稽古
第1話 京都市大学剣道競技会
11月も中旬に入り、京都を取り囲む山々が色づいた頃、冷泉堂大学剣道部改め剣道サークルの顧問を務める松尾女史の父親である松尾順二が、学長の楠木満に呼び出された。
順二は、松尾女史の剣道の師匠でもある。ちなみにすでに道場主を引退し、現在は松尾女史が道場の代表者を務めている。たまに道場に顔を見せては、サークルのメンバーに稽古をつける松尾順二が、いつものへらへらした様子とは打って変わって緊張した面持ちで道場に現れ、松尾女史に声をかけた。
「とんでもないことになってしまった」
松尾女史は、私を含め、道場で稽古に励んでいたメンバーに休憩を取るよう伝えると、父親に向かい、
「何よ急に?」
と訝しんだ。
「先程、学長の楠木さんから呼ばれてな。毎年恒例の京都市大学剣道競技会の参加を打診された」
「え?」
松尾女史は相当驚いたのか、素っ頓狂な声をあげた。
「嘘でしょ?」
松尾順二は少し怒ったような口調で、
「娘に嘘つく親がいるものか?」
と不満を漏らした。
「だって、あの大会はあくまでも剣道部の大会のはずよ」
「その通りだ」
「それなら、うちは参加資格を満たしていないじゃない」
「その通りだ」
「は?ちょっと何言っているの?」
「確かに参加資格は満たしていない。しかし、条件付きで参加することができるようだ」
松尾親子のただならぬ様子に気づいた私たちは聞き耳を立てた。
「条件?」
松尾順二は、メンバーたちが強い関心を示していることに気づき、
「みんなもこっちに来て一緒に聞きなさい。とても大事なことだ」
と手招きしながら言った。
「ルーカス君と武田君は知らないと思うが、この大会は60年前から続いている伝統的な大会でな、本来なら、うちと京仙院と松ヶ崎大学と洛南大学で競うんじゃ。だが、みんなもご存知の通り、昨年の決勝戦で京仙院に叩きのめされた冷泉堂大の剣道部は、学長の命により、サークルに格下げされてしまった」
昨年の経緯を知っているメンバーからため息が漏れた。
「だがな、その結果、参加する大学は3校になってしまった。そこで、京仙院と松ヶ崎大と洛南大の剣道部の代表者が会議を開いた結果、うちとは逆に今年サークルから部に格上げされた京都医科大学とうちで一騎打ちを行い、その勝者が参加することになったのだ」
「ヨッシャー!!!」
ルーカスと松尾女史が同時に雄叫びをあげ、道場の壁がきしんだ。体格ではルーカスが圧倒的に松尾女史を上回るが、我を忘れた松尾女史の声の大きさはザ・体育会系のルーカスを大幅に上回る。松尾順二は小声で「相変わらずバカでかい声だな」とぼやいた後、真剣な面持ちで、
「ただし、京都医科大に負けたら、サークルを解散しなければならない」
と言った。途端に松尾女史の表情が強張る。
「ちょっと待ってよ、お父さん。負けたら、大学創立以来続いている130年の歴史を誇る剣道部、いや、今はサークルだから違うか、ええと、正確に言うと剣道のグループ活動か、ああ、ややこしい!とにかく、うちの大学で剣道ができなくなるってこと?」
取り乱した松尾女史は、その場に座り込んでしまった。周りを見渡すと、佐々木由紀マネージャーを含め、メンバー全員が沈んだ顔をしている。しかし、私とルーカスだけは自信に満ち溢れていた。
「勝てばいいんですよ」
私はメンバー全員、その中でも特に佐々木由紀マネージャーを意識し、前髪をかきわけながら言った。すると、ダンディー霧島が佐々木由紀マネージャーの肩に腕を回し、
「そうだよ、佐々木さん」
と励ますように言った。
嫉妬に駆られた私は殴りかかりそうになったが、ルーカスに目で制され、なんとか踏みとどまった。そんな私を見て、松尾女史は少し落ち着きを取り戻し、
「そうね、今ならルーカス君と武田君がいるから大丈夫かもね」
と自分を奮い立たせるように言った。
「お父さん、それで試合形式は?勝ち抜き戦?」
一縷の望みをかけて松尾女史が問うと、父の順二は首を横に振り、
「五対五の星取り形式だ」
「星取りって何ですか?」
聞きなれない言葉を耳にしたルーカスが順二に説明を求める。
「星取りは、五対五で一人ずつ対戦し、勝った人数が多いチームが勝利を収める形式じゃ。つまり、3人勝てばチーム全体が勝つことになる」
「3人勝てばいいなら何とかなりますよ。僕と信夢は必ず勝つから、あと一人だけ勝てばいいんですよ」
ルーカスは自信満々に言うと、周りのメンバーを見渡した。剣道経験者ではあるものの、ルーカスに全く歯が立たずに負けた木田氏、そして、私に負けたことを二ヶ月経過しても引きずっている浦賀氏。大学院の研究が忙しくて週に一回しか稽古に来ないトモッチこと葛城智彦。そして、ダンディー霧島。本来何事にもポジティブな性格のルーカスですら、希望が持てずに黙ってしまった。
「京都医科大学との団体戦はいつですか?」
暗い雰囲気を振り払うように、マネージャーの佐々木由紀が明るい声で松尾順二に尋ねた。
「12月24日だったかな。だから、あと一ヶ月と少しだね」
順平の答えを聞いた松尾女史は、
「あと一ヵ月で劇的に強くなるとは思えないけど、可能性はゼロではないわ。向こうだって去年まではサークルだったのよ。しっかり稽古を積めば何とかなるわ」
とメンバーを無理やり鼓舞した。
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