!」
白澤は椅子から飛び降りて鋼を指差す。
「言ったでしょ。風見優は魔女だって。それで良かったんだよ。彼女がわざわざ用意してくれた隠れ蓑だし、使ってやらない手はないでしょ。それをさあ、わざわざ余計なことまで探り出して」
「僕は依頼を果たしたまでだ。父親の会社の従業員を使ってARをハッキングさせ、柳崎祀莉の姿で事務所にやってきたあの娘の、な」
祀莉は探偵に尋ねる。
「探偵さんはどうして風見が呪い使いじゃないって分かったんですか」
「彼女は僕が三國弥沙夜に接触したことに焦ったのか、再びARをハッキングさせて僕に警告してきた。呪いを操れるというならわざわざそんなことをしてまで化け物の真似事をする必要はない」
祀莉が分かったような分からないような顔をしていると、後ろ手に手を組んだ白澤がゆっくりと歩き出す。
「まあ、最終的には上手くまとまってくれたから良かったよ」
白澤が手を叩く。ぱん、と乾いた音が響く。
「風見優は魔女だ。キミと弥沙夜ちゃんの不調は魔女の呪いのせい。でも、風見優は鋼探偵の活躍によって魔女の力を失ってしまった。彼女は今後は二度と人々を脅かすことはない。はい、一件落着」
白澤が愛嬌たっぷりに微笑んだ。
「マスコミにはそう公表するね。もちろん関係者の名前は伏せるけど」
「な、なんですか、それ。サイバー犯罪だったんですよね。それで、誰がどうやって罪を償うんですか!」
「償わないよ。これが事件の真実なんだもん。風見社長の会社は守られ、僕は恩を売れて、優ちゃんのキャリアも傷付かない。損をする人間は誰もいない。いいでしょ?」
少年は誇らしげに言う。
祀莉は思わず立ち上がり、白澤に掴みかかろうとしてARを手がすり抜けた。
「こいつ……!」
「よせ、柳崎祀莉。それで構わん」
探偵は祀莉の体を押さえ付けた。
「探偵さん!」
「今はそれでいいんだ」
「でも……」
「お前の依頼は最後まで果たす。信じろ」
探偵が
「じゃあ、さっき言ったとおりマスコミには警察を通して僕の推理を公表するよ。いいね?」
「好きにしろ」
「物分かりがよくて結構。依頼料はいつも通り送金しておくからね。それじゃあ、バイバイ」
ARで描き出されていた少年の姿が消える。と、同時に祀莉がテーブルに拳を振り下ろした。
「ああ、もう! 何なんですか、あの人!」
呼吸が乱れている。
「少し待っていろ」
探偵は事務所の奥に消え、すぐにカップを二つ持って戻る。カップを一つ祀莉の前に置いた。カップは湯気の立った黒い液体で満たされている。
「飲め」
祀莉はコーヒーに口を付ける。ほっと深い溜め息が出る。
「……マズすぎる。インスタントコーヒーをお湯に溶かした味がします」
「文句を言うな」
探偵も自分のカップを傾ける。
「お前に話していないことが二つある」
「話していないこと?」
「お前がここに来る前、僕は風見優を父親に引き渡しに行ってきたんだ。その時、風見優は本当はリアルの学校に通いたかったという話を父親にしていた。風見の父は大いに反省していたよ。娘のことを何も理解していなかった、と」
祀莉は面喰らった。
「風見のお父さんは娘のことには何も関心がない人だったんじゃないんですか?」
「実際は違ったようだね。風見優は家では自分の意見を話さなかったし、父親も娘との接し方に悩んでいたそうだ。風見社長は堅実な経営者だから切り詰められるコストはカットする。娘を費用がかかるリアルの学校に行かせなかったのもそのせいだ」
「風見は反対しなかったんですか?」
「風見優は特に何も言わなかったそうだ」
「もし何か話していればバーチャルスクールには行かせていなかったってことですか……」
「実際、嫌なら今からでもリアルの学校に転校させてもいいと言っていたよ。風見優は断っていたがね」
「断った、んですか」
「まだバーチャルスクールでやることがあるんだとか」
「やること、ですか?」
「ああ。風見優からキミと三國弥沙夜に伝言だ」
探偵が指を鳴らすと、目の前に風見優の姿が現れる。肌が白く背の高い少女だ。泣いていたのか、目元が腫れている。しかし、声はいつもと変わらぬ涼やかさだった。そういうところはさすがだと思う。
「三國さん、柳崎さん。私、いいことを思い付いたんです。リアルでは私の方がお二人より圧倒的にスペックが高いですよね」
「は?」
一瞬、何を言い出したのか分からなかった。
「ということは、バーチャルでもあなたたちを上回るようになったら私って無敵じゃありませんか。これってすごいことですよ!」
「おい」
「これからも私の引き立て役として仲良くしてくださいね。それでは」
そう言い残すと風見優の似姿は煙のように消える。
「どうだ?」
探偵は不敵に笑って祀莉の反応を待った。
「……む」
「む?」
「むかつくー!」
祀莉は探偵の体を揺さぶった。
「あいつ、結局一言も謝ってないじゃん! っていうか、何だこれ! 宣戦布告か!? お前とは何があっても仲良くせんわ!」
祀莉は一気に吐き出すように愚痴を吐き出すと、それから大いに笑った。
「いやー、良かった。わけ分かんないけど良かった」
祀莉はこの事務所に来て初めて声を出して笑ったことに気付いた。探偵も優しげに微笑んだ。
「風見優もこれからは父親と話をしたり、子供らしいワガママを言うようになるんじゃないか。これで、魔女の呪いは終わりだ」
「ありがとうございます」
「ああ、そうだ。それと、もう一つの話だが――」
探偵は
「今回の依頼料。三十万円だ。税込で三十万円でいい。払え」
「はい?」
祀莉は目を白黒させる。
「払え。お前の依頼は解決したろう」
「いやいやいや。折角さっきまでいい流れだったじゃないですか」
慌てて首を振る祀莉。あの場の勢いで言ったことだが、まさか本当にお金を払わされることになるとは思わなかった。
「いや、知らん。何だ、流れって」
「私、お金ないです。お年玉も毎年使いきっちゃうし。今月のお小遣いも残り200円しかないし……来る途中にジュース買ったから80円だわ。しかも貯金なんてゼロですよ」
「マジか?」
「マジです」
祀莉は真剣な顔で預金通帳を見せ付ける。数年前から預金残高はゼロのまま微動だにしていない。
「お前、どうするつもりだ」
「えっと――そもそも私、払うなんて一言も言ってないような」
誤魔化そうとしている間も探偵はこの世のものとは思えない恐ろしい形相で睨んでくる。祀莉は必死に言い訳を探して視線を泳がせた。ソファの横の壁に貼られた『事務員募集中』という
これしかない。
「こ、これ!」
貼り紙を指差す。
「これ、まだ有効ですか?」
「なんだと?」
探偵は顔を歪める。
「私、そろそろ夏休みです。一か月毎日働けます。それで三十万円チャラ。どうですか!」
「本気で言っているのか。どう考えても虫が良すぎるだろう。いや、しかし。本当に払う手段がないのか?」
「ないです」
キッパリと断言する。探偵は顔を覆った。
「仕方がないか。仕方がないのか……?」
祀莉は
探偵が顔を上げる。
「分かったよ。お前を来月から一ヶ月間雇い入れることにする」
「ヤッター!」
祀莉は
「その代わり、一ヶ月間は完全に無給だからな。しっかりと働けよ。ああ、それとここで働くのなら先に紹介しておこう」
いつの間にか探偵の隣に学生服姿の赤髪の少年が立っている。着崩した学生服の胸元にはナイフが突き刺さっていた。祀莉の見ている前で血が滴り落ちる。
「ギャー!」
祀莉は悲鳴をあげた。
「お前、マジでビビりなのな。毎回その反応すんのかよ」
赤髪の少年が大笑いする。
「いや、誰ですか。この人」
祀莉は赤髪の少年を指差したまま探偵を見る。
「そいつは僕の相棒だ」
「いや、そうじゃなくて。何か刺さってますがな」
「人の幽霊だからな」
そう紹介された少年は首を
「アー」
しばらく考え込んでから少年は口を開く。
「なあ、幽霊らしいことって何言えばいいんだ?」
「う、うらめしやとか?」
祀莉は体の前で手をぶらぶらさせてみる。
「お、それいいね! 今度から使ってこう!」
思いのほか評判が良かった。少年は祀莉の肩を叩いて大喜びする。弾みで血が滴り落ちた。
「ギャー!」
三十万円。祀莉の夏休みの値段。どことなく透き通った少年の体を見ながら、あまり命拾いはしていなかったかもしれないなと祀莉は思った。
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